84.竜の国〜魔獣襲来〜
「俺に……姉さんが……」
ファレンにも話を聞こうと屋内に戻り、エリーを連れて男部屋に入ると、ブツブツと譫言のように呟くファレンがリズとエリーに詰め寄って来た。
ファレンもまた、今この瞬間に『姉』の存在を知らされたようだ。とすると、その話をしたのはタイミング的にルカ以外にはいないだろう。
「ルカ、ファレンにお姉さんがいるって知ってたの?」
「まぁね。聞こえてたし」
「私も聞こえてた」
「えー……悶々としていた僕はただの空回りだったってことか」
ルカもエリーも、あの場面を見て平静を保てていたのはファレンがリズを姉と呼ぶ声が聞こえていたからなのだろう。
自分だけ聞こえておらず、目に移る二人の抱擁のみを受け止めて空回りしてしまった。不幸中の幸いは、その空回りがまだ取り戻しが可能なレベルの醜態だったことだ。
「姉さん……姉さん……」
ファレンは姉の存在が衝撃的だったのか、頭を抱えながら同じ言葉をひたすらに繰り返していた。
しかしそれも束の間――
「っ……」
言葉が途切れると、ファレンは頭を押さえながらベッドへと倒れ込んだ。
その表情は苦悶に歪んでおり、只事でない痛みを抱えていることは容易に想像がついた。
「おい、ファレン?!」
「大丈夫?! ユウ! 治癒を!」
しかし、治癒を唱えたところでファレンの様子は変わらない。
理由もわからず、ただ見守ることしか出来ずにいると屋外で早鐘が打ち鳴らされる音が響き渡った。
何事かと窓を開けると、眼下には悲鳴をあげながら騎士団の砦へと向かって駆けていく人の群れ。
砦の反対側、人々が駆けてくる先で星々の光を受けて微かにその姿を見せているのは蠢く巨大な黒い波。そして波の中には紅く光る点が散りばめられていた。
「何だあれ……」
「っ! また蜘蛛?!」
蠢く姿に身震いしながらリズが叫ぶ。波打つ塊の中の紅点は確かに蜘蛛の目のようにも見える。しかし、雲間から顔を出した月光により、それらが蜘蛛ではないことがわかる。正確には、蜘蛛だけではないことが――。
「魔獣の群れ?!」
「色んなのがいる! あ……蜘蛛もいるよ」
「もう! なんでこんな時にこんなことに!!」
蜘蛛の存在を告げられてリズもファレン並みの苦悶の表情を浮かべながら叫んだ。そんなリズの様子には一同構わず、目の前の魔獣から目を離せない。
「魔獣が別種と行動を共にするなんて……聞いたことがない」
「ユウ兄! どうする?!」
判断を仰ぎ振り返るルカは、どこか溌剌な顔をしている。
前々から薄々と感じてはいたが、最近明確にわかってきたことがある。ルカは闘うことが好きなのだ。
英雄願望が強いこともあり、こうした場面はルカの血を滾らせるのだろう。
しかし――
「多すぎるよ」
山岳地帯のため魔獣の群れの全貌が見えているわけではない。しかし目に見えて多いのだ。何せ見えている範囲一帯が埋め尽くされているのだから。
ヤバい。圧倒的にヤバい。
今まで感じたことのないどうしようもなさがユウの心に満たされ始める。
竜族の里で修行したとは言っても、あの数に敵うとは思えない。かと言って逃げるわけにもいかない。そもそもファレンがこんな状態なのだ。
どうする……どうするだって?
わかっている。どうするかなんて悩む必要はない。
人は悩んだ時、迷った時、すでに答を持っているのだから。
その答を自分で隠してしまっている。だから人は迷い悩む。
それがユウの持論だった。
大切なものは何だ? リズだ。
リズはファレンを見捨てるか? あり得ない。
リズは民衆を見捨てるか? これもない。
リズはこの場で戦うことを選ぶだろう。
ならば結論、自分はリズのために戦うのだ。
では何故、迷ったのか。
怖かったから。
予想だにしない魔獣の大群を見て思ったのだ。
リズを守り切れるか――と。
そんな自分の恐怖が、判断を躊躇わせた。
「行こう。エリーもいいかい? ルカはエリーの護衛で」
「私は?!」
「ファレンをそのままに出来ないでしょ? リズはここでファレンをお願い」
「……わかった」
蜘蛛魔獣の時のリズの様子を見れば、今この場でリズを連れて出るのは得策ではない。ファレンがこんな状態でいることが、リズをこの場に引き留める理由にもってこいであり、不謹慎ながら心の中でファレンに感謝をする。
「でもユウ兄、あんな大群相手に出来るの?」
そこだ。そこが一番の問題なのだ。
しかし――
「出来る出来ないじゃない。やるんだ」
「!! 了解、お供するよ!」
心配そうに見つめるリズと呆れ顔のエリーをよそに、ルカは目を燦然と輝かせてユウの覚悟を受け取った。
◇◇◇
「作戦はあるの?」
山道を駆け下りながらルカはユウに声を掛ける。どんな乱戦になるかわからないこともあり、シルバやラッキーはリズと共に留守番だ。そもそもラッキーは本当なら騎士団の砦へ引き渡して終わりだったはずなのだが、ラッキーがルカに懐いて離れないこともあり、ハイネストにいる間はラッキーの世話を任されたのだ。
そんな愛馬達にはいざという時にリズとファレンを乗せて逃げるように指示をしていた。
その指示がしっかりと伝わっているかはわからないが賢いシルバ達のことだ。きっとわかっているだろう。
賢い彼らが逃げることになるほどの戦いになどはしたくない。
なるべく簡潔に、最小限の被害で食い止められるのが一番だ。索敵で確認したところ幸いにも魔獣の大群は方々に散らばるのではなく、真っ直ぐにユウ達のいる王都ループスにまとまって向かってきている。
この大群さえ何とかしてしまえば、一先ずは安心だった。
とは言え、ルカにも問われた通り作戦なしにはどうこうできる数ではない。
「作戦は――」
「あては私の星魔法だよね?」
「だよねーオイラが護衛ってことはそうなるよねー」
二人ともすでに理解している。安直かもしれないが、あの数に対抗できるのは星魔法くらいしか思いつかなかった。
「使える星魔法の中で、ブラックホールとかない?」
「永遠の漆黒? 星魔法として存在するし、詠唱もわかるけど……怖くて使ったことないからどうなるかわからない」
「ユウ兄……まさか――」
エリーの星魔法はユウがいた世界でもよく知られている現象だ。流星群をはじめ、彗星や宇宙爆誕などその名の通りの現象を起こしている魔法だ。
であれば永遠の漆黒も恐らくは想像の通りである。
しかし、エリーが使ったことがないとなると、些かリスクを伴う。星魔法の使い手に恐怖心を抱かせる程に危険な魔法であることが伝承されているのだ。
それだけでもその威力が窺い知れる。
しかし、流星群や宇宙爆誕では殲滅出来るとは思えないし周りへの被害も出てしまう可能性が高い。もし、永遠の漆黒がユウの思い描いた通りの魔法であるならば、それが最も確実と言えそうだった。
「宇宙爆誕と同様に一回しか使えないと思っていい?」
「うん。でも恐らく、私が意識喪失する」
「そうなった時のオイラってことでしょ?」
「そういうこと。失敗は出来ない。発動距離もわからないから僕が二人を抱えて電光石火で突っ込む。そこで発動させてほしい。危険な賭けになるけど、二人の命、僕に預けてくれるかい?」
ユウが尋ねると二人は顔を見合わせ、ユウに向き直ると呆れたように呟いた。
「「何を今更……」」
その言葉に、思わず頰が緩むユウだった。
ご無沙汰しております。
ちまちま書き進めていたのがいつのまにかそれなりのボリュームになっておりましたので更新となります。
さて、困った時の星魔法。
久々に、エリーの出番ですね。