善人ランキング1位の悪者
「あの、善人ランキング1週間連続1位の星野奨さんですよね?」
見知らぬ少女が俺に声をかけてきた。見た感じ、コミュ力も女子力も高い。いわゆるクラスカーストにおける上位で、発信力の高い子だ。この女はポイント収集に使える。すぐにそう判断した俺はさわやかな笑顔で答えた。
「うん。そうだよ」
「うわー! 嬉しい! あの、サインくれませんか?」
バッグから手帳を取り出し、サインをねだる彼女を右手で制する。
「いいよ。でも、ちょっと待っててくれるかな? そこで500円玉拾っちゃってね。今から交番に行くところだったんだ」
「そんなの、拾っちゃえばいいのに。誰も見てないんだし」
彼女は平然とそう言ってのけた。少し悲しいが、これが今どきの若者感覚だ。見られてさえいなければ何をしてもいい。ルールに反してさえいなければ許される。そこにはモラルという概念が存在しない嫌な世の中である。
まあ、そんな俺も今どきの若者なんだがな。
「そうはいかないよ。落とした人が困ってるかもしれないだろ? 僕はね。困っている人を放っておけないんだ。この500円で助かる人がいるなら、行動しないと。自分のきまぐれで誰かが不幸になるだなんて、許せないだろ? 世の中にはさ。500円稼ぐだけでも精一杯な人たちがいるんだから」
その時だった。俺の視界の端で、☆マークが飛び跳ねて26000の数字が26001になったのだ。
「やっぱり、ランキング1位の人はすごいんですね! 私、なんかやばいくらい感動しました! ポイント入れておきますね! あ、あと。友達や彼氏のグループにも拡散して、星野さんにポイント入れるよう言っておきます!」
「はは、ありがとう。本当はポイントなんかいらないんだけれどね。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「はい! ランキング、頑張ってくださいね!」
彼女が去っていくと同時、またまた☆マークが飛び跳ねて26001の数字が一気に26254になったのだ。上々だな。200近い組織票を引っ張てこれるカモはそうそういないぞ、あの子をフォローしておこう。そうすれば明日以降もポイントを入れてくれるだろうしな。
『お昼のニュースをお伝えします。まず最初に日本全国のみなさんが一番気になるであろう、ポイント集計の結果です。本日12時時点で、なんとまたまた星野奨さんが善人ランキング1位となっております。引き続き日本国民のみなさんは善行を積んでポイント獲得に励んでください。続いてのニュースです。政府は――』
ニュース番組の司会者が俺の名前を口にしたとたん、☆マークが飛び跳ねて26254の数字が一気に72345になった。ほんと、情弱ってのはかわいいバカだね。
ランキングシステムにおいて、上位者ほど有利な立場の人間はいない。人は心理的にランキング上位というだけで、無闇やたらにありがたがる。そこには、他の評価者が評価したからイイモノに違いないという、顔も名前も知らない人間の評価に対する信頼で成り立っている。日本人の特性とでもいうのか、いわゆるスタンピードというやつだ。1人右を向けば全員が右を向く。そこで左を向く奴はバカか天才のどっちかってもんだ。俺はもちろん右を向くが目だけは左を向いている超天才ってとこかな、はは。
『さて、おととし実装された人間レビューに引き続き、去年アップデートされた善人ランキング。今の所トップ10は固定されつつありますが、一波乱あるのでしょうか?』
ニュース番組の音声をBGMに、俺はファミレスで飯を食っていた。夏休み真っ只中の正午ということもあって、学生の姿が多い。とりわけ学生連中が夢中になっているのは、脳内インターフェイスで遊べるいわゆるVRゲームだ。
22世紀になって人間は進歩した。スマホやパソコンはアンティークと化し、代わりに広がったのが脳に極小サイズのチップを埋め込むインプラントだ。人間の脳を一個のハードディスクと化し、頭の中で念じるだけで、脳内インターフェイスを使ってメールの作成やゲームもできる。そしておととし実装された機能が、個人にポイントを付け日刊で集計が発表される善人ランキングだった。
多発する凶悪犯罪の裏には、貧富の格差がある。21世紀初頭から問題になっていた格差問題は、1世紀経った今でも解消されず犯罪は増加する一方だった。
こんな殺伐とした世の中だからこそ、善いことをした人間は評価されるべきだとか、お花畑な連中は言い出しはじめて善人ランキングが実装された。が、フタを開けてみりゃこれだ。
「相互しようぜー。オレ、お前に入れるからよ。お前もオレに入れてくれよ」
「いいぜ」
「ああ、そこの兄ちゃん。おっちゃんのポイント買わないかい? おっちゃん1人のポイントで1万。10人分買ってくれれば、9万でいいよ?」
「じゃあ、3人分頼むわ」
相互によるポイント乱獲しまくる学生や、見知らぬ人間にポイントを売買する闇の世界の住人に、0ポイントだというだけで解雇されるかわいそうなサラリーマン。ほんと、クソみたいな世の中だよ。
ランキング1位になったところで、誰かに表彰されるわけでも賞金が手に入るワケでもない。けれど、知名度という金に結びつく財産になる。
ランキング1位というだけで俺のブログはPV1位だし、テレビ出演のオファーや、自伝出版の問い合わせが殺到してる。名前が売れるってのは、それだけで金になるもんだ。けれど同時に、ネットじゃ敵だらけだけどね。
俺の印象操作をしようとブログで揚げ足をとったり、ステマしたりとまったくご苦労な連中がたくさんいらっしゃる。正直、めんどうではあるが有名税ってことで逆に楽しんじまえば、それなりにスルーできる。ここでスルーできない奴は3流っしょ。小物ってわけよ。
「おい、あれって星野奨じゃね?」
「うお。マジだ。ったくよ。何が善人なんだよ。ランキング1位なら、こんなとこで飯食ってねーで、途上国にでもボランティア行けよ!」
ガンと、俺のテーブルを強く蹴るガキどもに内心イラつくが、ここでヘタに騒ぎをおこせば積み上げてきたものがすべて無に帰る。
「僕は、僕にできることをしていたらいつの間にかこんな順位になってしまったんだ。確かに君の言う通り、途上国で汗を流す人たちにこそ、ポイントが入るべきだと思う。僕なんて、たいしたことのない人間だからね。本当、困っているんだ。こんなことになってしまって。もし僕のことが気に入らないのなら、謝るよ。善人ランキングもポイントをくれた人たちに謝って、評価取り消しを依頼する。ここであった経緯をすべて説明してね」
やってみな、おバカさん。ここでの出来事はすべて脳内インターフェイスに録画済だ。こいつをネットに公開すれば、世間様からの同情票が俺にたんまり入る。
「お、おい。やめとけよ。こいつのフォロワー何人いるか知ってんのか?」
ガキAが、ガキBを肘で小突く。ガキBは一瞬情けない顔をしたが、それを悟られまいともう一度俺のテーブルを蹴ってきた。
バカなガキだ。ここで大人しく下がっていればいいものを。だが、これは逆にチャンスでもある。利用させてもらおうとするか。俺は飲みかけのオレンジジュースをさりげない動作でテーブルの端へとやった。おそらくもう一度衝撃が加われば、中身がぶちまけられ隣の席の少女にふりかかる。
「知るかよ! オレは前からこいつが気に入らなかったんだ! いったいどんな汚い手使えば、ここまでランキングを駆け上ることができるんだよ!」
ガキは俺の目論見通りの行動に出てくれた。テーブルを蹴ると、その衝撃でオレンジジュースが激しく揺れて、空中にその中身をまき散らす。
「きゃあ!?」
「あ、危ない!!」
俺は偶然を装い、少女の盾となった。上着が見事にオレンジ色に染まり、台無しだ。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「は、はい。わたしは大丈夫です。でも、お兄さんのお洋服が」
「僕はいいんです。こんなの安物ですから」
何万したと思ってんだよ。ブランドものだぞ。それを1つ生贄にしたんだ。俺の期待通りに動いてくれよ、お嬢さん。
「でもそれ。ブランド物ですよね? けっこうお高いんじゃ」
少女の戸惑う姿に、ガキBは自分の犯した過ちにいまさら気付いたらしい。
「お、おい。お前の善人ポイント……0になってんぞ」
「え!? 嘘だろ……オ、オレ200もあったのに。なあ、裕也! お前のポイントは!?」
「いや、もうアイドルに付けたから今日の分は……悪い。一度取り消してるからお前に付け直すの、無理だ」
評価ポイントの取り消しが行われたらしい。ポイントは1人につき1日1ポイント。取り消しは一度までとなっている。この場に居合わせた誰かが今のやり取りをネットにでもあげたか、視覚情報をスクリーンショットにして、拡散したか。俺が手を出すまでもなかったようだ。
「や、やめろよ! みんなそんな目でオレを見るんじゃねーよ!!」
ポイント0。それは、社会的な真の底辺を意味する。相互をする相手もいない。何も善行をしない。つまり、評価される価値のないゴミということだ。
ランキング社会において、それは社会的な死と同義だ。強烈すぎるレッテルにガキBは顔面蒼白になると、涙を流した。
「う。う、うわあああああ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! 何でもします! 何でもしますから、どうか誰かオレに1ポイントでもいいから、評価をください!!」
――このタイミングを待っていた。降りかかる火の粉は払わず、そのまま燃料に変える。それが俺のやり口の1つだった。
俺はガキBにハンカチを手渡し、ポイントを入れてやった。そして、優しく肩を叩く。
「え? どうして、ポイントが?」
「しっかりするんだ。ポイントなんてくだらない物で、君の何が評価できるっていうんだ。僕は君のことをよく知らない。けど、君は悪い子じゃないだろう? そうやって素直に謝ることができるんだ。大丈夫。他の誰がなんと言おうと、僕は君を信じるよ。だから、泣くのをやめなさい」
「あ、ありがとう……ございます」
店内は客も店員もみんな拍手喝采、スタンディングオベーションだ。
「お、オレ。あなたのこと、星野さんのこと、誤解してました。やっぱり、ランキング1位の人って普通の人とは違うんですね。オレ、星野さんみたいな善人めざして善いことします!」
「そんな。さっきも言ったけれど、僕はただ自分にできることをしてきただけだよ。だから、そんなに肩肘を張らないでくれ」
夢見る少年には悪いが、ランキング上位者は不正のオンパレードだよ。俺でさえこうなんだ。下位の連中も相互や工作に毎日精を出しているのさ。
「ハンカチ、ありがとうございました! オレ、まずは家に帰って親の手伝いでもしてきます」
「ああ、頑張ってね」
ガキBからハンカチを受け取ると、俺はズボンのポケットに突っ込んだ。
「みなさん、楽しいお食事の最中にお騒がせしてすみませんでした。僕はこれで失礼します」
客や店員が見つめる中、俺は席を立った。そして、レジの女に金額を訪ねた。
「お会計、1560円になります」
「ああ、ごめん。違うんだ。今この店にいるほかのお客様のお代金の合計だよ、僕が聞きたいのは」
「え? それは」
「ご迷惑をかけてしまったお詫びとしてはささやかだけれど……ランキング1位になって、懐も潤っているからね。少しでも社会に還元しなくちゃと思って」
レジの女は惚けたような顔で俺を見つめていた。
「何か?」
「い、いえ! さすが善人ランキング1位の方は、その。魅力的だなあって……えと、お代金は……」
女が提示した金額は大したことはなかった。ま、こんなはした金で俺のランキングが維持できるなら安いもんさ。
「おっと」
ファミレスを出て少し歩いたところにコンビニがあったので、さっきガキBに貸して使い物にならなくなったハンカチをゴミ箱に放り捨てた。
「さて、次はどんな善いことをしてやろうか?」
俺は舌なめずりをすると、人込みの中に紛れて歩き出した。
~終~