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空の下変わる日に

作者: 右下

年月というものは、瞬きよりもずっと早く過ぎて行く。


僕がこの店で働きだしたのも、まだ昨日の事のように思える。実際には半年しか経ってないが、僕にとっては長くもあり短くもあった。


瞼を閉じれば、あの頃の情景がくっきりと瞼の裏に浮かんでくる。

僕は暫くの間瞼を閉じ、半年前の想い出に浸った。耳には有線放送のスピーカーから流れる、ジャズ調のBGMが聞えてくる。


珍しい事に、この居酒屋には有線放送が流れているのだ。しかも、酒と焼き鳥の匂いがこびり付く居酒屋でジャズだ。瞼を開け、現実を見る。ふと時計を見れば、時刻は昼の十二時を回ったところだ。居酒屋なのでまだ店は開けていない。従業員もまだ僕しかいない。


料理の仕込みをしたり、きれたお酒を補充しチェックをとったりなど、大まかな仕事は午前中に済ませた。現在は雑巾で店内を拭いたりしながら、今日のお昼をどうしようか悩んでいた。


すると、ガラガラと入口の曇り硝子の扉が開く音がした。表の扉には『商い中』の看板は掛かっていないはずなのに。


「うぃーッス。まだ開いてるー?」


中年の親父が言いそうな挨拶をしながら、一人の女性が入ってきた。

開いてるも何も、まだ開けていないのだが…。


外見で判断すれば、歳は二十代前半くらいだろう。黒髪で艶のあるセミロングに、肌は日本人形のように白く小顔でありながら、大きな瞳と高い鼻、小さな唇が顔にピッタリとおさまっている。


可愛いというよりも綺麗と形容した方がしっくりくる。そんな容姿だ。


傍から見ればクールな外見に、現代の『出来る女性』として多くの目に映るだろう。だが、今の僕には到底そのような感情は湧き起こらなかった。


「仕込中って、看板かけてありませんでしたか? 安曇野あずみのさん」


「いや、ひっくり返ってたからなおしてやったけど、そしたら『商い中』って書いてあった」


「そりゃ看板裏返したら、商い中って書いてありますが…いい加減、夜に来る気は無いんですか?」


「ないね」


即答で答えた安曇野さんは、いつも自分が座っている一番右端のカウンター席に腰を下ろした。

いつも同じ席に座るのは、彼女の一種の拘りだそうだ。


今日は割と肌寒い空だ。安曇野さんはいつもとは違う服装で、赤いジャケットに色落ちした黒いジーンズを履いていた。手提げの鞄などは今日も持っていない。鞄を持ち歩かないのも彼女の拘りの一つらしい。


「なぁ、青年」


「僕の名前は住良木すめらぎです」


「青年。今日のオススメ商品は?」


あくまでも青年で通してくる安曇野さんに、僕は内心ため息をつきながら彼女の質問に答える。


「今日はレバーが新鮮で美味しいの入荷しましたし、あとモツも良いですよ」


「んー…ならレバ刺し五本、モモ五本、モツ煮込み一つに生ビールね」


「はいはい、分かりました。いつもながらよく食べますね。あと、僕の事を青年と呼ぶのはいいですが、僕の方がきっと年上ですよ?」


安曇野さんは推定で二十から二十三ってところだろう。僕は今年で二十四歳になるので、年下の安曇野さんから青年と呼ばれるのは、少々くすぐったいのだ。


「私はね、よく食べ、よく寝る、典型的よい子ちゃんなのよ。三角食べ上等」


「よい子なら訪れる時間を守って来て欲しいもんですよ」


「訪問上等!」


何が上等なのか分からないが、僕はさっさと厨房に引っ込み材料を用意する。彼女のこの時間帯の訪問は、もはやある種の毎日の習慣なのだ。


僕がこの店で働くようになった半年前。彼女も半年前からこの店に来ている。



     〇



朝の散歩は気持ちのいいものだ。


梅雨のあけた空はどこまでも青く清々しく、そして開放的だ。蒼い空と真っ白な雲とのコントラストには、ずっと見ていても飽きを感じさせない不思議な魅力がある。


心地よい太陽の光を頭上に沢山浴びながら、見慣れた商店街を歩いて行く。


近年では商店街と言うモノは段々と廃れていく運命をたどっていると聞くが、ここの商店街には無縁な話だ。つねに活気に満ちあふれており、住民との根強い関係がある以上この商店街は衰えないだろう。


気分よく商店街を闊歩していると、ある居酒屋の前に来ていた。


商店街の南入口から入ってすぐにあるこの居酒屋。

二週間前に店を開けたばかりのこの店に、まだ私は足を踏み入れていなかった。


商店街にある各店舗の店主と私は顔見知りだ。つまり、全ての店に私は繋がりがあるのだ。

今の所この店だけ、私は繋がりを持っていない。


繋がりを築きたいのなら話は簡単だ。店に入ればいいだけだ。

だが残念な事に、この店の開店時間は十八時からなのだ。私の活動時間では、この店の来店は望めない。


これも私が作った、ある拘りのせいだ。


私の一日の屋外での活動時間は、朝九時から夕方の十八時まで。これが私の拘りの一つ。

縛りを破れば別段、何かが起こる訳でもない。きっと他人が聞いたら、あまりの無意味さに呆れる事だろう。


しかしながら私は、この制約をかなり尊重している。私の名誉に関して擁護しとくが、決して私は不自由な制約を作り、それに何らかの快感を見出しているわけでは断じていない。


上手く例えられないが、例をあげるとすれば学校がイメージし易いだろう。


学校では色んな拘束が付きものだ。登下校での買い食い、制服の改造、髪の毛の色、クラスで移動する際は列を作って移動する、など挙げたらきりがない。


私は今年で23歳になる。大学には進学はしなかったので、学生生活とはとうの昔におさらばして、悠々自適な大人生活をしている。

実家を離れて数年経つが、仕送りなどは一切もらっていない。


というより、送るほどの物がないのだ。


必要な物は全てきっちりと持って家を出たので、特に生活には困っておらず、逆にこっちが仕送っている。



さて、閑話休題。

とにもかくにも、私はこの居酒屋に入りたい気持ちがあるのに、入れないジレンマに毎日耐えていた。


しかし、今日に限っては違った。


「あれ?」


今日も特に考えなく商店街を練り歩いて、居酒屋の前まで来ると、居酒屋の玄関に掛けてある、いつもは裏返っている看板が表になっていた。


「おかしいな。まだ昼時だと言うのに」


腕時計をちらりと見ると、時刻は十二時をまわったばかりだった。

太陽も頭上の位置に昇り、燦々と気持ちの良い光を降り注いでいた。この季節の日光はホントに気持ちのいいものだ。


そんな気候も手伝ってか、いつも歯がゆい思いをして居酒屋の前から立ち去ってきたのだから、これ好機と感じはじめた。

足は無意識に居酒屋の前に近づき、吸いよされる様に扉に手をかける。


ガラガラと音をたて、曇り硝子の扉を開ける。

室内は案外片付いており、もっと雑然とした所だと思っていた。お酒と焼き鳥のにおいが、微かに鼻につく。耳からはなぜかジャズ調の音楽が入り込んできた。天井には有線放送のスピーカーが取り付けてあり、そこから音楽が垂れ流されていた。

壁際にはずらりと商品の名前が書いてある紙が、綺麗に張り付けてある。四人掛けのテーブルが多く、カウンターの席は五つしかない。


「あ、すみませーん。まだ店開けてないんですよー」


厨房から若い男の声が響く。この店の店主だろうか。それにしては、声が若い気がするが。

間もなくすると、声の主がカウンターから顔を覗かせた。歳はまだ二十そこらだろうか。まだ顔に幼さが抜けていない好青年だ。そんな彼は見慣れない客に面食らったのか、一瞬顔が引きつった。


「えっと。まだ営業時間じゃないんですけど」


「うん、だろうなとは思った。けど、看板には商い中って書いてあったぞ」


「え! あ、ヤベ…直し忘れてた」


ばつの悪そうに後頭部を掻く彼。見たところ、この店のオーナーではなさそうだ。すぐに彼はカウンターから飛び出し、外へ出て看板をひっくり返した。


「ごっほん。とにかく、今はまだ店を開けてませんので、夕方にもう一度来てくださいませんか?」


「無理だ」


即答する私。自分ルールによって、それは出来ないのだ。


「じゃ、じゃあ明日は?」


「無理だ無理だ」


「明後日もですか?」


「無理だ無理だ無理だ」


「…じゃあ、いつなら大丈夫なんですか?」


「今だ」


「………」


私の確固たる意志に屈したのか、彼はこめかみをコツコツと叩きながら、カウンターへと戻った。

奥の厨房に引っこみ、すぐに何やらいい匂いが鼻腔をくすぐった。

とりあえず、突っ立ってるのは疲れるので一番右端のカウンター席に腰を下ろした。


数分後、お皿を手に持った彼が厨房から出てきた。

私の前に静かにお皿が置かれる。


「まあ、こちらに不備があったのは確かですし。とりあえず、お詫びとしてどうぞ」


お皿の上には十本もの様々な櫛料理が盛り合わせてあった。ねぎま、モモ、レバー、つくね、かわ……。


「ビールはないのかい?」


「こんな時間にあけられません」


キッパリと言い放つ彼。私は内心驚いた。

居酒屋で働いてる割には、お酒類に関してはしっかりとしている。

これは私が男に対して持っている、一種の偏見というやつだが、男と言うのは、何かと理由をつけてお酒を飲みたがる生き物だと思っている。

珍しい物を見るように、私は彼の顔をじっと見つめた。


「な、なんです? そんな顔しても、お酒は出しませんよ」


「…はあ。店は開けたくせに、ビール瓶はあけれないのかい」


「店もあけてませんって!」



   〇



はっと、我に返る。自分が発した、安曇野さんへの最初のツッコミが脳内に響いた。

女性に対して、本気につっこんだのは、彼女が初めてだった。


あらかた料理を平らげ、ビールをぐびぐびと飲む安曇野さん。

あのビールジョッキも彼女専用とかしている。

これで六杯目だというのに、まったく酔いを感じさせない。素面顔のままビールを流し込む彼女は、まさに酒豪の名にふさわしいだろう。


ふと、僕は忘れかけていたことを思い出した。


「あ、そうだ。色々と買い足さなきゃいけない物があったんだった。そろそろ行かなきゃな」


厨房を通り抜け、従業員スペースに置かれたヘルメットと玄関のカギを手に取り、カウンターから出る。

安曇野さんの後ろに立ち、声をかける。


「安曇野さん。今日はもう、お帰り願います」


「えー。いいよ、私の事はさ。気にせず行ってきな」


「そう言われても、ダメなものはダメなんです」


「セコムと思えばいいんだよー。なー?」


「はいはい。立ち上がって」


安曇野さんの両脇に手を通し、赤ちゃんを抱きあげるように席を立たせる。「うー」とうなり声をあげながら、完全に体の力を抜いて僕に玄関まで運ばせようとしている。


「この店の店員は、店も閉めて、客も締め出すのかよぉ」


「お言葉ですが、厳密に言えばそもそも店は開いてないですよ」


若干のデシャブを感じながら、どうにか玄関まで引きずってこれた。

ここでようやく自分の力で歩くようになり、色々と文句を言った割にはそそくさと店の外に出ていった。

玄関の鍵を閉め、看板をチェックする。


「んじゃ、ごちそうさーん。また明日ね~」


僕の肩をポンッと叩き、安曇野さんは、体を横にひょこひょこ揺らしながら、背中越しで手を振った。

自分から帰る時だけはすんなりと帰るのだ。


「また明日、か」


普通の人間なら、と言うよりまともな神経を持つ人なら、彼女は毎日真昼間に来るはた迷惑な客、と思うだろう。僕も最初は、なんだか変な人だと思っていたが、いつからか彼女を見ないと一日を実感できない錯覚に陥っていた。

不思議と、嫌な気分ではない。むしろ、また明日会える楽しみのようなものが心の中で燻っている。


魅入ってるというのは、言い過ぎだろう。しかし、彼女の独特な雰囲気に魅せられた、というのはあながち間違いではないと思う。証拠に、彼女は町の中では結構有名人で、人気者だ。


毎日どこからやって来て、うちの店の外では何をしているのか。夕方からは外を出歩けない、鞄は持たない、自分専用の物を外で作る、そのほか多数の自分ルールの意味とは?


僕は、彼女の事を何も知らない。知っているのは、名前と、詭弁好きな性格だけだ。


彼女の本当の歳? 家はどこに住んでいる? 仕事は何をしているのだろう? 趣味はなんだ? いつも何をやっている? 指輪は付けてなかったが、恋人はいるのか? 聞きたい事は山ほどある。


今すぐ、このモヤモヤとした感情を解決したい。しかし、彼女はすでに僕の前から完全にいなくなっていた。どこの角で曲がったのかすら分からない。彼女は散歩と称して、いつも全く違う道で帰るため、どの方角に住んでいるかさえ不明だ。


だが、まあいいかもしれない。どうせまた明日。


「また、明日会えるんだし」


僕は彼女への想いを胸にしまいこみ、ヘルメットをかぶりスクーターに跨った。


「また明日」


僕は静かに彼女が去った方角へ声をかけ、スクーターを走らせた。


彼女が歩いた、反対の道へと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 肩の力を抜いて、自然と拝読することが出来ました。 [気になる点] 安曇野さんの、自分ルールについて、もう少し深くつっこんでほしかったなぁ、と思いました。 気になります [一言] 手に汗握…
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