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『跳ねる子猫亭』の主、ビンセン

【ザクセンの娼館『跳ねる子猫亭』の主、ビンセン】


 リランダはつくづく都合のいい女だ。この場合、娼館にとってと言うべきだが。


 いま、リランダはラウンジで常連客達に愛想を振りまいている。その待合客の中で、一番に駆け付けた商人の腕を取り、リランダは自室に向かって歩き始める。禿げて酷く太った男で、顔は豚のようだが、リランダは満面の笑みを崩さない。


 商人とは言ってもそこそこしか稼いでおらず裕福ではないが、リランダは大商人相手のときと変わらずに接する。娼婦には相手の容姿に左右される者が多いが、どんな相手でも彼女は差別したりしないのだ。


 客によっては金払いが良く、多額のチップを渡す者がやはり娼婦には人気だ。それ以外には若い、容姿がいい、性に長けてると好みが別れるが、そういう相手が好かれる。だがリランダはどんな相手でも平等だ。


 傍から見ていると、どんな相手でも最高と思っているように見えてしまうほど、演技が上手い。酔っていたり、貧しそうであったり、あまり清潔でもない客でも彼女は嬉しそうに接する。よっぽどのベテランでないと、真似できないだろう。するとこういう困った客も、二回目に来店するときには、急に見栄を張ってまともな状態や恰好で来るのだから、凄いと言うしかない。


 そんな態度が良く、なおかつ絶世の美人が娼館で相手してくれるのだから、リピーターが続出する。リランダは不定休なので、いつも居るわけではないが、出勤のときには人が殺到する。うちの若い者にどうやら小遣いを渡して、出勤を教えるよう依頼している者が多いようだ。


 娼館としては客が多いのは嬉しいが、普通ならば目当ての女を巡ってトラブルが続出するはずだ。しかしリランダが凄いのは、客を捌くのが驚くほど早いことだ。


 客一人の相手を四半刻(三十分)で終わらせてしまう。普通、こんなことをされれば客は怒り、暴れる者も出る。だが彼女の部屋に入った者達は、呆けたように夢見心地の表情で部屋から出て来る。三十分でどんな手管を使われているかはわからないが、不満足だった客を見たことがない。まるで魔法のようだ。


 そして更に凄いところは休みも挟まずに、すぐさま別の客を取るのだ。娼婦も人なので、休憩が無ければ疲弊する。特に望まぬ客を取った娼婦は心が擦り切れるほどに苦痛を感じることもあるのだ。だがリランダには関係が無い。食事もせず、休憩もせず、夕方から夜中までずっと客を取っている。そして俺は彼女が疲れを見せたところを見たことが無い。


 そんなリランダは金にも執着しない。娼婦によっては金の亡者と言えるくらい、守銭奴がときたま居るが、その対極に居る。まず基本的にチップを受け取らない。彼女の気を引き付けるために、チップを渡そうとする人間は多いが、次回また来店するために取っておいてくれと言っているらしい。物品を渡されても、基本的には等しく受け取らないでいる。


 ときたまどうしてもという客が居るのだが、そういう場合はここを仕切っている俺に渡すことで話をつけている。俺に渡されると換金されて、リランダに渡らないというのを暗にほのめかすので、ほとんどの客は諦めるからだ。


 前も凄かったが、この娼館はいま空前のブームが訪れている。リランダが客を多く呼び込むので、彼女目当て以外でも客が来てくれる。おまけにリランダの待ち時間をラウンジで過ごし、飲食して金を落とす客も多い。


 そうこれほど貢献しているのに、リランダ自身は全然こちらに過度の要求をしてこない。まるで、客を取ること自体が目的だと言わんばかりに、毎日ひたすら客を取るだけだ。給料も俺が言うまでは回収しに来ないくらいなのだ。本当にこの女は都合が良すぎる。怪力といい、怒らせると裏のグループを潰す神経といい、謎だらけだ。


 そんなある日、珍しくリランダ絡みでトラブルがあった。


「ちょっと、リランダ。いいかしら?」

「あら、何でしょうか」


 廊下でリランダに声をかけたのは、ミアシタやエスペレなど、うちのベテラン娼婦達だった。リランダが来る以前に、トップの座を争って居た者達だ。彼女達は売れっ子なのをいいことに、女帝のようにこの館で振る舞っていた。だがそれもリランダが来たことによって、影響力がぐっと落ちて、終わったのだ。


「貴女、少しいい気になってるんじゃなくて」

「私達の上客を奪うなんて、いい度胸をしてるわね」

「えっと……ああ、確かにミアシタさん達の常連さんもおられたかもしれません」


 リランダやミアシタが話題にしているのは、何処ぞの貴族の子息のことだった。女癖が悪く、娼婦を頻繁に交換して、トラブルが多かったのだ。何せ顔もそこそこいいが、金払いがいいのだ。しかしそんな彼も、今やリランダばかり指名している。トラブルは収まっているが、娼婦としては客をリランダに取られて面白くはないだろう。


「申し訳ありません。ですが、誰を指名するかはお客様の判断ですわ」

「それくらいわかってるわよ」

「でもね、こっちも生活がかかってるのよ」


 キック一発で大の男を天井に突き刺したリランダに対して、言いがかりをつけるとは凄いものだ。さすがは以前はトップを張っていただけはある。だがよく見るとミアシタ、エスペレ、それに他の娼婦達も足が微かに震えている。正直に言えば怖いのだろう。


「それでは、どうすればよろしいのでしょうか?」

「少しはこっちにも客を寄越しなさい」

「ですが、それはお客様が決めることですわ」

「だけど、取られた客の補填をして貰わないと……貴女が私達を買ってくれるというのなら、別ですけど」

「えっ!?」


 娼婦と鷹揚に問答していたリランダだが、ミアシタの一言にきょとんとした表情を向けた。それは妖艶な雰囲気を纏っていた彼女が、今まで誰も見せたことのないような素の表情に見えた。唐突なオーラの変化に、俺達は驚きと戸惑いが混じった表情をしていたと思う。


「娼婦が娼婦を買うのは有り……なんですの?」

「え、えっ……」

「特に禁止にはなってないが」


 思いもよらない質問に答えられない娼婦達に代わって、傍観していた俺が答える。


「これで足りますか?」

「はあ!? い、いや足りるが……本当に買うのか?」


 何処から取り出したのか、何枚もの金貨をリランダは俺の手に乗せる。俺が状況を理解できずに唖然としている間に、リランダは娼婦達の背中を押し始める。


「それじゃ、先輩達をお借りしますわ。夕方にはフリーになると思いますわ」

「お、おい!?」

「えっ?」

「えっ!?」

「えええええええっ!?」


 いちゃもんを付けた同僚に、まさかいきなり買われるとは思わなかった娼婦達はパニックになって、大騒ぎをする。だがリランダに押し込まれて、すぐにプレイルームの一室へと消えていった。


「……なんなんだったんだ、いったい」


 リランダ最初のワガママはかなり唐突で、俺の予想を遙かに超えるものだった。


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