打ち上げ花火
僕は、守ることができなかった。たった一人の恋人を。
彼女の名前は高野 貴子
まるで、太陽のような女性だった。
底抜けに明るく、頭のネジが外れているのではないかと心配になるぐらいだ。
彼女が死ぬ三ヶ月くらい前のことだ。
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「あは、いつも通りだねっ。」
と高野さんが言う。
「ねえねえっ。一緒に教室まで行こうよっ。」
と楽しげに言う高野さん。実はこのノリが彼女の最大の欠点である。そのことに彼女は全く気づいていないのだ。
教室に着いたとたん、彼女は寝てしまった。不思議だった。彼女はいつも、先生の質問にも明るく答えていた。その彼女が、寝ている。
彼女が何かをつぶやいていた。
…ねば……のに
…ねばいいのに
死ねばいいのに
背中を寒気が通り抜けた。彼女はその言葉を誰に向かって言ったのだろう。
彼女は起き上がって、
「あは、ゴメン。寝てた?」
などと言う。その顔は、少し悲しげだった。彼女の身に一体何があったのだろう。
人のプライベートの事には踏み込まない方がよさそうなので、ひとまず放っておく事にした。
やはり彼女は呪詛の言葉を言いながら寝ていた。いつまでたっても起きない。放課後に突っついて起こすの繰り返しだった。次の日も、その次の日も、また次の日も。
死ねばいいのにと言う寝言はやんだ。安堵して気を抜いていた。
私……て…………………。
私な…て…ね………のに。
私なんて…ねばい…のに。
私なんて死ねばいいのに。
まただ。自分の耳が自分のものではなくなるような感覚だった。
ある日、彼女に呼ばれた。その時の彼女は俯いて恥ずかしげだった。
場所は体育教官室に行く体育館の上廊下だ。
「あは、ゴメン。急だった?」
「ううん。別に…。」
彼女は微笑み、僕の唇に彼女自身の唇を重ね合わせた。
ここまで触れ合ったのだから悩みを打ち明けてくれたっていいと思うのだが、彼女は悩みを打ち明けるどころか、逆に塞ぎ込むようになった。
どうしてキスまでしてくれたのに、相談してくれないのだろう。
そんな疑問を抱えたまま、二カ月が過ぎた。
その日は彼女の誕生日だった。
彼女はとても嬉しそうだった。太陽のような笑顔。まさにそんな言葉がしっくりくるような笑顔だった。
「△ABCは直角三角形である。ACとABの長さがそれぞれ3と8であるとき、BCの長さをもとめよ。はい、高野。答えてみろ。」
という質問に、
「√45かなー?」
「あってるぞ。これは、三平方の定理を使「やったー!あってた!!」おい、高野。話はきちんと聞くべきだよな。」
「サーセン。」
やはりこの方が彼女らしい。
放課後、彼女が駆け寄ってきた。
「私は、キミの…事が…。」
そこまで言って涙を流した。
何が起きているんだろう。なぜ彼女は泣いているのだろう。もしかすると、彼女の悩みと何か関係あるのかもしれない。
「キミの…事が…。」
「うん。」
「ゴメン。一緒に帰ろう。」
彼女はそういって、僕の手を握ってきた。
一緒に歩いて15分ほど経って僕の家に着いた。
「ねぇねぇ!家帰っても何もすることないし遊ぼうよ!!」
何ていうことだろう。サイコーにはずい。それってもはやデートだよな。
まず、ボーリング場に行った。
いろいろ盛り上がった。
次に、ショッピングに行った。洋服を買うんだそうだ。女の子の買い物って長いんだよな。つーか、絶対変態と間違えられるだろ。
彼女は、楽しげに洋服を見ている。微笑ましい光景だ。気をとられていたら、思いっきり転けた。僕の手はそのまま彼女の服の襟に――――
「ちょっと!キミは一体何してんの!!」
「これにはちょっと訳が…。」
「ゴメン。ちょっと待って。」
彼女はトイレの方に走って行った。彼女は泣いていた。本当に一体何があったのだろう。
しばらくして、彼女が帰ってきた。まだ目が潤んでいる。
長々ショッピングに付き合ったあと、自分の家に戻った。
二人でゲーム三昧だった。
23時を回った頃だった。
「ゴメン。伝えたい事があるの。神社まで来てくれる?」
断る理由などなかった。僕は彼女と一緒に神社まで行った。
20分程歩いただろうか。ようやく神社に着いた。
「あたし、一カ月程前にある男に出会ったの。その男は殺し屋だった。ここからはあたしがキミのことを好きだっていう前提で聞いてほしいの。その殺し屋の標的はキミだったんだ。だからあたし、自分の体を売ったの。ゴメンね。キミにあたしの初めてをあげられなくなっちゃった。好きな相手をほっぽりだして、自分の体を売るなんてひどい女だよね。ゴメンね。死んでお詫びをするから!!」
なるほど、だからショッピング中に泣いてたんだ。
「必要ないよ。だって君は、貴子は僕を守ろうとしてくれたんじゃないか。」
「守りきれなかったの!キミはあたしの事好きだったんでしょ?」
「勿論。愛してるよ。貴子。」
「だったらなおさらだよ!!自分のこと愛してくれている人をほっぽりだして自分の体を売るなんて万死に値するでしょ!」
そういって彼女は自分の胸にポケットから取り出したナイフを当てた。
「やめるんだ!早まるな!!!」
「今更だけど愛してる。きっと…いや、絶対に…いつまでも、永遠に愛するよ。」
不意に胸が押さえつけられるような気がした。彼女はまだ刃を刺していない。だから僕は刃の中央を持った。血が出たが、そんなこと気にしてる場合じゃない。
しかし、そんな僕の抵抗もむなしく、刃は完全に彼女の心臓を貫いた。彼女はさらにその刃を刺さった状態で喉まで移動させた。
彼女の首から血が噴き出した。
「抱きしめて、くれるよね。」
うん。と小さく返事をして貴子を抱きしめた。
「絆ってさ。」
「うん。」
「喧嘩したって、疎遠になったって、遠く離れてしまっても、仲直りできたり、相手のことを想い合ってるうちはまだ途切れてない。って思うんだ。」
「うん。」
「だからさ、ずっとあたしのこと、想っててよ。もし、死んじゃってもあたしはきっとキミのこと、忘れないから。」
彼女は、言った直後に身悶えた。そろそろなのだろう。
「ずっと、一緒だよ。」
彼女は最期に、静かに言った。
ずっと、一緒だよ。そのたった七文字が胸に響いた。
そして、僕は貴子に口付けした。舌を更に貴子の口の奥に伸ばした。舌の感触が伝わってくる。彼女の息が一つ吐き出された。それが、彼女が吐き出した最後の息だった。抱きしめた体が冷たくなっていった。
貴子は死んでしまったのだ。何ということだ。
僕は119番通報をした。助かるはずがないと知っていながら――――――――――――。
10分程で救急車が着いた。
当然だが、彼女は助からなかった。助かるはずがないと知っていたのに、なぜか胸の中に悔しさともむなしさともいえる感情が残った。
彼女の通夜は翌日の晩に行われた。
守りきれなかったのは僕のほうだ。守りきれなかった後悔が押し寄せる。
貴子の言葉が胸に浮かんできた。
『絆ってさ。喧嘩したって、疎遠になったって、遠く離れてしまっても、仲直りできたり、想い合ってるうちは途切れてないって思うんだ。』
『ずっと、一緒だよ。』
貴子。きっと忘れない、君のこと。