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70.天空都市~黒魔剣士と輝精霊士の戦いⅡ~

 砦は跡形もなく消し飛んでいた。

 高台すらその半分の高さまで削られている。

 その高台の中心部分、砦があったであろう場所に、一人佇む女性の姿があった。

 レイチェル姿の、魔法生物だった。


 それは持っていた手首を、元あった右腕の先に繋げようと押し付ける。

 すると、若い男の声が響く。


「ネロさん!! シャルさん!! 大丈夫ですか!!」


 この半壊した高台の坂道を登り切った場所に、若い風貌の男女四人が躍り出てきた。坂道を登ってきたままの勢いで飛び出してきたのだろう。冒険者にしては、慎重さに欠ける浅はかな行動だ。


(さっきの奴らの仲間か)


 目が合うと、その四人は即座に武器を構える。

 対応が早い。

 さっきの奴らの仲間で間違いないのだろうと魔法生物は判断する。


(であれば、油断は出来ない。終わらせよう)


 繋がったばかりの右手を差し出し、魔法を放とうとしたその時――。


 黒い何かが、右手の甲を貫いた。




 ◇◇◇




 終末の天地爆砕メギドノヴァが放たれる際、シャルは即座にリーンを呼び寄せ、ネロを抱えて、穴の開いた天井から遥か上空へと飛び跳ねた。


 リーンは光の精霊だ。そのスピードは、ユウの電光石火ライトニングスピードに勝るとも劣らない。


 リーンのおかげで終末の天地爆砕メギドノヴァから逃れた2人は、爆発が収束する迄の間、シャルの精霊魔法でネロの傷を僅かながら癒した。治癒魔法ほどの回復力はないが、出血を止められる程度として十分だった。


 爆発の収束と共に、ネロは魔法生物の存在を探す。闇魔法が使えるのであれば、ネロ同様に無効化魔法も使えておかしくはない。であれば、平然と立っているだろうと思われた。


 そして、ネロの考えは正しかった。

 魔法生物は確かにいた。

 やはり『あの時』も同じように終末の天地爆砕メギドノヴァを無効化したのだろう。

 何故今のレイチェルの姿が無傷なのか、得心した瞬間だった。

 そしてその化け物がいる場に、何も知らずに駆け上がっていくユウ達の姿が見える。


「あいつら……シャル、リーン、お前らはここで待ってろ。ここから俺一人で飛び下りて仕留める」

「傷は平気なの?」

「落下して斬りつけるだけの体力はあるさ」

「本当に?」

「あぁ、お前に嘘はつかんさ」

「……わかったわ」


 心配そうにネロを見つめるシャルを、ネロは抱き締める。


「だが、失敗したら、許してくれ」


 今までシャルを抱き締めるなどしたこともないネロのその言動に、シャルはネロが死ぬ覚悟をしていると感じる。

 同時に、抑えていた想いが溢れた。


「許さないわよバカ!」


 ネロの両頬を押さえ、強引に口付けをする。

 シャルとしては引き止めたい。しかし、目の前の愛しき人が止まらないことを知っている。ネロの言うやり方が、思いつく中で最も可能性があることもわかっている。ネロの闇魔法なら気配を消して接近できるからだ。

 そして迷っている暇もない。愛しい弟子達が、あいつと直面しようとしているのだから。


 唇を離すとネロが驚いた表情でシャルを見つめていた。口付けをされるとは思っていなかったようだ。

 シャルは先走ってしまった自分に頰が紅潮するのを感じたが、後悔はなかった。


「……地上に戻ったら、茶を淹れてくれ」


 その言葉は、シャルが拒絶されていないことの表れでもあった。


「いつものことでしょ」


 普段のように、何気ない会話をして、互いに笑顔を作る。


「そうだな……いってくる」

「うん、いってらっしゃい」


 そしてリーンから飛び降りるネロの背を、潤んだ瞳で祈りながら見送った。


「死ぬなんて絶対……許さないわよ……」




 ◇◇◇




 ネロの黒剣は、見事に魔石を貫いていた。

 それを見届けたシャルとリーンが、即座に上空からネロの元へと降りる。


 その様子を見ていたユウ達は、何が起こっていたのかわからず、ただネロ達が無事であることに安堵し、呆然とその様子を見届けていた。


『何故……生きている……』

「優秀な精霊士と偉大な精霊がいるもんでな」

『人族にしては……謙虚なのだな……見事だった……人族の戦士よ』


 謙虚も何も真実なのだが……などと魔法生物の賞賛を苦笑しながら受け止める。するとすぐにその赤い魔石は砕け散り、粉塵と化した。


 魔法生物から解放されたレイチェルの身体をネロが抱える。

 魔石が消失したことにより、レイチェルの身体も消え去る運命だ。

 その瞬間を、ネロもシャルも見届ける覚悟は出来ていた。

 すると、レイチェルの瞳が再びゆっくりと開いた。


「!! レイチェル!!」

「ネロ、シャル……会いたかった……」

「お前! 大丈夫なのか?!」


 レイチェルの意識が戻ったことに、ネロの声が弾む。しかし――


「ダメよ……もうすぐ時間切れ。意識はね、ずっとあったの。けど、乗っ取られてからは……どんどん命が蝕まれていくばかりで……何も出来なかった。でも、こうして最期に、あなた達と話せてよかったわ」


 レイチェルの言う通り、乗っ取られていた間は身体に相当の負荷が掛かっていたのか、レイチェルの命の燈火が今にも消えそうな状態であることがはっきりと見て取れる。


「ユウ!! 頼む!! 治してくれ!!」


 ネロの必死の叫びに、即座にユウが駆けつける。

 事情を知らぬユウだったが、ネロとシャルの様子にすぐに完全回復パーフェクトヒールを唱えた。

 しかし、レイチェルの様子が変わることはない。


「無理よ。魂がもう消えかけだから。気持ちだけで十分、ありがとう」

「そんな……レイチェル……」

「泣かないで、シャル」

「ごめん……ごめんね。私があの時……『転移魔法』なんて言わなければ――」


 シャルが唇を噛み、悔しさを露わにする。

 ネロも僅かに抱いた希望が即刻打ち砕かれ、肩を震わしていた。


「バカ……そんなこと悩んでたの? シャルは何も悪くないわ。あの魔法生物に騙されたのは私。危うく、あなた達を失うところだったわ」


 レイチェルは左手でシャルの頰をさする。その手は優しさに満ちていて温かいのに、氷のように冷たかった。


「レイチェル……俺……魔剣士になったんだぜ……俺とシャル、黒魔剣士と輝精霊士なんて言われて……それなりに有名な冒険者になったんだ……今は魔術師ソーサラーとして、お前のやりたかった神話の研究を……ギルドでやって……る……」

「うん。魔剣士としての戦いぶりはさっき見てたよ。頑張ってきたんだね。偉いよネロ……よく……諦めなかったね」


 レイチェルの身体を抱えるネロの頭を、レイチェルは優しく撫でる。

 師匠のその言葉に、ネロも涙を堪えられない。


「あのあと……捜索隊を雇ってお前を探したんだ。だが……見つからなかったから……いつかこんな日が来るかもって……シャルと2人で頑張ったんだ。お前がどこかにいるかもって思えたから……頑張れたんだ」

「うん。2人とも、私がいなくなったあともこうして一緒にいてくれて、よかった」

「レイチェル……」

「もう……2人して泣かないで……笑ってよ。笑顔で見送ってほしいな。そういえばあなた達、結婚はしたの?」


 レイチェルの唐突の質問に、ネロもシャルも何も返せない。

 急に何を言い出すのかと2人の涙も勢いが弱まる。


「その顔はしてないわね。何してるのよ……大の大人が2人して……」

「何をって――」

「私を置いて幸せになれないとか……そう思ってるんなら……呪うわよ?」

「「――」」

「うわ……図星とか。ダメダメよあなた達。じゃあ提案……というかお願いしていい?」


 レイチェルの最期の願い。

 そんなもの、聞かないわけがない。

 ネロもシャルも、レイチェルに頷き返す。


「残りの魂を……あなた達に捧げてもいいかしら? 真名、受け取ってくれる?」

「そんなことなら――」

「喜んで受け取るさ」


 ネロもシャルも二つ返事だ。

 その会話を聞き、ユウがそっとその場を離れる。真名の話は気にはなるが、これ以上は、自分がいてはダメな気がした。


「あなた達を縛ってしまう呪いにならない? お互い、他に相手がいるとか……ないわね?」

「私の気持ちは、昔から変わってないわよ」

「シャルが俺でいいなら、俺はシャル以外、いないと思ってるよ」


 シャルが信じられないという顔をする。

 ネロからそんな言葉を聞けるとは思ってもいなかったのだろう。

 見開いた瞳から大粒の涙が再び溢れた。


「よかったわね……シャル」

「うん……うん……」


 今、シャルの頰を流れるのは嬉し涙だ。

 長年、ずっと、ずっと、抑えてきた想いが報われた瞬間だった。


「ごめん、もっと話したかったけど……そろそろ時間みたい……始めていい?」


 レイチェルの言葉に頷く2人。

 そしてレイチェルは、2人に真名を、魂を捧げた。


「チェルシー・レイ・マルグリッドは、あなた達2人に魂を捧げ、2人の愛が永遠であることを認めます」

「シャリー・ヒール・ロータスは、チェルシー・レイ・マルグリッドの魂を受け取ります」

「ネア・ローラン・ライオネルは、チェルシー・レイ・マルグリッドの魂を受け取るよ」


 するとレイチェルの身体が蒼白い光を放ち、その光が2つの球となってネロとシャルの胸の中へと吸い込まれる。そして――


「幸せな気持ちで逝かせてくれて、ありがとう……幸せに……ね……」


 レイチェルは静かに、天空都市の風にその身を運ばれた。

 ネロの腕の中には、レイチェルが身に付けていた衣服だけが残ったのだった。


「……逝っちまったな」

「えぇ」


 しかし、2人の顔は晴れやかだった。

 仲間が、友が、師が、家族が、幸せに逝けたのであれば、悲しむことは無粋でしかない。悲しくないわけがなかったが、理不尽に奪われたままの別れよりも、遥かに心安らかな別れであった。


「じゃあ、続きだな」

「へ?」

「『へ?』じゃないだろ。魂換の儀だよ」

「え、あ、そ、そうよね……」

「なんだよ、歯切れ悪いな」

「あの……何だか嬉しいんだけど、恥ずかしくて……」

「今更恥ずかしいことなんざないだろ?」


 とか言いながら、ネロもあさっての方向を向いて頰をかく。

 恥ずかしいのは自分だけじゃない。

 それがわかるとシャルは急に気が楽になった。


「強がらなくてもいいのよ?」

 そう言ってネロを抱き締める。

「……お前にゃバレバレか」

「あなたがわかりやすいのよ。私をそうやって想ってくれていたのはわからなかったけど」

「それはまぁ、我慢してたからな」

「もう我慢しなくていいのよ。レイチェルも祝ってくれているんだし」

「だな……いいか?」

「もちろん」

「さっきの1回しかお前の真名聞いてないから、間違えたら許してくれ」

「許さないわ」


 そう言いながらも笑顔でネロを見つめるシャル。

 ネロは一呼吸つくと、シャルの肩に両手を置いて、誓いを立てた。


「ネア・ローラン・ライオネルは、シャリー・ヒール・ロータスに永遠の愛を誓うよ」

「シャリー・ヒール・ロータスは、ネア・ローラン・ライオネルに永遠の愛を誓います」


 レイチェルの時と同じように、蒼白い光が2人を包み込む。

 2人が口付けを交わすと一際大きく輝きを放ち、そして消えていく。


 天空都市の何もない高台の上で身を寄せ合う2人。

 そんな2人を見守るのは、ただ何もない真っ青な空と、美しく輝く一角獣、そして、きゃっきゃとはしゃぐ若き冒険者達だった。






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