1 オーガニック・ジュエル (5)
食事の後、丹生は紅茶を淹れてくれた。
テーブルに並べられたティーカップは和風の釉薬が掛かった焼き物でありながら、分厚くなくて薄いという珍しい仕上がりになっている。かなり高価なものなのだろう。昔は焼き物をチャイナ、漆の塗り物をジャパンと呼ぶことが有ったらしいけれど、今でも使われている呼称なのだろうか。古美術商とかなら使うのか。日本の焼き物文化が始まる以前というのは殆ど有史以前だし、中国にだって漆塗りは存在したのではなかろうか。
丹生の前に置かれたカップは緋色で、俺の前に置かれているのは青い。青といっても、赤みの含まれていないマリンブルーである。俺が丹生にとっては兄の青磁さんの代わりに過ぎないことが象徴されている気がした(考え過ぎだろうけど)。まぁ、こうやってもてなしてもらえるだけでも、ぞんざいな扱いをされているわけではないと判定できる。
お茶の時間に入ったところで、俺は丹生に話を切り出すタイミングをうかがっていた。
知人(というか悪友?)から情報収集を依頼されている事件が有るのだ。
丹生は紅茶を一口飲んで、吐息とともに毒を吐いた。
「ああ、今この瞬間にリトルパールだけ残して世界が消滅してくれればいいのに。」
リトルパールというのは、俺と丹生がいるシェルターの固有名詞である。
「物騒だなぁ。君は平和理論提唱者の孫だろう。」
「だからこそ、というパターンも有るんだよ。なぜ周囲の人間は、僕に対して祖父と同じスタンスを期待するんだろうか。理解に苦しむ。」
「まさか俺や青磁さん以外の人の前でも、そんな発言をしているのか?」
「さあ、どうだろうな。実際問題として、世界のどこかで核戦争が始まって僕たちまで巻き込まれて滅ぶ可能性はゼロではないだろう?」
「ゼロじゃないけど、そんな想定は無駄だよ。」
丹生の言う『核戦争』がもし始まったら、結局できることなんて限られている。
ゲーム理論でなくとも例えばフィクションの創作者だったら知っているだろうロジックとして、『人質のジレンマ』とでも呼べるものが有る。誰かを人質に取って何らかの要求をする者は、人質が一人の場合にはその人質を殺すことは実はできない。人質を殺してしまったら自分が殺されるからである。複数の人質を取っていれば見せしめのために殺す余地は有るけれど。
『裏柳理論』の基本にも用いられているロジックである。そこからの展開として、核武装で互いに牽制を続けることが長期的には不毛であることが説明されている。
現在、裏柳理論の効果で戦争を回避し続けているのは、日本を含む世界の一部に過ぎない。別の一部では紛争が続いているし、残りの地域にだって軍隊は存在している。
日本が『非戦』を名実ともに実現させられたのは、国土を居住区と非居住区に分けて『非居住区の原子力発電施設に危険業務を集中させる』という地域分離政策を行ったことだけを理由とするわけではない。
そもそも、ある時期から日本という国土に対しても国民に対しても、『攻撃をしてダメージを与えること』にメリットは無くなっていたのである。
地震や台風などの災害に見舞われ続ける土地柄。地図上でも、例えば自国の植民地にしたからといって特に戦略的に有利なポジションではない(例外的にアメリカは日本を植民地とすることが有利になりうる国だったけれど)。化石燃料などの天然資源に恵まれているわけでもない。
国土面積に比して樹木は多いけど、総量で比較すれば別に垂涎の的ではないだろう(海を越えて輸送するのとか面倒だし)。自然林は伐採すればすぐに無くなるだろうし、人工林は常に人の手で管理する手間がかかる。いずれも無くなってしまったら降雨で地形が変わる。そうなったら人が住める土地になるかどうか疑わしい。
どちらかというと他国と戦うよりも自然災害と戦うので精一杯なはずで、そんな島国を接収しても接収した側が赤字になりかねない。
基本的に、この国の豊かさは『国民の真面目さと勤勉さ』によって培われてきた。それ以外の資源は殆ど無いと云っても過言ではないかもしれないくらいだ。
ならば、その国民を奴隷労働のように使役すれば利益が得られるのかというと、そうでもない。強制的に働かされる場合のパフォーマンスと自発的に意欲的に働く場合のパフォーマンスとの間には統計的に有意な差が認められている。仮に家族のためだとか言って脅して従わせたとしても、たぶん手抜き工事で産業施設の事故が多発するとかいう落ちなのではなかろうか。
前の戦争の時点でのアメリカ政府の人間は相当に頭が良かったのに違いない。戦後、日本を支配するのではなく泳がせるという方針を選んだのは、実に合理的で効率的で、冷静な判断だった。
まぁそんなわけで色々と問題が無いわけではないにせよ、かつて戦争が行われてから約二百年が経過した現在でも太平洋戦争を『前の戦争』と呼んでいられる日本に生まれたことは、やっぱり幸せだと思うべきなのだろう。