1 オーガニック・ジュエル (6)
国土を非居住地域(原子力発電所の周囲)と居住可能地域(その他の地域)に分けて期間限定で原子力発電の発電量を増やすことによって、エネルギーの自給率が飛躍的に上昇した。石油を使った火力発電に頼る必要が無くなり、産油国に干渉する必要が無くなったのである。
どっちみち、今から半世紀前には既に化石燃料は掘り尽くされていたらしいから、この方法を先んじて選んでいた日本は他の先進国のモデルケースになることができた。
まぁ日本が国家予算を少なからず防衛費に充てなければならなかったのは、兵器産業を滞らせないためだとか、アメリカ企業から武器を購入させられていたせいだとか、噂レベルの話は色々と有るけれど。少なくとも今の俺に百年前の真相を確認する術は無い。
相手が自然災害であったとしても諸外国であったとしても、『発生するかもしれない不測の脅威』に先手を打つための投資というのは始めれば際限が無いし、脅威が現実のものとならずに無駄に終わる場合も多い。各個人が経済的に負担だという実感を覚えずに納得できる範囲内で『保険を掛ける』のがバランスとして適当なのだろう。
国防という名目が無くなったとはいえ、緊急事態への対処がないがしろにされているわけではない。災害救助を基本的活動とする必要充分の組織が残っている。近隣諸国とは精々のところ小競り合い(経済的な融通を求める威嚇のようなもの)しか発生しないと大抵の人が理解しているので、小競り合いに対応できるくらいの規模である。
例えば、『いっそのこと発電施設も各種の産業施設もまとめて支配下に置いてしまえば丸儲けだ』という目論みは、先述の通り、実現しないと想像される。その状況では勤労意欲は湧かないし、意欲が湧かなければ最新鋭の技術は維持されない。技術更新などは尚のこと望めない。設備だけ残して(細菌兵器とかで)人間だけ減らしても、設備を運用できる技術の持ち主が存在しなくなるので、メリットを得られる状態が長続きはしない。そもそも、常に整備を怠らずに運用しなければならない繊細な施設なのである。その辺りに考えの及ばない組織が攻撃してきたとして、その組織は戦略的思考に優れているとは云い難いから長くは保たないだろう。
総じて、『平和は大切だ』という言葉を単なる感情の問題としてではなく理屈としても説明できるのが裏柳理論の優れた点であると云える。
勿論、一時的とはいえ住んでいた土地から離れることを強制された人からの反対や不満の声は大きかった。当時の時点で若年層だった人はともかく、中高年の人々は、それまで住んでいた自宅での生活が二度と戻ってこない確率が高かったからだ。そのため、移行は漸次的にならざるをえなかったし、最後まで立ち退きを拒絶して非居住地域に住み続けた人もいたらしい。
それらの一人一人の立場に立ってみれば非情な措置だったかもしれない。しかし、たまたま掘り当てた僅かな原油を巡って血を流すような事態に巻き込まれるよりは(そういう事件は今でも海外では発生していると報道されている)、随分とましな選択だったと思う。
丹生の言うような『核戦争』がまず成立しないのは、原子力を扱う技術を有しているのであれば、それをエネルギーとして産業に使ったほうが遥かに有益だからである。技術習得のための知識は勉強すれば誰でも獲得できる仕組みになっている。この点に納得した先進国は核兵器の開発をやめて速やかな廃棄処理を実行した(核ミサイルが過激派組織の手に渡ることを阻止するためである)。
俺は丹生に言った。
「どっちかっていうとミサイルで原子力発電所を攻撃されるのが怖いけど、それは単なる怨恨が理由だよね」
「自暴自棄になる人間は、いつの時代にも存在するだろう」
「そういうふうに窮地に追いやらないためにすべきことは、威圧ではない。って、君のお祖父さんの言葉なんだけど、知ってる?」
「相互威圧の緊張状態の間に挟まれてストレスが極限に達した末に非合理的な行動が発現するという説明は、僕の祖父の発案ではない。なんでもかんでも、全部あの人が考え出したみたいに言わないでくれ。気分が悪い。」
「なんだ、ちゃんと勉強してるんだな」
やっぱり興味の対象が偏っていると思うけれど。
丹生に言わせれば俺のほうがマニアックらしいが、その辺りの判定は自分には不可能だ。
それはそうと。
「Einsのログインデータって、青磁さんなら閲覧可能なの?」
唐突な切り出し方になったが仕方が無い。
「いくら兄さんでも、僕のログをいちいち確認したりはしてないだろう。そんなに暇じゃないはずだ。」
「そうじゃなくて、ちょっと教えてもらいたいことが有るんだ。風の噂なんだけど、不正行為が見つかってるって。」
丹生はティーカップから口を離して瞬きをした。
「不正ログイン?Einsで?無理だし無駄だろう」