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世界の終わりに

「世界の終わりに」:彼の場合

作者: なぎのき

短編小説「世界の終わりに」の物語の、「彼」の視点で書いた作品です。

本編で不足していた部分を補完する意味で書き上げました。

そのため、本作品をお読みになる場合は、先に「世界の終わりに」を読了されていることを推奨致します。

 彼女は、世界を救うために、存在する。

 でも、彼女は、その『扉』でしかない。

 『鍵』である、僕がいなければ、世界は救済されない。

 この世界に、彼女が生まれた時、同時に、彼女は不完全になった。

 人間の器に入ったから。

 だから、彼女の不足している機能を補うのが、僕の役割。

 でも、僕は、単独では、世界に存在出来ない。

 なぜなら。

 僕は、彼女の、いや、『扉』のコピー。

 不完全なクローン。

 だから。

 僕は、『彼』の中に、封じ込められた。

 その時が来るまで。


        ***


 救済因子。

 これを発見し、彼女が生み出された時、研究者たちは、驚喜した。

 世界の因果律を、自らの手で変える事が出来る、大発見だからだ。

 神様という概念を、証明できた訳だ。

 可能性の数だけ存在する、数多ある未来の世界。

 それをコントロール出来る。

 素晴らしい。

 でも、僕には関係ない。

 僕は、人間である『彼』の中に封じ込められた存在だ。

 基本的に、僕が、積極的に世界や『彼』や、『扉』である彼女の行動に、干渉する事はない。

 出来ない、と言った方が正しい。

 僕は、『彼』と言う器に封じられ、『彼』を通してしか、世界を視る事が出来ない。

 たまに、『彼』が僕の『力』の一部を使う事があったが、それくらいは、赦す。

 何も分かっていない『彼』は、初めのうちは、面白がって、その『力』を使っていたが、ある時以来、自ら、その『力』の行使を拒否した。

 僕が、暴走したから。

 常人には理解しがたいその『力』は、何人たりとも、抑える事が出来ない。

 破壊的な、力。

 全てを、砕く、力。

 僕の、ほんの一部に過ぎないが、それでも、人間社会への適用の妨げになるのは、明白だ。

 人間は、いつだって、自分たちの理解が及ばない未知の能力を持つもの──異質なモノ──を排除して来た。

 宗教だってそう。

 政治も、そう。

 いじめだって、そうだ。

 自分たちと違うから、排除する。

 多数が、少数を排斥する。

 シンプルだ。

 でも、救いがたい。

 でも、救わなければならない。

 

 それが、僕の、存在理由だからだ。


        ***


 僕の宿主である『彼』が、小学四年生の時だ。

 一緒にいた『扉』である彼女は、クラスメイトから、ひどいいじめを受けていた。

 クラスメイトたちは、直観的に自分たちと違う存在なんだ、と本能で気付いていたのだろう。

 上履きに画鋲を入れられたり。

 机の上に、落書きがしてあったり。

 とにかく、ここからいなくなって欲しい。

 そうとしか思えない行動だった。

 僕から見ても、それは幼稚で、ひどい事だった。

 『扉』である事以外、何の能力も持たない彼女は、それをはね返す事は出来なかった。

 僕は、『力』があるので、自分を、宿主を守る事は容易だった。

 『彼』は、研究所で創り出された時に、『鍵』である僕を内包する事と同時に、彼女を守る、という行動を、刷り込まれている。

 だから、その後に取った『彼』の行動は、正しい。

 その日の放課後、彼女は、クラスの女子から呼び出された。

 僕──『彼』は、こっそりと、後をつけた。

 彼女を守らなくてはいけないからだ。


「あんた、なんで学校に来てんのよ」

 リーダ格らしい、大柄な女子が、ずい、と前に出る。

 どうやら、昨日「もう、あんたは学校に来ないでよね」と言った事を引きずっているようだ。

 彼女は、学校を、決して休まない。

 まるで、それが義務(小学校は義務教育なのだから、別に変な事ではない)であるかのように、頑なに、休みたがらない。

 その理由は、僕は知っている──『彼』は分かっていないが。

 彼女には、居場所がなかった。

 帰れば、施設の監視の目に晒され、気を休める暇もなく検査される。

 唯一心を許せるのが、『彼』だった。

 だから、できる限り、『彼』と一緒に行動する事を、つまり学校に通う事を、彼女は選択したに過ぎない。

 シンプルだ。

 選択肢が、一つしかない。

 それに、さすがに施設の人間も、学校までは監視しきれない。

 毎日が授業参観、と言う訳にはいかないし。

「あたしが昨日言った事、忘れたの?」

 その問いに、彼女は、平静を保ったまま、答えた。

「忘れてない」

「なら、なんで、今日学校に来たの? 迷惑なのよ、あなたがいると」

 なんでここまで言い切れるのか、隠れて聞いている僕には、理解出来ない。

 気にしなければ良いじゃないか。

 知らないふりをすれば、何の問題もない。

 答えは、シンプルだ。

 なのに、その答えが、目の前にあるのに、わざわざ、突っかかって来るのだ。

「ムカつくわ、その態度」

 どうも、呼び出されてからずっと、平静を保っている彼女の態度、言動が、癪に触ったようだ。

「学校に来ても、何も出来ないくせに。そのくせに、テストはいつも満点。優等生気取り?」

 濡れ衣だ。

 彼女がテストで満点だろうが、クラスの皆には関係ない。

 たとえ0点でも、関係ない。

「何か言ったらどうなの!」

 とうとう、キレた。

 どうして、この世代の子供たちは、キレやすいのだろうか。

 それでも、彼女は、黙って、平静を保っている。

 後ろに控えていた男子の一人が、石を彼女に投げつける。

 一発目は、外れ。

 二発目も、外れ。

 それでも、彼女は、微動だにしない。

 逃げようとしない。

 彼女は知っているのだろうか?

 この世界の、あらゆる事象は、彼女を守る方向に働く──『扉』を守るために。

 だから、少なくとも物理的に、彼女を傷つける事は出来ない。

 でも、厄介な事に、人間の感情は、その想いは、時に、その力を押しのける事がある。

 三発目が、彼女の頭に当たった。

 人間の感情が、世界の防御を、砕いた。

 その後は、もう、誰も、世界も、抑えられない。

 次々と石つぶてが、彼女に命中する。

 世界は、もう、彼女を守ってくれない。

 そう思った瞬間。

 『彼』の感情が、僕に流れ込む。

──止めろ!

──ぶつけるな僕にぶつけろ!

──彼女を傷つけるな!

 それは、どす黒い感情。

 怒りだ。

 僕は、その凶暴な感情に逆らえなかった。

 『鍵』である僕が、『彼』の感情に、飲み込まれた。

 目の前が赤く染まり、何も考えられなくなった。

 ただ、目に付いた物を掴んで投げた。

 それが、ブランコだろうが、ジャングルジムだろうが、関係なかった。

 次に僕が目にした光景は、何もかもがめちゃくちゃになった、校庭だった。

 周りには、遊具の破片が散らばっている。

 鉄製のジャングルジムのパイプがひしゃげていたり、ブランコのチェーンがばらばらに弾け散っていたり。

 まるで、爆弾か何かが落ちたようだった。

 『彼』は、ぼう然として、ただ、突っ立っていた。

 僕の呼びかけは、届かない。

 意識をなくしているかのようだ。

 彼女が駆け寄ってくる。

 その顔は、先ほどの平静な表情ではない。

 焦り。

 心配。

 それらが綯い交ぜになったような表情だ。

「大丈夫?」

 僕は、僕と『彼』は、大丈夫。

 問題なのは、僕たち以外。

 彼女は、僕の顔についた泥をハンカチで拭いながら、泣いていた。

 『彼』は、まだ、自分を見失っている。

 感情にまかせて暴走したその直後だ。脳のリミッタが外れても仕方がない。

 彼女は、一呼吸つき、意を決したように、はっきりと、こう言った。 

「約束して」

 何を?

「もう、人前でその『力』を使わないで。お願い」

 そうか、彼女は、『力』──僕を知っているのか。

 彼女は、全てを知っていて、僕と『彼』の前以外では、世界を切り離しているのか。

 彼女は、知っていて、僕を、『彼』を受け入れていたのか。

 かけがいのない存在。

 そう、なのか。

 そう思った瞬間、彼女の中の『彼女』──『扉』が僕に干渉して来た。

──そうだ、彼女は、『私』を認識している。

──それなら、なぜ、平静でいられるんだ?

──理由は、シンプルだ。彼女は、君の宿主を好いている。

 なるほど、確かにシンプルだ。

 だから、平静でいられたんだ。

──ただ……

──ただ、何?

──君の宿主、『彼』の気持ちが分かっていないようだ。

──そう。

──教えて欲しい。今なら、君が表に出ている今なら、聞ける。今以外にない。

 なんだ、そんな事か。

──『彼』は、彼女を好きだよ。

──そうか。

 ありがとう。

 『彼女』との対話は、それで終わった。

 なんてシンプルな世界。

 僕たちの関係は、全てシンプルだ。

 これで僕の思考は、すっかり回復した。

 でも『彼』は、まだ戻ってきていないようだ。

「約束だからね」

 彼女は、泥だらけの僕を見て、そう言い放った。

「もう、人前で『力』を使わない。良いわね?」

 彼女が、彼女なりの強面で、僕を、『彼』を睨む。

 『彼』がやっと、戻ってきた。

 目の前に彼女がいる事を、初めて気が付いたような、ぼやっとした感情が、僕に流れ込んでくる。

──ほら、プリンセスの言葉だぞ、しゃんとしろよ。

 僕は、『彼』に、答えを促した。 

 現状を理解した『彼』は、うな垂れ、小さく、うん、と答えた。

「聞こえない」

「うん」

「本当に約束よ?」

「うん」

 彼女は、大きくため息をついた。

「本当に、あなたは、私がいないとダメなんだから」

 さっきの、平静さがない。年相応の子供そのものだ。

「そんな事はないよ」

「いいえ!」

 彼女はきっぱりと言いきった。

「もう……お願いだから、心配させないで。そのかわり、私も、約束する」

「何を?」

「私たちは、何かを約束したら、絶対、それを守る。どちらかが約束をしたら、それを破らない」

「うん」

「私も約束するから、あなたも約束して」

「うん、分かったよ」

 彼女は、ここでやっと、笑顔になった。

「じゃ、帰りましょ」

「うん」

 約束か。

 彼女とその中にいる『彼女』が出した、僕たちを世界から守る術。

 それなら、僕も、その約束を守ろう。

 でも。

 僕の中の──『彼』の中の僕の中の──何かが、うずく。

──でも、その約束は。

──君に危険が及んだ時は、保障しないよ。

 僕は、君を守るためにいるんだから。

 『彼』が約束した事は、僕には、関係ない。

 僕の存在理由には影響しない。


 それ以来、『彼』は僕に、蓋をした。

 僕も、それを受け入れた。

 彼女を守るために。


        ***


 その日。

 中学生になり、『彼』が彼女の誕生日だと思っている、その日。

 彼女は、こっそりと、寮を抜け出した。

 僕が気付かないと思っているのだろうか?

 『彼女』も案外、抜けている。

──さて。

 当の本人は、寝ている。

 知らせないと。

 このままでは、世界の救済が、発動しない。

 だが。

──え?

 『彼』が起きた。

──なぜだ?

 『彼』は、彼女が施設の門を出たと同時に目を覚まし、あたふたと着替えながら、部屋を出た。

 僕は、今、『彼』に干渉していない。

 蓋は、開いていない。

 何も、知らせていない。

 なのに、『彼』は自力で、彼女の行動に気が付いた。

 僕には理解出来ない。信じられない。

 何が、『彼』に働きかけたのだろう?

 僕が、力を貸さなければ、『彼』は、ただの中学生男子だ。

 人間の空間認識、探知、何でも良いが、それは、たかが知れている。

 目で見たもの。

 耳で聞いたもの。

 人間は、これらの感覚でしか、事象を感知出来ない。

 分からなかった。

 でも。

 とにかく、シナリオ通りには進んでいる。

──考えたって分からないなら、それで良いさ。

 その時が来れば、分かる。

 僕は、思考を閉じた。


        *** 


 学校の屋上は、僕たち以外、誰もいなかった。

 雲一つない、満月の夜空。

 誰もいない屋上で、僕と彼女は、向き合っていた。


「君は、戻れ」

 『彼女』が表に出ている。

 もう、時間がない。

 なのに、戻れ?

 そんなのは、シナリオにない。

「ここにいれば、死んでしまうより悲しい事になる。だから……戻れ」

 『彼女』が何を考えているのか、僕には、理解出来ない。

 僕──『鍵』。

 そして『彼女』──『扉』。

 この二つなくして、世界の救済はあり得ない。

 死んでしまうより悲しい事、なんて、まるで人間の感情じゃないか。

 僕は、強制的に、『彼』がした蓋を押しのけて、意識を開放した。

 手遅れになる前に。

「今なんだね?」

「そうだ『今』だ。これから起こる事には、本当は君が必要だ。……だが私ともう一人の『私』は、君を巻き込みたくない。だから、ここから、離れろ」

 そうか、『彼女』も、『彼』を、好きなんだ。

 だから、色んな小細工をして、『彼』を遠ざけて。

 救済因子同士の関係を希薄にして、自分たちの絆を強めて。


 自力で『扉』を開けようとしているのか。


「世界の救済は、私たちだけで充分だ」

 目の前で、『彼女』が言った。

 『鍵』である、僕を、受け入れない。

 自分たちだけで、『扉』を開けようとしている。

 それが、彼女が下した決断。

 何のために?

 存在理由までねじ曲げて、何の得があるんだ?

──そんなのは、全然、シンプルじゃない。

「それじゃあ、救済は、発動しないよ」

 『鍵』である、僕は、言ってやった。

「君たちだけじゃ、扉は開かない。君たちが世界から消滅するだけだ」

「分かっている」

「いや、分かっていない」

 時間は、午前0時、一分前。

「数多ある可能性の数だけ存在する、一瞬先の世界を救えるのは、僕と君がいなければ、ダメなんだ」

 そう。僕の言っている事は、僕らの存在理由に照らし合わせても、正しい。

 間違っていない。

 間違っているのは、『彼女』たちだ。

「……じゃあ、どうしたら良いの?」

 彼女の目に、涙が浮かぶ。

 『彼女』の宿主である彼女が、表に現れた。

 途端──

──く、何をする!

 僕は、『彼』が、表に浮上しようとするのを、止められない。

 一度だけ、体感した事がある。

 『彼』が怒りに任せて、暴走した時だ。

 でも、あの時のどす黒い感情ではない。

 柔らかい。

 穏やかな。

 そして静かな感情。

 しかし、あの時より、強い。

──これが、人間の感情か。

 存在理由が、『彼女』たちの積み上げてきた仕掛けにより、希薄になっているとは言え、人間の感情による、結びつきが、強すぎる……!

 僕は、彼に無理やり、蓋を被せられた。

「やっと、出てきてくれたね」

「うん」

「もう、君と話せないと思ったよ」

「ごめんね」

「君は悪くないよ。悪いとすれば、僕を創って、君にそんな決断をさせるよう仕向けた彼らが悪いんだ」

「でも、私とあなたは、世界を救済するためだけに、この世界に存在を許されたんだよ?」

「でも、彼らが世界の救済を試さなかったら、僕と君は、出会っていない。多分、存在すらしていない」

「でも、世界が書き換われば、私とあなたは、消滅する。そして、誰も、私たちを覚えていない」

「うん」

「だから、ここ──学校は、嫌いだった。クラスメイトとの関係も、いくら仲良くなっても、消えてしまうから」

「うん」

「それに気付いてからは、出来るだけ、関係を築かないように、振る舞って来たの。私が、いくら逆らっても、決められた事は、覆せない……それでも、出来るだけ、頑張った。学校では、あなたとの関係を、少しでも薄めようとした」

 今この瞬間だけは、認めよう。

 その仕掛けは、大成功だ。

 でも、もう時間の問題だ。

 僕が表層に出ていようがいまいが、『彼』と『彼女』たちが、この場にいて、その時が来れば、救済は発動する。

 人間の感情が僕を封じたけれど、『彼』が彼女の行動に気付いて追ってきたその理由も、人間の感情だ。

──無駄な事だよ。

「そうすれば、あなたがいなくても、世界の救済が可能だと思った。『彼女』も、可能性の一つとして、それは可能だと思ってた」

──それは、今この瞬間の状況を見ても、可能だと言えるかい?

「でも、ダメだった。やっぱり、救済には、世界の救済には、あなたが必要だったの」

 そう。それは、前提条件。

 この時間、彼女が、十四歳になるこのその瞬間。

 その時に、僕たちと『彼女』たちがいて、それで初めて救済が可能になる。

 それが、彼らが作り上げた、シナリオ。

 誰も逆らえない、世界が決めた事。

 僕の、存在理由。

 とても、シンプルな、理由。


「約束して欲しいの」

 彼女は、泣きながら、そう言った。

 約束?

「絶対、あなただけは、生きて。そして、私たちがいた事を、その証として、忘れないで」

──そんな!

 僕から『彼』を切り離そうとしている。

 約束と言う名の呪縛をかけて。

 僕と『彼女』たちだけが消える?

 『彼』は、生き残る?

 そんな、それなら、僕は、何のためにここにいる?

 今まで、全てを受け入れ、従ってきた僕を、本当の意味での『鍵』としてしか見ていない?

 急に、思考が、狭まるのを感じた。

 これは何だ?

──恐怖さ。

 何?

 なぜ、『彼』が、僕に干渉出来る?

 『彼』の本質たる僕に対して、なぜ優位に立てる?

──知らないとでも、思っていたのか? あの時、暴走したあの時、君に蓋をしたのは、僕だ。ただ──

 ただ、何だ?

──僕は、僕自身にも蓋をしたんだ。だから、今の今まで、何も出来なかった。

 人間の感情が、世界を凌駕したとでも言うのか?

──きっかけは、そうさ。彼女が出てこなかったら、僕は君に、封殺されたままだったよ。

 思考が、止まる。

 何も、言葉が浮かんで来ない。

 僕は『彼』に、負けたのか? ただの人間の感情に?

──君も、彼女を好きだと言っただろう?

 確かに言った。

 そして、 

──好き、と言う感情はシンプルだ、とも言ったね。

 それが。

 それがどうした。

──僕は、彼女を好きだ。君は、違うのか?

 ……違わない。僕は、間違いなく、彼女と『彼女』を好きだ。好きなはずだ。

──それなら、なぜ恐怖を感じる?

 それは──

──君は、彼女たちに、ただの『鍵』としてしか見られていない事、そして、そのまま消えてしまう事に、恐怖している。

 そんな──

──認めろよ。

 そんな──

──僕たちは、同じ『想い』だ。違うか?

 違わない。

 そう、違わない。

 僕は、彼女を、『彼女』を、好きだ。

──そう。君は僕。僕は君だ。

 そう。

 僕は『彼』。

 『彼』は僕だ。

 

「分かった、約束する。忘れないよ。絶対」

 『彼』は、約束を受け入れた。

 それなら。

 僕も、約束を受け入れる。

 彼女は、言葉を続ける。

「私は、いえ、私たちは、あなたが好き」

「僕たちも同じだよ──君が、好きだ」

 僕たちは、同じ。

 だから、僕が消えても、『彼』は生き残る。

 どこか、心の端っこが、消えつつある。

 柔らかい、静かな、暖かい何かに、融かされていく。

──ああ、これで。

 世界の、救済が。

──始まるんだ。


 世界の救済が、始まった。


        ***


 僕が消えつつあるその時、『彼女』の思考が、飛び込んできた。

──君は、良いのか?

 何が?

──生き残るのは、『彼』だけ。『私』たちは消える。それは、一体何を救う?

 決まっている。

 世界だ。

 数多ある可能性の数だけ存在する未来の世界。

 それを、救う。

──でも、『彼』と彼女は、救われない。

 そう。救われない。

──おかしいだろう? 世界に人間として存在している彼らが救われない。

 そう。おかしい。

──対して、『私』たちは、世界から独立している。救済の範疇にない。

 そう。

 『扉』と『鍵』でしかない。

 救済因子なんて名前で縛られた、形のない存在。

──でも、こうして、会話している。

 そうか。

 そういう事か。

──そうだ。『私』たちは、この世界に、存在、している。


        ***


 僕たちは、世界から消えつつある。

 残された時間は、ほんのわずかだ。

 でも。

 僕と『彼女』なら、出来る。


『救済因子。この存在は、この世界から独立し、個別に存在している』

『僕と彼女の中にしか存在しない、世界を救う為の仕掛け』

『元々は、この世界に──いや、誰も認識出来ない存在だった』

 僕と『彼女』は、それぞれの器から抜け出し、人間の形を取る。

 そして、お互いが。

 それぞれが。

 手を握り合い、宙に浮かぶ。

『彼らは、救済因子を、人間の形に押し込めて、それで世界を救済しようとした』

『そう。でも、僕と彼女、つまり救済因子は、この世界では異質な、独立した存在』

『そして、私と君、つまり救済因子は、人間の感情や、この世界の都合で、宿主である人間と、融合出来ていない』

『それが、何を意味するか、分かるか?』

 これから行う救済は、連中が作り上げたシナリオではない。

 世界が決めた事ではない。

 僕たちが、決めた事だ。

 僕と『彼女』──つまり、『扉』と『鍵』──。

 世界の救済には、これだけで充分だ。

 シンプルだ。

 これ以上のシンプルな答えはない。

 『彼』らは、すぐに、理解したようだ。

 『彼』が耐えきれず、口を開いた。 

「それは、君たちだけが」

──そう。消えてしまうんだ。だけど、それが『扉』と『鍵』の存在理由だよ。

 だから、僕たちだけが消える。

 『彼』らの半身である、僕たちだけで救済を行う。

 彼女の言った約束──生きる事、そして忘れない事──は、半分になる。

 だが、『彼』らは、思いがけない可能性を見いだした。 

「約束は、半分じゃだめなんだ」

「そう。半分だけ守るなんて、私たちが交わした約束じゃない」

『……なら、どうすれば良い』

 僕と『彼女』は、戸惑った。

 これ以上ないシンプルなやり方の他に、何がある?

「新しい、約束をする」

『新しい、約束』

「世界は救済されるけど、僕たちは、『君たち』の事を、絶対忘れない。僕と彼女は、それを背負って、生きていく。それが、新しい、約束だ」

「私たちは、私たちの半分を失う事になる。でも、それは、私たちがあなたたちを好きであることを、無くす事ではないと思う」

「そうでなければ、この気持ちを、失う事は、この気持ちが失われた世界なんて、僕らの世界じゃない。そうだろ?」

──世界は救済されるが、それは、僕たちも救われなければならない。

──なぜなら、

「僕たちも、この世界にいるのだから」

『ああ……そうだな、そうだ』

『君の言う通りだ。この世界に、私たちは、確かに存在していた』

 そう。

 僕たちは、この世界に存在していた。

 世界の救済をするのなら、僕たちも、救われなければならない。

──『彼』らは、僕たちの半身。

 そして、気持ちは、皆同じだ。


 だから。


 『彼』ら、約束を守る。

 生きて。

 そして、忘れない。


 光が溢れ、そして、何もかもが、消えた。

 

        ***


 世界は、救済された。

 僕と『彼女』は、そろそろ、世界から消えなければならない。

 だけど。

──顛末は、見届けないといけない。

 そう。

 書き換わったこの世界で、『彼』と彼女が、約束を守るかどうかを、見届けなければならない。


 新しい世界では、彼女には、両親がいた。

 そして、『彼』のいる学校へ転入する事になっていた。

 これが、世界が出した答え。

 『彼』と彼女は、そこで出会わなければならない。

──……多少の事は、世界も、目をつぶるだろう。

 そうだね。

 世界は、自分と、数多ある可能性の数だけ存在する世界の、全てを書き換えなければならない。

 大忙しだ。

 僕たちにかまっている暇はない。

 

        ***


 彼女は、教室の前にいた。

 始業五分前。

 予鈴がなって、教室の中が、賑やかになる。

 先生から、HRの初めに紹介するから、ちょっと廊下で待っているように、と言われていたのを、僕たちは、見ていた。

 彼女は、忘れている?

──いや、忘れてはいない。ただ、きっかけが必要だ。

 そうだね。

 彼女は、どこか緊張している様子だ。

 君から声を掛けてやってもらえるかな?

──分かった。

 『彼女』は、そっと彼女に近づいた。

『大丈夫だ。君ならうまくやれる』

 彼女が、驚いて振り返る。

 今の彼女に、僕たちは見えない。

 彼女は、ちょっと戸惑い、教室に向き直った。

 そう。気のせいだって事にしておいて。


 本令が鳴って、HRが始まった。

「ほらー席につけー」

 先生の声が響く。

 出欠が取られ、彼女の名前が呼ばれた。

 彼女の体が、びくっと震える。

 緊張が高まっているのが良く分かる。

 分かり易い。

 シンプルだ。

──そうだ、彼女は、本質はシンプルだ。

 だから、僕は、彼女が好きだったんだ。

 彼女は、ゆっくりと、緊張気味に、教室へ足を踏み入れた。

 そして教壇に立つ。

 ここだ。

──分かっている。

 『彼女』は、もう、ほんの僅かにしか残っていない意識を、彼女に降り注ぐ。

 そうだ、『彼』を見ろ。

 そして、思い出せ。

『約束だ。思い出せ、その想いを』

『私たちは、何かを約束したら、絶対、それを守る。どちらかが約束をしたら、破らない』

 彼女は、思い出した。


 約束を。

 忘れない事を。

 僕たちがいた事を。


 彼女は、僕たちに、目を向けた。

 もう、僕たちは、消える。

 だけど、彼女、いや──彼らの中に、ずっと、いつづける。


 彼女の目は、こう言っていた。


 世界は書き換わって、救われた。

 そして、私たちも、救われた。

 全ては、これから。

 真新しい世界が、始まるんだ。

 そうでしょ?


 僕たちは、静かに、答えを返した。

『ああ、そうだ』

『うん、それで良い』


 これで、良い?

──ああ、これで良い。

 

 僕たちは、消える。

 『彼』らは、消えない。


 なんて、シンプルなんだ。

 僕は、消え行く中で、そっと、呟いた。


 ~ 「世界の終わりに」:彼の場合 Fin ~


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