聖のラブキス大作戦♪ 中編 エクストラストーリー5
雄太視点です。
梨子は知らないと思うけどさ、涼宮高校で一番きつい季節は11月なんだよ。
今は畑になってるから今年はマシだろうけど、ほら、あの辺りってただの荒地だっただろ? あそこの砂や埃が秋の乾いた風に乗せられてさ。
風の強い日なんかは比喩じゃなくて登校するだけで身体中砂塗れになるんだよ。
これは、そんな砂埃の舞う去年の11月の話。
「雄太、ゆうたぁ!」
放課後、終礼のチャイムを聞きながら感慨に耽っている俺。
いや、秋だしね。ひとり物思いにふけるってのもありだと思ったんだけど、あいつにはそんな俺の気持ちはまるっきり通じないわけだ。
あいつ? ああ、もちろん聖のこと。
「雄太、直以はどこ行ったんだ!? 昼からまったく見かけないが。まさかもう帰ったんじゃないだろうな?」
俺はイスに座ったまま腰に手を当てて俺を見下ろす聖を見上げた。
「いや、いるだろ。鞄が残っているから。どっかでさぼってるんだろ」
「そのどっかがどこだと聞いているんだ! まったく、今日の約束を忘れたわけじゃないだろうな!」
聖は苛々を隠そうとはせず、親指の爪を噛もうとして、昨日入念に手入れしたことを思い出したのだろう、舌打ちをしてやめた。
そう、今日の聖は整っていた。ウェーブのかかった髪は綺麗に櫛入れされているし、顔には微かなナチュラルメイクも施されている。制服も砂ひとつ付いていない卸したてのような念の入用。
普通の女子はそれぐらい普通に毎日やってるんだけど、さ。こいつにしては珍しいこと、ていうか、俺にしてみればこんな気合の入った聖は初めて見ることだった。
それというのも、今日のイベントのためだ。
俺はイスから立ち上がり、ささやかにドレスアップした聖を見た。
「屋上にはいなかったのかよ」
「そんなところは真っ先に探している。携帯の電源も切っているし、ひょっとして、今日のことを本当に忘れているんじゃないか?」
聖の顔には不安が浮かんでいる。この顔は、実は聖は直以には絶対見せない顔だ。
俺は苦笑を浮かべて、聖が女だと実感できる細い肩を軽く叩いた。
「仕方ないな。それじゃあ探すか。俺は1階から探すからおまえは上からな。見つかったら携帯に連絡入れろよ」
「う、うむ。わかった」
俺たちは行動を開始した。聖は階段を上り、俺は下りる。
さて、直以のやつは聖を不安がらせてどこでなにをやっているんだろうか。
そんなことを考えて1階に降り立つと、意外にも直以はすぐに見つかった。
「なおくん、今日は早く帰りなさいよ!」
「ああ、わかったわかった。おまえも早く部活行けよ、……とお、雄太じゃねえか。どうした?」
何事もなかったかのように保健室から出てきた直以は、俺の姿を見つけてそんなことを言った。
「おまえを探していたんだよ。ひょっとして、体調悪いのか?」
直以は、わずかに口を篭らせながら答えた。
「……そんなんじゃねえよ。今日はたまたま昼から保健室のベッドを占領できたからな。今までぐっすり寝ちまったよ」
直以は話を早々に切り上げたいのか、俺の横を過ぎ去ってしまう。俺は慌てて隣に並んだ。
窓から斜陽が差し込み、校内にはオレンジ色のフィルターがかけられている。
「もう4時か。星は何時に見れるんだっけ?」
俺は聖にメールを送りつつ、直以に答えた。
「7時頃って話だな。まだ時間はあるよ」
「なんだ、それならもう少し眠れたな」
「勘弁してくれ、用意を俺だけにやらせる気かよ」
「聖がいるだろ?」
「あいつが役に立つと思うか?」
俺がそう言うと、直以はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「わかってるじゃねえか」
「まあ、な」
実を言うと、俺と直以がつるむようになったのは先月で、聖との関係は直以を通して遅れてってことになる。
だけど、この2人のことはそれなりにわかっているつもりだった。
だって、こいつら揃って口悪いし普通に地をさらけてくるしさ。なんかこっちが体裁保って付き合うのも馬鹿らしくなってくるからこっちも地が出てくるし……、だから肩がこらないってのもあるけどさ。
とりあえずここで言いたいのは、聖が昔からひとりじゃなにもできないやつだったってこと。
俺たちは教室ではなく、部活棟に向かった。そこにある天文部に機材を置いていたからだ。
扉を開けると、目に痛いほどの赤が飛び込んでくる。その夕日を背にして優雅に本などを読んでいる影があった。我らが牧原聖お嬢様だ。
聖は、さも今気付いたと言わんばかりにゆっくりと本から顔を上げて、ふぁさりと髪を後ろに払った。
「やあ、直以に雄太。2人揃ってご到着か。だけど、流星群にはまだ時間があるよ。ずいぶんと暇なことだな」
俺は、直以の後ろで笑いを堪えた。
額に浮かんでいる汗はおそらく俺からのメールを受け取ってここまで走ってきたのだろう。
ここには、直以がいないと慌てふためいていた聖の面影はない。
こう見えて、聖のやつはスタイリストなのだ。
そんなことを知らない直以は、聖の軽口を面倒臭そうに聞きながら、ジャブを返した。
「おまえだってそうだろうが。先に来てるんなら用意ぐらいしておけ」
「ふん! 用意は君たちの仕事だろう。私は機材を揃えてきたのだから」
「偉そうに言う割りには天文部の流用だけどな。それより飯は炊けてるのか?」
それには俺が答えた。
「ああ、昼休みのうちに炊飯器セットしておいたから。具財も切り分けてあるから後は鍋に入れて煮込むだけだよ」
「ああ、悪いな。なんか全部丸投げしたみたいだ」
「それはいいさ。今回は俺が発案だからね」
今回のイベント、それは10年に一度とかいう流星群の鑑賞会と、せっかくだからついでに鍋でも囲おうってのが趣旨だ。
発案は俺だ。そういうことになっている。
実は、図書室で聖がこの流星群のことを直以に(数えただけで3回)話しているのに気付いたので、俺が企画したってこと。
簡単に言うなら、直以を誘いたい聖が原案を立て、聖と直以のために俺が企画を立ち上げ、糞鈍感な直以を無理やり引き入れたのだ。
「ほら、聖。これ、読んだぞ」
直以は本を聖に差し出した。俺は、それを聖が受け取るより早く奪った。
「なになに、『ヒトラーと国防軍』? あ、作者はリデルハートか。直以、おまえこんなの読んでるのか?」
「読まされているんだよ。このニコチン中毒者にな」
直以は、懐から取り出した煙草に火をつけて口に咥えた。ニコチン中毒はおまえじゃないか?
「俺は組織論とかリーダーシップとかには興味あるんだけど、軍事はそれほど興味ないんだけどな」
「軍事を学ぶことは……」
「あ~はいはい、わかってるよ。わかってるから騙されて薦められた本を読んでるんだろ」
直以は面倒臭そうに聖の話を遮ってテーブルを片付け始めた。俺もそれに合わせて本をしまい、カセットコンロをセットした。聖はというとイスから立ち上がりもせずに直以のことを見ていた。
「そういえば帰りのホームルームで進路希望調査のプリントが来ていたな。直以はもらってないだろう」
「ああ。午後の授業は思いっきりさぼっちまったからなあ。ていうか1年から進路希望かよ」
「無駄に焦らせるのは教師の常套手段だからね」
直以はコンロの上に鍋を乗せ、その鍋に俺はペットボトルから水を入れた。
「出汁は?」
「昆布。あとは野菜やら肉やら煮込めば十分だろ」
鍋に蓋をして火をかける。後は煮立つまで待って具材を放り込むだけだ。
「雄太は進路希望どうするんだ?」
直以はイスに座ってそんなことを言ってくる。携帯灰皿に煙草の吸殻を放り込み、新しい煙草を取り出す。
「おい、少しは遠慮しろよ。見つかったら一発で停学だぞ」
直以は少し考えて、口に咥えた煙草に火を点けずに指に持った。それを聖が取り上げて口に咥える。
「直以こそどうするんだい? 無難なところで進学かな?」
直以は忌々しげに聖の咥えた煙草を睨みつけた後、深くイスに座り直した。
「……正直未定。ちょっと前まではバスケで行けるところまで行きたいと思っていたんだけどさ」
それを聞いた聖は人の悪い笑みを浮かべた。
「やれやれ、プロにでもなるつもりだったのかい? それとも体育大? どっちも向いているとは思えないがね」
「うるせえよ。だけど、せめて大学まではバスケやってる予定だったからなあ」
「大学の体育会系出身なら就職も有利だもんな」
「そこまで考えていたわけじゃないけど。どっちにしても、もはや泡沫の夢ってな」
直以は机に突っ伏して表情を隠した。
「おまえって、けっこう女々しいよな。バスケやりたいなら部活に戻ればいいだろ」
聞いているのかいないのか、直以はぴくりとも動かなかった。
「聖はどうする予定?」
「未定。というか私は決めるつもりはないよ」
「なんだよそれ。メンサは外国の大学とか研究機関とかに行くんじゃないのか?」
聖は、コンロで煙草に火を点けると、突っ伏したままの直以を見た。
「別に、外国からの誘いは今に始まったことじゃないしね。高卒の免許を重視していない私としては行きたいなら今すぐにでも行くよ。同様にわざわざ大卒の権威付けを必要としていない私は進学するのも魅力的とは言い難いな」
それを聞いた直以は、だるそうに顔を持ち上げて聖を見上げた。
「おまえ、なにしに学校来てんの?」
聖はわざとらしく煙草の煙を吐き出し、視線を逸らした。
「それじゃあ起業でもするのか? 若き女社長ってか」
「ああ、それはない。金融資本主義を至上とする現代は金を稼ぐということの評価が異常に高い時代だからね。わざわざそれに乗っかるのはぞっとしないな」
「金稼ぎのうまいやつがもてはやされる時代、ね」
「もっとも、金融資本主義が人を幸せにしないということはすでに明らかになっているから、じきにこの風潮も終わると思うがね」
「じきに、といっても2~30年後は、だろ?」
「俺たちが40歳ぐらいになってる頃か。どうなっていることやらだな」
もちろん俺たちは、このわずか半年後に金融資本主義どころか文明そのものが崩壊するなんてことは想像もしていなかった。今考えるのなら、ずいぶんと呑気で、それが通用する時代だったんだな。