今さら幼馴染キャラとか出てきても困るぅ~!
金谷紫子。
俺の幼馴染だ。
知り合ったのは大地に誘われて参加したミニバスのクラブチームだった。
同学年ということもあり、俺たちはすぐに仲良くなった。
今思えば、紫子も学校でなにかしらの問題を抱えていたのだろう。
俺たちは、小学4年から卒業までのほぼ毎日、クラブのない日でも一緒にバスケをして過ごした。
俺の小学校高学年はバスケと紫子だけだった。
その、金谷紫子が目の前にいた。
俺は紫子に走り寄り、無事を確かめるために手を握った。
「ゆか! 無事だったんだな!」
「うん! なおくんも元気そうだね!」
俺たちはお互いの顔を見て笑いあった。
「涼宮市にはいつ?」
「うん、つい数日前に。それまでは長門市にいたんだけど」
「『あの日』には涼宮高校にいなかったのか?」
「ちょっと用事があって長門市の病院にいたんだ。あ、私が病気とかじゃないよ。親戚のお見舞いだったんだけど」
「おまえが病気なんかになるかよ! なんか、おまえだったらゾンビウィルスも退散しそうだよな」
「ちょっとお、なおくんは私のことをどういう目で見てるのよ! ……ところで、なおくん」
「? どうした?」
「そろそろ、手を離してくれるかな」
俺は、視線を紫子の顔から下に移した。そこには、汗でぐっしょりと濡れた俺と紫子の手があった。
「あ、悪い」
俺は慌てて手を離した。
「ううん、別にいいんだけど……、さすがに暑いからね。それに、こんなところを見られたらまた牧原さんに嫌味を言われそうだもの」
……せっかく晴れた心が再び曇っていく。
「いちいち聖のことなんか持ち出すなよ。気分悪い」
「ひょっとして、また喧嘩してるの? 駄目よ、8割方なおくんが悪いに決まってるんだからさっさと謝らないと。そのうち愛想尽かされるから」
「まず、俺が悪いって決め付けをやめろ。それに、何度も何度も言うが、俺と聖は別に付き合ってるとかそういう関係じゃないから」
昔、何度もかわした、そう、昔となにも変わらない会話。
俺と紫子の間には、一切の壁は存在しなかった。
「直以お兄ちゃん!」
と、聞き覚えのある声に振り返ると、半日遅れで周防橋に到着した梨子が立っていた。その後ろには雄太と聖の姿もある。
「あ、梨子。ちょうどよかった。ゆか、紹介するよ。こいつは遠野梨子。最近ずっと一緒にいるんだ」
「梨子ちゃんね。はじめまして。私は金谷紫子。なおくんとはミニバスからのチームメイトで幼馴染かな。よろしくね♪」
「……オサナナジミ」
梨子は伺うように紫子をじろじろと見た。紫子はそんな梨子に少々面食らっていたが、笑顔で梨子の様子を眺めていた。
「ところでゆか。おまえは今、何組にいるんだ?」
それを聞いて紫子は視線を梨子から俺に戻した。
「なおくん、大地には会った?」
「? ああ。さっき会ってきたところだけど」
「あの馬鹿、こんな大切なこと、どうして黙ってるかなあ」
「?? ゆか?」
紫子はなにやらぶつぶつと呟いていたが、俺に名前を呼ばれて我に帰った。
「あ、ごめんごめん。えっと~、さすがにここでは話しづらいかな。なおくん。今晩は空いてるよね?」
「??? ああ。大丈夫だけど」
「それじゃあ、夜、訪ねるね。そのとき、大事な話があるんだ」
「ダイジナハナシ」
俺は、なんかロボット化してる梨子を無視して紫子に答えた。
「ああ、わかった。待ってるよ。あっちにあるトレイラーハウス、わかるか?」
「うん。それじゃあ夜に。梨子ちゃん、また後でね♪」
紫子は後ろにいる雄太と聖にも手を振ると、その場を去った。
その後姿に梨子は思いっきり舌を出していた。
「おまえはなにをやっているんだ?」
「今さら幼馴染キャラとか出てきても困るぅ~!」
「なんだよ、キャラって」
そんなことを話していると、雄太と聖が来た。
俺は、露骨に聖から顔を背けた。
そんな俺を無視して、聖は話し始める。
「やれやれ、金谷紫子か。相変わらずの尻軽女じゃないか」
「聖!」
俺の鋭い叱責の声に、聖は涼しい顔をしていたが、梨子が怯えてしまっていた。
俺は、安心させるために梨子の手を握った。
「おまえらが相性悪いのは昔から知ってるけど、ゆかのことを悪く言うな」
聖は俺の言を鼻で笑うと、言った。
「ところで直以。まだ気付いていないと詰るのは、少し酷かな?」
俺は、握っている梨子の手を撫でた。
梨子の手は、荒れていた。
思い出して、先ほどまで握っていた紫子の手は、荒れてはいなかった。
昔と変わらず指の付け根にはドリブルタコがあったが、それだけだ。
「……言いたいことがあるならはっきり言え」
「なに、それほど引っ張ることじゃない。金谷紫子。彼女が長門市の間者、だよ」
「……」
「さてさて、うちのなおくんは、あの女をどうするのかな?」
愉快そうに俺を見る聖。
「かん……じゃ? 雄太お兄ちゃん。間者ってなんだっけ?」
「孫子にもあっただろ? 13編の用間編」
「あ、うん。最後のやつだよね。えっとお、用間、間諜……、スパイ……、……。スパイ!?」
梨子の驚きを無視し、俺は聖を睨みつけた。
「それじゃあ以前こっちがやられたみたいに、今度は私たちが下流の橋を渡って敵の側面を撃つってのは?」
「却下。兵力分散の愚を犯すことになることだろ? それに、敵はこっちの進攻路が読めてるんだから下流の橋に一部の兵を置くだけで十分対処できるよ」
夜、署気は未だに残っているが昼よりはだいぶましになっている。
俺たちは夕飯後、トレイラーハウスの中で適当に寛いでいた。
普段だったら貴重なガソリンを浪費することはできないが、今回は話が別だ。
じきに、紫子が来るからだ。
「それじゃあ、進攻路がわからなければいいんだ。どこか途中で川を渡ったらどう?」
「それも却下。川なんて見晴らしのいいところ、簡単に見つかるだろ? それに川の中にゾンビがいたらどうするんだ? 立ち往生しているところを狙い撃ちにされて終わりだ」
そんで今、俺は梨子に長門市攻略の作戦を立てさせているところ。
梨子は柔らかい髪を掻き毟って必死に考えている。
「なに、梨子くん。いい線は行っているんだ。一旦、川を渡ってしまえば伸びた草はこちらの姿を隠す。むしろ狙われにくくなるだろうしな」
嫌味ったらしく聖が梨子の助け舟を出す。梨子は、目を輝かせて頷いた。
「そうだよね!? 悪くないよね」
「それで、どうやって渡るんだ? 直以の言う通り、渡り切る前に迎撃されて終わりじゃないか?」
雄太にそう言われてシュンと落ち込む梨子。雄太は、笑いながら梨子の頭を撫でた。
「いや、梨子がいてくれて助かるよ。じゃないと、直以と聖の空気が悪くてしょうがないや」
俺と聖の間でなにかあると察していたのだろう、梨子は、なにか聞きたそうにしていたが、俺も聖も黙っていた。
「言っておくけど雄太。俺はおまえにも怒ってるんだからな?」
雄太は肩を竦めて見せた。……むかつく。
「直以、そろそろ答えを聞かせてもらえるかな? 間者である金谷紫子を、一体どうするつもりなんだい?」
俺は、ティーパックのアッサムティーを一口だけ飲んだ。
「……こっちに引き込む」
「やれやれ、芸のない回答だな。それじゃあそれに失敗したときは、処分するということでいいんだね?」
それには、俺は答えなかった。
聖は俺を見て、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
この煙草臭い女は、俺の葛藤を知った上で楽しんでいるのだ。
「聖、俺たちとしては彼女が直以のいい噂を言いふらしている分にはいいんじゃなかったか?」
「ふむ、そうだったな。それでは金谷紫子はしばらく生かしたままにしておき、木村大地が失脚した後に殺すというのが正解らしいな」
俺が聖と雄太を怒鳴りつけようとしたとき、外から声が聞こえた。
どうやら紫子が来たようだった。
「梨子、ちょっと出迎えてきて」
「は~い」
雄太に言われて、梨子はドアを開けに立ち上がった。
「……聖、煙草をよこせ」
「いいのかい? 金谷紫子はきみが煙草を吸うのを酷く嫌っていたが」
「いいからよこせ!」
俺は聖から煙草を奪い、一本口に咥えた。
それと、ほぼ同時に梨子がドアを開けた。
「お邪魔するわね」
車内に入ってきたのは、2人の女だった。
ひとりは予定の人物、金谷紫子だ。
梨子は、目を見開きその場に尻餅をついた。
雄太は、頬を引きつらせて固まった。
聖は、おかしくてたまらないと言うように笑いを堪えている。
俺は、口に咥えた煙草を落とし、空中でキャッチして握りつぶした。
「久しぶりね、直以くん」
「ああ、久しぶり。元気そうで安心したよ」
「お互いに、ね」
そして、もうひとりの女は、美笑を浮かべていた。
原田美紀。
俺の宿敵が、今、俺の目の前に立っていた。