2 イン・アウア・ネイチャー (14)
丹生は残った食べ物を一枚の皿の上に集めて、空になった皿を重ね始めた。
「それにしても今となっては、既に出生して成長してしまった存在を違法だからといって咎めるのも当人たちにとっては気の毒な話なのだろうな。『自分は生まれてはならなかった人間なのだ』という不要な悩みを抱かせるわけにもいかない。」
「どうなるんだろうね、その子たちは」
「公式的ではないとはいえ、個人情報が漏れてしまっているからな。多かれ少なかれ、他人からの好奇心の対象になってしまうのではないか。何も、あんなふうに騒がなくてもいいだろうに。」
「特に誰も騒がないくらいの出来事であったなら、そのほうが良かったっていうこと?」
「そうだ。お前が言った通り、誰かのクローンであってもそうでない人と同じだけの人権を有しているということが当然のこととして周知されていれば、その議論を行う必要も無くなり、もしかすると生まれ方の一つとして認められる日が訪れるのかもしれない。」
「君は、そうなったほうがいいと思っているの?」
俺が自分の皿をテーブル越しに丹生に手渡しながら質問すると、彼女はそれを受け取って他の皿の上に置いた。
「そうだな。今のままよりは。少なくとも人は、現在の自分たちが既に進歩の余地が無いほどに優れた価値観を有しているとは考えないほうがいいと僕は思う。学ぶべきことは幾らでも有るし、諦めさえしなければ、予想だにしなかったような解決策は存在するかもしれない。」
なんだかんだいって、丹生もやっぱり祖父の裏柳博士と考え方が似ていると俺は思った。
「それにしても、『七歳児』たちの親や周囲の人たちは、何がしたかったんだろう。」
「最初から、お前にも僕にも無関係な人物の話だ。動機など知りようが無い。」
「でも、発覚するのを防ぎたかったらEinsで疑われるような行動を取らなければ良かったのに。」
「クローンの遺伝子提供者本人はその処置が行われた約八年前の時点では新生児もしくは胎児だ。罪に問われる者がいるとすればそれは、計画の内容を知っていて加担した者ということになるのだろう。具体的な処置は、法整備が行き届いていない地域で行われたのだと推測できる。要するに、発覚してもデメリットは少ない状況なのではないか。」
「真相を知る方法は無いのかな」
「僕には無い。どうしても知りたいというのなら、今から将来の進路希望を変更して法的機関とか医療機関に就職すれば、調べる方法が見つかるかもしれないぞ。」
「そこまでするつもりは無いよ。」
「だろうな。……しかし、僕は情けない気分になってくる。」
「俺のことがか?」
「違う。考えてもみろ。その計画を実行できる知識と技術の持ち主が携わっていたことになる。しかも決して少なくない人数だ。Einsのようなシステムによって誰でも知識を得ることができるのは、実は恐ろしいことなのだろうか。祖父が目指した世界は本当に正しかったんだろうか。」
「君のお祖父さんが理想とした世界はまだ実現したわけじゃないんだから、その言い方は適切ではないよ。前に君が言っていただろう。百年前には『科学や技術の発展が人類に不幸をもたらした』なんていう発言をする人物が存在したけれど、問題となるのは科学や技術を使う人に倫理的配慮が欠けている場合だって。」
「そうだ。また僕たちは、『知識や技術を有しているのに倫理的配慮に欠けた人物がいるせいだ』とか言われるのだろうか。そんな言葉によって僕や兄さんがストレスを与えられる羽目になるのか。」
「そういう批判をする人は、その批判のせいで自分が生き辛くなるということにまで思考が行き届かないだけだとも、君は言っていただろう。しっかりしろ。」
俺はそう言って席を立ち、丹生が重ねた皿を持ち上げてキッチンに運ぶ。他の調味料などの細かいものは丹生に運んでもらうとして、帰り支度を始めた。
彼女は俺を横目に不満げな顔をしている。
「Einsには支持者が沢山いるし、君にも味方がいる。大丈夫だよ。」
「何と何が同じで何と何が違うのかを間違えて混同した結果として短絡的な攻撃が発生することを、どうすれば止めることができるのだろうか。」
憮然とする丹生を見ていると、不思議と面白くなってきた。
「まるで君は善悪の彼岸にでも居るみたいなことを言うんだな。」
「善悪など彼岸に有るものだ。此岸に有ると考える者のほうが、どうかしている。」
彼女は椅子からは立ち上がらずに頬杖をついた姿勢で俺を見送った。
ドアから外に出て、泳いで上昇を開始する。リトルパールの出入り口の真上には、まだ一匹のナマコが張り付いていた。ちょうどそこは水平方向に最も張り出した、球の直径の辺りだ。
ナマコを取り除こうかと考えて、そのまま放置することにした。丹生が暇潰しに観察するかもしれない。
彼女が俺のほうを見ているのかどうかは判らなかった。
丹生は今夜も暗い海の中で一人で眠るのだろう。
俺が天候不良で来れない日も、嵐の海の底で一人で過ごしているのだろう。
それを想像すると、少し胸が苦しくなった。
きっと彼女は一人でも平気なのに。