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ゾンビもの!  作者: どぶねずみ
八岐市の怪物退治編
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腹が膨れれば行動だ(準備編)

「ふう、一休みっと」

 頭に巻いたタオルを取り、梨子は俺の隣に座った。

「お疲れ。おまえはまだ食べてないだろ。ほら」

 俺はお椀によそったすいとんを梨子に渡した。梨子は両手でお椀を受け取ると、ほにゃらと笑顔を作った。

「あ、よかった~。お鍋にあったの、綺麗になくなっちゃったから」

「けっこう好評だったみたいだな」

「うん♪ みんなおいしそうに食べてくれたよね」

 梨子は嬉しそうに顔を綻ばせる。

「荒瀬先輩は?」

「後片付けをしてる。私も手伝うって言ったんだけど、八岐市の人たちが代わりに手伝ってくれるからいいって。だからお言葉に甘えて先に休ませてもらっちゃった」

 そう言って梨子は少し冷めかけているすいとんに口をつけた。

「それで、そっちはどう?」

 梨子は、机の上に敷かれた地図を見た。


 腹が膨れれば行動だ。俺、紅、隆介と複数の八岐市の連中は、八岐市の地図を囲んで話し合っていた。

 調べることは山ほどある。

 スカベンジャーはどこにいるのか。どういう行動をするのか。

 そして、どうやって退治するのか。

 現状としてわかっていることは少なすぎる。

 俺たちは、まずは調査から始めなければならなかった。

「こっちはこっちで難航中ってところかな。色々と縛りが多くてなぁ」

 俺は地図に示された赤丸を指でなぞった。


 そこは、市役所だった。以前、八岐市の生存者が立て篭もっていた場所だ。


 保存食も大量に残されているであろうキーポイント、だが、どうやらその周辺にスカベンジャーの根城があるらしいのだ。

「俺たちだって何度も市役所に食料を取りに行ったんだ。だけど、その度にスカベンジャーと鉢合わせて失敗しているんだよ」

 そう言ったのは八岐市のまだ若い兄ちゃんだ。確か、昨日俺たちを襲撃した連中の中にもいた人だ。

「じゃあ……この辺にスカベンジャーの巣があるのかなあ?」

「可能性は高いと思います」

「なら決まりじゃん! その周辺を囲んで罠をしかければいいんだよ!」

 梨子はしたり顔で箸を振り回した。梨子とは反対側の俺の隣に座る紅は、わずかに首を傾げた。

「ことはそれほど単純ではありません。直以先輩も仰ったとおり、私たちには幾つかの縛りがあるからです」

「? どんな?」

「まず、私たち、涼宮市の人間はここに長く滞在しないこと。この点には直以先輩にも同意頂いていますが、私たちがここに滞在できるのはできて3日でしょう」

「……今日入れて?」

「はい。他にも公民館の保存食が大分少なくなっていること。悠長に敵が罠にかかるのを待っていては逆にこちらが干上がってしまいます」

「つまり、時間がないと」

「そういうこと。ぶっちゃけ力押しで勝てる相手でもないしな。なにかしら作戦を考えなければならないんだけど、これがなあ……」

 俺は机に突っ伏した。


 そして、いらん事を言ってしまった。


「……聖がいればなあ」


 途端に俺の両サイドの温度が下がる。慌てて顔を上げると、そこには口をへの字に曲げる遠野さんと無表情の進藤さんがいた。いや、紅が無表情なのはいつものことなんだけどさ。

「私だって聖お姉ちゃんの代わりは務まらないのはわかってるけどさあ。でも、そんな風に私たちがヤクタタズみたいな言い方しなくてもいいと思う」

 頬を膨らませる梨子。紅も同じ思いなのか、じっと俺のことを見ている。……見続けている。

 なんか、すっげえ面倒くせえ。

「誰もお前たちが役に立たないなんて思ってないって。ただ、適材適所ってのはあるだろう? 俺だって雄太みたいに器用貧乏じゃないし、荒瀬先輩みたいに馬鹿力でもないし。聖のやつは単に机上の計算が得意ってだけのことだろ?」

「ふ~んっだ。そんなこと言っても騙されませんよ~っだ」

 弁解する俺にすねたふりをする梨子。紅は、ぷいっと俺から顔を逸らした。

 それを見て八岐市の若い兄ちゃんは笑いを漏らした。

「いや、悪い。きみたち仲いいね。こっちは最近暗いことばっかりだったから和むよ」

 そう言われて少し内輪向けに話しすぎたことに気付く。

 ここには、俺たちの他に八岐市の連中もいるのだ。

「ま、まあなんにしたって大丈夫っすよ。これから指揮を執るのは直以先輩なんですから」

 隆介のアホはそんなことをほざき出す。八岐市の連中にも聞かせるつもりなのだろう、声量がいつもより大きめだ。

「なんてったって、直以先輩は涼宮朝倉連合1の名将っすからね!」

 ……こいつは恥ずかしげもなくよくもまあこんな戯言を。

 俺はこめかみを押さえて重いため息を吐いた。

「名将ってなんだよ」

「はい!」

 それに勢いよく手を上げて反応する梨子。

「はい、梨子くん」

「チユーシンジンゲンです!」

「なんだよそれ」

 梨子は箸をくるくると回して隆介に説明する。行儀悪いから止めなさいって。

「えっとね、孫子っていう本で将軍はどんな人間に任命するかってところに出てくるの。漢字にすると智勇仁信厳になるんだよ」

 細かいことながら、本当は智信仁勇厳の順番だ。

「よくわかんねえけど、それじゃあ智ってなんだ?」

「……」

 ぴたりと止まった梨子は、上目遣いで俺を見てきた。俺は梨子の視線を受け流すように紅を見た。

「紅はどう思う?」

「……難しい問いですね。私見で言うのなら、頭のいい人。牧原先輩のように計算能力の高い人、でしょうか?」

「数学のできる人ってこと?」

「そう割り切ってしまうと違う気もしますね」

「物知りってことじゃねえか?」

 そう言ったのは八岐市のおっちゃんだ。

「いや、それはないだろう。物知り顔の薀蓄うんちく馬鹿を頭いいとは思わねえもん」

「いやいや、物知りは頭いいだろう。いろんなこと知ってんだから」

「知ってるだけじゃ駄目だろ。芸能人ならクイズ番組で賞金をもらえるかもしれないけど、普通の人には雑学なんか知ってたって飯の種にはならねえもん」

「それはおまえが間抜けだからだろ!」

 喧々囂々、急に始まる討論大会。発起人になった梨子と隆介はぽかんと口を開けている。

 紅は軽く咳払いをした。そして、イスの位置を少しだけ俺に近づけて言った。

「それで、直以先輩はどう思われますか?」

 ぴたりと、討論が止む。なぜか全員が俺の次の発言に注目していた。

「……紅の言ったとおり、難しいんだよなあ、これ」


 というのは、孫子始計編にあるこのくだりには、『智』についての詳しい説明はないからだ。

 一方で孫子は、自分の戦略論に精通する将軍は勝ち、そうでないものは負けるとも言っている。

 ならば、孫子とはなにか、軍人に求められる『智』という観点でいうのならば、軍事書ということになるだろうか。

 それならば、『智』とは軍事に精通している者、軍事的識能に優れた者ということになる。


 一方で、軍事という分野を語るならば、軍事的識能だけでは足りない。残念ながら、軍人さん限定のクイズ大会というものはないのだから。知っているだけなら飯の種にはならないのだ。

 知っているだけならば1日の半分以上を机に向かっている学者先生はすべからく智将ということになる。

 だが、その学者先生ですら未来の戦争を予測することは難しい。


『軍人は軍事的才能以外の全ての魅力を備えている』と言ったのは、確かバーナード・ショウだったか。


 軍人は次の戦争に備え、過去を研究し未来を予測する。だが、その予測が外れる場合が多いからだ。

 短期決戦のはずが血みどろの総力戦になった第1次世界大戦。過去の経験から築かれ、にも拘らず迂回することで無力化されてしまったマジノライン。

 自分たちと同じように研究している敵の予測を超え、また逆に予想外の事態にも対処できる能力。


 軍人に求められている『智』とは、軍事的識能と、それを根幹に置いた新たなパラダイムを創出する能力、及び、新たなパラダイムに適応する能力だろう。


「谷川村の自衛隊はゾンビ対策にボウガンを使っていた。軍事指導者の尾崎1佐はゾンビが溢れて補給のきかない今の展開にすでに適応してるってことだ。兵が強固で指揮官が優秀って、嫌になるよなあ」

「大丈夫っすよ。直以先輩だって色々知ってるし、ゾンビが沸いてきた学校でいち早く適応して俺たちを助けてくれたじゃないっすか。俺、あのときのこと、今でもマジ感謝してるんすから」

「俺の知っていることなんてせいぜいが聖に無理やり読まされた本から得た雑学程度だよ。それに、適応能力なんて都合のいいもんは持ち合わせてねえよ。こっちは必死で走ってるだけなんだから」

 まあ、ある意味、未知の化け物に相対している今はまさに俺の適応能力を試されているとも言えるのかもしれない。


 ふと見ると、公民館の影でポニーテールが流れて消えた。

「……環奈?」

「あれ、環奈ちゃんを知ってるのかい?」

「ええ。小学校が同じなんですよ。中学はあいつは私立に行ったから別なんだけど」

「環奈ちゃんは頑張っているからねえ。年配ってことで前野さんがここを仕切ってるけど、今までは彼女が率先して先頭に立っていたからね」

 八岐市の連中からそうだそうだと同意の声が上がる。環奈のやつ、人望はあるみたいだな。


 ふと見ると、いつもの無表情で紅が俺の顔を見ていた。

「なんだよ」

「私たちのことは気にせずに会ってきたらいかがですか?」

「会ってどうするんだよ」

「当事者同士が悩んでいるのなら、過去の清算は必要なことだと思います。それがどんな結論に至るとしても。それに……?」

「それに?」

「過去の女性関係を引き摺るのは今の付き合っている女性に失礼です」

「環奈とはそんな関係じゃないって。ていうか、今付き合っている女性ってのが誰を指しているのかがまるっきりわからないんだけど」

 口ではそう言いつつも、俺は席から立ち上がった。隣の梨子は不思議そうな顔をして俺を見上げている。

 

 これは、チャンスなんだろう。今までずっと悩んでいたこと、苦しんでいたことに決着をつける事ができるかもしれないのだ。

 

 結果はどうなるかはわからない。

 

 だけど、このチャンスから逃げるべきではないと、俺はそう思った。

 


 俺は梨子の柔らかい髪を撫で、環奈の後を追おうとした。

 だが、それを紅は止めた。

 服の裾を掴む紅の手。

 紅には珍しく、言葉ではなく行動による静止だ。

「どうした?」

 俺は紅に振り返り、聞いた。

 紅は一度開けた口を閉じ、それから話し出した。

「もし、あの人が再び直以先輩に刃を向けるのなら、私はあの人を殺します」

 俺は苦笑してしまった。

 

 許可ではなく宣言。

 

 紅は紅なりに、俺のことを思ってくれているのだろう。

 俺は、紅の頭を撫でると、今度こそ環奈の後を追った。

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