2 イン・アウア・ネイチャー (3)
そろそろ本当に休憩しなければ。
俺はビジュアライザーを耳から外した。この機械の使用による疲労は自覚しない間に蓄積されるから、時間を決めて小休止を取る必要が有る。
ビジュアライザーという通称で呼ばれているこの装置は、イヤフォン(もしくはイヤリング)形の機械から、高周波の小さい音を画像に対応させた波形と位置関係で発するというものである。ゴーグルやコンタクトレンズを装着しなくても、脳に電気刺激を与えなくても、聴覚だけから視覚的情報を得ることができる。体質によっては使用しても何も見えない人もいるのが難点だけれど。
ラッキーなことに俺は多重視野タイプの適応者だから、ビジュアライザーからの視野と肉眼での視野とを同時に見ることができる。偏重視野タイプの適応者は、ビジュアライザーからの情報を見ている間は肉眼での視野がブラックアウトしている状態らしい。肉眼での視覚情報しか見えないのがビジュアライザー非適応者である。
適応するためには、この装置からの聴覚情報を聞き続けてとにかく慣れるという過程を経なければならない。なるべくなら専門家の指導と検診のもとでトレーニングを受けるのが望ましい。年齢は若ければ若いほど適応する者の割合が高くなるが、脳の視覚領域の形成が途中である新生児に使用させることは禁止されている。乳幼児にビジュアライザー適応トレーニングを受けさせるかどうかは判断が分かれるところである。保護者が決めるしかない。
副作用として問題視されているのは主に、ビジュアライザー使用中でないのに聴覚情報から視覚的イメージが喚起されてしまうという幻覚作用のようなものである。しかしそれは、『何かの音を聞いたことをきっかけに過去の記憶を思い出してしまう』という日常的に誰でも経験していることが発生しているに過ぎない。類似の事態が多数報告されているから製品の問題として捉える人がいるというだけのことだ。確かに、何らかの事故を誘発してしまう場合は気の毒だけれど。
ビジュアライザーのメカニズムに関しては『視覚情報を聴覚情報に置き換えて根気強く脳に慣れさせれば見えるようになる人がいる』という事実の他は解明されていない。乱暴な云い方をすれば、航空機が飛ぶメカニズムが完全には解明されていないのと似たようなものである。より見えやすい音、よりストレスの少ない音は常に追究され技術開発が行われている。
一般的に普及するまでの間は、視覚不自由者のためのサポート機械として研究されていた。後天的に盲目となった人に視覚を失う前との見え方の比較を報告してもらうことによって、実用レベルまで辿り着いた。先天盲の人の中にも、ビジュアライザーによって視野を得られる人が存在するという話である。
ただ、高齢者からの理解はなかなか得られないらしく、未だに『新興宗教の陰謀による洗脳装置だ』と言い張っている老人がいるらしかった。ビジュアライザーに適応できないなら仕方が無いところだし、適応できても『幻覚を見せられた』と恐れられる場合が有るという。仮想現実を脳内に投影している状態なので、必ずしも間違っているわけではない(宗教ではないけれど)。
そういえば丹生もビジュアライザーを使っていることが有るみたいだが、多重タイプなのか偏重タイプなのかは知らない。機会が有ったら訊いてみよう。
俺はいつかそのうち、丹生か苅安たちかのどちらを優先させるかを選ばなければならないのだろうか。
苅安と俺とでは興味関心の対象は近い(原子力か火山かというカテゴリーの差異しか無い)が、決定的に違うのは、俺には将来の職業とは別に個人的な目標が有るという点だった。
Einsにおいて『知の階梯の雲上人』を目指すこと。
個人学習システムであるEinsが相互教育システムと呼ばれている理由の一つとして、その学習内容の検討と改訂、つまりブラッシュアップが恒常的に行われていることが挙げられるだろう。そして他の理由として、学習者と出題者、採点者などとの間で匿名のコミュニケーションが行われることが挙げられる。コミュニケーションといっても、学習内容と無関係なメッセージは送信してもエラー扱いで相手に伝達されないのだけれど。
Einsでは、既定の設問に正答して要件を満たすことによってシステム内での作業を部分的に受け持つ資格が与えられる。資格のランクも様々で、俺が既に取得しているくらいの低いランクでは学習初歩過程の記述問題の採点作業を受け持つことになる。資格を有していても行使する義務は無いが、所定の手続きをすれば作業量に応じて報酬が得られる。採点した内容も記録されるから、採点者のミスや不正が発覚すれば資格取り消しなどの措置が取られる。
そうしたシステム内での貢献を着実に積み重ねて(勉強も怠らずに)ランクを上げていけば、いつかは出題者の側に立つことができる。それが巷間で呼ばれるところの『知の階梯の雲上人』だった。彼らは日々、互いに議論を戦わせて学問の有るべき姿を求め続けているという。最高クラスの学識者の集まりであり、この世界において最も価値有る仕事の一つだと俺は思っている(本業として研究者などの職に就いている人が多いという噂だ)。