周防橋突破戦2
橋の上を朝倉市の兵は一列になって進んでいく。
さながら南北戦争の隊列行進の如し。いや、ショットガン対策に最前列の兵が盾を持っているところを見るなら、ギリシアのファランクスといったところか。
視線を逸らせばボートで渡河を試みる連中の姿も見える。
俺は、その様子を無言で眺めていた。
今、対岸に陣取る長門市の連中が本隊の退却時間を稼いでいる殿部隊ならば、当然数は少なく、こちらとしては兵数にものを言わせて圧倒すればいい。
渡河作戦も、相手としては対応するためにはただでさえ少ない兵を割かねばならないため、有効なように思える。
全体としてセオリー通りであり、狙い自体は悪くはない。悪くないのだが……。
「直以、ひとつ聞いておこうか。金谷紫子とは、どんなタイプの人間だったかな?」
「……中学時代の戦績を知っていたおまえのことだから、適当に調べてあるんだろ?」
「数字の上ではね。私の結論としては軽薄で馴れ馴れしいビッチという印象しかないな」
……ビッチって。まあ、紫子はなかなかに恋多きやつだからなあ。大地とも付き合ってたし、陸上部の先輩やらサッカー部のキャプテンやら、俺の知っているだけでも片手で収まらない程度には色恋沙汰を経験してるし。だが、付き合いの古い俺もあいつがバイだとは知らなかったが。
俺は、紫子がポイントガードをやっていたときのことを思い出しながら聖に答えた。
「あいつは……、とりあえず必要なことは全てやってくる、隙のないプレイをするやつだったな」
「堅実、ということか?」
「それだけ、だったらいいんだけどな。下地にそれがあって、その上であいつは周りを動かすのが異様にうまかったんだ」
「ふむ……」
コート内にいるチームメイト全員の思考と動きを読み、欲しいときに必ずパスをくれる。
あいつは、天性のパサーだった。
それを聖に伝えると、聖は露骨に顔をしかめた。
「直以、私以外の人間に、安易に天才などという言葉を使うべきではないよ。第一、彼女のなにを持って天性のパサーというんだい?」
俺は、即答した。
「空間把握能力、だよ」
小学校中学校と、俺はあいつの真似をしてみた。が、どうしてもうまくいかなかった。結論として至ったのが、これだった。
もっとも、紫子がプレイヤーとしてのその能力を戦場で発揮することができるのかはまったくの別問題だ。
だが、それは発揮できる可能性も残っているということでもある。
そして、紫子がそれを証明するのには、それほど時間を必要とはしなかった。
ゆっくりと肩を並べて橋を進んでいた朝倉市の兵は、やがて隊列を乱し始めた。
眼前に迫った長門市のバリケードに対して、焦れ始め、進軍速度を上げたためだ。
「……まだ早い」
「よく持ったほうだと思うがね。あの様子を見るに中級指揮官はいないようだ。今、撃たれたら一気に崩れるかもしれないな」
聖は、わざとらしく口から輪っか状の煙を吐き出した。
未だに長門市からの銃撃はない。
だが、それはいいことではない。
遠距離からの無駄玉を打たずに、引き付けるだけ引き付けようとしているのがまるわかりだからだ。
やがて、時期が来たら一斉射撃を受け、朝倉市の陣列はいとも簡単に崩れることになるだろう。
俺は額を手で覆った。
……ここまで、だな。
「梨子、麻里に連絡。側面に回って撤退を援護してくれ」
「? もう? まだ直接戦ってないのに」
「戦わなくてもわかるよ。時間の問題だ。ほら、早く」
俺に急かされて梨子は小走りに麻里のところに向かった。
やがて、朝倉市の部隊は重量車両でできた長門市のバリケード前にまで達した。
狙撃を警戒したのか、わずかに速度を落とした後、朝倉市の部隊は一斉に駆け出した。
それに対して、長門市は火炎瓶で朝倉市の兵を迎撃する。
火炎瓶は道路の上で割れて燃え広がり、橋に炎の壁を現出した。
支倉先輩は、その様子を見て眉を顰めた。
そう、遠くから見れば一目瞭然なのだ。
炎の壁がある法則で出来上がっていることは。
炎の壁は、一直線に引かれ、朝倉市の部隊の進行を完全に防いだわけではなかった。
櫛の歯抜けのように、ところどころに穴があるのだ。
その穴に向かって朝倉市の部隊は、吸い込まれるように殺到していく。
疎と密。
ある一隊は炎に足を阻まれ、ある一隊は開けた道に突進していく。足止めされた横との連携を完全に絶たれた状態で。
黒煙によって長門市のバリケードは見えにくくなっているが、おそらく突進した部隊は遅からず全滅することになるだろう。
それを証明するように、橋の向こう側からショットガンの音が木霊してきた。
横との連携を絶たれれば、当然側面はがら空きになりせっかく用意した盾も意味をなさなくなる。
長門市にしてみれば、少数の部隊が待ち望んだ場所から盲目的に突っ込んでくるのを迎撃するだけだ。
さらに最悪なことに、炎で足を阻まれた部隊も、水が低いところに流れるように炎で塞がれていない穴に向かって殺到し始めた。
炎で塞がれていない通り道は前進部隊と射撃を受けて退却する部隊がぶつかり、大混乱に陥った。
俺は視線を橋の外に向けた。
そこでも芳しくない状況が展開されていた。
いや、芳しくないなんてのは虚飾がすぎるか。
渡河のために使っているボートが、川の中途で立ち往生しているのだ。
俺の隣にいる支倉先輩は、それを見て立ち上がった。
「あの方たちはなにをしているのかしら。さっさと川を渡って横や後ろに回りこまなければいけないのに」
「……無理なんでしょうよ」
「それはなぜ?」
俺は、支倉先輩に答えなかった。
ここからでは俺にも明確なことはわからない。
だが、想像はできる。
戦略の基本は、相手の嫌がることをやることだ。
そういう意味において、原田美紀は超一流の戦略家だった。
その原田美紀ですら、渡河作戦はしてこなかった。もし実行されればこちらとしても対応に追われることになったにも関わらず、だ。
そこには、あのマキャベリストをして断念せざるを得ない理由があるはずだ。
そして、俺はその理由を知っていた。
俺は、谷川村で川の中にゾンビが潜んでいたのを経験した。
もし、川の中にゾンビが潜んでいたのなら、複数のボートが一斉に川を渡ろうとする時に出る音は、ゾンビに気付かれずにはいられないだろう。
そして、それを証明するように、一台のボートが大きく揺れ、転覆した。それに伴う波に揺られ、複数のボートから人が落水する。
ボートから落ちた連中は、全員が一度も水面に顔を上げることもなく、水の中に沈んでいく。
「……まいったね。負けるとは思ったけど、ここまでボロクソにやられるとは」
橋に視線を戻すと、麻里に援護された部隊が順次退却を開始している。
初戦は、鈴宮朝倉連合の完敗だった。
おそらく、大地にしてみれば今の今まで紫子との「密約」を信じていたのかもしれない。だが、さすがにここまで手酷い返り討ちに遭えばその約束も反故にされたと気づいただろう。
「なに、負けたのは木村大地であり、直以ではない。この敗戦の責任は全て木村大地にあるよ」
「聖、おまえいい加減にしろよ! もし、指揮を執ったのが俺でもそううまくはいかなかっただろうよ」
「だが、ここまで無様な戦い方はしなかったんじゃないか?」
どこか楽しげに聖は鼻をふふん、と鳴らした。
「直以先輩」
聖になにか言い返えそうとする寸前、俺は名前を呼ばれた。
「紅か。どうした?」
「お疲れ様です。そろそろ直以先輩の出番かと思い、参上しました」
俺は紅に頷くと、立ち上がった。
「とりあえず、手の空いているものに消火器を掻き集めさせています。他に必要なものはありますか?」
それには聖が答え、2,3紅に指示を出す。
「直以、他にはなにかあるかな?」
「……出し惜しみしている場合じゃない。『俺の部隊』を使う。紅、連絡して前線に呼んでくれ」
「……了解しました」
紅は一足先にその場を後にした。俺たちもその後に続く。
と、忘れてた。
「支倉先輩。働いてもらうよ」
支倉先輩は優雅に一礼すると、顔に微笑を浮かべて俺に言った。
「あなたと大地くん。なにが違うのかしら?」
もちろん、と、言いかけて俺は口を噤んだ。
それは、今の俺にとって不愉快極まりない事実だったからだ。
俺は、支倉先輩の質問に答えず、無言のままその場を後にした。
俺の後ろには、やはり無言で聖がついてきていた。