拭えない不安
狩りが始まった。
幸いにして曇り空が太陽光を遮断する中、八岐市の連中は手に手に火炎瓶や可燃性のスプレーで作った火炎放射器を持ち、市役所を囲んだ。
昨日の爆発跡も生々しい市役所を複数の車で包囲した環奈たちは、ゆっくりとその輪を狭めていった。
「俺たち、出番ないっすね」
隆介は俺の隣でそんなことを嘯く。
前線の指揮は環奈が取っており、包囲の外にいる俺たちは、現段階では見ているだけだった。
不測の事態には駆けつけることになっているが、今のところはそんな様子もない。
全てが、順調に進んでいた。
「なにか心配事でもおありですか?」
隆介とは反対の隣にいる紅は、俺の顔を覗き込んでそんなことを聞いてきた。
俺は顔に苦笑を浮かべると、軽く首を横に振った。
「いや、大丈夫だ」
よほど俺の不安が表に出ていたのか、さらに紅は言及する。
「私たちに言えないほど深刻な問題なんですか?」
おそらく意識してだろう、紅は一歩俺に近づいてきた。それに合わせて俺は一歩下がり、紅に答えた。
「本当に大丈夫なんだって。なんとかうまくいってるんだから。ただ……、うまく行き過ぎているのが気になるんだよ」
「それが悪いことなの?」
心底疑問そうに梨子が聞いてくる。
「いや、いいことなんだけど。そのはずなんだけど……」
「な~んか煮え切らないすね。はっきりしてくださいよ。直以先輩の立ち位置がわからないと俺らも混乱しちまう」
隆介にそう諭されて、俺は言葉を選びながら答えた。
「ぶっちゃけるとさ。俺、基本的になにもやってないだろ」
「そうですか? スカベンジャーの弱点を見つけたのも、八岐市の集団をまとめたのも直以先輩だったと思いますけど」
俺は紅から視線を逸らし、車内を見た。そこでは、エアコンをガンガンに利かせて荒瀬先輩が寝ていた。
「スカベンジャーの弱点を見つけたのは偶然。八岐市の連中は自発的、というより自然発生的にまとまって、それを指揮しているのは環奈だ」
「つまり……、直以お兄ちゃんは自分が関与していないことが不安ってこと?」
「そういうわけじゃないんだけど、なにもしないでもうまく行っているって状況が、落ち着かないんだよ」
「考えすぎでは? うまくいくときというのは、えてしてそういうものなのかもしれませんよ」
「俺もそう思いますよ。むしろ、準備周到すぎる気がしないでもないっすね」
隆介は軽くトランクを叩いた。その中には、昨日夜通しで作った火炎瓶や可燃性スプレーなどの対スカベンジャー用の武器が満載されていた。
俺は、軽く息を吐いた。
「そうだよな。うまくいってるんだから変に気を使うことはないよな」
「ん♪ 直以お兄ちゃんはどっしりかまえていればいいんだよ。そうすれば私たちも安心できるもん」
「その役は荒瀬先輩に任せてるよ」
俺はそう言ってボンネットに乗っている無線機を持った。
口ではそう言ったものの、俺の不安はまったく払拭されなかった。
なにか見落としはないのか、やっておかなくてはいけないことはないのか。
少しでも情報を得ようと、俺は無線機に耳を傾けた。
『よし! 4匹目を発見した、すぐに来てくれ!』
『くっそ、小さいやつが多い!』
『延焼に気をつけろ! 小さいやつはスプレー缶で十分だ!』
雑多な音声がひっきりなしに流れてくる。
俺は無線機に口を近づけた。
「環奈、そっちはどうだ?」
少し遅れて環奈の声が聞こえてくる。
『大丈夫、こっちは順調よ。あ、少しだけ問題あり』
「どうした?」
『大きいのが3匹集まってるのよ。ちょっと火炎瓶が足りないかもしれないの』
俺は少し考えて答えた。
「わかった。俺が持っていくよ。今どこにいる?」
『市役所の別館2階』
「すぐに持っていく」
俺は無線を切ろうとした。が、大きな手にそれを阻止された。
荒瀬先輩だった。
「俺が持っていくからおまえはここにいろ」
「……大丈夫ですよ。これくらいできます」
「動いてりゃ不安は紛れるかもしれないがおまえの仕事は雑用じゃねえだろ。林田、付き合え」
「うい~っす」
隆介は嫌な顔ひとつ見せずにトランクから火炎瓶入りのバックを取り出して担いだ。
荒瀬先輩は車から降り、消防用の斧を片手にさっさと市役所に向かっていった。
隆介は俺に言った。
「大丈夫ですって。それこそ荷物運びくらいなら俺でもできるんだから。俺にも仕事させてくださいよ」
「……わかった。それじゃあ頼むよ。紅、隆介についていってくれ」
紅は、即座に返答しなかった。
「隆介は荷物で両手が塞がっているだろ。頼むよ」
紅は視線を逸らし、わずかに口角を下げた。
「……わかりました。代わりに、これを置いていきます」
そう言って取り出したのは、紅持参の拳銃だった。
拳銃ではおそらくスカベンジャーは倒せない。ならば、もっている意味はないはずだ。
だが、紅は拳銃を差し出している。
意味するところは、警戒すべきはスカベンジャー以外だ、と紅は無言で述べていた。
俺は紅から拳銃を受け取った。ずしりと重く、これが殺傷兵器であることを自覚させられた。
「それでは行ってきます。梨子さん、直以先輩をお願いします」
「うん! 任せて」
紅は俺と梨子に頭を下げ、隆介と荒瀬先輩を追った。
俺は放置していた無線で環奈に伝えた。
「環奈、武器は俺の仲間が持っていく。しばらく待っていてくれ」
『……直以は来ないの? わかったわ』
無線は切れた。
俺は無線機をボンネットの上に置いた。
「やっぱ無線って便利だよな。俺たちも使うか」
「でも、涼宮市じゃあゾンビが寄ってきちゃうよ」
「そうなんだよなあ。だけど、それを差し引いても使う価値があるかもな」
「うん。やっぱり情報の伝達って重要だから。もし無線機があったら雄太お兄ちゃんとの連絡だって楽だったろうし、戦場が広がったらさすがに狼煙ってわけにもいかないし、直接伝達するんじゃ時間がかかりすぎるもんね」
俺は、少し屈んで下から梨子を見上げた。
梨子は、少しだけ頬を赤く染めて視線を逸らした。
「もう、なによ~」
「いやあ、色々考えているんですね、梨子さん」
「もう、茶化さないでよぉ。これでも、いっしょーけんめい勉強しているんですからね!」
「うんうん、梨子は偉いなあ」
「えへへ~♪」
俺が梨子の頭を撫でると、梨子は甘えるように俺の手に頬を擦り付けてきた。
「直以」
呼ばれた方向に振り向く。そこには、環奈と体格のいい5人の男がいた。
俺は拳銃を腰のベルトに挿し、シャツの下にいれて隠した。
「環奈、どうしたんだ? 今、荒瀬先輩たちが武器を持ってそっちに向かったはずだけど」
「すれ違ったみたいね」
環奈は俺と視線を合わさずに、どこか吐き捨てるようにそう言った。
「それで、そっちは?」
「だいたい終わったかな。もう3匹ほど倒しているし、後は、かたまっている3匹だけ」
「? 合計で7匹じゃないのか?」
「昨日私たちが1匹倒したじゃない」
「ああ、そういえばそうだったか」
俺はボンネットを開け、火炎瓶入りのバックを環奈に差し出した。
だが、環奈は受け取らなかった。
「どうしたんだよ。武器の調達に来たんじゃなかったのか?」
「う……ん」
歯切れの悪い返答、環奈はあらぬ方向を見て、スカベンジャーの血で赤黒く染まっている鉈を肩に担いだ。
「ね……え、直以」
「本当にどうしたんだ? なんかあったのか?」
環奈は首を横に振る。
そして、嫌々ながら、というように、そっと右手を差し出した。
俺はその手に火炎瓶入りのバックを持たせた。
途端、火炎瓶は地面に落ち、ガソリンの臭いが辺りに広がった。
環奈が、バックを受け取らないで取り落としたのだ。
「おいおい、本当にどうしたんだよ」
俺は、落ちたガソリン塗れのバックを拾うために腰を屈めた。
その瞬間だった。
「直以お兄ちゃん!」
悲鳴に近い梨子の叫び声。
慌てて顔を上げた俺の目の前に手を広げて立つ梨子の背中。
そして、その梨子に向かって鉈を振り下ろす環奈の姿があった。