王都ザクセンの剣術道場主ヤリックと女弟子
【王都ザクセンの剣術道場主ヤリック】
リリィはやはり並の弟子ではなかった。
通常、新入りの弟子にはひたすら棒振りをやらせるのだが、百回もやらせれば、どんな者でも必ず当初は疲労困憊する。だがリリィは全く音を上げない。棒につける重りを増やしていったが、何の影響も無いようであった。試しに常人ではまともに振ることさえ叶わぬ重さで棒振りをさせても、顔色一つ変えずに棒を振り続けた。
こうなると疑問が出て来る。リリィは常人ではないのではないかと。確かに剣の経験はなく、動きは全くの素人であった。だが筋力は少女どころか、人間ではないレベルだ。そこで、私は彼女の真の力を計ろうと、仕合をすることとなった。
戦ってみてわかったが、リリィは剣についてはやはり素人であった。教えた型しか使えず、変わった戦法を使うことも無かった。ただ間合いの取り方や、相手との距離を離す動きや詰める動きは、何らかの実戦を経験した者の動きだった。もしかすると、剣以外の武器で戦ってきたかもしれない。それを見るために、武器を剣に限定せず、リリィの好きにさせて様子を見ることにした。
リリィは随分と悩んでいたようだが、彼女のことを秘密にすることを条件に、仕合には応じてきた。私は弟子達に口止めをして改めて彼女に向き合おうとしたところ、リリィが仮面を被るのが見えた。
何処から仮面を取り出したと首を傾げていると、彼女の全身が黒い装束に包まれていく。
「こ、これは!?」
私の目前へと立ったリリィは、既に身長がぐっと伸びていた。仮面を被り、姿形が変わるのを見ていなければ、同じ人物とは思えなかっただろう。弟子達の間にも困惑する声が広がった。
「リリィなのか!?」
「ええ……見分けにくいようであれば、リリアンヌとでもお呼び下さい」
仮面の下からくぐもった声が聞こえるが、リリィと同じ人物とは到底思えなかった。
「参ります」
リリアンヌと名乗り直したリリィは、僅かに身を屈める。そしてこちらが剣を構えたところで、彼女が宙に跳んだ。
「なっ……高い!?」
二階建ての我があばら家はおろか、周囲にある建物より遥かに高くリリアンヌはジャンプした。人があれ程の高さに跳ぶことが出来るのだろうか? 通常ではあり得ぬことだ。
だが空中に跳ぶのは通常は悪手だ。姿勢は変えられても、地上に居るように足を使って攻撃を避けることが出来ないからだ。初心者ならともかく、ある程度剣の腕がある者には、空中からの奇襲は効かない。
「ぬおっ!?」
リリアンヌを地上で迎え撃とうとしていたところ、彼女は何も無い場所から巨大な岩を取り出す。何らかの魔法なのだろうが、詠唱も何も聞こえなかった。そういえば何度か物品が大量に入る代わりに、物の重さが増えるバッグを持っていたが、もしかしたらそれを使っているのかもしれない。
「ば、バカな!?」
信じられないことに、リリアンヌは巨岩を次々と取り出すと、空中からどんどん投げ落としてくる。当たれば人など一たまりも無く押しつぶされるサイズのものをだ。岩に押しつぶされないように、足を使って必死に避けようとする。
気がつけば稽古場には大岩が乱立しており、動きを封じるように岩が周囲を囲んでいた。大岩の結界とでも言うべきだろうか。その大岩のうちの一際大きい岩へと、リリアンヌは降り立った。
僅かに仮面越しに視線が合ったと思った瞬間、リリアンヌの両腕から二本の鞭が伸びた。彼女が手を振ると鞭はそれぞれ岩に向かって伸び、ぐるぐると絡みつく。鞭で直接攻撃して来ないのかと不可解に思った直後、人間大の岩がいきなり飛んできた。驚愕することに、リリアンナが鞭を引っ張ると岩が凄まじいスピードで飛んだのだ。重しをつけた棒を容易に振るとかそういうレベルではない。彼女は岩を振り回すほどの、恐ろしい膂力を持っていたのだ。
こうなると生死がかかった仕合となる。正直に言えば少女の外見に、私は完全にリリィ(リリアンヌ)の実力を見誤っていた。本気を出すように言った私のミスだ。私は木剣を投げ捨てると、なりふり構わず腰の真剣を抜剣する。
「はあっ!」
正面に飛んできた巨岩へと、真っ向から剣を叩きつける。己でも会心の一撃と思った斬撃は巨岩を割き、綺麗に両断した。先王陛下から下賜して頂いた魔剣を佩いていたのが幸いして、剣には全く刃こぼれが無い。
真っ二つに割れた岩を抜けて、一気にリリアンヌへと走る。よもや岩を斬って抜けてくるとは想像していなかったのだろう。リリアンヌが放ったもう一つの岩は、目標から外れて左側から私の背後を抜けていく。岩の間を駆けた私は一気にリリアンヌに肉薄し、岩の上に中腰となった彼女へと突きを放った。
「あっ……」
私の剣先がリリアンヌの仮面に刺さる直前で、ピタリと止まる。リリアンヌの動きが彫像のように固まった。
「勝負あったな」
「はい。ありがとうございました」
私が剣を引いて、鞘へと収めると、リリアンヌは岩から下りて頭を下げた。
「やはり達人には全く歯が立ちません。もっと修行しなくてはいけません」
「うむ、そうだな」
私は肯定してみせたが、よっぽどの剣士でなければ、岩に容易に潰されていただろう。リリアンヌが思うほど、剣の達人というのは多くない。弟子の中でも先ほどの攻撃を躱せるのは、ごく僅かであろう。だが彼女が慢心していないのはいいことなので、黙っていることにした。
「しかし……凄いものだな。正直に言って、こんな攻撃をされるとは思っていなかった」
「自分なりに考えて、できる攻撃をしてみたつもりです」
仮面を取るとリリィの顔が覗き、いつの間にか身長が縮んでいる。
「詮索されたくないだろうから、詳しい話は聞かんぞ」
「……ありがとうございます。助かります」
「単なる棒振りは終わりだ。次のステップに進むぞ」
私の言葉に、リリィは目を見開いて私を見る。通常は身体づくりのために一年は棒を振らせるところだが、大岩をも鞭で振り回すリリィには不要だろう。
唯一の懸念はリリィの怪力を使う源泉が仮面であった場合のことだ。仮面が何らかの力を彼女に与えているのではとも思ったが、岩を持ち上げてバッグに収納しているリリィの姿にその懸念は消えた。怪力といい、大岩を収納するバッグといい、一体この少女は何者なのだろうか……。




