周防橋突破戦1
青と白。
まるで、子供のお絵描きのようにたった2色の絵の具だけで描かれた空。
9月10日の朝はそんな晴天だった。
その日は朝から予定調和の空気が漂っていた。
まず、いつもより朝飯が多い。
それに合わせるように大地は各部隊を巡察して回っていた。
説明こそないが、いよいよ攻勢が開始されるのではないか。
兵士たちの間でそんな噂が実しやかに囁かれるのも必然だと言えた。
そして、朝露が消えた午前9時、部隊を回る大地のところに長門市の連中になにやら動きがあるとの連絡が入る。どうやら長門市の主力が撤退を開始しているとのこと。
その真偽を確かめると、大地は演技かかった仕草で全部隊に敵陣地への攻撃を指示した。
全てが淀みなく、マニュアルに沿うように進行していく。
こうして俺たちは作戦開始時刻を迎えた。
「さて、と。大地のお手並み拝見と行くか」
俺は周防橋を一望できる監視塔の上に陣取り、双眼鏡を覗いた。
周防橋の長門市方面出口では、俺たちがやっていたように重車両を横に並べたバリケードが築かれている。
この『壁』を、どれだけ速やかに突破できるかが作戦の要となるだろう。
「……けっこう重厚だね」
俺の右横で梨子は難しい表情を作っていた。
「正面から無策に突っ込むだけなら被害は大きくなるだろうな。あるいは足し算引き算の関係でそれでも突破は可能かもしれないが……。直以はどう思う?」
「さあ、な」
俺は左横にいる聖の言葉にそっけなく答えた。
聖は間を嫌うように煙草に火を点け、ぽっかりと白い煙を吐き出した。
ちなみに雄太は2日前の段階で隠密裏に自分の部隊を引き連れて長門市に潜伏している。
今日、武装蜂起することになっている連中を支援するためだ。
俺たちが早々にここを突破して駆けつけなければ、雄太の負担は大きくなるってわけだ。
と、背後から物音がした。人が入ってきたのだ。
「ふふ、直以くん、ご機嫌よう。私もここでご一緒していいかしら?」
「……支倉先輩か。驚いた。あんたは前線にいるもんだとばっかり思っていたけど」
「大地くんに外されたのよ。危険だから、といってね」
「危険、ね」
「匹夫の勇というやつだな。人を愛でるのに、その才を持ってせずになにかのコレクションのように飾り立ててする。君も、とんだ着せ替え人形だったというわけだ」
「私の出番はまだ後にあるから、ということにしておきましょうか」
聖の挑発に支倉先輩は強い反論をしなかった。戦闘狂としては、せっかくの活躍の場を奪われて不平不満があるのだろうに。
支倉先輩は、気をきかせて席を立った梨子の代わりに俺の右隣に付き、周防橋を見下ろした。
「悪くない席ですね。ここで、直以くんの説明を聞きながら戦況を眺めるというのも、なかなか乙なもの……かしら?」
「完全に観戦気分だな。大地の側で畏まっていたほうがいいんじゃないの?」
「な、直以お兄ちゃん!」
と、突然聖の隣に移動してデジカメで敵陣を撮影していた梨子が大声を上げた。
「なんだよ、どうかしたか?」
「これ! ちゅ~の人!」
ちゅ~の人って……。
梨子は録画したデジカメを巻き戻し、ある一点で止めた。
そこには、ひとりの女が立っていた。
俺は双眼鏡を覗き、その女を確認した。
「人がいないというのはお互い様らしいな」
「どうしたんだい、直以?」
「……紫子が残っている。どうやらあいつが長門市の残兵を指揮するみたいだな」
金谷紫子、俺と大地の幼馴染だ。
「それがなにか問題あるのかい?」
「大地が勝つ確率がぐっと下がったってことだよ」
それに横から口を出してきたのは支倉先輩だった。
「聞き捨てなりませんねぇ。確か、金谷さんは男子バスケ部のマネージャーだった子、ですね。彼女が指揮を執るとなにか問題でも?」
「えとえっと、金谷先輩が指揮を執ると、木村先輩は手心を加えちゃうってこと?」
「いや。そういった心理的な圧力も当然あるんだろうが。もし大地が本気になったとしても、ゆかが相手じゃあ分が悪い」
俺は聖の口から煙草を取り上げ、咥えた。
聖は一瞬だけ眉間に皺を寄せて新しい煙草を取り出すと、火を点けずに手で弄んだ。
「ずいぶんと彼女を高評価しているじゃないか。だが、彼女が特に優れているという話は聞かないな。中学までのバスケの成績も芳しくないようだったし」
「あいつはチームメイトに恵まれなかったからな。だけど、ミニバスの間は俺なんかよりよっぽど優れたポイントガードだったよ。もちろんスポーツのリーダーシップをそのまま軍事に転用するなんて馬鹿げていることはしないけど、今、ここで指揮を執っているんならそれはほぼ証明されているようなものだ」
脳裏に浮かぶのは美笑を浮かべる女。
彼女は自らの手駒を安易に捨てるようなことはまずしないだろう。
ならば、ゆかはある目的を達成するためにここに残ったことになり、それができるだけの能力を認められていることになる。
大地には悪いが、この時点で大地が交わした安易な密約はほぼ反古にされているとみるべきだった。
「ふ……ん。それなら金谷紫子のお手並みを拝見と行こうじゃないか」
聖は煙草を口に咥え、それに火が点いていないことに気付くと、忌々しげにジッポライターを取り出し、キ……ン、と、小気味いい音を立てて蓋を開けた。
そうこう話しているうちに、攻勢の準備は整えられていった。と、言っても先ほど話したとおり、全員でいきなり敢闘突撃を実施するような馬鹿な真似はしない。
さすがに大地も、おそらくは大地の側にいて直接指揮を執っている健司もそれが無謀なことだとはわかっているのだろう。
ならばなにをしたのか、といえば、大地は橋の上に4台の幌付きトラックを並べたのだ。
そして、大地の先手攻撃は開始された。
「あのトラックは?」
「……すぐにわかる」
あの幌付きトラックは、数日前に麻里と一緒に見たものだ。
いわゆる、『兵器』ってやつだ。
4台のトラックはまずアンカーで橋に固定された。その後、幌は取り払われ簡単な組立作業を終えると、それは全容を現した。
「梨子、あれがなんだかわかるか?」
「うん……。映画とかで出てくるもんね」
梨子は多少困惑しながらも、その兵器の名を呼んだ。
「あれって、投石器だよね」
トラックは、移動式の攻城兵器だった。
ご丁寧にも2種類で2台ずつ。
右に陣取るのは綱の捻りを利用して投擲する、モンゴネルタイプ。
左に陣取るのは巨大な弩の形をした、バリスタタイプ。
「あんなものが通用するのですか?」
「まあ、見ていましょうよ。それを今から証明してくれるんだから」
俺は支倉先輩に答え、投石器を見た。そこには杖を突いた男が色々と指示を出しているのが見えた。……、あいつ、なんて言ったっけ。また名前忘れちまったな。
投石器は、機械式のウィンチでゆっくりと引き絞られていく。
一瞬の間。
4台の投石器は一斉に目標物に向けて咆哮を放った。
固定したはずのトラックが大きく跳ね上がるほどの衝撃。
そして4発の弾は、花火が打ち上がる時に発する空気との擦過音を発しながら敵陣のバリケードの遥か上を通り過ぎていった。
「飛びすぎ~」
「だけど、膂力は十分みたいだな」
「ふむ。後は弾道計算がうまくいくか、だが」
4台の投石器は、再び位置を調節してアンカーを打ち込み、弾をセットする作業に追われた。
実に、2~30分の時間をかけてそれを完了すると、ようやく次弾が発射された。
が、今度は短く、2発は橋の外に落ちて行き、残りは橋の上に落ちて大きくバウンドして砕け散った。
「今度は届かない~」
「……これで射程は合った、か」
「計算上は、ね」
短いのと長いのを飛ばし、その平均値を求めれば目標に対する式は完成する。
まずは日本海に落とし、次は太平洋に落とす。テポドンが東京に照準が合っていると言われるのと同じ理屈だ。
そして、最初の投擲から約一時間が経過して放たれた第3弾は、4発のうち、2発がバリケードに命中した。
弾が当たったのは大型バスだった。ボディは拉げ、窓ガラスは粉々に砕け散り、弾は反対側から飛び出すほどの威力だった。
涼宮市の陣営からは大歓声が上がった。
「……直以、どう見る?」
「威力は申し分ないが……、時間がかかりすぎる。本来なら数日かけてバリケードを完全に破壊するまで投擲するのも安全策でいいと思うけど、今回は時間勝負だからなあ」
「私の見立てでは、おそらくあの投石器はじきに壊れる。一投一投にあれだけ揺れていては部品が持たないだろう。もっと威力を抑えるか土台を強力にするべきだったな」
聖の言葉を証明するように、どこか不具合が出たのか、次いで行われた投擲は3台だけだった。
そのうちの2発はバリケードに当たり再び歓声が上がる。
「……向こう陣地はずいぶん静かですね。バリケードが破壊されているというのに」
「よく統制されているんですよ。もしくはバリケードを破壊されること自体をそれほど問題視していないのか。おそらく両方でしょうけど」
「? バリケードを壊されてもいいの?」
「あいつらの目的は、本隊が退却して蜂起した連中を鎮圧するための時間稼ぎだ。バリケードを守ることじゃないんだ。俺たちが投石器のみの攻撃に頼って攻撃するならば、時間稼ぎは十分目的が果たせているわけで慌てる必要はない。ぶっちゃけ立て直せばいいだけの話だしな」
「付け加えるなら我々の目的はバリケードの突破でありバリケードの破壊ではない。現状、相手は目的を果たしつつあるのに対し、こちらは未だに達成できていないとも言える」
俺は聖の言に頷き、顎に手を当てた。
このまま大地に任せておいて大丈夫か?
そろそろ俺が動かないとまずいんじゃないか?
「聖、煙草」
「さっき私から一本取ったじゃないか」
「もうとっくに吸いきったよ。いいから寄越せって」
俺は聖に手の平を差し出した。
聖は、俺の手の平に、煙草の火を押し付けた。
「ぅあっちい! なにすんだ!」
「少し落ち着きたまえ。まだニコチンに頼る時期ではないよ」
「……心からおまえにだけは言われたくなかったな、そのセリフ」
「このまま行けば木村大地が大きな失敗をすると思っているのだろう? それこそ私たちの望むところじゃないか」
眩暈がするほど頭に血が上る。
聖を怒鳴りつけようと息を吸い込んだとき、俺の腹筋は支倉先輩に圧迫され、俺の声は音を持たずに吐き出された。
「あなたたちは大地くんを低く評価しすぎじゃないかしら?」
「いや、正当に評価しているよ。正当に低脳だとね、っきャ!」
俺は聖のわき腹を突いて黙らせた。こいつはどうしてこう大地に敵意剥き出しなんだ!?
俺は、支倉先輩に向かった。
「大地は……、良くも悪くも器だよ。中身次第でいくらでも変わる」
「もっとも、直以やきみを有効活用しない時点で、たかが知れていると思うが……」
「聖は黙ってろ!」
支倉先輩は俺と聖のやり取りを冷笑するように微笑み、周防橋を指差した。
「あちらでも動きがあるようですね。大地くんの評価は、とりあえず保留にしておきましょうか」
見下ろすと、列を成してゆっくりと橋の上を前進する朝倉市の部隊が見えた。
大地が、2枚目のカードを切ったのだ。
活動報告で孫子のCMしてます。
よかったら覗いてください。