2 イン・アウア・ネイチャー (7)
「今回の件に関して僕とお前が賭けをしたことを知った兄さんが事の真相を調査し、それがきっかけとなって報道関係者が聞き及ぶに至ったというのが経緯なのだろう。もし実際に発生している状況が僕でなくお前の言った通りだったとしたら、迷宮入りになっていたのではないか。賭けに勝ったのがお前だったら兄さんとしては困るからな。」
青磁さんは、それほどまでに俺を信用していないのか。別に俺は丹生に対して背徳的な要求をするつもりは無いのに。ちょっと過保護だと思う。
「報道されている子供たちと例の『七歳児』とは個人情報が一致するんだね?」
「ああ。僕が知っている範囲内では。」
「情報源がEinsだっていう報道は見なかったけど」
「まあな。こちらとしては利用規約違反でも迷惑行為でもないから、特定IDの挙動が不審だからといって職員が司法機関その他に通報する道理は無いんだ。大体、あの『七歳児』のアクセス履歴が不可解な様相を呈していること自体は担当者が把握していた節が有るし。あくまで兄さんの個人的感情によるアプローチの結果だよ。僕とお前がここで賭けをしなかったら現時点では明るみに出なかった事件だと言える。」
「意図せざる社会的貢献っていうことか?君と俺の。」
「さあ。貢献なのか?騒ぎ立てている連中は多いが、別に誰も警察から指名手配されているわけではないぞ。処置に関わった医療関係者を割り出して資格を剥奪するとか、資格所有者の協会から除名するとかいう話は出ているが。」
丹生は食事中の皿をテーブルの中央から押しやって、テーブル上に出現させたモニターを操作し始めた。このままサンドウィッチを傍らに話し合いという趣向なのだろうか。だからスープは先に飲んでおけと言われたのか。
俺は引っ掛かりを覚えたので丹生に質問する。
「じゃあ、君がEinsの履歴を閲覧したことも青磁さんは知っているってこと?」
確か彼女は『ばれなければ問題無い』と言っていたが、ばれているのではないか。
「兄さんがサーモグラフから僕の発言の見当が付くことは、兄さんと僕と、それからお前しか知らない。兄さん自身が、妹に対して限定的に発揮されるヘンタイじみた能力を有していることを余人に悟らせてはいないはずだ。そして、僕がEinsの内部データにアクセスする権利を行使するのに反対している人物は、兄さんではない。」
じゃあ今のところ丹生の行いは露見していないのか。何らかの痕跡が発見されてはいないのだろうか。まさか彼女がEinsのシステム権限者だったりするのか。それでは鬼に金棒というかテロリストに爆弾を持たせるようなものだが。
訝しむ俺を置き去りに、丹生は話題を変えた。
「さて、僕からのお前に対する要求の一つ目だ。」
きっとまた、彼女の趣味の話に付き合えという要望だったりするのだろう。でなければ、昔の悪友とは縁を切れという無理難題とか。
「賭けに勝ったらお前が僕に対して何をさせようとしていたのか、その内容を教えてほしい。」
「え?」
「答えられないのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
と言いつつ、俺は本当のことを言おうかどうか逡巡した。まぁ丹生が正解だとは思わなかったにしても、俺の意見が正しいと信じていたわけでもない。というか解明されるとは予想していなかった。
これを口に出してしまったら、今後の彼女との関係性が変化してしまうかもしれない。
いや、逆に云えば好機か。
俺は丹生の目を見据えた。
「君にリトルパールの外に出てほしい。そう頼むつもりだった。」
「お前の勝ちだったとして、僕がそれに従うと考えたのか?」
「それは分からない。でも、俺の気持ちを伝えるには効果的だと思ったんだ。」
「成程な。理由を訊いてもいいか?」
理由なら沢山有る。
「君は君の才能をもっと生かして色々な人から感謝されるべきだ。ここに隠れ住んでいたのでは、君という人物が周囲の人から誤解されたままになる。」
「そうだろうか?外に居たほうが周りの人間と摩擦や軋轢を生むのが僕という人間だと認識しているんだが。」
「他人と喧嘩をしていても、主張している意見は君のほうが論理的で建設的な場合が多いと俺は思っているよ。」
「残念ながら、僕が外に出て関わり合いになる人間の大半は、お前ほど頭のいい者ではない。」
「俺が君の味方になるから。」
それは丹生がリトルパールの中に居ても外に居ても同じだったけれど。
しかし個人的な事情として、俺が一対一の個人同士として彼女と向き合うためには、ここから外に出てもらう必要が有ると感じていた。このままのアンバランスな関係では前に進むことができない。
丹生は驚いたように顔を上げた。
「十年前と同じことを言うんだな、藍。」
「十年前?」
彼女は肩の力を抜くように息を吐く。
「憶えていないのか。」
俺には憶えが無かった。
十年前というと、俺と丹生は六歳か七歳だろうか。そんな年齢の子供が言ったことを、彼女は記憶しているというのか。