とあるザクセンの娼館の主
【とあるザクセンの娼館の主、ビンセン】
俺の名はビンセン、娼館の主だ。
まあ、娼館の主なんてのはロクなもんじゃない。俺なんかも裏稼業でこの辺りの縄張りを締めていた一員だ。
多くの仲間が抗争で死傷したり、薬物や酒に溺れて破滅していった。俺は運良く生き延びたにすぎない。娼館の主は長生きしているさして重要でない幹部に、いちおうご褒美として閑職を与えておこうということで割り振られた仕事に過ぎない。
まあそれでも仕事は真剣にはやっている。娼婦なんていうのは悲惨なもんだ。借金で身を持ち崩した親に売られてきたり、自分自身が借金を背負ったりしてきた女が働かされる場所だ。そんな過酷な定めだから、精神を病むものが多いのを、何とかなだめすかしながら、仕事にはげまさねばならない。
そこそこ良い食事にきちんとした衛生環境だけでも、以前の生活よりずっとマシだと喜ぶ者もいる。身を飾る衣服に宝飾品という虚飾に、虚栄心を満足させる女もいる。なので、ある程度の環境さえ整えれば、売春も悪くないと思ってくれるのだ。それならば、俺がその環境を維持さえすれば、娼館も回ってくれる。
娼館はロクでもないかもしれないが、それでも俺は他と比べたらちょっとはマシな場所を作り上げていると自負している。
その娼館、跳ねる子猫亭にその女はある日、前触れもなくやってきた。
リランダと名乗ったその女は、魔性の女だった。俺が長い時間を生きて来て、産まれて初めて見るタイプの女だ。長く豊かな黒髪に、大きく豊満で整った胸、そこからぐっと細く引き締まった腰に、再び女らしいカーブを描く臀部。更には彫刻のように整ったあまりにも美しい顔。
だがそれ以上に恐ろしいのは、リランダが醸し出す雰囲気だ。彼女が纏う妖しい雰囲気は男を虜にし、堕落させるような強い力を持っていた。現にリランダを案内してきた俺の部下はアホみたいに口を開けて、彼女をポカンと見ている。
後になって分ったが、それは男だけではなく、海千山千であるこの館の娼婦たちをも魅了するものだったらしい。
「それでリランダとか言ったな、何が目的だ」
娼館の奥にある俺の事務所のソファで、リランダと俺は対峙した。その男を籠絡させるような妖艶な瞳に、俺は何とか骨までしゃぶられないように必死に抵抗する。
「一応、案内の方には言ったのですが、良ければこちらで働かせて頂けないでしょうか」
「なにっ!?」
リランダの思いがけない言葉に、俺は仰天する。
「何を企んでいる?」
「企んでいる? 非常に心外です。私は春を売る場所を探していまして、それでこの跳ねる子猫亭が最適だと思ったのですが」
「本当か?」
「ええ」
リランダの言い分は全く信用できない。金が欲しいならば、こんな容姿なのだから、幾らでも好きな男を捕まえられるだろう。誰かの手先……多分、近隣の敵対するグループが差し向けた幹部の一人で、俺はここを乗っ取りに来たと睨んでいた。だが、本人はそんなことはおくびにも出さないようだ。
「その容姿なら、幾らでも金持ちを引っかけられるだろうに。何でこんなところに」
「そうですね……私の場合は、質より量。多数の男を相手にしたかったので」
「それだって、好きに捕まえればいいだろうが。こんな娼館だと、嫌な相手もしなくちゃならないぞ」
「男を捕まえるのが面倒臭いのです。ここならば、黙っていても次から次に客が来るのではないですか?」
リランダの言っていることは怪しすぎる。こんな美女が男を漁るためだけに、こんな娼館に来るのだろうか。しかし、追い払うにもこの女はあまりにも逸材すぎた。仕方なく、俺はリランダを働かせることにした。
結論から言うと、リランダは凄まじい稼ぎをもたらした。超高級娼館どころか、城の後宮でも見ないような魔性の美女なので、客が絶えない。更には客の回転率が恐ろしくいい。彼女に連れられて入室した客が、三十分程度で出て来てしまうのだ。
不満が出るのではと当初は思ったのだが、誰も彼もが恐ろしく恍惚とした顔で、フラフラと部屋から出てくるのだ。あまりにも客の回転が激しいので、リランダ用に部屋を二つと専用のクリーニング係を用意しなければいけないぐらいであった。
更に驚くのは一番の売れっ子になっても、リランダ自身は誇るところがないようだ。通常、娼婦で売れっ子になれば、次第にワガママになっていくものだが、そういう性格ではないらしい。常に同じペースでひたすら仕事をこなしている。客を選ばないし、賃金を上げる要求もない。むしろ給料は安くていいなどと言うので、俺はわけがわからない。
差し入れと称して、リランダは様々な食事を他の娘や従業員に毎日持ってきている。更には厨房に多量のオーク肉まで渡しているらしい。金に頓着していないらしいので、本当に男を漁っているとしか思えない。
こんなに娼館に都合のいい女など居るはずがないのだが、リランダはそれが顕現したかのような女だった。唯一困ったのは、気が向いたときに働かせて欲しいという契約だけだった。借金などしていないので、これは仕方が無い。しかし今は毎日働いている彼女が、休んだ際にはどれだけ抜けた穴が大きくなるのか、俺は想像ができなかった。