3 ドロップ・オブ・ザ・ムーン (5)
「代わりにというのも変ですが、首都まで来たついでに両親に会ってきても構わないでしょうか?」
俺が言うと、青磁さんは瞬きをした。この表情は確実に丹生に似ている。
「ああ、君は首都に住んでいたんだったね。勿論だよ。こちらから提案すべきだった。どうも忘れてしまうけれど、丹生と同い歳なんだものな、君は。」
正確には今は俺は十七歳で丹生は十六歳だけど。生まれた年度は同じでも、彼女は誕生日がまだだから。
「自動車で送っていく手配をしよう。」
「いえ、自分で行きます。」
青磁さんは俺を大通りまで歩いて送って、そこで端末を手渡してくれた。俺の持ち物ではない。
「帰るときには連絡してくれれば、迎えを寄越す。」
「どうも、ありがとうございます。」
「僕は見送りができないかもしれないから一応、挨拶をしておくよ。これからも丹生をよろしく。」
小さく手を振る青磁さんに頭を下げて、その場を後にした。
なんだか矢鱈と疲れた。振り回されっぱなしだったしなぁ。
それに、首都という場所は居るだけで無意味に疲労を誘う。
端末で現在位置を確認した。自宅(というか両親の家)の住所を入力すると、自動的にここからの経路が表示される。周回バスで辿り着けそうだ。
これ、GPSで居場所が青磁さんに筒抜けだよな絶対。あんまり気分がいいものではない。
俺はバスに乗ってバス停から歩いて(乗車料は端末から自分の口座にアクセスして引き落とした)、懐かしき我が家に到着した。
玄関の前に有る宅配用ボックスに端末を入れて、その場から走り去る。
タッチそして離脱!
両親になど会うものか。顔を出す理由が無い。
目的地は自宅から徒歩圏内に有る雑居区画である。しかし、その前に寄り道する。揚げ物の商店で店主に声を掛けた。
「天かす有りますか?」
「あれ?珍しい顔だね。帰ってきたの?」
店主は丸々とした顔を光らせる。やはり毎日、商品の残り物を食べているから肥満気味なのだろうか。
「ちょっと用が有って、今日だけ帰って来たんです。」
「ふうん」
応じながら、揚げたてのコロッケを袋に入れている。一つ、二つ。先客のものだろうか。黙って眺めていると、続けて天かすを袋に詰めてコロッケの袋と一緒に差し出してきた。
「久し振りなのに天かすだけなんて寂しいから。」
「え、俺、払えないんですよ。端末も家に置いてきたから何も持ってなくて」
嘘ではない。
天かすだけなら顔見知りの俺には時々無料で分けてもらっていたので、さもしいのを承知で貰いに来たのだが。
「サービス。その代わり、今度また買いに来ること。」
「でも」
「未成年のくせに遠慮しない。」
「すみません、ありがとうございます。いただきます。」
俺は袋を受け取って、苅安の家に向かう。
玄関のインターフォンでコールして、待った。
開いたドアの向こうに苅安が立っている。
相変わらず髪の色を明るく染めている。トレードマークなのだそうだ。
顔の表情のせいで、あまり頭が良くなさそうに見える男だ。Einsの成績は俺と同じくらいのはずなのだが。
「なんだぁ?いきなり。マフィアの首領に誘拐されて逃げのびてでも来たのか?」
「当たらずとも遠からずだよ。これ、持ってきたから入れてくれ。」
苅安に紙袋を押し付けて中に入る。
「ちょっと待て。お前が本物の群崎だって確認してないぞ俺は」
「偽物が天かす持って来るか?」
そのための符牒の代わりに入手してきたアイテムなのに。苅安の制止を無視して玄関から中に入る。
「いや、待て待て、今はまずいって。ストップ。奥には立ち入るな。」
「なんでだ?」
俺はそこで立ち止まって友人を振り返った。
「なんでって……ああそうだ、お前、本物だっていうなら生体認証でそれに接続してみろ。まだデータ残ってるだろ。」
苅安は玄関脇に設置してある端末を示す。
「いいけど、エラーが出たとしても成長期だからだよ。」
「半年ぶりか?」
「四ヶ月半ぶりだ。はい、入れた。これでいいだろう」
俺は端末を触って適当にログインしたアクセス先のプロフィールを苅安に見せた。しかし本当に俺を別人がなりすましているかもしれないと考えたのだろうか?
奥の部屋に何か有るのか。
しかし今更、隠すような危険物なんて想像がつかないのだが。
「マフィアじゃないなら、なんで急に帰って来たんだ?」
そもそも首都にマフィアなど生息していない。サイバー犯罪者もどきなら、ここに居るが。
「色々と面倒なことが有ってね。家庭の都合っていう感じかな。高齢の人って、自分の感性がそのまま他人にも通用すると思ってるのかな」
事情は言えないので愚痴でごまかすことにした。
「高齢の人って、爺さん婆さんか」
「うん。」
「それこそ人によるだろう。色々だ。俺は、あの世代の人たちがのらりくらりと狸みたいに外圧を躱してアメリカの自壊に巻き込まれないように立ち回ってくれたお蔭で、今こうして平和に生きていられると思ってる。」
俺の視界にこの手の情報が入ってきてしまうのは、この男のせいだった。