進藤紅登場!!
職員室はなにやら騒然としていた。机やイスが運び出されているのだ。
「やあ直以。どうやら無事だったようだね」
煙草を咥えた聖が寄ってくる。
「聖、これ、なにやってるんだ?」
「須藤清良の発案でね。寝床の確保をしようということになったんだ。ついでだから机は階段部分に集めてゾンビが入ってこれないようにバリケードにしてもらっているんだよ」
「そうか。それで、その須藤先輩は?」
「女性陣を引き連れて学食に行ったよ。今日の昼用に解凍した食品があるはずだから、今日の夕飯はそれにしようと言ってな」
ゾンビ騒動が起こったのは4時間目の最中だったからな。なんにしても暖かい飯が食えるのはありがたい。そう思っていると、荒瀬先輩が慌て出して聖に詰め寄った。
「なんで止めねえ!」
「なんで止める必要がある?」
荒瀬先輩にまるでびびらない聖もすごいが、荒瀬先輩の慌て方も尋常ではなかった。
荒瀬先輩は大きな舌打ちをすると荷物を床に投げ出し、大股で1階にある学食に向かった。……なんなんだ、いったい。
「それで、君たちの戦果はどうだったんだい?」
「ボチボチってところかな」
俺と雄太は木刀とアイアンを取り出した。遠野もバックから荷物を取り出そうとするが、チャックが喰っているようで開けられないで四苦八苦していた。
と、俺たちは荒瀬先輩の荷物が目に入った。
農薬袋にはSと書かれていて、バックパックにはキャンプ用の木炭が入っていた。それを見て雄太と聖は噴き出した。
「これはなかなか面白い。雄太の発案か?」
「いや。荒瀬先輩の発案だな。しかし聖。これだけ材料が揃っているなら、好き嫌いは言えないんじゃないか?」
「残念ながらこれだけでは十分とはいえないな。酸化剤も欲しいし実際に使うのなら起爆剤になるものも欲しい。ああ、せっかくだから塩素酸カリウムも混ぜたいなあ。だが、やはり私は理論は知っていても実際の調合に関しては素人だ。直以」
まあ、どんなに偉そうでも聖は俺たちと同じ16歳だしなあ。そんなことを考えていると、いきなり話を振られて俺は少々慌てた。
「なんだよ」
「小峰卓也はどこだ?」
「小峰? 誰だっけ?」
「君が担いで助けた骨折した男だよ。科学部部長だ」
「あいつ、そんなプロフィールがあったのか。そういえばどうしたっけ?」
「彼なら私が保健室に運んだわよ。そんな名前だったのね」
そう言ったのはどこからか来た伊草麻里だ。こいつ、近くで俺たちの話を聞いていたのか?
「そうか。雄太、農薬袋をひとつ持ってきてくれ」
「了解、っておっも! 荒瀬先輩、これを2つも持ってたのかよ!」
聖は片手で木炭の箱をひとつ持ち、雄太は農薬袋を肩に担いでよろけながら聖の後についていった。
俺と伊草は無言で2人が階段を下りていくのを見守った。
と、背後で歓声が上がった。
「開いたあ♪、ってあれ? 直以先輩。聖先輩は?」
遠野はバックを開け放ったまま、きょろきょろとしている。こいつ、まだやってたのか?
伊草は目敏く遠野からバックを奪うと、中身を取り出した。
「へえ、モデルガンか。よくできてるじゃない」
なにと比べてよくできているのかは怖くて聞けない。伊草は俺と遠野に構わずにバックを漁った。
「弾は……、これね。うっわ、極悪♪」
伊草は銀玉の入った箱を取り出した。箱はずしりと重い。この銀玉、銀メッキなどではなく、正真正銘の鋼鉄製なのだ。箱にはでかでかと人に向けて撃つのは禁止とある。
以前、これで野良犬を狙って射殺するという事件があった。サバゲー部の部室でこれを見つけたとき、犬が殺せるならゾンビにも利くかと思って持ってきたのだ。
伊草はモデルガンを持ったまま職員室の奥に向かった。俺と遠野もなんとなくついていく。
伊草は、窓枠に膝を立てて座った。スカートがめくれ、白い太ももが露わになる。……なんか俺、こいつのパンツ見てからこいつを女として意識し出した気がする。
俺の邪念は甲高い銃声と一緒にかき消された。伊草が引き金を引いたのだ。
校門の外にいるゾンビが弾けるように倒れた。が、しばらくするとのそのそと起き上がった。
眼下を見ると銃声に反応したゾンビどもが集まってうろついていた。
「いまいち軌道が安定しないわね。それに威力も弱い。直以、あんたこのまま使うつもりだったの?」
「いや、ガス圧上げて使うつもりだったけど。使えなさそうか?」
「ガス圧? この缶ね。直以、このモデルガン。私がもらうわね」
「ああ……」
もともと俺のじゃないし。その言葉は飲み込んだ。
伊草はモデルガンをバックにしまうと、職員室から出て行った。
「ねえ直以先輩。今の人、誰ですか?」
「……俺の天敵」
自然に出た言葉だったが、遠野は納得したように深く頷いていた。
その後、俺と遠野は別行動を取った。
遠野は職員室の掃除だ。
職員室の死体は窓から外に捨てていたが、べっとりと飛び散った血糊は残っていた。聖曰く唾液や血でも感染するらしいので、イスや机を運び出してだだっ広くなった職員室を掃除して血糊を落とすことにしたのだ。
周りを見渡すと、一部の例外を除いて全員がなにかしらのことをやっていた。じっとしていることに耐えられなくなったのだろう。
あの中でなら遠野ひとりが働かされるということはないだろう。そう思い、俺は中庭に出た。
中庭では、教室に立て篭もっていた連中がなんとか脱出しようとしているのが見て取れた。連中は俺たちがやったのと同じようにカーテンを使ってなんとか中庭に下りようとしていた。
だが、あまりうまくいっていないのが現状だった。
カーテンを伝って下りるには自分の体重を支えられる程度の握力は必要だ。運動部の男子ならなんとかなったが、文化部の女子では少々厳しい。
それに、運良く下の階に降りられても、そこにゾンビがいることもあった。そうなるとゾンビに捕まって喰われるか、慌てて落死するかのどちらかだった。
俺は手の開いている男子学生数人を捕まえて避難誘導を手伝わせた。皮肉にも、先ほど職員室で大声を上げたことで俺は不良として認識されたらしい。男子学生たちは嫌々ながらも従ってくれた。
とりあえず隣同士の教室にいるやつらは合流させ、4階の女子から順番に降下させる。自力で下りられない女子はカーテンを脇下で吊るし、上で複数の男子学生に支えさせてゆっくりと下の階まで下ろさせる。
それを4階が終わったら3階、3階が終わったら2階と順次実行させた。
まるで出来の悪いパズル。
どうやって下りるかを説明するのに時間もかかったし、恐怖で動けない女子や自分を先に下ろせという男子の反発にも時間を喰った。まあ、男子の場合は勝手に下りて来いって話なんだが。
「まったく、もどかしい!」
俺は落下した学生を担架で運ぶよう指示を出しつつ、中庭に集まってくるゾンビにアイアンを叩き込んだ。アイアンは鉄パイプや消火器より軽かった。扱いやすいという長所もあるが、俺の膂力程度では1撃で倒せないという短所もあった。
俺はなおも向かってくるゾンビの、先ほどと同じ位置にアイアンを叩き込み、倒れたところで後頭部にもう一発ぶち込んだ。
「直以先輩、最後のひとりが中庭に下りました」
「ああ、お疲れ様。悪いね、面倒ごとに付き合わせて」
振り返ってみると、1年の女の子がいた。
ものすごい美少女だった。わずかな乱れもないショートカットに造形美じみた整った顔。制服を崩しもせずに着こなしている。
少女は、わずかな身じろぎもせず俺を見ている。口角を下げ、にこりともしていなかった。
この少女の造形美は、伊草のように化粧や小物で着飾ったものとは違った。職人がそうなるように計算して作ったような感じだ。
完璧に美しいのだがどこか現実感がない。
それを助長するように少女は表情を変えなかった。
「直以先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「俺に答えられることならな」
アイアンを見るとすでに柄の部分が曲がっている。俺はアイアンを放り捨てた。
「なぜ、私たちを助けたのですか?」
「助けた?」
少女は射るような視線を俺に向けた。質問というより詰問しているようだ。
「私は4階の教室にいました。直以先輩の指示で私たちは教室から脱出できたんです」
「ああ、そうだったんだ」
この少女はいつの間にか中庭にいて俺を手伝ってくれていたが、中庭に下りて特別棟に逃げ込まずにいたのか。
「私たちを助けたところであなたに得はないでしょう? なにが目的ですか?」
「ったく、面倒臭えなあ。なんだっていいだろうが。使命感ってことにしとけよ」
ぶっちゃけ疲れている。遠野との気楽な会話ならともかくこんな詰め寄られるような会話を強要されるのは拷問だ。
俺は話は終わりとばかりに少女に背を向けた。少女は構わずに会話を続ける。
「周りから人望を集め、独裁者にでもなるつもりですか「馬鹿かてめえは!?」」
俺は間髪入れずに振り返っていた。少女はやはり身じろぎせずに俺を見返した。
あまりにも的はずれなことを言われて一瞬切れかかったが、俺は感情を抑えた。
そして、言葉を選んで言った。
「なんでそんな面倒なことをやらなくちゃなんないんだよ。それに、俺の誘導に従ったんなら俺がどんだけ不手際だったかわかるだろう? 向いてないんだよ、大勢を従えたりリーダーシップを取るのは」
そういうことは大地に丸投げしてきたから、俺は語尾にそう付け加えた。
少女は俺からわずかに視線を逸らした。なにかを考えているようだった。
俺は、そのまま立ち去ろうとも思ったが、少し気になることを聞いてみた。
「ああ、そうだ。きみは、えっと」
「……私は1年1組、進藤紅です」
「進藤さん。なんで俺のこと直以って呼んでんの?」
「は? あなたは直以先輩ではないのですか?」
少女、進藤紅の鉄面皮はようやく砕け、少し呆けたような顔をした。
「いや、俺は直以だけど。本名は菅田直以。初対面の1年に名前で呼ばれるのは違和感があるんだけど」
「あ……、すいません! ずっと直以が苗字だと思っていました!」
進藤さんは今までの無表情が嘘だったように、顔を真っ赤にして腰を90度折って頭を下げた。ようやく、年相応の可愛らしさが現れた。
俺は苦笑して進藤に言った。
「ま、いいけどね。俺が直以であることは間違いない事実だし。これからも直以でいいよ」
「あ、あの。昼間の校内放送で初めて直以先輩のお名前を拝聴したんです! それで勘違いしてしまって……」
「ああ、なるほどね」
そういえば初対面の荒瀬先輩も須藤先輩も俺を直以って呼んでたな。
なんとなく、俺の頭の中には右手の甲を左頬に当てて高笑いする遠野の姿が浮かんだ。