75.竜の国〜憎しみの発露〜
木々がパチパチと爆ぜて燃える音が聞こえる。
腹は燃えるように熱く、自分の身体を濡らす液体は生温かった。
瞼は開かず、目の前に広がる闇の中に、木々を燃やしているのであろう炎の明かりがゆらゆらと明滅していることだけがわかった。
何が起きたのか。
さっきまで姉と共に森に入り、姉は木の実を採取して、自分は野ウサギを狩っていたはずだ。
朧げな記憶をゆっくりと辿っていく。
そうだ、籠いっぱいの木の実とぷっくり肥えた野ウサギを手に下げて、姉と笑いながら村に戻ったのだ。
父と母に喜んでもらえると笑いながら、村に戻ったのだ。
しかし、その村からは絶望を覗かせる黒煙が立ち昇っていた――。
◇◇◇
只事ではない何かが起きたのだろうと、姉と共に村に急いで駆け戻った。
そこに広がっていたのは轟々と燃える家屋、真紅の液体に塗れ、臓物を垂れ流しながら地面に横たわる村人達。
悪夢のような光景に現実感が湧かない。
しかし、鼻をつく異様な臭いが自分を現実に引き戻す。
腹から込み上げるものを抑えられず、地面へとぶちまける。
自らの吐瀉物で衣服が汚れるのも気にしていられない程、頭を石鎚で殴られたかのような衝撃に襲われていた。
そんな状況の中、自分の背をさすり、手を握ってくれる存在だけが、自分が自分でいられる理由だった。
「姉さん……」
この場にしても姉は気丈だった。
この地獄のような光景に出くわしても、挫けず、吐かず、自分を介抱してくれていた。
「父さん達を……探しましょ」
姉に手を取られ、ゆっくりと立ち上がる。
村の家々が燃えるなり壊れるなりしている中で、自分達の家だけが無事なわけがないことは明白だった。
しかし、確かめずにはいられない。
広場の向こう側にある家の影を目に留め、燃えてはいないその様子にほっと胸を撫で下ろす。
しかし、その安心も壊された扉を見るまでの束の間の安息でしかなかった。
恐怖心からか息を荒くする姉と共に、変わり果てた家へと足を踏み入れる。
すると目の前が突如暗くなる。
姉の手によって目隠しをされたのだ。
「うそ……」
震える声で呟いた言葉と目隠しをする手が、全てを物語っていた。
「ね……姉さん?」
真実を確かめることが怖くて、姉を呼ぶことしか出来なかった。
その声に、姉の震えが止まる。
「逃げるわよ。走れる?」
「あ……うん」
手を引っ張られ、踵を返して壊れた扉から飛び出す。
その瞬間、一瞬だけ家の中に視線を移す。
互いを守るように、折り重なった父と母らしき体が見えた。
(父さん……母さん……)
『お前は弟だが、ちゃんと姉さんを守ってやれる強い男になれ』
『お互いが助け合っていけばいいのよ、それが家族なんだから』
父が欠かさず言っていた言葉と、その父の言葉に返す母の言葉が頭の中に浮かんでくる。
互いを守るように重なり合っていた父と母は、その言葉をまさに体現していたように思った。
今、まさに自分は姉に助けられている……助けられてばかりではいられない。
(姉さんを助ける……強い男になるんだ)
姉の手を力強く握り返すと、震える足にも力を込めた。
その瞬間、複数の馬が駆ける音が響く。
音の方に目をやれば、馬に跨った人影が見えた。
「やった! 騒ぎを聞きつけて助けに来てくれたんだね!」
きっと近くの村の人に違いない。
しかし、自分の手を握る姉の力は、一層強くなるのだった。
「森の中に逃げなさい」
「え? 助けてもらえるのに?」
「逃げなさい! あいつらがやったのよ!」
姉の声が燃える村に響き渡ると同時、その馬は自分達の元へと辿り着いた。
「生き残りがまだいやがったか」
「どこに隠れていたんだ?」
「どうでもいいさ、殺っちまえ」
男達は馬から降りると剣を抜いた。
その剣に村のみんなが、両親が殺されたのかと思うと、腹の底からふつふつと暗い感情が湧き出す。
「お前達がっ――」
やったのか、と声に出すことも姉によって遮られた。
姉が自分を突き飛ばしたのだ。
「行きなさい!」
「嫌だ! 俺が姉さんを守るんだ!」
「っ……無理よ。どう考えてもこのままだと私達は殺される。あなただけでも逃げなさい!」
迫る男達を毅然として睨みつけながら、姉は逃げるようにと声を上げ続けた。
「ほぉ……置かれた立場は理解できるか」
「逃がさねぇけどな」
「あの女、ヤッてから殺してもいいよな?」
男達の声に怖気が立つ。
村を燃やされ、親を殺され、更に姉まで蹂躙されるなど耐えられない。
憎しみと怒りで頭が一杯になり、狩りに使う小刀を握り締めると、男達に向かって駆けた。
「俺の姉さんに近づくなっ!!」
「!! ダメッ!!」
姉の静止の声を振り切って思い切り小刀を突き出す。
敵うかどうかなんて頭になかった。
ただこのまま、愛する姉を置いて逃げることだけはしたくなかった。
しかし、神は無情である。
小刀は男達に届くこともなく、逆に男の剣が自分の腹に突き刺さっていた。
感じたことのない痛みが脳天を貫き、意識が飛びそうになった。
「いやあああああああ!!!」
しかし姉の悲痛な叫び声が、自分の意識を何とか繋ぎ止める。
(せめて……一太刀だけでもっ!!)
手放しかけた小刀を握り直し、自分の腹から伸びる剣の柄を持つ男の手首にそれを叩きつけた。
「ぐあっ! てめぇ!」
しかし、命懸けの一太刀で世界が変わる程、この世界は甘くなかった。
怒る男の拳に頭を殴打されると、意識は堪え切れずに遠のいていくのだった。
◇◇◇
(そうだ……俺は腹を刺されて殴られて……姉さんは?!)
開かない瞼や動かない手足に力をこめる。
力がこもっているかすらわからない程に何も感覚がない。
それでも聴覚だけは研ぎ澄まされていた。
「かーっ! もったいねー! マジもったいねー!」
先ほどの男達と思われる声が聞こえてくる。どれくらいの時間、意識をなくしていたのかはわからないが、まだこの村に男達がいるのであればそんなに時間は経ってないのかもしれない。姉もまだ男達の手にかかっていないかもしれない。
全身に、希望と共に力が蘇り始める。
しかし――
「何でヤる前に殺しちまうんだよ! 最後の女だったのに!」
「仕方ないだろ。刃物振り回す奴は面倒くせぇだけだ。女は他の村で調達しろ」
弱った心臓がドクンと一際跳ねたように感じた。
その脈動に開かなかった瞼が開く。
しかし、開かない方が幸せだったかもしれない。
知らない方が幸せだったかもしれない。
目の前には姉が、変わり果てた姿となって横たわっていた。
(……嘘だろ? 嘘だよな? 嘘だと言ってくれ……神様!!)
しかし、その願いに答える声はない。
耳に届くのは、耳障りな男達の笑い声だけだ。
(何で?! どうしてこんなことに?!)
ついさっきまで穏やかな日々だったはずだ。
何も神の機嫌を損ねるようなこともしていない。
(それなのに!! 何故奪われなくちゃいけない?! 村のみんなも、父さんも、母さんも、姉さんも!! どうして奪うんだ!! これが神の試練だとでも言うのか!! あんな男達が神の試練の使いだとでも言うのか!!
ふざけるな!!
ふざけるな!!!
ふざけるな!!!!
全てを奪ったあいつらが神の使いだと言うのであれば、俺は神を、貴様を、殺してやる!!
この命が尽きて、貴様が目の前に現れようものならば、この魂が消滅しようとも貴様を必ず消してやる!!)
『目の前のクズにも歯が立たないチリが、大切な者も守れなかったチリが、神に反逆するのか?』
(うるさい!! 黙れ!!
殺してやる!! あいつらだって殺してやる!!)
自らの頭に響く幻聴に煽られ、昂ぶる感情に全身の痛みさえも忘れ、ふらふらになりながら立ち上がる。
『その体で何が出来ると言うのだ?』
(黙れ黙れ黙れ!!)
「お、おい! あいつ!」
男の一人が立ち上がった自分に気がつき、驚嘆の声を上げた。
「しぶとい奴だな」
「よくも……よくも姉さんを……」
「お前の姉ちゃんには悪いことをした。快楽の悦びを教えられずに殺しちまった。すまん……ギャハハッ」
男達は死にかけの自分に下卑た笑い声を叩きつける。その一言一言が耳に届く度に、憎悪の念が幾重にも膨れ上がっていく。
「殺す……殺してやる。お前らの……その腐った命……俺が奪ってやる」
近づいてきた一人の男に肩を小突かれるように押されると、そのまま尻餅をつく。
まともに立つことさえままならなかった。
「そのまま死んでおけよ。せっかく姉ちゃんが守ってくれたんだ。それ以上その体を傷つけたら姉ちゃんが泣くぞ?」
「姉さんは……何て……」
「泣けちゃうぜ? 『これ以上、愛する弟に触れさせるものか!』ってお前が落とした小刀を泣きながら振り回してたぜ。最高に不恰好で無様だったぜぇ?!」
「クソが……姉さんを侮辱するな……俺のために精一杯頑張ってくれた姉さんは……最高に恰好いい。お前らみたいなクズには……その恰好よさがわからないだろうけどな」
『こいつらを殺す力が欲しいか? お前が望むなら、その身体と引き換えに与えてやってもいいぞ?』
(うるさい!! 今更神の祝福なんかいるか!! こいつらを殺したら、次はお前だ!!)
死の幻聴に惑わされぬよう頭を左右に振る。
今は目の前の男達が優先だった。
なけなしの力で身体を起こし、目の前の男の足に唾を吐く。
ひどく醜いが、それが精一杯の抵抗だった。
「ちっ……うぜぇよお前、もう死んどけ」
(くそっ! 守れなかっただけでなく!! 仇を討つことすら!! できないのか俺は!!)
『さぁどうする? このまま姉の仇を取らずに散るか?』
幻聴に身を委ねたところで何が変わるわけでもない。しかし今は藁をも掴みたい気持ちで一杯だった。目の前の姉の仇をどうにかしたかった。
(……わかった。こいつらの命を間違いなく奪えるなら、身体ぐらいくれてやる)
男が剣を抜き、振りかぶる。
『我を見縊るなよ小僧。命だけでなく、全てを奪ってみせよう』
(その力で貴様も殺す)
『強欲の奴は嫌いじゃない。できるものなら我が魂すら奪えばいい』
「なら早く力をよこせ、クソ神――」
男の剣が振り下ろされたその時、村全体に紫紺の光が弾け飛んだ――。




