亀裂
「直以、お疲れ。そっちはどうだった?」
「まあ、ぼちぼちってところだな。一応現状維持ってレベルの最低ラインは達成できたよ」
俺は手近にあったイスを引っ張り、腰掛けた。
大地たちは俺を囲むように立った。ひょっとしたら俺を威圧しているつもりなのかもしれないが、どういうつもりなんだか。
「それで、こっちはどうなってんだ? 早いうちに打ち合わせして調整を済ませたいんだけど」
大地はそれを聞くと、気付くか気付かないか、ほんのわずかだけ片頬を吊り上げた。
「ああ、そのことだけど……、直以はなにもしなくていいよ。今回の攻勢は俺たち2組を中心にやるから」
「……どういうことだ?」
大地に引き継いで、健司が説明する。
「直以は2週間ほどいなかっただろ? それに、結果としては間に合ったけど、ひょっとしたら間に合わなかったかもしれない。だから、君を当てにした作戦を立てられなかったんだよ」
「おいおい、言ってること、おかしいだろ。実際には間に合っているんだし、作戦ならこれからでも立て直せるだろうが」
と、いうより俺を作戦の中心に置くというのもおかしな話だし、もしそうだとしても、いた場合といない場合の2パターンくらいは作ってあるはずだ。聖なら、最低でも10パターンくらいは作ってあるだろうに。
「とにかく、すでに作戦は決定していてその中に君の役割はないんだよ」
「……わかった。ならその作戦の説明をしてくれ。一方的にもう決まっているって言われて納得できるわけもないだろ」
「それも駄目だ。作戦を漏洩させないためにね」
「おい大地!」
俺は健司を飛び越して大地を睨んだ。
大地は、顔に貼り付けていた笑顔を消した。
見下ろす大地。
見上げる俺。
しばらく無言で睨み合う。
「……納得のいく説明がなければ許可なんて出せねえぞ」
「おまえの許可が必要なのか?」
「形式的とはいえ、俺は須藤清良の代理だ。1組の人間を疎外して勝手に決めたはないだろう」
……再び静寂が室内を覆う。どこかからエアコンの稼動音だけが小さく響き渡った。それに混じって、くすくすと女の笑い声が聞こえてきた。
俺は、笑い声の主に視線を向けた。
「なにがおかしいんですかね、支倉先輩」
「うふふ、ごめんなさいね、直以くん。でも、あなたが大地くんにここまで反抗するとは思わなかったから」
俺は苦笑し、大きく背もたれに寄りかかった。
「大地、どうやらおまえの周りには禄なのがいないらしいな。この程度で反抗的って言われるんだから」
それを聞いて今まで飾りに過ぎなかった取り巻き達が騒ぎ出すが、俺は無視した。
「おまえはイエスマンだけを周りに集めているお山の大将なのか?」
支倉涼子は、顔に笑みを浮かべたまま一歩前に出た。俺は、いつでも立ち上がれるようにイスから腰を浮かせた。
大地は、わずかに口から息を吐き出すと、肩の力を抜いた。
「……わかった。健司と涼子さん以外は部屋から出て行ってくれ」
大地の言葉に、周りの取り巻きは素直に退散した。
たった4人だけになった部屋は、やけに寒く感じられた。
俺は、イスに座り直して大地に言った。
「大地、本当にどうしたんだよ。俺が信用できないのか?」
「いや、本当にそういうわけじゃないんだよ。ただ、この件に関してはやはり直以には黙って従って欲しかったんだ」
大地は俺の前にイスを持ってきて、座った。その後ろに立った健司は、一度大地に確認を取ってから、俺に視線を向けた。
「直以。最初に断っておくけど、聞いたからには反対しないことを約束して欲しい。これは、それほど重要で極秘な案件なんだ」
「だから、聞いてからじゃないと判断できないって。滅茶苦茶な作戦を立てたって賛成できるわけないだろ?」
健司は、観念したようにクリアファイルを俺に渡してきた。
俺はクリアファイルから紙の束を取り出した。
それには、大地たちが計画していた作戦の要綱が書かれていた。
俺はそれを精査する。
……それほど悪い出来じゃない。正攻法で、奇抜性はまるでない。
言い換えれば、隙はないが向こうも簡単に予想が付くような代物だ。むしろ、この作戦の開示になぜ大地たちが躊躇したのかのほうが気になる。
「どうだ?」
「おまえのほうこそ、これでどれくらいの勝算があると思うんだよ」
「……7割はあると思う」
「そんなにねえよ」
俺は作戦の書かれた紙の束を頭上へ放り投げた。紙は空中で散らばり、俺と大地の間に線を引くように、ゆっくりと舞い落ちた。
大地は、言い訳めいた口調で反論した。
「だけど、実際には戦ってみないとわからないだろう? 勝負は時の運っていうし」
「どうしようもない部分で運を頼むってんならわかるけど、最初から運に頼ってどうするんだよ」
「それなら直以はこの作戦にどれだけの勝算があると思うんだよ?」
そう聞いてきたのは健司だ。
「……5割もないな」
「それだけあるなら十分じゃ……」
「5割じゃ博打だろうが」
もちろん5割以下なら玉砕だ。机上の案の段階で、それだけ見込みがなければどうやったって許可なんて出せるはずもない。
しかも……。
「しかも、相手はあの原田美紀だ。どんな奇策を用意しているかまるでわからないよ」
そう、相手はあの原田美紀だ。並の相手ならこの作戦でもなんとかなるかもしれない。だが、相手があの美笑を浮かべるマキャベリストである以上、この作戦では絶対的に足りないのだ。
俺がそう言った途端、なぜか大地たちは余裕を取り戻した。
「? どうしたんだ?」
大地は意味深に健司と顔を見合わせ、俺に言った。
「直以、俺たちはこの作戦で行くよ」
「いや、だから駄目だって。幸い時間はまだあるから、これから聖使って俺が立て直す……」
俺の言葉は、背後からの気配によって断たれた。
いつの間にか、背後から伸びた小太刀が、俺の咽喉元に迫っていたからだ。
「……支倉先輩、今大事な話してるんで邪魔しないでくれるかな」
俺に背後から小太刀を突きつける支倉涼子は、わずかに小太刀の刃を寝かせて、俺の首筋を撫でた。
「ふふ、直以くん。あなたは今自分の置かれている状況がわかっていないようですね」
「ここで俺を殺すって? なんのために?」
「あなたが、邪魔なのですよ。私たちにとっては」
「涼子さん!」
大地の叱責の声。だが、支倉先輩は構わずに話を続ける。
「外の様子は見ましたか? 今、私たちの間でもっとも話題性があるのは直以くん、あなたですよ」
支倉先輩は身体を寄せ、座っている俺の後頭部に豊満な胸を押し付けてきた。
「あなたが帰ってくれば攻勢に出られると勘違いしたのかしらね。あなたを待望する声は日増しに高まっているのよ。それは、もう大地くんを上回るほど」
「……つまり、これ以上俺の人気が高まらないように功績を立てるな、でしゃばるな、と。そういうことか? ずいぶん幼稚な発想だな」
支倉先輩は俺に見せ付けるように、小太刀を順手から逆手に持ち変えた。
「私、とてもいい解決策を思いついたのよ。この場であなたの胸にこの小太刀を突き立てれば、万事解決。そう思わないかしら?」
「それはそれは、なかなかいい案を思いついたね。だけど、あんたの親分がそれを許可してくれるかな?」
「……私が脅しているだけだとも? それとも、大地くんの友情に縋るつもりかしら?」
俺は、余裕を見せるつもりでイスに深く座り直した。その実、冷や汗を吸った下着は、冷房で急激に熱を失い、ひんやりとした感触を俺の素肌に伝えた。
「大地、どうなんだよ!? 堂々と須藤清良の代理を名乗った俺をここで殺すのか? 反旗を翻す覚悟がおまえにあるのかよ!」
「……なるほど、虎の衣を借るなんとやら、ですか。それで私が怯むとでも?」
「あんたは怯まないよな。でも、あんた以外はそうでもないみたいだよ」
実際、現時点で大地が謀反を起こすなんてのはあり得ない選択だろう。
ここには、涼宮市の兵だけでなく、朝倉市の兵も数多くいる。その連中が従うのは涼宮市のリーダーである須藤清良に対してであり、大地本人に対してではない。
しかも話が本当ならば、現状、俺の声望が高まっているという。大地派の人間は少なくないが、そんな状況下で大した大儀もなく反旗を翻したってついて来る人間は少数だ。
大地と健司はいい意味でも悪い意味でも常識人だ。
だから、勝ち目がないという理屈が素直に理解できるだろう。
だが、それを理解しない、あるいは理解した上で無視をする人間もいる。
俺の背後に立つ女がそれだった。
「さすがに大地くんも思い悩むことがあるようね。こんなときは年上が背中を押して差し上げる、それくらいの度量が必要だと思わないかしら?」
支倉先輩は小太刀を俺の首から遠ざけた。勢いを付けて、突き刺すためだ。
「あんたも少しは頭を使えよ。この段階で周りを裏切ってどうしようってんだよ。須藤先輩も荒瀬先輩も、朝倉市の連中も全員敵に回すことになるんだぞ」
「それもまた、をかし、ですねぇ!」
支倉先輩は小太刀を一気に振り下ろそうとした。
だが、それに制止の声がかかった。
健司だ。
「支倉先輩! ……今はまだそのときじゃない。ここは堪えてください」
支倉先輩は多少逡巡したが、結局俺から離れて小太刀をしまった。それにしても、ずいぶん物騒なことを言うなあ健司。
「あぢきなし、あぢきなし!」
なにやら子供のようにそうぶつぶついいながら支倉先輩は部屋から出て行った。それを追うように健司も部屋を出て行く。
残ったのは、俺と大地だった。
「……直以、話は終わりだ。先ほど言った通り、俺たちはこの作戦で行く」
「大地、頼むから考え直してくれよ。俺が気に入らないんだったら、俺は裏方に回って表には出ないからさ」
「直以、俺は周りの連中と違っておまえを邪険にしたいわけじゃないよ。だけど、俺は周りの期待に応えなくちゃいけないんだ」
「期待に応えるって、周りに手柄を立てさせることだろ? 負けたら逆効果じゃねえか」
大地はイスから立ち上がった。
「大丈夫、本当に大丈夫だから。ここは俺に任せてくれ」
「大地……」
大地は、俺に笑みを見せた。どこか、その笑みは自信に溢れていた。
「大丈夫だよ、本当に。勝算は、あるんだ」
それだけを言うと、大地は俺の横を過ぎ去り、部屋から出て行った。
不必要なはずの緊張から開放され、俺は背もたれに大きく寄りかかった。
そのまましばらく天井を眺める。
「……まいった。まさかここまで鮮やかな先手を打ってくるとは」
目に映るのは無機質な天井ではなく美笑を浮かべる『敵』。
むしろその手並みに賞賛すら送りたくなる。
そして、俺の怒りの矛先は、外である敵ではなく、内である味方に向かうことになった。
「あの特大馬鹿、どういうつもりだ?」
俺は自分の考えをまとめるように言葉を吐き出すと、あいつを問い詰めることを心に決めて、イスから立ち上がった。
ビルを出た途端、夏が戻ってきた。精力旺盛な太陽は高いところから俺たちを見下ろしており、西日になるにはまだ少しの時間が必要だった。
俺は、車を探した。
途中、いろんな連中に囲まれそうになったが、不機嫌さを露骨にだしてそいつらを退けた。生憎と俺は愛想を売りににはしていないのだ。
その車は、すぐに見つかった。目立つ外見をしているために、目撃情報が簡単に入ったためだ。
その車は、トレイラーハウスだった。俺たちの新しい新居になった車だ。
足早に近寄ると、中から2人の男女が降りてきた。
「よお、直以。ようやく帰ってきたな」
俺は、声をかけてくる雄太を無視して、横を過ぎ去った。
そして、女の前に立つ。
煙草臭い女は、笑顔を浮かべた。
「直以、ずいぶんと旅行を満喫してきたようだね。なかなか帰って来ないから心配し、た……!」
俺は、女、牧原聖の言葉を最後まで言わせずに、胸倉を掴むと、背中をトレイラーハウスに叩き付けた。




