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ベッド、泥、蛍、公園

作者: 火南月
掲載日:2015/06/17

身体が上手く動かない。

金縛りにあった、というわけではない。

何かが上に乗っている重みや、圧迫感は感じない。


ただ、全身がぼんやりとしていて、動かすのが億劫で。

幸福と絶望がないまぜになったような感情で頭がしびれている。


焦点の合わない目で、仰向けの姿勢に促されるまま天井を見る。

変哲もない白い壁紙。電気の落ちた照明。


何を見るともなしに視線が揺れる。


カーテンレールから垂れ下がる飾りっ気のない紺色の布。

白いレース地の端が風に靡いた。


窓の外がちらりと覗き込む。

暗い夜。白い星が清かに光っている。




夢を見ていた。




真っ先に視界に飛び込んで来たのは、色だった。

白色。


痛みさえ感じさせる眩しさに慣れると、次第にそれが蛍光灯の灯りであると分かる。

寝転んでそれを見上げていることも。


肘をついて起き上がった。皮膚に触れる感覚はひやりと硬い。

半袖を着ていて、床の上で眠っていたようだ。剥き出しの手足が冷たく、背中が痛い。

半身を起こして、周囲を見回した。


病院。


パッと見て感じた印象はそれだった。

規則正しく、等間隔に並んだ無数の寝台。


その真ん中で、何故かベッドは使わずに眠っていたのだった。


ピンと張ったシーツ。

清潔そうな白い掛け布団。枕。

綺麗にメイキングされており、眠っていたものの痕跡が伺えない。


辺りには誰もいなかった。

見渡す限りただひたすら、ベッド、ベッド、ベッド。


どれもこれもぺったんこだった。


ぺたり、ぺたり。


裸足の足は床に張り付いて間抜けな音を立てる。

誰もおらず、音がしないせいで、やたらと大きく響くのだ。


視線はその間も忙しなくベッドの上を彷徨っている。


私は何かを探している。


それが何かは分からない。


ただ、見つからないという焦燥だけが、心を粟立たせた。


ぺたり、べちょり、べちょり。


足裏に感じていた感覚が、硬いものから柔らかなものに変わる。

奇妙な足音に俯けば、足首まで冷たい泥に浸かっていた。


振り向くと、辺りは薄暗くなっていた。

ただ、泥の中に点々と、足形が残っているのは分かる。

まるでずっと前から泥だったみたいに。


汚れない寝台が、船のように浮いていた。

あまりに真っ白なために、薄暗い空間の中だと、ぼんやり発光しているようにも見える。


それらの枕元から、無数の淡い光が飛び立つ。

ほんのりと色づいた、暖かな光。


私は逃げ出した。


前を向いて、泥に足を取られながら、走る。


けれど前方にも白い船は浮いていて、そこから蛍が飛び立って。


仕方がないので、目を瞑って走った。


どれだけ走っていたのだろう。

はっ、はっ、という自分の息遣いの音だけが聞こえるようになった。

目を開いた。


いつの間にか泥の平原を抜けていた。


リノリウムのひやりと硬い感触とも、泥の冷たく柔らかい感触とも違う。

ざらついた感覚に目を落とす。


アスファルトで舗装された道路の上に立っていた。


二本の白い足。

爪の間に泥が挟まったり、乾いた泥で汚れていたりはしていなかった。


振り向いた先には、白い月光が照らすアスファルトの黒い道。

うねうねと蛇行している。

あんな曲がりくねった道を、目をつぶりながら走り抜ける事ができたとはとても思えない。


気を取り直して前に向き直る。


街路樹に囲まれた四角い空間。

煉瓦で舗装された入り口。

銀の柵の向こうには砂地が広がっている。


公園。


やっぱり人はいない。

鉄棒も、滑り台も、ブランコも。

静かに眠っていた。


穏やかな気持ちで、公園に足を踏み入れた。


視界の隅でブランコが揺れる。

風の悪戯だろうと思うのに、思わずそちらに顔が向く。


ああ、私はあなたを探していたんだ。


ブランコを漕ぐ人影を見て唐突に悟る。


「———!」


私はあなたの名を呼んだ。


あなたは顔を上げてこちらを見た。


その顔を、表情を、もっと近くで、もっと確かに見たいのに——…


目の前は段々白くなっていくんだ。


「——! ——!」


何も見えない中で、私はあなたの名を呼び続けた。


頬にかかった髪がかきあげられる。


「——」


私はあなたの白くて細い指を視て、耳元で囁く声を聴いた。


背中に回された腕。

ぶつかる胸と胸。

ゆっくりと頭を撫でられる。


何かにすっぽりと包み込まれた感覚。

忘れていた安心感。


ずっと冷たかった手と足に温もりが戻ってくる。




身体が上手く動かない。

金縛りにあった、というわけではない。

何かが上に乗っている重みや、圧迫感は感じない。


ただ、全身がぼんやりとしていて、動かすのが億劫で。

幸福と絶望がないまぜになったような感情で頭がしびれている。


焦点の合わない目で、仰向けの姿勢に促されるまま天井を見る。

変哲もない白い壁紙。電気の落ちた照明。


何を見るともなしに視線が揺れる。


カーテンレールから垂れ下がる飾りっ気のない紺色の布。

白いレース地の端が風に靡いた。


窓の外がちらりと覗き込む。

暗い夜。白い星が清かに光っている。


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