不変な普遍
他人にみせるものとしては処女作です。
恥ずかしい気持ちとどんな評価になるのか。不思議な感情の中、とりあえず投稿してみました。まだまだ人生の薄い私ではありますが、どうか途中まででも結構です。読んでみてください。
低得点、低評価、批判文で構いません。評価をつけていただけると今後の励みになります。評価、感想など、よろしくお願いします。
第1章 不変な普遍
朝、窓を開けると雀が鳴いていた。
私は部屋の机の上の煙管と刻み煙草と燐寸を掴んだ。窓の外に顔を突き出し、大きく息を吸った。ゆっくりと吐くと、春風に晒された吐息が白く染まる。この時期の朝が、一番気持ちのいい環境を齎してくれる。
私は煙草をクルクルと丸め、煙管の皿にヒョイと入れた。それを咥えて燐寸に火をつけ、そして煙草を赤く灯す。年度始めの何にも染まらぬ澄んだ空気に、ほろ苦い煙草の煙が混じっていく。
その煙を見つめていると不意にあの日のあの瞬間が頭によぎる。煙と何の関係がある訳でもない遠い昔の日だが、煙草の煙を独り見つめる時は、ほぼ必ずと言っていいほど思い出す。今の自分を作り出した、忘れ難き一瞬である。私は物思いに更けながら、ゆっくりと口に含んだ煙を吐き出す。
そんな事をしている内に煙草は灰になっていた。私は机の上の灰皿にそれを捨て、懐紙で煙管を丁寧に拭いた。
七時三七分 妻が私を呼んでいる。朝食の時間だ。私は煙管と燐寸を机に一度置き、寝巻きからスーツに着替えた。先程の二物をシャツの胸ポケットに差ししまい、ダイニングへと向かった。
テーブルに並ぶ皿。それに盛られる料理。目玉焼き、レタス、胡瓜、トマト、トースト、キウイ。何かスペシャルなものが出てくる訳ではない。洋食系の朝食の家ならよくあるメニューである。味だって、恐らく他の者が食べれば、極普通の味であるとつまらない回答しか帰って来まい。しかし、それでいい。と、いうよりそれがどれだけ幸せかな。結婚してから10年が経って尚、一週間毎に朝食を、しっかりとした朝食を出してくれる。無論残りの一週間毎は私が作る訳だが、悪き癖よ、妻とは違って年々、いや、日に日に努力の数が減っている。それなのに妻は自分の番には全力で作り、それでいて私の料理に吝一つ付けないその姿には、頭が挙がる訳が無い。お陰で私の作る朝食は、少なくとも月曜日だけはそれなりに丁寧に作れているのだ。
いただきます。
目玉焼きにナイフを通すとトロリと黄身が流れ出てきた。白身の結界からその尾が溢れぬよう全神経を集中させて玉子の攻略は図られる。食い尽くしたところに残ったレタスとトマトに玉ねぎドレッシングをサアッと掛けて、朝らしくスッキリと頂く。最後にトースト
はバターを塗って牛乳で流す。
ごちそうさま。
二階から娘二人が降りてきた。十六歳の長女と七歳の次女だ。私には娘二人と十歳の息子が一人いる。
長女は結婚してすぐに普通養子縁組みを結んだ。離婚後シングルマザーとして彼女を育てた実母が病に倒れ、天へと召された。丁度その時、私は現在の妻と同棲生活をしており、近所の関係で彼女の面倒もよく見ていた。そうして、相談して長女は招かれた。
長男は実子としては一人目。出産の辛さとかあったかもしれないが、産んだのは私ではない。確かに生まれるまでの楽しみというのは初めてだったものの、生まれてからは一人が二人であった。もちろん、赤ん坊の世話というのはいうまでもなく面倒なもので、妻と私ついでに長女との協力でなんとか乗り切った。尤も私からすれば(恐らく妻も、また長女もそうだろうが)可愛い赤ん坊、まして自分の子供であるから嫌になることこそなかった。次女は赤ん坊は二度目。子供は三人目。さすがに慣れてきた。もちろん、妻はまたも出産している訳で私には想像できない辛さがあったろうが。本当に感謝である。
そういえば、友人からは養子は生みの子が出来ると見放すとか何とか言われた。しかし私からすれば誰一人欠ける事なく、三人とも可愛すぎて悶絶の日々と言っても、これは流石に過言ではあるが、それ程までに可愛い。目に入れても痛くないとは正にこの事である。
行ってきますを告げると二人は返事をして二階へ上がった。どうやらまだ寝ている息子を起こしに行ったらしい。実に羨ましい。私も可愛い姉と妹に揺すり起こされて朝を迎えたかったものだ。
いってきます。
玄関から一歩踏み出した。
そこから見える景色はいつもと同じ。いつもの縁石、いつもの電柱、いつものお向かいさんにいつもの車。何にも変わらない日々。だが、それで良い。この安泰が永遠に続く以上に望むものなど、私には無い。
私はスタスタと仕事場へ向かった。
道中もいつもと何も変わら無い。そんな安心感とともに日々を過ごせる自分を、幾許か誇りに思っている。しかしそれは、私一人で齎したのでは無く、周りの支えに体を任せ続けた結果である。私はニコリと笑って、少しだけいつもよりも足を軽くして仕事場へ向かった。
職場までは徒歩で一時間。そんなに掛かるなら電車か車にでも乗れと言われそうだが、この朝道を辿らずして、目を覚ます事は出来ない。まして、こんなにも清々しい朝は正にこの時期にしか味わえ無い逸品である。気付かぬ内にやってくる暑い夏までに一日でも多く味わって居たいのだ。それに、この徒歩が意外や辛くも無い。青春時代から運動とはかけ離れているような生活を送り続けていて、決して体力などなかった。ましてあれから何十年も経てば言うまでもなく体は衰える。しかし、 私の仕事は基本座っている。体を大きく使う事は少ない。従って、ここで歩いておかなければ、著しく体に異常が起きる。気がする。
私はこの時間、少し自分の人生を振り返ってみた。生まれは良く親も勉学の立つ人間で私もいい人間に育てられたと思う。しかし、それに反していたのかどうか本人の私には判断し兼ねるが、少なくとも「よいこ」では無かった。小学校の頃は日々休む事無く暴れ回ってた。喧嘩沙汰など当然の事で、相手が何か自分に仕掛けたら問答無用に立ち向かった。正義の元の暴力なら構わない、と考えていた。
変わるは中学。数少ない事を除き、暴力はやめた。誰も得しない事をようやく気づいた。ついでに言えば、女子への攻撃は完全にやめた。何なら優しくした。女子を大切に出来ない人間は幸せは掴めない。そう確信していたからだ。
生まれ育ちの良い私は、しっかりと勉強が出来た。飛び抜けていた訳ではないが、全ての同年齢上位二割程度には入っていたのではないか。いや、入ってて欲しい。
しかし、そんな中で私の人生の大きな分岐点が訪れた。高校の部活動だ。大会での成績は目覚ましく、ありがたいことにまさにそれを職とすることができた。妻は部活動の後輩であり当時からずっと付き合っている中である。つまり。あの3年間が私の人生の基盤となったのだ。
そんな風に昔のことを思い出していると職場についた。いつもは端っこから入る横並びの玄関を、今日は試しにど真ん中から入ってみた。入ったところで、誰にもみられてはいないが、ちょっと恥ずかしくなった。
現在第3章執筆中です。
存在を忘れない限りはちょくちょく書いていこうと思います。文豪ではないため、一章がどうしても短いです。温かい目で読んでください。
小説批評については、気にせず、思ったことを描いていただけたら、私の腕も上がることと思います。よろしくお願いします。