ガキンチョ大将梨子
今回から『八岐市の怪物退治編』に戻ります。
公民館を出ると、太陽はいい具合に傾いていた。今から準備を始めれば、ちょうどよく昼飯時になるだろう。
「さてっと、直以お兄ちゃん、始めよう!」
俺は、まあ、嫌々ながら頷いた。
なにを始めるかというと、炊き出しをするのだ。八岐市の連中にこの話をすると、否も応もなく許可を出してくれた。こいつらの頭の中ではすでにスカベンジャーを退治する皮算用ができており、食糧問題は解決しているのだろう。……他人事ながらものすごく不安だ。
「それじゃあ俺と隆介は場所を確保して会場を設営するぞ。梨子と荒瀬先輩は料理の準備をしてください。紅は……、どうする?」
「……、直以先輩の傍にいます」
わずかに目を細めて鉄面皮の後輩はそう言った。
俺は紅が不機嫌であることに気付かないふりをして荒瀬先輩に声をかけた。
「ところで、なにを作るんですか?」
「すいとんにするか。調理も簡単だしな」
「すぐに準備するものは?」
「調理用の机を持ってきてくれ。アスファルトの上で包丁を振るうわけにもいかないからな」
「釜とかは大丈夫ですか?」
「ああ。ガスコンロをトラックに積んである」
……用意のよろしいことで。
俺と隆介は今出たばかりの市役所に再び入った。紅は俺たちの後を一歩遅れてついて来る。
「しかし、炊き出しとはなあ」
「いいんじゃないすか? 遠野の言うとおり、腹が減っては戦はできないっていうでしょ。なにかやるのに腹が減ってるなんて論外っすよ」
俺たちはスカベンジャー退治をすることになったが、当然どこかのRPGよろしく、銅の剣も買えないような小銭を受け取って単身魔王を倒しに行くわけではない。
俺たちはあくまで協力する立場であり、実際に動くのは八岐市の連中なのだ。
その士気が上がるという意味でなら炊き出しも有意義であると言えないことはないかもしれない。
「それにしたって用意が俺たちだけってのも問題だろう? ここの連中って、どうも他力本願な気がするんだよなあ」
「それ、気のせいじゃないっすよ。あんな化け物退治に赤の他人に協力しろなんて普通言わないっしょ。逆に言えばそんな連中の頼みを聞いてやる義理なんてこっちにねえし」
「義理は……、あるんだよ」
「? どんな義理があるんすか?」
「うるせえなあ。気が乗らないんならひとりで帰れよ」
「なんすかそれ? あ、俺がさっき反対したの根に持ってるんじゃないでしょうね」
と、そこで背後から重いため息。俺は聞こえないふりをしたが、馬鹿隆介は振り返ってしまった。
「あんだよ、進藤。いつまでぶーたれてんだよ」
「私は、ぶ……? 不貞腐れてなどいません。失礼なことを言わないでください」
「紅、隆介にも言ったけど、気が乗らないんだったら、別に協力しなくてもいいんだぞ」
「私の任務は直以先輩を無事に涼宮高校まで連れ帰ることです。任務の放棄はできません」
そう言って斜め前に視線を泳がせる紅。こいつ、案外意固地だなあ。
俺は気を取り直して紅に質問した。
「それで、会場はどこがいいと思う?」
紅はいつもの鉄面皮を俺の顔に向けた。
「公民館内ではどうですか? イスや机の持ち運びにも有利だと思いますが」
「いや、室内は薄暗くて空気が悪い。外にしよう」
「それならば、駐車場がいいと思います。広さもありますし、南側にありますので、日影の場所もある程度確保できるでしょう」
「よし、決まりだ。隆介、手伝え」
「うい~っす」
俺と隆介は折り畳み式のイスや机を台車に乗せて駐車場まで持っていった。
その駐車場ではきゃっきゃとはしゃぐ子供たちの姿があった。
その子供たちの輪の中心にいるのは、我らが妹姫だった。
「あ、直以おにいちゃ~ん♪」
梨子は右手にホースを持ち、左手を天高く上げて俺に手を振った。
子供たちがはしゃいでいるのには理由がある。その理由は、梨子が右手に持っているホースだ。
こいつらは、水遊びをしているのだ。
俺は顔を引きつらせながら手を振り返した。
俺の隣には紅。隣に並ぶ程度には回復した紅の機嫌が再び悪くなっていくのが雰囲気でわかる。
ちなみに、梨子のコショコショ話のもうひとつはこの水遊び。
「今年って、炎暑なのにプールにも入れなかったでしょ? だから、涼宮高校に帰る前に一回でいいから水遊びがしたい」
そう言う梨子のTシャツは水に濡れて透けていて、いつ着替えたのか、中の水着を浮かび上がらせていた。
荒瀬先輩はというと、我関せず、トラックから荷物を黙々と降ろしている。その身体にまだ幼いちびっ子をまとわりつけているところはシュールではあったが。
梨子は天に口を押さえたホースを向けた。水飛沫は拡散して踊り、青空には七色の虹が架かった。
「おい、ずりいぞ! 俺も混ぜろ!」
隆介は、逃げ出した訳でもないのだろうが、俺の横から駆け出して行った。最初は隆介の強面に驚いた様子だったガキんちょたちだったが、梨子が思いっきり隆介の顔に水をぶっかけているのを見ると、一緒になって遊び始めた。
結果ではある、が、隆介がいなくなった俺の隣には紅だけが残った。
「直以先輩」
「お、おう。なんだ?」
「梨子さんは……、なにをやっているのでしょうか?」
ぴくりとも動かない眼差しが俺の顔を射る。
確かに炊き出しの許可はもらったが、水遊びの許可はもらっていない。許可がいるのかって話もあるが、現状を考えるに不謹慎なことではあるだろう。
さて、どうやって隣にいる堅物をなだめようかと考えていると、突然の怒鳴り声が聞こえた。
「なにやっているの! これはなんの騒ぎよ!」
その声に俺は聞き覚えがあった。我が旧友、間宮環奈嬢だ。
環奈の怒声にガキんちょども(梨子、隆介含む)たちは一斉に押し黙った。ぱしゃぱしゃと、ホースから水の漏れる音だけが響いた。
……仕方ない。俺は隣にいる紅を残して、環奈の前に立った。
環奈は昨日と変わらないポニーテールを揺らしながら、わずかに顎を上げて俺に侮蔑の視線を向けてきた。
「直以、あなたは私に恨まれている理由が理解できているんでしょう? なら、私が今この瞬間にもあなたをメッタ刺しにしたい衝動を必死に押さえているのも理解できるわよね」
押し殺した声。環奈の言っていることが決して冗談ではない証拠だ。
環奈は、一度大きく息を吸うと、抑圧したものを吐き出すように大声で怒鳴った。
「今すぐあなたの部下がやっている愚行をやめさせなさい!」
俺は軽く一歩仰け反って環奈の怒声を受け止めた。
こいつは、俺の負い目がある分、紅より厄介だなあ。そんなことを考えていると、俺と環奈の間に紅が立った。環奈を挑発するように、俺に顔を向け、環奈に背中を向け、だ。
「直以先輩。昨日から気になっていたのですが、私の後ろにいる女性は直以先輩の知り合いですか?」
「ああ。小学校の同級生」
「それだけの関係、ですか?」
こいつがどんな回答を望んでいるのかは知らないが、俺は真実をそのまま口にした。
「俺、昔こいつにいじめられていたんだよ」
それを聞いた途端、気圧が下がる勢いで環奈が息を吸い込んだのがわかった。
「ふざ、ふざけんじゃないわよ! あなたが珠樹になにをしたのか、どれだけ許されないことをしたのか、わかって言っているの!?」
「あ~あ、嫌だね。なにが嫌だって沸点の低い女ほど嫌なものはないっすよね」
そう言ったのは金髪から滴を垂らしている隆介だ。隆介の言葉に多少面食らっていた環奈だったが、気を取り直して一度フンと鼻を鳴らした。
「あなたたちは知らないんでしょうね。この男がなにをやったのか」
「なにをやったんすか?」「なにをやったんですか?」「なにをやったの?」
いつの間にか梨子まで俺の側に寄ってきて一斉に聞いてくる。面白いことに、3人ともが環奈に背中を向けていた。
俺は荒瀬先輩を見た。荒瀬先輩は我関せず、ひとり黙々と作業をしていた。が、注意がこちらに向かっているのはわかる。
俺は、多少溜めを作ってから告白した。
「俺は、……こいつの妹を殺したんだよ」
勝ち誇ったように笑みを浮かべる環奈。
胡散臭そうに頬を掻く隆介。
相変わらずの鉄面皮は紅だ。
梨子は、頬に手の平を当て、困ったように首を傾げた。
「直以お兄ちゃんって、インパクト重視なのかわざとそういう言い方するよね。実際にはどうなの?」
見透かすような眼差し、……小娘のくせに。
「こいつは!」
俺を糾弾するはずだった流れがおかしな方向に行きかけたためか、環奈は慌てて口を開いた。
「こいつは珠樹を見殺しにしたのよ!」
「見殺しと、直接手にかけて殺人を犯すのでは大きな差がありますが」
「ひょっとして小学校の火事の話っすか?」
「なんでおまえが知ってるんだよ」
「知ってますよ。有名な話だし、直以先輩の悪口に言いふらしているやつらもいるし」
「それでそれで、この人のイモウトさんはその火事の犠牲者の方なの?」
「……ああ。そうだ」
環奈と珠樹は双子で俺と同学年だった。
俺とこの双子とは馬が合ったのか、よく一緒に遊んでいた。小学校の低学年の頃は大地たちより一緒にいた時間は多かったかもしれない。
だが、それも年齢を重ねる毎に疎遠になっていった。男女間の面倒くさい壁というやつだ。男は男同士、女は女同士で遊ぶというのが通例になり、俺たちも自然と一緒にいる時間は減っていった。
そんな頃にあの火事が起こった。
環奈は俺と同じクラスだったために助かったが、珠樹は隣のクラスだったために助からなかった。
隣のクラスは、俺が見捨てた、あのクラスだ。
「直以先輩は、そのことを責められているのですか?」
俺が答えないでいると、梨子はアヒル口を作って俺を見上げ、ぼそりとひと言のたまった。
「羨ましい……」
その言葉に、全員が唖然とした。
「あの、梨子さん。言葉を間違っていませんか?」
「ううん。間違ってないよ。羨ましいっていったの」
「……どこが?」
梨子は、まるで見せ付けるように俺の腕にしな垂れかかった。
「なにかのせいにできるって、幸せなことなんだよ。だって、私が大切な人を失ったときは誰かのせいになんてできなかったから」
梨子はくるりと回転すると、背中で俺に寄りかかり、環奈に視線を向けた。
「えっと……、環奈、さん?」
環奈は無言で梨子を睨む。梨子は、そっと俺の手を握った。
「肉親を亡くしたのは、その、残念なことだとは思いますけど、でも、その……」
「梨子」
俺は梨子を後ろから抱き締め、続きを言わせなかった。
「いいんだよ、梨子。環奈が俺を責めるのは当然の権利なんだから」
「そんなことないよ。そんなことない。だって……、この人、直以お兄ちゃんを見るとき、つらそうだもん」
環奈は、梨子から俺に視線を移し、睨みつけてくる。が、その眼差しには確かに揺らぎがあった。
梨子は、声音を落とし、言った。
「ねえ、直以お兄ちゃん。直以お兄ちゃんが私にキスしてくれないのは、自責の念があるからなの?」
俺は答えなかった。
「そもそも、全員死んだっていうクラスの担任はどこでなにをやっていたんすか?」
「外にいたんだよ。うちの担任と同じで下級生の誘導を手伝ってたら火の手が回って戻れなくなったらしい」
ちなみに、もっとも非難されるはずだった隣のクラスの担任は、PTSD(心的障害)という医者の診断書を携えてさっさと退職してしまった。
「それで、同学年で近くにいた直以先輩に責任転嫁ですか? 正気の沙汰とは思えませんね」
隆介は、近くで遊んでいたがきんちょをひとり肩に担いだ。
「おまえ、何歳だ?」
「ん~~、きゅーさい!」
「小4っていったらこのガキくらいだろ? こんな小さい子のせいにするっておかしいだろ」
環奈は、唇を噛み締めて俺を、俺だけを睨んでいる。
そんな環奈と、そして俺への援護射撃は、意外な方向から飛んできた。
「おい、直以。無駄話してないで手伝え」
「っとお、そうだったそうだった。梨子、もう水遊びは終わりだ」
「……は~い。それじゃあみんな、すいとん作るの手伝って♪」
「すいとんてなにー?」
「えっとね、小麦粉をこねこねしてお団子を作るの」
梨子は、ガキンチョどもを連れて準備の完了した荒瀬先輩のほうに歩いていく。
荒瀬先輩、感謝。
「環奈、聞いての通りだ。炊き出しについての許可は取ってあるから」
環奈は未だに俺を縋るように見ている。
と、環奈の後ろから10人ほどの男達が来た。
「ここで炊き出しやるって? 俺達手伝いに来たんだけど」
俺は隆介と顔を見合わせた。隆介は人の悪い笑みを浮かべた。
「それじゃあイスと机を並べんの手伝ってください。あ、あと足りない分は取りに行きますんで」
隆介はそう言って八岐市の連中を引き連れて公民館に入っていった。
波に揉まれるようにその一団が消えると、いつの間にか環奈の姿は消えていた。
後に残ったのは、俺と、なぜか機嫌のよくなった紅だ。
紅はそっと俺の腕を取ると、抱きついてきた。
「直以先輩は梨子さんとキスしていないんですか?」
……そっちか。
紅はそっと顔を近づけてきた。俺は紅から離れようとするが、紅は腕に力を込めてそれを阻止した。
紅の柔らかい胸が俺の腕に当たる。
「私とは、しましたよね」
紅は、挑発するように、俺の耳に吐息を吹きかけた。