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3 ドロップ・オブ・ザ・ムーン (11)

 苅安(かりやす)の部屋を去る際に、ついでのように宣言する。

「やっぱり俺は、もっと上を目指すよ。たとえ何十年かかったとしても。」

「そっか」

 職業選択においてアドバンテージを得るために勉強をしている苅安と、学問的探求の頂に手を届かせることを目標にしている俺とでは、そもそも似ているようでいて指向性が異なっている。

 着替えをすると言って奥の部屋に引っ込んでいた柑子(こうじ)が、駆けるようにして出てきた。

「ありがとう、苅ちゃん。」

 苅安に手を振って、俺のすぐ脇を通り過ぎていく。

「じゃあ」

 俺は短く挨拶して柑子の後を追った。

 苅安とは端末でなら毎日のように会話をしているし。

 次に顔を合わせる機会が有るとしたら、いつになるのだろうか。予定通りにいけば苅安は来年から専門領域の研修に参加することになっている。

 考えながら歩を進めていると、先に立って歩いていた柑子が立ち止まって、振り返った。

 長めの髪が、ふわりと舞う。

(あい)ちゃんは、苅ちゃんのことが好きなの?」

 どうだろう。好きでも嫌いでもない。

「うーん、面白い人間だとは思うよ。君は苅安のことが好きなのか?」

「好きだよ。」

「へえ……」

 余りに屈託が無いので感心してしまった。

 二人で並んで歩き始める。丹生(にう)も身長が低めだけれど、柑子は彼女よりも背が低い。

 原子力発電は二十年とか三十年といった期限を決めて、操業を停止するまで及び停止した後のプロセスを見越した上で計画実行されてきた。計画通りに着実に他の電力への移行が進んでいるから、産業全体としては既に終焉に向かっている。その専門家を志すことは年々、『狭き門』になっていくことが容易に予想される。この性別ゼロの少年が成人する頃にはどうなっているのだろうか。まぁ、五年やそこらなら追い付ける範囲内か。いや、別に苅安と同じ職場を目指す必要は無いのだけれど、お節介で、折角ならと思ってしまう。

 一昔前の原発推進政策と、社会的な性別よりも身体的性別を優先して登録する制度との間には関係が有るのだろうか。微妙なところだ。

「それより君は、これから自分が所属するところを本気で決めておいたほうがいい。ずっと苅安に頼り続けるわけにもいかないだろうし。」

 詳しくは聞いていないが、帰宅せずに知人の家を泊まり歩きたくなるような事情が有ることは確実だ。

「うーん、私が勝手にあちこち触って怒られない場所だったら、どこでもいいんだけど。」

 集団教育機関のネットワークなんて、個人情報の集積場みたいなものだからな。

 数としては、籍は置いているけれど殆ど通っていない人とか、必要最小限しか施設に足を運ばない人が多いという話だった。

「どこでだって、そんなことをしたら叱られる。ルールとして、勝手にアクセスしてはいけないと見当が付くデータを開けないように心がけるべきだ。それは苅安の家でも、君を泊めてくれるっていう女の人のところでも同じだ。」

「はーい」

「その水縹(みはなだ)っていう人には、ちゃんと謝ったのか?」

「一応ねー」

「味方を減らしたくないのなら、許してくれるまで謝ったほうがいい。」

「うん。そうする。」

 首都島内でうちの近くに住んでいるのだとすれば、柑子の家庭が経済的に困窮しているわけではないだろうと判断して提案する。

「何か習い事を始めるっていうのは?外国語の教室とか。親戚や知り合いの大人の人がいるなら、その人に頼んでお母さんを説得してもらうといいよ。」

 柑子は俺のほうを向いて笑顔になった。

「いい人なんだね、藍ちゃんって。なんだか悪いことをしているみたいな気がする。」

 こうして一緒に帰る成り行きになっていることに関してだろうか。俺にしてみれば単なる帰路のついでなのだが。

 俺の家の近くに差し掛かった。

「ありがとうねー、藍ちゃん。」

 手を振って、柑子は別の道を進む。やっぱり住所まで知られているらしい。今すぐに不都合が有るわけではないが、困った子だ。

 俺は携帯端末を回収するために家の荷物入れに接近した。

 蓋を開くと、入れたときのままに端末が置かれている。両親は帰宅していないらしい。

 いかにも仕事用という感じの銀色の四角い機械を手に取ると、破裂音が鳴った。

 何事か。

 焦って見回すが、周囲の様子に特に変化は無い。不審な煙が上がっているわけでも、走り寄ってくる者の姿が有るわけでもない。

 さっきの破裂音と同時に咄嗟に箱の中に置いた端末を見た。目を凝らして暗い荷物入れの中を窺うと、細い糸のようなものが見えた。ボックスの奥、反対側の取り出し口まで糸は続いている。

 そのとき家の玄関ドアが開いた。

「掛かったな!盗撮犯か何かの人!」

「盗撮犯じゃなくて俺だよ、お母さん。」

「藍ちゃん?」

 意気揚々と現れた母親は、不意を突かれた様子だった。

「出てくる前に監視カメラとかを確認したほうがいいよ。」

 幾ら腕に覚えが有るからって。

 自力捕獲を心待ちにしていたようにしか見えない。凄く楽しそうだったし。

 破裂音は録音したものか、少量の火薬とかなんだろうな、きっと。ああ職権濫用。(うちの母は公務員である。警察官ではないけれど。)

 俺はその場を穏便に済ませて立ち去ろうとした。

「じゃあ、また。」

「待ちなさい。久し振りなんだから晩ご飯、食べてから帰りなさい。」

「この間うちに遊びに来ただろう二人で……」

 母は有無を言わさない様子で俺を家の中に引っ張り込み、ドアを閉める。

 俺は子供の頃に住んでいた家(リトルパールの近くに有る)で一人暮らしをしているから、たまに両親が様子を見に顔を出すのである。前回は一か月半ほど前だった。久し振りというほどではないと思う。

 されるがままになっている間に、本日二度目の夕飯を摂る羽目になる。

 父親は帰ってきていない。どちらかというと、この時間帯に母が家に居るのが珍しいのではないだろうか。

 さすがに家族には一通りの事情は説明してあるので近況の報告を求められたが、いつものように、守秘義務が有るからと適当にあしらった。

 母が食事の支度をしている隙に青磁(せいじ)さんに連絡する。

 自分で帰るつもりだったから棲家に戻れるのは明日になると踏んでいたのだが、青磁さんは俺が時間を指定すれば自動車で送る手配をすると伝えてきた。断る理由は無いので言われた通りにする。

 帰途。自動車の窓から空を見ると、明るい月が見えた。

 少なくとも日本を含む地域は前世紀に比べて空気がきれいになっていて、そのおかげで地表から観測される天体の明るさは増大しているという話だった。当時と現在とで測定機器は同一のものなのだろうか。もし同じでないとすれば、その光量が多いか少ないかをどうやって確かめているのか。単位の基準を思い出してシミュレーションを試みる。殆ど空想しているのに近い。満腹で眠くなってきたのだろう。

 俺が見ているのと同じ月を、今、丹生は見ていない。

 彼女はあの海の底に居るのだから。

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