2 イン・アウア・ネイチャー (13)
「人間のクローンを生み出すことの倫理的問題の二つ目は、妊娠出産のリスクを負う女性が、目的遂行のための単なる装置として扱われる危険性が高いという点に有る。出産する女性の実の子供のクローン、配偶者のクローン、その女性本人のクローンといったパターンについては意見が分かれるところだろう。不妊治療の一環として特例的に許可されるかもしれない。だが、人工母胎よりも成功率が高くコストが低いという理由によって、遺伝的に無関係な代理母に出産させることは容認できない。」
「君は代理母出産に反対しているの?」
「今はクローン技術の問題点を検討しているところであって、人工授精における代理出産は別の話だ。当事者全員が納得していれば問題無いのではないか。」
「その辺りの報道は見ていないから、九人の『七歳児』は全て人工母胎だったっていう可能性も有るんじゃないか?」
俺は視線を漂わせてリトルパールの壁を眺めながら言った。裏柳家みたいな大富豪になら実現できそうな気がする。
丹生は、つまらなそうな顔をした。
「一人だけならともかく、その数となると宇宙旅行みたいに大規模なプロジェクトになるぞ。実行する組織に対して見返りは有るのか?」
「うーん、遺伝子提供者が世界一の天才とかっていうわけじゃないんだね。」
「宗教教祖とかな。年齢が同じだという話を信じるなら、違うのではないか」
「同じ歳っていうことは、生まれてすぐに計画が実行されたってこと?」
「そうかもしれないし、胎児の段階で体細胞を取り出したのかもしれない。」
「よくそんなことを思いつくなぁ。」
「さほど突飛な発想ではない。」
丹生はテーブルを一瞥した。現在時刻を確認したのだろう。
「三つ目の人権に関する問題は様々な要素で構成されているが、特に挙げるべき点は、出生した後の生き方に制限を受ける可能性が高いということだ。クローンという生まれ方に対する理解が深まっていない状況では、『遺伝子提供者と代替可能なコピー』であると誤解する者もいるかもしれない。そもそも出産した女性が違っていれば出生前の環境は異なっているし、出生前の環境が違うのなら既に別の人間だ。出生後の環境や経験も、決して同一にはならない。」
「別にクローンじゃなくても、親や周りの人から生き方に制限を設けられている子供は多いと思うけど」
「その通りだ。誤解しないでほしいが、僕自身は別にヒトクローンを誕生させることに反対しているわけではない。」
「ああ……前にもそんなことを言ってたね」
「ただ、法律で禁止されている理由としては例えば、病気や負傷で身体機能に支障が出た場合に、臓器などを提供させるための保険として誕生させられる人間が存在してはならないという点が挙げられる。人間のクローンを誕生させること自体を禁止しなければ、臓器移植のためにクローンを出生させる者が現れると考えられていたんだ。『移植を必要とする本人の臓器のみを培養するのでは間に合わないほどに、急を要する場合のための保険』ということになるが。」
「ちょっと限定的に過ぎない?そんな事態に備えておく人がいるかな?」
「あくまで、その法律の成立時点での社会的背景によるものだ。お前が言ったように、誰かにとって好ましい遺伝情報を有する人間が生まれるような顕著な傾向が発生したのでは危険だからという理由も有る。それに現状では、特定人物と同じ遺伝情報を有した存在であることを出生の目的とされて生まれてくることには、生きていく上で精神的な負担が大きいのではないだろうか。」
丹生らしくない感情的な意見だ。おそらく彼女自身の周囲への不満が主張の中に含まれてしまっている。
「じゃあ、同一人物ではなく別個の人間だという理解が周囲の人から得られるなら、その倫理的問題は解決するっていうことか?」
「ああ、そう言える。しかし、それを理解できる人間に、誰かのクローンを誕生させようとする理由は有るのだろうか?」
「成程ね。思い当たらないよ、俺には。」
クローンを誕生させたいなんていう人の気持ちは最初から俺には分からないのだけれど。それにしても、そんなパラドクスが存在するのか。知らなかった。
「何らかの理由が有ったとしても、現状では他のリスクを無視してでも実行するに足る動機であると他人から認められるかどうかは不明だ。」
「どんな理由だったんだろうね、一体。」
俺はEinsに出現した『七歳児』のことを思い浮かべた。
「それは僕にも判らない。しかし、彼らがそれぞれの生活していた現地時間において毎日決まった時刻に決まった時間だけ個人学習を行っていた記録を見ていると、僕は腹が立ってくる。」
丹生は知っていても俺は知らない情報である。それで感情的になっていたのか。
「九人が同じ行動を取るように強制されていたっていうこと?」
「多分。九人ではなくて八人だが。」
休日が無いというのは極端だけれど、決まった時間に勉強をするというのは時代や地域によっては珍しくないのではないか。俺は丹生にそう言おうかどうか迷ったが、激しい反論をされるのは明白だったので黙っていることにした。