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1 オーガニック・ジュエル (11)

 頭上の日光を何かが遮ったことに気付いて、俺は天井を見上げた。

 ゆっくりと、鯨がリトルパールの上を泳いで通過していく。珍しい。ここで鯨を見たのは初めてだ。鯨は魚類じゃなくて哺乳類で、あとイルカも哺乳類で、シャチも、イルカと交雑させるという話を聞いたことが有るから同じなのだろう。胎生なのに海中で暮らしているなんて不思議な生き物だと思う。

 かつて日本における捕鯨が動物愛護の精神に反するとアメリカ人から非難されていたのは、アメリカの誰かが『鯨肉食が一般化して日本の食料自給率が上がったら困る』と考えた末のキャンペーンだという説は本当なのだろうか。まぁ、あの国は今はそれどころではないみたいだけれども。遠く離れた地の民間人を『誤爆』や『銃の暴発』で殺戮しておいて謝罪する様子も見せないなんていうことを続けていたら、どんな結果が待っているのか想像がつかなかったのだろうか。

 そんなことを考えている間に鯨はリトルパールから遠ざかっていった。

 哺乳類なのに海中で生活している丹生(にう)が、話を再開した。

「遺伝情報が同じでも胎内環境や細胞質の状態が発現形質に影響を与えるし、同一人物の細胞を用いたとしてもDNAのコピーミスなどが無いとは限らない。総数としていったい何人のクローンを生み出したのかは不明だな。端末の指紋認証の精度も数字としては僕には判らないし。可能性の有無で云うなら、手の指をそれぞれ別の人間に移植している場合に関しても検討したのだが。」

「ああ、そっちのほうがクローンより有りそうだよ。」

「十人のクローンを誕生させるより、十人の生体移植適合者を見つけてくるほうがコストは掛からないかもしれない。しかし、そうであれば目的は『複数人を同一人物であると端末に認識させること』になる。それによって何らかの不正行為を行うための工作だな。費用としての収支が合うのかどうかも疑問だが、まず、こんなふうに僕なんかが一瞥(いちべつ)して発見できるくらい不自然な足跡を残すわけがないだろう。必要も無いのに。」

「俺にしてみれば、どっちにしても何がしたいのか解らないけど。それに、いずれも蓋然性の話でしかないんだろう?」

「そうだな。事実確認の手段は持ち合わせていない。今のところEins(エインス)の利用規約に違反するような行為は認められていないから、発見したのが僕じゃなくて兄さんだったとしても、せいぜい公的機関に通報するくらいしか取れる方法は無いだろうな。」

 青磁(せいじ)さんなら、その金持ちに直接アプローチをして取引という名の脅迫を持ちかけるのではないだろうか。丹生(にう)以外の人間には容赦が無いからな、あの人。俺は青磁さんから半強制的に引っ越しはさせられるしダイビングその他の資格取得はさせられるしで色々と大変だったことを思い出した。

「それにしても、何がしたいのか解らない、か。お前は人間のクローンを生み出したいという気持ちが理解できないのか、(あい)?」

「理解できない。」

「自分だとか、自分の大切な人だとかの遺伝的同一個体だとしても?例えば自分の子供が幼くして脳死状態に陥って、生き返らせることはできなくても体細胞からクローンを生み出すことは可能だとしたら?」

「百歩譲ったとしても、生み出すクローンは一人だけだろうな。」

「そうか。お前なら、そうなんだろうな。」

「君には理解できるっていうのか?」

「僕が同じことを実行してみたいと思っているわけではない。が、実行したいと欲する人間が存在してもおかしくないとは考えている。これは個人的な思想や信仰の違いなんだ。価値観の違いというのは有るものだ。一つ、例を挙げるとしよう。」

 俺は丹生を眺めながら、ティーカップから紅茶を口に含んだ。すっかり冷めている。

 丹生の唇が、声と同時に開閉された。

「百年以上も前、この国では、性行為経験の無い女性は初回性交時に出血するという都市伝説が信じられていたらしい。」

 俺は口の中の紅茶を吹き出した。

「ちょっ……にゅー……」

 げほげほと咳き込む。

「僕の名前はにゅーじゃなくて丹生だ。調べているうちに判明したのだが、どうやら当時の人間の中には『性行為には必ず挿入と射精を伴わなければならないと思い込んでいる者』が存在したらしい。文化とは変容するものなのだな。なぜ、接触を始めてから数ヶ月とか数年をかけて関係を深めるという方法が選べなかったのだろうか。また、裂傷が発生しない方法を考えたり当事者同士で相談するという発想は無かったのか?痛覚が発生するのであれば一旦は諦めて、後から医療機関で適切な薬剤を処方してもらうという選択肢が無かったというのも理解し難い。調べれば調べるほど謎だ。」

 俺はまだ返事ができないでいる。紅茶が少し気管に入ったかもしれない。そうだ、テーブル(というかテーブル型タブレット端末)に零してしまった。拭かなければ。

 視線をさまよわせていると、丹生が身体を屈ませ、テーブルの下に置いてあるラックからタオルを取り出して渡してくれた。

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