狂ったお茶会
「梨子。お客様にお茶」
「あ、ひ、ひゃい!」
驚いて腰が抜けたままになっている梨子は、俺に声をかけられてようやく立ち上がった。
雄太は苦笑を浮かべつつも席から立ち上がり、梨子と一緒にお茶を入れに厨房に消えた。
俺は、それを確認してから美紀さんに声をかけた。
「まあ、とりあえずは座って。狭くて申し訳ないけど」
「ええ、ありがとう」
美紀さんはそう言って、今、雄太が立ち上がったばかりの席に腰を着けた。
四角いダイニングテーブル。
俺の正面に美紀さんが座り、右隣には聖がいる。
そして、先ほどまで梨子が座っていた、空いたままの左隣は、そのまま空席になっていた。
紫子が座らずに美紀さんの後ろに立ったままでいたからだ。
まるで紫子が、なにに、誰に所属しているのかを無言で語っているようだった。
「びっくりしたよ。いきなり訪ねてくるんだもんな。悪いけど、準備がないから大してもてなせないよ」
「ええ、お構いなく。でも、驚かせることができて大成功ね。あなたにはやられっぱなしだったから」
よく言うよ。やられっぱなしなのはこっちだってえの。
「ところで、直以くん。私からのプレゼントは気に入ってもらえた?」
さて、どう言い返してやろうかと考えていると、聖のやつが横から口を出してきた。
「なかなかいいアシストだったよ。有効に活用させてもらって、いるぅ!」
俺は、聖の太ももの付け根を鷲掴みにして黙らせた。
と、絶妙のタイミングで梨子がティーカップを持ってきた。
梨子は、かちゃかちゃと音をさせながらもティーカップを美紀さんの前に置いた。そして、恐る恐る口を開いた。
「あ、あのお」
美紀さんは美笑を浮かべて梨子を見上げた。
「なにかしら?」
「プレゼントって、なんですか?」
美紀さんは困ったように俺を見た。俺は、美紀さんの後ろにいる紫子に視線を移した。
紫子は、言った。
「長門市でのなおくんの評価を大地たちに伝えたのよ。とても優秀な指揮官だって」
「あ、そうだったんですか。直以お兄ちゃんの人気を上げてくれたんですね、ありがとうございます」
「り~こー。別に礼を言うことじゃない。長門市の目的は別にあったんだからな」
「別?」
「反間の計だよ」
言葉の意味がわからなかったのだろう、梨子は困ったように雄太の顔を見た。
「わかりやすく言うと、長門市の連中は仲間割れさせようとしたんだよ」
「直以お兄ちゃんと……、聖お姉ちゃんを!?」
美紀さんはそれを聞き、口に含んだお茶を噴き出しそうになった。聖と紫子は苦笑。雄太は必死に笑いを噛み殺している。
「梨子、いい子だから向こうに行ってような」
梨子は俺にそう言われて頬を膨らませると、美紀さんに頭を下げて、向こう……には行かずに俺の後ろに陣取った。ちなみに雄太は聖の後ろに立っている。
俺はひとつ咳払いすると、イスに座り直して美紀さんに相対した。
「さて、と。無駄話もこの辺でいいだろ。長門市のトップがこんなところになんの用だ?」
「高評価には感謝するけど、私は長門市のトップではないわ」
「お為ごかしを。形式的にはともかく、実質的に長門市を取り仕切っているのはあんただろう?」
「まあ、そうだけど。だけど、その形式的というのはけっこう厄介なものなのよ。ところで、砂糖はある?」
美紀さんは俺の後ろに立つ梨子にそう言うと、ティーカップを受け皿の上に置いた。
「形式的に長門市を取り仕切っているのは、菊川組という組織。説明の必要はなかったかしら?」
美紀さんは梨子が持ってきた角砂糖を3つほどカップに入れ、スプーンでかき混ぜた。
「霧島明俊はその菊川組に所属している。形式的には、明俊は菊川組のナンバー2。私はその参謀でしかないのよ」
俺は角砂糖を一個取り出すと、聖のティーカップに落とした。
「今の長門市の惨状は、周知のこと、と言っても構わないわね。暴力が支配している、厳しい身分制のソサエティ」
「それを甘受しているのが、美紀さん。あんただろう?」
「否定はしないわ。だけど、私はそれが正しいとも思っていない。私は、長門市に改革が必要だと思っているの」
「……話が読めないな。なにが言いたいんだ?」
「率直に言うわね。直以くん、あなたにその改革を手伝って欲しいの」
俺は聖のティーカップに口を付けた。カップの底のほうに、溶け切っていない砂糖の塊が溜まっているのが見えた。
「9月10日に長門市内で一斉蜂起が起こることは私も知っている。私たちは、その機会に蜂起した人たちと一緒に長門市のナンバーワンである菊川文蔵を討ち、長門市を掌握するのよ」
「具体的に、俺たちになにをしてほしいって?」
「それは……、あなたの器量に任せるわ。一緒に戦ってくれるのもよし、なにをしないのでもよし」
「そんな話に、俺が乗るとでも?」
「木村大地くんは快く乗ってくれたわよ」
「……」
俺は、底に溜まっている砂糖をスプーンですくった。
「もちろん無料でとは言わない。周防橋には菊川文蔵に忠誠を誓う一部の人間を残していく。あなたたちは、その連中を討って軍功にするといい……」
「大地にはそう言って唆したのか。なるほど、あいつの根拠のない自信はこの密約にあったわけだ」
「ええ、その通り」
俺はスプーンを口に咥えた。ざらざらした砂糖が舌の上で溶けた。
「……なにか気にいらねえなあ」
「なにが、かしら?」
「すでに大地との間で決まっていることを伝えるためにわざわざ敵陣の真っ只中に入ってきたのか? そうじゃないよな」
「あなたの協力を得るため、じゃあ駄目?」
「駄目だな。どっちに転んでもいいように準備しているって意味では立派だけど、正直どっちつかずなところがあるもん、あんたには」
もし本当に俺に協力を仰ぐつもりなら、現在進行中で広められている反間の計は中止されているべきだ。だが、聖の煽りがあったとしても、この計略は続行中であり、涼宮朝倉連合の指揮命令系統は大地の専断を俺が黙認していることで保たれているような状態だ。
美紀さんはさらにティーカップに角砂糖を2つ落とした。見かけに寄らず、けっこうな甘党だ。
「そもそもさ、あんたが俺になにかを頼むってのが、どっかおかしくないか?」
「目的のためには親の仇とでも笑顔で手を握る。それが大人というものよ」
「なるほど、今までの社会がどれほど狂っていたかがわかる発言だね」
美紀さんは楽しそうにカップをかき混ぜると、まだ溶け切っていない砂糖をこんもりとスプーンに乗せて、そのまま口に運んだ。
頭がぐるぐる回る。意図がまるで読めない。
俺は、横にいる聖を見た。
聖のやつは、砂糖の入っていない俺のお茶を優雅に飲んでやがった。
―もう降参か?
そう言うように、聖は唇の端をわずかに吊り上げた。
俺は、それに気付かないふりをして聖の後ろに立っている雄太を見た。
「雄太、どう思う?」
雄太は困ったように息を吐くと、聖の肩に手を置いた。
「なんで俺なんだよ。聞く相手間違ってないか?」
「いいんだよ、おまえで。それで、どうだ?」
雄太は、俺から視線を外し、美紀さんを見た。
「……俺の立場から言うなら、長門市で蜂起する連中を見捨てるのはあり得ないな。あいつらの拠り所は俺たちが援軍に駆けつけてくれるってことだ。それまでなんとか耐えれば勝てるってな。『敵』は、その俺たちの代わりに蜂起する連中を助けてくれるつもりらしいけど、信じられる要素が少なすぎる」
そう、今、美紀さんの言ったことは全て口先のことだ。
俺たちが美紀さんの言葉を信じてなにもしなければ、結果、手のひらを返して長門市で蜂起した連中を鎮圧し、意気揚々と周防橋に戻ってくる、なんてこともあり得るのだ。
ならば、俺たちのやることはおのずと決まってくる。
当初の予定通り周防橋の敵を撃破、しかる後に蜂起した連中と連携して長門市の本隊を倒す。
その工程で、今、美紀さんの話したことがどんな意味を持つのか、俺にはまるで掴みかねていた。
―答えを私に求めるの? 駄目よ、自分で考えなくちゃ。
そう言うように美紀さんは俺から視線を外し、後ろにいる紫子に微笑んだ。
「おいしいお茶をごちそうさま。直以くんも気軽に長門市までいらっしゃい。明俊と一緒に歓迎するわ」
美紀さんはそう言うと席を立った。
「帰る前に、ひとつだけ教えてくれないか?」
聖が口を開く。
美紀さんは、聖を見た。
そして、聖は言った。
「いつから、木村大地と霧島明俊は、密通していたのかな?」
瞬間、背中に寒気が走った。
それは、聞くべきではないこと。
聞いては、いけないこと。
「今回の戦争で、我々は常に長門市に遅れを取っている。その原因の大部分は情報面での劣勢に由来するものだ。ひょっとして、早い段階から木村大地は長門市に情報を流していたんじゃないかな?」
美紀さんは、さも可笑しそうに紫子を抱き寄せた。
「牧原聖さん。さすが、明俊が警戒視するだけのことはあるわね。ええ、いい読みしているわ。彼が、それと知らずに流してくれる情報は、私たちに多大な利益をもたらしてくれたわ」
聖は、したり顔で俺を見た。
「やはり、な。大方そこの尻軽女をうまく使ってのことだろうが」
美紀さんは嬉しそうに紫子の首筋にキスをした。
「ええ、その通り。大地くんは、長門市にいる紫子のために情報をくれていたのよ。紫子が長門市で窮地に陥らないように」
美紀さんは紫子の乳房を下から撫でた。紫子は熱い吐息を漏らした。
「それでは、あの台風の日も……」
「聖!」
俺は、聖の言葉を遮った。しかし、美紀さんは紫子への愛撫を続けながらも会話を辞めなかった。
「お見通しね。あの時も、大地くんと私たちの間では話は着いていたのよ。紫子に手柄を立てさせるために、周防橋の前線を攻略させてくれ。だけど、直以くんが前線にいてはそれは不可能」
「だから、直以お兄ちゃんを執拗に本陣に呼び出そうとしていたの……」
後ろの梨子は、その時のことを思い出したのか、わずかに後ろから俺に寄りかかった。
「彼の名誉のために言っておくなら、その過程で直以くんが伏兵に襲われるなんて思ってもみなかっただろうし、仮に前線が落ちても本陣が完成している現状では大勢に影響がないと思っていたんでしょうね」
俺は、席から立ち上がった。
「美紀さん。今日のところは帰ってくれ。さっきの提案は前向きに検討しておくから」
「なかなか大人の回答ね。いいわ。いっぱい悩んで苦しんでね。私も、あなたがどう出るのか楽しみにしているから」
そう言って美紀さんは紫子を離した。
「紫子はここに置いていくわ。人質として……、ね」
だが、その言は雄太によって一蹴された。
「連れて帰れよ。そいつに人質としての価値はないし、俺たちの空気も悪くなる。それに……」
雄太は聖と梨子の肩を掴んだ。
「直以の周りには美女が揃ってる。ハニートラップとしても失格だよ」
「そう、残念ね。紫子は、これでもいい『味』をしているのだけど」
美紀さんは、紫子の唇に自分の唇を重ねた。紫子は、わずかな抵抗も見せずにそれを甘んじて受けていた。
美紀さんと紫子がトレイラーハウスを辞去すると、俺の身体から汗が噴き出してきた。
「ったく、やってくれる。完全に呑まれちまった」
俺はエアコンの温度を下げ、残っていた紅茶を一気に飲み干した。
と、後ろから熱い息がかけられているのに気付いた。
「どうした、梨子?」
梨子は、鼻息荒く頬を赤くして、俺に詰め寄ってきた。
「き、きっすしししてた! おんなのひとどおしできっすしてたぁ!」
ああ、そういえばしてたな。紫子は大地と付き合っていた時期があるからレズじゃないと思っていたんだけど、趣向が変わったかな?
「ど、どうしよう、直以お兄ちゃん! あぶのーまるだ、はーどえすえむだよ!」
「とりあえずどうもしなくていいんじゃないか? それとSMではないな」
「で、でもでもでも、わたしたちまけてるよ! たいさでまけてるよぉ!」
「なんの勝ち負けだ。とりあえず落ち着けって」
なにやら興奮過多な梨子の首に、雄太は濡れタオルを当てた。
梨子は、空気を抜かれた風船のように萎んでいった。
「梨子には少々刺激が強すぎたみたいだな。ていうか、あいつら教育に悪すぎるぞ」
「言うな。そもそも美紀さんに道徳を求める時点でこっちが間違ってる」
ようやく落ち着いたのか、梨子は雄太に渡されたタオルで顔を拭うと、俺の正面に回った。そして、少し考える仕草をすると、俺の隣に座って太ももを叩いた。
「? なんだ?」
「お疲れ様。膝枕してあげる♪」
なんか、いろいろ考えるのが面倒になった。俺は、抵抗もなく梨子の細い太ももに寝転んだ。
「直以、そろそろいい加減にしたらどうだ?」
そう言ったのは雄太だ。
「別に、聖のことを無視してたって普通ならかまわないよ。どうせ1週間もすれば仲直りするんだろうからな。だけど、今は、時間がないだろ」
俺は寝転んだまま聖を見た。
聖は、わざと俺のほうを見ないようにそっぽを向いていた。
梨子は、そっと俺の頭を撫でた。
……聖のことを許したわけじゃない。
けど、相手は、あの原田美紀だ。
まさに先ほどまで猛烈にアピールしていたではないか。
楽にはさせないと。
「……聖」
「ん? なにかな?」
聖はわざとらしく俺を見下ろした。
「俺と梨子が谷川村に行っている間に、用意はしてあるんだろ?」
聖は煙草に火をつけると、雄太を見た。
雄太は、待ってましたと言わんばかりに、テーブルの上に、10冊以上のバインダーを置いた。
聖の用意した作戦要綱だ。クリアファイル1個だった健司とはすごい違いだ。
俺は、雄太に手を伸ばした。
「……ったく、量が多い。もう少しまとめておけよ」
「ま、こんなもんだろ。ほら、立て」
雄太は、手を取って俺の体を引き起こした。
サワディーカ~♪ どぶねずみでございます。お楽しみいただけていますでしょうか?
・・・つまらない、話が長い。
申し訳ありません、どぶねずみもそう思います!
謝りついでにもうひとつ。次回更新は少し間を空けます。
そろそろアクションパートに入るのですが、今までのように月1か2の投稿ではかなりだれると考えた次第。まとめて投稿できるように少し書き溜めてからにしようと思います。
。。。それでパソコンが壊れて他の連載はぽしゃったんじゃねえの? って声が聞こえてきますが幻聴です!
次回投稿はゴールデンウィークを目安にしたいと思います。
お待たせしますが、どうかお許しくださいませ。
ちなみに、今年のアースデイは4月の21、22日、ゴールデンウィークの1週間前です。ぶっちゃけただのお祭りなので、暇な方は覗いてみるだけでも面白いと思います。