二百一日目 半竜半龍
ゲイリヒが凄腕の妖術師だったのは驚きだった。魔法の弾数と回数を増やすために、『魔法の矢』に特化した妖術師だが、その選択が上手く行っている。アサルトショットガンのような凄まじい魔法の光弾は、大概の敵なら倒すだろう。
ただ魔法を使うものの宿命として、魔力が切れると何も出来なくなってしまう。幾ら一点に特化した妖術師でも、魔法が使える回数には限りがあるのだ。ロブスタリアは人間と同じ程度しか魔力が無いため、ジ・ロース先輩みたいに好き勝手に魔法が使えるわけではない。
ゲイリヒには『魔法の矢』は死者の泉に向かってくるゾンビの数が、一定数を超えた際に使うように頼むことにした。数に圧倒されなければ、腕が悪い冒険者でも鈍器や刃物でゾンビを倒すのは容易だ。おかげでアンデッドを上手く処理する体制を確立することが出来た。
ザハラの子分は荒事に慣れているようで、思った以上にゾンビを倒してくれている。食肉処理工場のような手際の良さで動く死体を処理して、火で燃やしている。有り難いことだ。ザハラ自身も格下のゾンビ相手はかなり楽勝のようだ。
幻術が得意なフーラはアンデッド相手に秘術魔法が効かないのだが、剣でゾンビを切り倒してくれている。ジ・ロース先輩も『爆裂火球』を放って、適当にゾンビを間引いてくれた。
とりあえず、しばらくは死者の泉の維持については問題ないだろう。このまま聖水を泉に貯めていけば、亡者の森に打撃になっていくはずだ。これで、安心して西への旅を続けることができる。
「あれって、竜ですかね?」
街道を西へと歩いていた俺は、空の一点を指し示す。木々の切れ間から山脈が見えて、それをバックに動いてみるものが見える。
「何処でしょうか?」
「ほら、あそこ。首の長い赤いトカゲに、羽が生えたような生物が見えます」
「……見えないわよ」
ヴォルフもフーラにも見えないようだ。確かに目視でも遥か遠くだというのが俺にもわかる。サキュバスの視力だから、くっきり見えているのだろう。
「よく見えるのう。だが、あれは確かに赤竜よ」
ジ・ロース先輩が肯定したことによって、全員に緊張がはしる。うーむ、魔神の言うことだと説得力があるんだろうな。
「しかしあそこまで距離が離れていたなら、こちらには気づかないであろう。おまけに大分若い。脅威にはならんよ」
緊張感を全く見せない先輩に対して、フーラ達が警戒を緩ませる。まあ確かにあんな遥か遠くに居るようでは、わざわざ蟻みたいな俺達を襲っては来ないだろう。
「ですが、困りましたね」
「何がです?」
「神の啓示では、竜と会う必要があると言われました。あそこまで遠いと追うのも大変でしょうし」
俺の指摘に、フーラとカルムーラが困ったように眉をへの字に曲げる。ドラゴンに会わずに済みそうなのに、会いに行くのが目的なことに気づいたからだ。出来れば竜なんて、普通は会いたくないものなのだ。
「とりあえず西に進みましょう。神託通りに、竜に会うかもしれません」
今までの聞き込みから、竜はあちこちで目撃されているらしい。遠くにいる竜を追いかけるよりは、他の個体に会う可能性を追求した方がいいかもしれない。俺のいい加減な提案に、パーティーのメンバーから反対は無いようだ、竜に会うのが目的だが、彼らにしてみれば、会わなくても全然構わないのだろう。
街道を西にひたすら歩くこと三時間ほど、通常の歩行ペースなのでのんびりとしたものだ。竜が飛び回っているためか、凶暴なモンスターも鳴りを潜めているようで、道はとにかく平和だ。
それから数時間、のんびりと散歩気分で歩いていた俺だが、林の影からこちらを見ている人が居るのを見つけた。山賊が旅人を待ち受けているのかと思ったが、俺と目が合っても、隠れようともせずにこちらを見続けている。二十代くらいの若い赤髪の青年だが、ローブを被っていてる。清潔で真新しい服装を見ると、上流階級の人間かもしれない。
やがて青年はこちらに向かって歩いてきた。既に気がついていたジ・ロース先輩とヴォルフは顔色一つ変えなかったが、フーラとカルムーラはいきなり林から出てきた男に驚いている。
「失礼します……そこなお方」
「はい、何でしょうか?」
「強力な力をお持ちと見ました。……人ではないですよね」
思わぬ指摘に、俺は思わず自分を指さしてしまう。確かに俺はサキュバスだが、どちらかというと魔神のジ・ロース先輩の方が人外じゃないのか? いや、姫様の身体を憑依しているだけだから、俺の方が純正で人外か。
「ええまあ……これでも人の姿を偽っているのですが」
「ああ、なるほど。それでしたら私も今は人の姿をしていますが、実は龍なのです」
「竜ですか?」
「いえ、龍です」
男の発言に首を傾げる。周りは驚いているが、確かにこんな街道のど真ん中で俺が人外であることを見破るのであれば、龍に違いないのだろう。
しかし龍か……竜じゃないのか? 龍っていうのは正義の種族で、邪悪な竜とは違うらしい。しかし、俺が予言で会うように言われたのは、西で会うのは竜じゃないのか?
「申し遅れました、私は黄玉龍のナジカと申します」
「初めまして、サキュバスのリョウと申します」
正体を見破られているのならば取り繕う必要が無いとばかりに、俺はサキュバスの姿へと戻る。カルムーラは俺の姿が慣れないようだが、他のパーティーは平然としたものだ。
「サキュバスですか……」
「まあ、奈落生まれではなく、おまけにメガン様の信者ですけど」
「メガン神の!?」
「神託を受けて西に旅をしており、竜と会うように言われていたのですが……」
俺が苦笑すると、ナジカという男は喜色を顔に浮かべた。
「慈悲の神とはいえ、人の神が助けてくれるとは……ここでお会い出来たのは運命でしょう」
「それはどういう……」
「ミシラ、来てくれ」
ナジカの呼び声に、小さい影がモゾモゾと林から出てくる。それは全身を濃い灰色のローブで覆った人間だった。小さくフードから顔を出してこっちを見たのは、ちっちゃい子だ。
「ミシラは私と竜との間に生まれた子で、半分は龍、半分は竜となります」
「半分づつ善と悪のドラゴンね」
ジ・ロース先輩は物珍しげに、子供をしげしげと眺める。子供と言っても、身長は先輩と同じくらいの高さだ。
ナジカの話によれば、彼は少し前に黒竜の雌に誘惑されて、交尾に及んだらしい。善と悪のドラゴンと言うと、相容れないイメージはあるが、竜の中に比較的穏健なのもいるし、龍でも全員が正義漢というわけではない。
二匹……いや、二人にしておこう。二人のドラゴンは子供を三人作ったらしい。そのうち竜の特徴が顕著に出た二匹を黒竜が引き取ると、彼女はさっさと姿を眩ませてしまったという。
黒竜の雌は龍との間に強力な子供が出来ないか実験したかったらしく、穏やかな気質のナジカをカモにしたようだ。何というか、元男として身につまされる。
「ミシラは龍に近い子なのですが、何処から聞きつけたのか、それによって竜から狙われているのです」
「何でかしら?」
「弱い龍を殺して食したり、奴隷にしたりするのは竜のステータスになっていまして……龍と竜のハーフですから、随分と貴重なのです」
うーん、ドラゴンは頭がいいイメージだが、竜は随分と野蛮だな。
「ナジカが守っているのですか?」
「守りたいのですが……私もまだ若く、複数の竜に狙われているので、見つからないように逃げ回るのに精一杯なのです。もう二月近く、人に化けて逃げています」
旅塵に汚れた少女に目をやると、じっと俺のことを見ていた。黒竜と黄玉龍の子供と言うが、黒髪が印象的だ。俺のことをすがるように見ている。
「貴女は強力なサキュバスに見えます。良ければ娘のことを助けてくれませんか?」
「助けると言っても……」
要は追われるハーフアンドハーフのドラゴン少女を、他の竜から守って欲しいってことなんだろう。だが複数の竜に追われるのを、守りきれるとは到底思えない。
だがそこでメガン様の神託を思い出した。西に行き竜に会い、東に行き龍に会えと。
「東に龍の聖地のような場所はありますか?」
「昔からこの大陸の東は、龍が多数住む勢力圏です。ただ、世界の背びれを超えなければいけませんが……」
なるほど、そういうことか。俺はここで漸く、神託を理解した。
「ミシラを東に逃しましょう。龍の勢力圏内であれば、竜共も追うのを諦めるでしょう」
「ほ、本当ですか!? 良かった、ありがとうございます」
ナジカは俺にペコペコと頭を下げ、パーティーの面子は驚いている。まあ、いきなり初対面の龍から、危険な半竜半龍の少女を預かると言えば、びっくりするか。
「自分でも東に向かうことは考えたのですが、飛ばない状態で逃げ切れる自身が全く無くて……」
うーん、人より遥かに強い龍なんだろうが、ナジカは全然強そうに見えない。嫁に逃げられてオロオロするパパのようだ。
そんな中、ミシラはゆっくりと歩いてきて、俺の腿に手を当てる。
「……守ってくれるの?」
「まあ、神託も受けたものですから、やるだけはやりますよ」
俺はミシラをひょいと抱き上げる。生まれたばかりとのことだが、人間の姿は赤ちゃんというわけではない。それでもミシラはかなり軽い身だ。言ったからには守ってやらないとな。
抱え上げられたミシラは、俺にヒシっと抱きついたりしてくる。なので、優しく背中を叩いてあげたりすると、ますます抱きついてくる。顔は無表情なのに、人懐っこいようだ。
そんな風にドラゴンの子と交友を深めていたところ、俺のサキュバスアイが異常を捉えた。
「あのドラゴン、こっちに向かってきてないかしら?」
「えっ!?」
「何ですと!?」
ナジカが間抜けな声を出す中、ヴォルフは俺の視線を追う。俺の目には、赤い竜がこちらに向けて一直線に飛んでくるのが見える。
「向かってきているな、確実に。魔法で隠蔽していた気配が漏れたのかもしれん」
竜がこちらに向かって来ているのに、ジ・ロース先輩は淡々としている。うーむ、頼もしい。竜が相手なのに極めて冷静だ。
「ちょ、ちょっと、なに落ち着いてるのよ。竜よ、竜が来てるのよ!」
「ひぃ」
フーラは大声を上げて、カルムーラは顔を引き攣らせている。まあ、こっちの反応が正しいんだろう。
若い竜とはいえ小型トラックなみにでかい図体をしているのだ。そんなデカイ空飛ぶトカゲが突っ込んでくるとなれば、誰だってビビるのが一般的だろう。
「動くな」
赤竜は鱗の一つ一つがはっきり見えるまで近づいてくると、大声で吠える。ズシンと腹に響く重低音でいて、聞き取りづらいことはない。竜の恐ろしげな声に、フーラとカルムーラは震えが止まらないようだ。俺はしがみつくミシラを離して、父親に預ける。
「『平穏』」
怯える二人の肩に手を当てて、さり気なく神聖魔法を使う。恐慌に陥っている者の気を静める魔法だ。初めて使ったので、どのくらい効くのかよくわからないが、フーラとカルムーラ達の震えは収まったのが、肩に置いた手から伝わる。
「赤竜に指図される覚えは無いが、何か用かしら?」
すさまじく恐ろしい顔をした竜の目をじっと見つめる。爬虫類のような縦長の瞳孔はかなりおっかないな。哺乳類と違って、どうも相容れないものを感じてしまう。
「貴様ら人間には用は無い。竜と龍の間に生まれた娘を渡せ」
赤竜の目がミシラに向かう。確かにこんな巨大な生物から見れば、人間なんてちっぽけな存在かもしれないだろう。
だが俺はサキュバスだ。それは大きな違いだ。
「ガッ!?」
俺の体当たりが赤い竜の土手っ腹に突き刺さった。竜が目を離した僅かな瞬間に、俺は瞬間転移で相手の真下に来ていたのだ。赤竜が俺達が今まで来た道の真上を通っていたので、俺も転移して意表をつくことが出来た。
「くっ」
肩から竜の腹に突っ込んだが、異様な硬さに痛みを覚える。身体を見ると爬虫類なのだが、肉の柔らかさではなく、まるでコンクリートにぶつかったような感じだ。魔法か何かか、竜の鱗は非常識な防御力を誇るみたいだ。
だがそれでも、少しは衝撃が通ったようだ。竜は痛みで身体を曲げる。
「き、貴様……」
「勝手に龍の子供を好きにするなんて、見逃せないですね。竜の文化はよく知りませんが、そんな無体が通るとは思えません」
赤竜は長い腕を振り上げ、自然落下する俺に振り下ろそうとする。剣のように長く鋭い爪が俺を切り裂く前に、俺は再び地上に瞬間移動する。
「なっ!?」
赤竜の背後に当たる位置に瞬間移動で跳んだ俺は、ドラゴンの背中に飛び蹴りを決める。竜の恐るべき鱗の防御力は俺の打撃をほとんど止めてしまう。それでも竜は大きくよろける。
幸いなことに赤竜は地上数メートルでホバリングしている。俺は地面を蹴って勢いをつけて跳ぶことができた。
「ガッ……グアッ!」
瞬間移動と地上からの跳躍を繰り返し、竜の身体を殴る蹴る。竜の鱗は不思議なほどの硬さを誇り、鱗の下に衝撃が伝わるのを防いでいるようだ。全力で突きや蹴りを放つたびに、石を思いっきり叩いているような錯覚がする。拳は腫れ、足は折れるが、幸いなことに俺の身体は即座に怪我を修復してくれる。だがそれと同時に大量のエネルギーが失われていくのがわかる。
「おのれ、調子に乗るな!」
真下からドラゴンに跳んだ俺の一撃を、赤竜は身を大きく捩って避けた。まさかこんな巨大な生物が素早く動けるとは思わなかった。俺の攻撃がパターン化したところを、完全に読まれた。
空中に飛び上がった俺は、無防備に上昇する。赤竜のトカゲに似た顔が恐ろしいことに、口角を上げて笑みを浮かべる。その口から光が漏れ始めたのを見て、ゾッとした。竜にとっての伝家の宝刀である、ドラゴンブレスだ!
「『爆裂火球』」
身体を捻って上空を向いていた赤竜の背中に、ジ・ロース先輩の魔法が炸裂する。ナイスだ、先輩!
「ぐはっ!」
火と魔法に高い耐性を持つ赤竜でも、魔法を食らって無傷とはいかない。爆発の衝撃で竜の巨体が大きく揺れる。それでもドラゴンは体勢を立て直して、こちらを向いた。
「なっ!?」
赤竜の瞳に、複数に増えた俺の姿が見えたはずだ。注意が外れたと同時に、フーラが『鏡体分身』の魔法を俺にかけてくれた。初歩的な魔法らしいが、どれが本物なのかは、即座に見破るのは竜でさえ難しいぐらいに精巧だ。
「お、おのれ!」
ドラゴンが開いた口から灼熱の熱線が迸る。鏡のような四つの分身のうち、二体が貫かれた。
「残念だけど、本体じゃないわ」
竜は連続してブレスを吹き続けて分身全部ごと本体を焼こうとしたみたいだが、俺には僅かな時間を稼ぐだけで十分だった。
「ごはっ!」
アイテムボックスから取り出した巨大な岩をドラゴンに投げつける。岩を投げる力は空中に居るので不十分だが、残りの仕事は重力がやってくた。自分の巨体と同じくらいの岩石による直撃を受けて、竜は押し潰されるように落下した。
「ば、バカな……ぐああっ!」
悪あがきでブレスをぶつけようとする竜の顔面に巨大な岩をぶつけてやる。それによって大きく首を仰け反らせた竜は、地面に激突して、そのまま岩に押し潰されることとなった。
自重の何倍もの岩が乗っているというのに、流石と言うべきか、赤竜は死んだりはしなかった。もがいて岩の下から逃れようとする。だがそれを黙って見ているほど、俺はお人よしじゃない。
「ガッ、グッ、アガッ……や、やめ……ゴハッ!」
俺は手頃な岩をアイテムボックスから掴みだすと、それで竜の頭を思いっきり殴った。赤竜は悲鳴をあげるが、手加減は一切しないで殴打し続ける。相手はこの異世界における食物連鎖の頂点に立つ竜なのだ、中途半端に止めて、ミシラに危害が及んでは目も当てられない。
竜の頑強な頭蓋骨と強靭な鱗で、岩が何度も割れてしまい、ひっきりなしに岩を出し直すこととなった。やはり巨大なトカゲなどではなく、恐るべき生物だったのだ。
それでも幾つもの岩が割れたあと、竜は動きを止めた。まだ息があるかと思ったが、頭がい骨が割れて脳の組織が出ているのが見えた。うーむ、さすがにこれは生きてはいないだろう。
転勤してしばらくネットの無い生活でしたが、戻ってきました。
急に田舎暮らしになってしまって、きつい感じです。