83.竜の国〜逢瀬の時〜
宿に戻り、男部屋と女部屋にそれぞれ分かれて腰を落ち着かせる。
「ファレンの分も用意するなんてユウ兄お人好しだね」
ユウはファレンも泊まれるよう、男部屋は三人部屋にしていたのだ。ファレンを仲間だとは思っていない。しかし――
「一緒にいるんだから、三人部屋にしない方がおかしいだろ?」
と言うのがユウの考えだ。
気に喰わない奴だとしても一緒に行動している以上、ファレンのことも考える。それをしなければ自分を苦しめてきた奴らと同等の存在に成り下がってしまう気がしたから。
そんなことだけはしたくない。
気に喰わないのは自分が未熟だからこそであり、そこにファレンの責はない。
「俺は外で構わない。宿を取ってくれなんて頼んでいない」
ファレンの言葉に前言、いや、前思を撤回したい想いだったが、ルカがその様子を笑いながら窘める。
「部屋に入ってベッドに腰を下ろしながらその言い方はちょっと無理あるよファレン」
「……居心地がいいのは確かだ」
「いいよ、ファレン。外でなんて言わず、泊まればいいさ」
「そこまで言うなら仕方ない。泊まってやろう」
天邪鬼なファレンにルカは笑いが止まらないらしいが、ユウはその物言いに溜息を漏らす。
こういう奴なのだ。どうこうしようと思ってはいけない。
そんなやり取りをしていると、不意に木製の扉からノック音が響いた。
「ユウ、ちょっといい?」
顔を出したのはリズだ。どこか気まずそうな顔をしているが、ユウには話の内容は想像ができた。
リズの手招きにベッドから腰を上げると、リズと共に扉の外へと出て行った。
部屋に残されたルカとファレン。
特段会話もせずにユウが出て行った扉を見つめていたが、ファレンが急に腰を上げ、扉へ向かって歩き出したのを見て、ルカは直ぐに制止の声を投げかけた。
「流石に、それは見過ごせないかな」
その言葉にファレンは足を止めると、ルカに向き直る。
「何がだ?」
「リズ姉はユウ兄と話したくて呼び出したんだよ? ファレンがそこに顔を出したところで、邪魔にしかならないんじゃない?」
「……」
ファレンはルカの言葉を受け止めると、無視して扉へ向き直り再び歩き始めた。
「行けばリズ姉が悲しむ顔をするだけだよ?」
ルカはわかっていた。
ファレンがリズに対しては弱いことを。その根幹にあるものがどういう想いなのかはわからない。しかし、ファレンは間違いなくリズに対して好意的なものを抱えている。であれば『リズが悲しむ』ということを実行には移さないだろうというのがルカの算段だ。
案の定、ルカの発言に舌打ちをするとファレンはベッドへと舞い戻った。
「……聞いていい? ファレンとリズ姉は知り合いなの?」
「聞いて何になる」
「んー……別に何も? オイラが気になっただけ。仲よさそうだったから」
返事などは期待していない。胸の内を曝け出してもらえるほど、今日一日で距離を詰められたとは思っていない。ファレンはきっとダンマリを決め込む。
しかし――
「知り合い……なのかもしれない。微かな記憶に、あいつの顔がチラつく」
「?!」
予想外に返答があったことに驚き、ルカは二の句を継げなかったが、ファレンの素性に関わる情報を聞き出せるかもしれない重要な局面である。
一拍の間をおいて、ルカは鍵となりそうな言葉を口にした。
「ファレンのお姉さんに似てるってこと?」
今度は逆にファレンの顔が驚きと共に殺気に包まれた。
「お前……何を知っている?」
「ちょっ! こんなとこで殺気やめてって!」
「言え」
「言うも何も、自分で言ってたじゃん!」
「俺が……?」
「さっきの森の中での出来事覚えてないの? リズ姉に『姉さん、姉さん』って抱きついてたじゃん」
「俺はそんなことしない!」
「いや、してたって!」
「勝手なことを言うな」
ファレンの頑な姿勢に偽りはなさそうだった。
覚えていない。なら、自覚させねばならない。あれは間違いなく、ファレンの記憶の発露だったのだから。
「リズ姉やエリーにも聞いてごらんよ。リズ姉は一番近くでその発言を聞いてただろうし、エリーも多分聞こえてる。ユウ兄は……聞こえてなかったみたいだけど」
「……わかった」
そう言うとファレンは再び立ち上がる。
「いやいやいや、待ってって。リズ姉とエリーに話があるならユウ兄が戻ってきてからにしてよ。さっきの話忘れたの?」
自分のことで頭が一杯なのか、ファレンは今出ていくことが邪魔になるということを失念していた。
「……くそっ」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ベッドにどかっと腰を下ろすファレンを見て『案外、素直ないいヤツなのかもしれない』とルカは思うのだった。
◇◇◇
星々が瞬く空に包まれ、二人は冷たい風を感じていた。
標高が高いからか、少し寒いくらいである。
ハイネスト王都ループスの片隅の宿屋の屋上で石造りの柵に身体を預けてポツポツと明かりの灯る街並みを見下ろしながら、口火を切ったのはリズだった。
「怒ってる?」
何のことに対する問いなのかは確認するまでもない。ファレンとの抱擁のことを言っているのだ。
嫌な気持ちになったのは確かだった。しかし、裏切られることを最も嫌うリズが、そんなことをするはずがない。
だから、この問いに対する答えは決まっていた。
「……怒ってないよ」
「そう言うと思った」
軽いトーンではあるものの、リズの顔は笑ってはいなかった。
「私を気遣って、ユウがモヤモヤした気持ちを抱え込むのは嫌だよ?」
「気遣えてないよ。あんな非難するかのような言い方しちゃったし――」
「ほら、それが気遣ってるって言うの」
「だって――」
「だってじゃない。好きな女性が他の男性とくっついてたら嫌な気持ちになるのは当たり前。それを何か理由があるはずだって確認もせずに自分の中でそう思い込もうとしてるからモヤモヤするのよ。違う?」
リズの呼び出しは、ユウの想像とは異なる方向に向かっていた。
てっきり謝られると思っていた。
しかし、今、これはどうなっている?
自分が叱られている。しかも、全て言い当てられるという始末だ。それにリズの口元は徐々に緩んで来ている。全てお見通しのようだ。
全く……リズには敵わない。
「……違いません」
「妬いた?」
「んぐっ……はい」
リズの言葉を肯定するしかできないでいると、リズは『んふふー』と、頰を思い切り緩めた。
「隠さず言葉にしていいからね?」
「カッコ悪いじゃん、そんなこと」
「カッコ悪くないよ。妬かれるのって私は嬉しいよ?」
「束縛してるみたいでなんか嫌だよ」
「束縛は愛ゆえにだし、束縛させちゃうのは私がユウを安心させてあげられてないから。なら、安心させればいいだけでしょ?」
「そ……そうだけど……」
「はい、ユウ」
リズはユウの正面に立つと、両手を開く。
「え、なに?」
「同じポーズして?」
リズの言葉に頭が追いつかず、言われるがままにリズと同じポーズをすると、リズが胸に飛び込んで来た。
「っ?!」
「この先どんな人に出会おうとも、私の気持ちは変わらない。神様に誓うわ」
「……うん」
「でも、たまには今日みたいに妬いてくれていいのよ? ユウは自分からこんなことしてくれないし、なら私がユウの愛を感じられるのはヤキモチくらいだもの」
「う……それ、クレーム?」
「ふふっ。まぁそんなところかしら?」
「善処するよ。僕も嫉妬に塗れた男にはなりたくないし」
「そうね、人間関係形成できないくらい妬かれすぎるのはちょっと困っちゃうから、妬くくらいなら毎日でも抱き締めて欲しいかな」
「毎日だと僕の心臓が持たないかも……でも今はその言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言うと開いた両手をリズの背に回す。甘やかなリズの香りが鼻腔をくすぐる。こうして抱き締めるのも久しぶりだった。
「ユウ、鼻息くすぐったい」
「え?! ごめん!」
「ウソよ、ウソ」
「もう……勘弁してよ。それでファレンの事情ってやつ、聞いてもいい?」
「ダメ!」
「え?!」
予想外の返事に身体を離そうとすると、それは許されず、リズの腕に力が込められ身動きが出来ない。
「私、まだ充電出来てないもの。もう少しだけこのまま。ね?」
出た、リズの充電要請。潤んだ瞳で見つめられては、最早何も言い返せまい。
別にこのままの状態で話を聞いても良かったのだが、リズに触れ、リズの顔を見つめながら他の男のことをわざわざ考えたくもない。
ユウは笑顔で頷くと、再び華奢なリズを抱き締め直すのだった。
今回はエリー空気回。
ごめんよ、エリー。