エクストラストーリー 夢の話
リハビリがてらの完全IFストーリーで本編には関係ありません。
「直以おにいちゃ~ん、朝ですよ~。もうすずめさんは起きてますよ~」
どこか間延びした声に俺は目を覚ました。
目の前には、色素の薄いおかっぱ頭の少女がいた。
俺の妹分、遠野梨子だ。
「……今何時?」
「もう8時過ぎで~っす。早く起きないと遅刻しちゃうよ? 遅刻したら紅ちゃんに私まで怒られるんだから!」
俺は重い頭を振って眠気を覚まし、ベッドから抜け出した。
「雄太は?」
「雄太お兄ちゃんは、もう出た。今日の試合応援に行けなくてごめんだって」
「ったく、てめえのほうが忙しいだろうに、人の心配ばっかしやがって」
雄太の馬鹿は、大学に入ったと同時に組んだバンドが売れに売れ、一躍時の人になってしまった。今日は、そのバンドの武道館ライブなのだ。
「そんで、聖は……、と」
ダイニングに行くと、緩やかなウェーブのかかったぼさぼさの長髪をテーブルに垂らした聖がぼけーっと頬杖突いていた。相変わらずの低血圧だ。
「おう、聖」
聖は魚の死んだような眼をして口をごにょごにょと動かした。多分、おはようと言ったんだと思う。
「直以おにいちゃんは座っていて。今,朝ごはん持ってくるから」
そう言ってキッチンにパタパタと去っていく梨子。
雄太が忙しくなってからはほぼ家事は梨子に任せっぱなしだなあ。俺も手伝おうと思うんだけど、なんか梨子は俺にやらせたがらないんだよなあ。
「直以、体調はどうだい?」
ようやく頭に血が回ってきたのか、妖怪役立たずはおいしそうに煙草を吸い、口から煙を吐き出していた。
「言いも悪いもない。いつも通りだ」
「ま、君にしたら頑張ったほうだ。いい潮時じゃないか?」
「うるさいよ。まだ希望はあるだろ」
今日の試合、実は全国的にも注目されており、BJリーグのスカウトなんかも見に来るため、活躍できればプロ入りも夢ではないのだ。
もっとも、注目されているのは相手チームのほうで、俺たちではないのだが。
それに、もしこの試合でスカウトに目がかけられなければ時期的にも就職戦線に参加しなければいけない。俺の恋人ってことになっている麻里なんかはすでに外資系に就職が決まってるし。
聖の言う『潮時』っていうのもあながち的外れな意見ではないわけだ。
「おまえはどうなの?」
「……地獄。論文が二桁ほど溜まっていて……。今日も午前中はずっと机に向かう予定」
「こつこつやっておかないからだ」
聖はわざとらしく輪っかの煙を吐き出して誤魔化した。
聖のやつは、なんか生物学で博士号を取得して何箇所かの研究所で掛け持ちで勤務していた。と、いってもさすがネット時代というべきか、基本在宅で俺の近くにいるのだが。
それでも年に合計3ヶ月くらいは国内外に出張してくるし、その分野ではそれなりに有名人らしい。
「直以おにいちゃん、お待たせ。聖お姉ちゃん、食事の時は煙草はやめてって言ってるでしょ!」
聖はしぶしぶ煙草を灰皿に押し付けた。
「はい、直以おにいちゃん♪」
そう言って、梨子は俺の前にどんぶり大盛りのカツ丼を置いた。
……すっげえ湯気立っている。
「梨子、おまえ、朝からこんなの作ったの?」
「うん♪ 今日の試合は、とっても大切試合だから気合入れないとね!」
そう言って梨子は腰を屈めて俺の顔を見た。
いかにも「褒めてほめて♪」という感じのドヤ顔だ。
「……30点。おまえは作家先生なんだからもっと独創性のあることをやりなさい」
そう言うと、妹姫は思い切り頬を膨らませた。
うちの妹、実は去年児童文学の新人賞を取りました。ええ、今ではいっぱしの小説家です。
なにやら小説の締め切りもあるし、大学にも行ってるし(ちなみに1浪してる)、けっこうな忙しさにも関わらず俺たちのことを優先してやってくれるできた娘っ子だ。
とりあえず、俺は多すぎる朝飯を食い、お茶を飲んでシャワーを浴びた。
それらを一通り終わる頃には9時半になっていた。
ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴る。
迎えが来たのだ。
「さて、と。それじゃあ行くかな」
「行ってらっしゃい! 私、午後1の講義が終わったら駆けつけるから。電車が止らなければ間に合うから!」
「別に無理することないから。急いで事故に遭ったりしたほうが目覚め悪いからな」
「ん。でも大丈夫、聖お姉ちゃんも一緒に行くから!」
ちなみに、聖のやつは出迎えに来ていないで部屋に篭りっきりだ。たぶん、論文作成に集中しているんじゃなくて寝てやがるな。
俺は荷物を担いで、玄関を出た。
外には、後輩でマネージャーの進藤紅がいた。相変わらず、まったく欠点のない顔をにこりともせず鉄面皮を貼り付けている。
「おはようございます、直以先輩、昨晩はよく眠れましたか?」
「ああ、まあまあかな」
「それでは車に乗ってください。試合場に向かう前にどこか寄る場所はありますか?」
「いや、大丈夫。今から行けばみんな集まってるだろ?」
俺は車の助手席に乗り込んだ。紅は運転席に座り、車は走り出した。
しばらくは無言の時間。まあ、紅は多弁なほうじゃないし、付き合いもそれなりに長いから会話がなくても別に苦痛じゃない。
そう思っていたんだが、信号が赤で止った途端、紅は口を開いた。
「……直以先輩。体調のほうは大丈夫ですか?」
「ああ、順調順調。悪くないよ」
「本当ですか?」
「? ああ、大丈夫だって」
紅は、なぜかシートベルトを外すと、俺に身を寄せてきた。
「? ど、どうしたのかな、紅ちゃん?」
そっと、俺の手を握る紅。
「会場に付く前に、マッサージしておきましょうか?」
「い、いえ。遠慮しておきます……」
紅は、吐息がかかる距離まで端整な顔を近づけてきた。
「遠慮なさらず……」
「あ、あのさ、紅。知ってると思うけど、俺、麻里と付き合ってるんだよね。だから、ちょ、ちょっと待って。話を聞いて。だからね、こんなところを麻里に見られたらね、俺、殺されちゃうんだよね」
「大丈夫、合法です」
「な、なにが合法? 合法ってなに??」
紅は、俺の頬を舐め上げた。背中のゾクゾク感が半端ない。
紅の赤い唇から、艶かしい舌が覗き、俺の口に挿し込まれようとした時、信号が青に変わった。
紅は残念そうに微笑んで、俺から離れた。
あ、危なかった……。
俺は、紅から離れるように少しだけ座席の片側に寄って座った。
試合場に到着すると、すでに俺のチームメイトは到着していた。
「直以先輩、ちーっす。……なんか疲れてませんか?」
「あ、ああ。ちょっと車に酔ったみたいだ」
俺は、心配そうに寄って来る金髪男を見た。
林田隆介。俺の後輩だ。
このチーム、1から俺が立ち上げたのだが、当然というか、仲間がなかなか集まらなかった。だから無理やり隆介を引き入れたのだが、今ではなくてはならないエース候補だ。
「さて、と。全員揃ってるな。少し早いけど控え室入りしておこうか」
「うい~っす」
俺たちは荷物を持って会場入りをした。
途中、俺たち、というか俺はマイクを突きつけられた。
「菅田選手! 抱負をお聞かせください!」
「……須藤先輩、なにやってるんすか?」
いきなり現れたのは、マイクを持った須藤先輩とカメラを持った荒瀬先輩。
この2人、相変わらずの腐れ縁で一緒に行動している。
ちなみになにをしているのかというとジャーナリストだ。それもフリーの。基本日本の大手マスコミには属さずに、ネットを中心に活動しているようだが。
まあ、須藤清良って女は中身はサタン級に最悪だが見た目だけはいいから口コミから話題になってるし、戦場とかにも行くから外国のジャーナリストの間ではそれなりに評判らしい。
……戦場まで付き合わされる荒瀬先輩には同情を禁じえないが。
「いや~ん、直以くんの晴れ舞台を見に来たんじゃない♪」
そう言って身体をくねらせる正確破綻者。あんた、顔にはっきり公開処刑を見に来たって書いてあるよ。
「それで、勝算はあるの? それとも玉砕覚悟?」
「さあね。どうだったか」
「自信ありそうね」
「そう見える? とりあえず試合前はノーコメントだから」
「もったいぶるなあ。いいじゃない、どうせ直以くんにコメント求めるなんて私だけなんだし」
「それじゃあ大穴狙いだ。俺のコメント、試合後に高く売れるといいですね」
俺たちは、苦笑する荒瀬先輩に軽く頭を下げてその場を後にした。
試合までの時間、俺たちは適当に時間を潰した。
うん、いい感じだ。みんな、適度の緊張感を維持しつつプレッシャーに潰されずにいる。
「直以、いる?」
控え室のドアが開かれた。見ると、俺の恋人である伊草麻里がいた。
俺は、冷やかしてくるチームメイトを押し退けて控え室から出た。
「なんだ、来てくれたのか」
「当然でしょ? さすがに彼氏の大事な試合くらい来るわよ。ていうか、なんであんたは試合の日を教えないのよ」
麻里は就職先が決まっている。といって、別に暇というわけじゃないらしい。就職先の会社や業界のことを調べなければならないし、宿題も出されている。大学でも今から卒業論文の準備にかかって大変だといつも愚痴っているのだ。
だから、気を利かせたつもりだったんだけど、それが思いっきりおむずかりのようだ。
麻里は俺の首に腕を回し、しなだれかかってきた。
「直以、頑張ってね。勝てたらご褒美あげるから」
俺も麻里の腰に手を回す。
「そのご褒美、前借できない?」
「もう、しょうがないなあ」
そう言って麻里は顔を寄せてきた。
もう少しで唇が合わさる、というところで邪魔が入った。
……紅だ。
「直以先輩、試合前ですのでその辺で」
俺は、紅の声に飛び跳ねるように麻里から離れた。麻里は、口をへの字に曲げながら俺の首に回した手を離した。
「伊草先輩、お久しぶりです。ですが今日は直以先輩にとって大切な試合のある日です。お戯れはほどほどになさってください」
……紅子先生、意外に面の皮厚いな。
「直以先輩も、公私混同はみんなの士気に影響しますから、控えてください」
「みんなの、じゃなくて、あんたの、じゃないの?」
そう言って麻里は腰に手を当てた。
紅も鉄面皮で麻里を睨む。
この二人、仲が悪いのかというとそうでもない。梨子や聖を含めてよく遊びに行っているのだ。
まあぶっちゃけ、おまえらは俺の心臓に悪いよ。
俺は、わざとらしく時計を見た。
「お、そろそろ時間だ。紅、みんなに知らせろ。麻里、応援頼むぞ!」
「あ、ちょっとなおい!」
俺は、その場から逃げるように(すまん、正直に言って逃げたんだ)去り、試合場のコートに向かった。
そこでは、すでに相手チームがアップをしていた。
相手チームの見知ったひとりが俺のところまで歩いてくる。
「直以」
「大地、か」
大地はイケメンスマイルを俺に向けると、右手を差し出してきた。
「お互いフェアに行こう。勝っても負けても恨みっこなしで」
「ああ。よろしく頼むな」
俺は、大地の手を握った。
やがて、試合の時間がやってきた。
試合前の挨拶を済ませると、ジャンプボールに備えてそれぞれがポジションを取る。
俺のマッチアップは、健司、か。
相手チームのベンチを見ると紫子がスコアブックを持って座っている。俺と目が合うと、ゆかは不敵に微笑んだ。
「なおいおに~ちゃーん!!」
振り返ると、梨子も、聖もいた。その横には麻里もいる。準備を抜け出してきたのか、雄太の姿まであった。
隣には隆介。
ベンチを見れば紅がいる。
紅は、俺を見ると、神妙に頷いた。
俺も頷き返す。
「よっし、やるぞ!」
「「おう!」」
俺たちは、腰を落とし、審判がジャンプボールを上げるのを待った。
そして、そのボールがゆっくり上がっていき……。
「そこで目が覚めたんだよ」
なんの因果か今朝見た夢の話を終えた俺に、なぜか周りから非難が集中した。
「なんか私、いるだけって気がする!」
「梨子くんはまだいい。私の扱いはひどくないか?」
「わたしは? ねえ、わたしはぁ?」
これはさっちゃん。
「私も、恋人にしては出番が少ないわよね」
「……」
紅、ひとりだけ無言なのが返って怖いんですけど。
「俺なんて最後に顔見せだけかよ」
「雄太先輩は武道館だからいいじゃないすか。ていうか俺、バスケなんてやったことねえっすよ」
「わたしは? ねえ、わたしはぁ?」
と、これはさっちゃんね。
「それで、その試合はどうなったんですか?」
「わかんねえよ。そこで目が覚めたんだから」
「まあ、みんなそれぞれうまくいってるみたいだし、それなりにいい夢だったみたいね」
「……俺と清良の腐れ縁は戦場でも切れないのか」
そう言って落ち込む荒瀬先輩。ご愁傷さまです。
ふと見ると、聖が意味深に笑っていた。
「なんだよ、聖」
「もしかしたらあり得たかもしれない未来。君はそれを惜しむかい?」
俺は苦笑を浮かべた。
確かに、あの夢は明るい未来だろう。特に、ゾンビに囲まれ明日生きるのすら苦労する現在と比べれば。
だが、だけど、俺は思う。
「結局さ、俺の傍にいるのはおまえだし、梨子だし、他のみんなだし。これは変わらないんだよな」
だから、夢も今も、そんな違いはないし、今は、仲間と一緒にいる今は、そんなに悪いもんでもないんじゃないか。
そう思うのだ。
「ねえ、わたしわ!」
・・・もちろんさっちゃんもだって。