1 オーガニック・ジュエル (7)
「知り合いから聞いた話なんだけどさ」
俺は、丹生の機嫌を損ねないように注意深く言葉を選びながら話を始めた。
「最初は、すごい天才児がいるっていう噂だったんだ。年齢の割にEinsの得点が抜きん出てる成績データが発見されたって。まぁ、年齢を加味しなければ成績上位者ってほどじゃないんだけど。」
Eins(エデュケーショナル・インタラクティヴ・ネットワーク・システム)は、コンピュータ上での個人学習のためのシステムである。コンピュータ・システムでもあるし、学識者の組織でもあるし、財団でもある。高齢の人に説明するときには『誰でも無料で入学できるネット上の学校みたいなものだ』と言えば通じるらしい。
ネットワークに接続できる環境さえ用意できれば参加費用は不要だし、定員も無い。Einsの有用性を評価している人たちによって出資や寄付が行われて運営が続いている。丹生の祖父である裏柳藤吉郎氏は、設立者の一人だった。
「何歳だ?」
「確か今は七歳かな。」
「単なる登録時の年齢詐称や、個人情報の捏造かもしれないだろう。」
Einsは個人情報の保護は慎重に行われているけれど、登録時の本人認証という点に関しては殆どノーチェックである。
「かもしれない。その辺りを調べられないかな、と思って話してるんだ。」
「その噂を流した人物は、どうやって、そんな個人データを見つけ出すことができたんだ?」
丹生は興味が無さそうに質問してきた。大体のところは答えを分かっているのだろう。
「Einsの成績って、それぞれのIDや個人情報は伏せられているけれど、ランキングで成績上位者の得点だけは表示されるじゃない?あれを、年齢別にソートして発見したらしい。」
「ランキングはアクセスしている本人が所属している集団のデータしか閲覧できないはずなんだがな。」
ティーカップの縁ごしに、丹生が黒い瞳で俺を見詰めてくる。やっぱりお見通しといった風情だ。
「まぁその辺には俺は関知していないよ。誰かがデータ収集のために各年齢のIDを登録してるんじゃないかな。」
丹生は目を細める。
「藍。お前、まだあの連中と関わりを持っているのか?僕からの報酬では足りてないっていうのか?」
「君からじゃなくて、君の家からのね。」
本当は『青磁さんからの』と言いたかったのだけれど、これ以上、丹生の機嫌を悪くしたくはない。
「今は仕事としては手を切ってるよ。単なる友達付き合いの範囲内で情報交換をする程度なら、別に君が口出しをすることじゃないだろう?」
「僕はあいつのことは気に入らないんだ。前世代の遺物みたいに頭が固いところが特に。」
「あいつって、会ったことが有るわけでもないのに……」
俺は若干、脱力感を覚えた。丹生は丹生で頭が固いと思う。
「『男性のほうが原子力発電に貢献してきたから現在の日本の平和は男性によって築かれたものだ』なんて発言をする人間が今どき本当に実在するのか?お前から聞いたとき、僕は耳を疑ったぞ。」
「ははは……」
俺は力無く笑うしかなかった。彼には彼なりの理屈が有った上で言っているのだが、そんな面倒な説明をして双方の和解を図る義理は俺には無かった。なにしろ両人に面識は無いのである。
あのときは、まだ丹生の性格を把握しきれていなかったのだ。実に失言だった。反省している。反省して話題を切り替えよう。
「で、気になるデータだったから得点推移をモニタリングしたらしい。その結果、その『七歳児』がEinsに殆ど常時アクセスして成績を伸ばし続けていることが判明したんだ。毎日二十四時間、常にだよ。」
「別に珍しいことじゃない。複数名でアカウントを共有しているんだろう。どこかの金持ちが自分の子供のために影武者を何人も雇っているとかいう例は多いぞ。」
大金持ちの丹生は、つまらなそうに言った。
Einsの理念は『教育の機会を平等に与えること』であって、その成績評価に公平を期すことは取り立てて追求されていない。極端な例でいえば、経済的に恵まれない高得点者を割り出して、自分の子供の影武者というかゴーストライターみたいな存在として雇い上げてしまうケースも有るらしい。それはそれで、学力をもって生活を維持できるという点で有効な活用方法だろう(他の人権が侵害されていない限りは)。