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2 イン・アウア・ネイチャー (10)

「僕は祖父の考えに必ずしも同意するわけではないがな。」

 丹生(にう)はにべも無く言った。

(あい)、何かと何かが『同じである』ということを証明するためには何が必要だと思う?」

 同じだと証明するために必要なもの?

「それが同一であると判断するのに足るだけの情報、かな。特徴とかの。」

「お前は今日から四日前に僕に会っているな。四日前の僕と今の僕とは同じだと思うか?」

「百時間くらい時間が経過しているけれど、君は君なんじゃないかな」

「四日前と今日とでは服装が違っている。」

「そして前に会ったときにはパエリアとラフテーを食べていた。」

「前世紀の文豪みたいな表現だな。」

 彼女は笑って、皿からローストビーフを二枚取り、左右の手に一枚ずつ広げて僕に見えるようにした。(テーブル型タブレット端末の上面は食事前に拭いてあるので、衛生的な問題は無いはずだ。)

「等号を成立させるために必要なのは、抽象化と記号化だ。厳密に言うなら、一瞬前の僕と今の僕とは完全に一致するわけではない。例えば発声している音声が異なっている。しかし、お前は一瞬前と今とで僕が違う人間だとは思わないだろう?」

「それはまあ。」

「一瞬前と現在とでは僕は物理的に位置を移動していないから同一であると判断するのが妥当だとしても、四日前と現在とで僕が違う人間だと思わないのは、お前が僕を一人のキャラクターとして認識しているからだ。キャラクターという概念において、時間による変容は『同一個体の時間的変化の結果』と見なされる。過去の僕と現在の僕とがそれぞれ抽象化され、お前にとって『裏柳(うらやなぎ)丹生』という人間として記号化されているから、同じ存在であると判断することができている。」

「過去と現在とで特徴の差異が少ないからじゃないのか?」

「特徴の差異が大きいか小さいかだけでは説明が付かないことも有る。どうやら一般に人間は『全く異なっているもの』よりも『似て非なるもの』の差異に対して敏感になる傾向を有しているらしいぞ。まぁ、全く違うものであれば一瞥して見分けが付くから凝視する必要が無いということなのだろうが。」

「俺にとっては、過去の君と今の君とは同じであるとも言えるし同じじゃないとも言える。」

 特に十年前の丹生と現在の丹生とは同じ人間なのだろうけれど随分と変化しているから、存在として同じだと俺に言い切れるかどうか判らない。

「お前は物分かりがいいな。しかし、そうであっても僕が僕であるということを疑ってはいない。」

「今のところはね。」

「それは、僕という人間を構成する要素のうち、時間的に変化すると想像できる点を除いては変化をしていないと、お前が判断しているからだ。お前は僕の特徴の中でも変化していないと思われる要素に基づいて、僕という人間を抽象的に把握している。」

「うん、否定するところは無いよ。」

 俺は彼女のことを全て知っているわけではないし。

「では、次の話に移ろう。」

 丹生は手に持っていた二枚のローストビーフを自分の皿に置いた。

「僕は人間だし、お前も人間だ。人間と人間は同じだな。とすれば、僕とお前は同じなのか?」

「俺とにゅーは同一人物じゃないだろう。」

「僕の名前はにゅーじゃない。僕とお前とは『人間である』という共通点を有しているが、同じ存在ではないはずだ。では、人間と人間とが同じであると言えるのか?」

「個別の人間はそれぞれに違う人であるはずだよ。」

「しかし、では、どのようにして僕とお前とが同じように人間であると説明する?」

「ああ、そういうことか。それは、人間という生物の定義に当てはまるからだろう。俺も君も。」

「そう、そこにおいて、人間という概念は抽象化されてラベルを与えられていると言える。『人間とは何か』に関しては煩雑だから省くぞ。僕が問題にしたいのは、お前が言ったのとは逆に、『同じ人間と人間なのだから代替が可能である』という考え方をする者が時として存在するという話だ。具体的な事物から概念を抽象化することは思考を行うために必要な過程だが、抽象化して思考した結果を具体的な状況に適用できるのだろうか?」

 俺は少し考えて答える。

「ケースバイケースかな。適用できるときも適用できないときも有るんじゃないか?」

「その通りだ。しかし、中には『抽象概念を操作した結果が必ず現実に適用可能である』と思い込む者がいる。この倒錯が発生するのは、二十世紀や二十一世紀に行われていた過剰な標準化が原因なのではないだろうか。文学と科学それぞれの功罪でもあるし、とりわけ標準語教育の罪の側面なのだろう。」

「ああ、分かってきた。『それとこれとは話が違う』というのを理解できない人たちのことを言っているんだね。」

「そうだ。」

 丹生は自覚しているのかしていないのか、この話ばかりしているような気がする。一体、彼女の身の上に何が有ったのだろうか。

「さっきの問いの答えを言うぞ。何かと何かが『同じである』ことの証明に必要なのは、抽象化と記号化だ。具体的事物から抽象化を行うことは可能だが、抽象だけから具体を復元することは不可能だということを知っていなければ、話し合いではなく暴力的発言を行うことになる場合が有る。」

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