忘れるなんて許さない!
うじゅるうじゅる。
臓腑のような身体を脈動し触手を擦り合わせる異様な音は、それを聞くものに生理的な嫌悪感を想起させた。
が、荒瀬先輩はそれが聞こえないのか、わずかの躊躇いもみせずに臓器の化け物に歩み寄っていく。
化け物は、威嚇のつもりなのか、触手を荒瀬先輩の足元で波打つように打ちつけた。
だが、荒瀬先輩はそれにも一瞥すらしない。
俺の戈を肩に担ぎ、さながら早朝の野良仕事を片付けにいくような気軽さ。
その戈が、一閃した。
途端、化け物は、豚が鳴くような奇声を発して暴れだした。
身体中から紫色の血管を浮き立たせ、触手を地面に叩きつけて痛みと怒りを表現する。触手を叩きつけられた大地は抉れ、震動を俺の足元まで響かせた。
「なんだ、スカベンジャーがあんなに苦しんでいるのは初めて見たぞ」
そう喘ぐように言ったのは、俺の隣にいるひげ面の男、確か前野と名乗った男だった。
「スカベンジャー(腐肉喰い)、それがあの化け物の名前か?」
「……ああ。私たちはそう呼んでいる」
「まあ、その名前の由来は後で聞くことにしよう」
俺は、地面でびちびちと跳ね回っている、荒瀬先輩に切断された触手を踏みつけた。触手は俺の足の下でしばらく蠢いていたが、やがて動かなくなった。
俺は、大声で叫んだ。
「左右に回り込め! スカベンジャーを包囲しろ!」
が、すぐに荒瀬先輩は制止の声を上げる。
「来るな! 逃げる準備をしろ!」
叫びながらも荒瀬先輩は暗がりでは目視すら難しい速度で振るわれる触手をかわし、戈を逆袈裟に斬り上げた。
スカベンジャーの身体に一文字の傷が走り、そこから血液が噴き出した。
再び上がる奇声。
周りの連中は戦況の優勢を見て取ったのか、俺が指示した通りにスカベンジャーを囲んだ。
俺は一瞬だけ躊躇ったが、すぐに行動に移した。
「前野さん、引かせろ、すぐに!」
「いや、しかし、勝てそうだが……」
「いいから! みんな、ひけえ!」
俺の叫びも今度は届かず、八岐市の連中は一斉にスカベンジャーに群がった。
バットで殴り、包丁で突き刺し、鉈で斬りかかる。
が、そのどれもスカベンジャーには大きなダメージとはならなかった。
スカベンジャーは、わずかに身動ぎした。
それが、反撃の合図となった。
下から伸びる触手が一斉に伸び、自分に群がる外敵に向かって攻撃を始めたのだ。
バットを持った男は触手で顔を殴打され、まるで抉り取られたように目と鼻と口を消失した。
包丁を持った男は身体に触手を巻きつけられ、ウエストを本来の3分の1以下に細められ、口から血泡を吹いて絶命した。
鉈を持った男は触手で足を絡め取られると、スカベンジャーの身体にある窪みに上半身を放り込まれた。男の足はしばらくバタバタと暴れていたが、ここまで響く骨をすり潰す音が聞こえると3度ほど大きく痙攣して、動かなくなった。
「っチ!」
荒瀬先輩の舌打ちが響いた。
荒瀬先輩自身もスカベンジャーの触手攻撃は続いていた。無数に迫る触手を弾き、かわし、斬り付けて防いでいる。
「っむああア!」
裂帛の気合、荒瀬先輩はわずかな隙を突いて飛び上がると、上段から戈をスカベンジャーの身体に撃ち込んだ。そのまま両手に力を入れ、柄伝いに、おそらくは半トンは下らないスカベンジャーを持ち上げて、放り投げた。
盛大な轟音と柄の折れる甲高い音、そして、スカベンジャーの上げる奇声が公園内を包み込んだ。
「荒瀬先輩!」
俺は荒瀬先輩に駆け寄った。さすがの荒瀬先輩も息を乱して、わずかに俺のほうを向いた。
「悪いな。おまえのお気に入りを壊しちまった」
「戈のことですか? それは別にいいですけど、倒したんですか?」
「……いや、無理だな。手持ちの武器では致命傷を与えられなかったし、探ってみたが急所がどこだかわからなかった」
荒瀬先輩の言を証明するように、暗がりの中からうじゅる、うじゅるという触手が蠢く音が聞こえてきた。
その音源に向かって、荒瀬先輩は折れた戈の柄を槍投げのようにぶん投げた。再びスカベンジャーの奇声が辺りに響いた。
「このままじゃあ埒があかねえ。ここは引くぞ」
「はい。前野さん、俺たちはここを引き上げる。あんたたちもすぐに逃げたほうがいい」
「……、ああ、そうする」
別にそこまで言えた義理でもないな……、そんなことを考えていると、そっと声をかけられた。
「もし無事に生き延びたら、南地区の公民館に来てくれ。私たちの避難場所だ」
俺が無言で頷くのを確認すると、前野は大声を上げて生存者をまとめ、公園を後にした。
俺と荒瀬先輩は結局逃げずにその場に留まり続けた梨子たちの待つ車に向う。
と、途中で、忘れられるはずもない女が立ちはだかった。
間宮環奈だ。
俺は敢えてなにも語らずに環奈の横を通り過ぎようとした。その直後、環奈の口が開いた。
「あなたのせいでまた人が死んだわね」
「……」
俺は、反論すらできない事実に自然と足を止めた。
「覚えておきなさい、ううん、忘れるなんて許さない! あなたが珠樹たちを、今日私の仲間をそそのかして殺したことを!」
環奈はそれだけを吐き捨てるように言うと、去っていった。
俺は、肩の後ろに乗る重たい無機質ななにかを払うために軽く後頭部を撫でた。
ふと見ると、俺と一緒に足を止めていた荒瀬先輩が俺の顔を見ていた。
俺は荒瀬先輩に聞いた。
「……なにも言わないんですか?」
荒瀬先輩はいつものように苦笑を浮かべ、言った。
「おまえも面倒臭いもん背負い込んでいるみたいだな。話したくなったら勝手に話せ」
ありがたい心遣いだ。荒瀬先輩はそのまま車に歩いていった。
俺も続いて車に向かう。
「直以お兄ちゃん!」
後部座席に乗車直後、梨子がシートベルトを差し出してくる。俺はドアを閉めると同時にシートベルトをした。
「よし、隆介。出せ!」
「わっかりました!」
車は急発進する。間抜けにも、というには酷かもしれないが、車内で身動きが取れやすいように自身はシートベルトをしていなかった梨子はその勢いに前に投げ出されそうになった。
「おっと」
梨子は、右にいる俺に右手を、左にいる紅に左手を捕まれて転倒を免れた。
俺は強引に梨子を抱き寄せ、そのままシートベルト代わりに抱きしめてやる。梨子は最初はじたばたともがいていたが、やがて大人しくなった。
「紅、サンキューな」
「……」
「紅?」
「……いえ」
紅は俺から視線を逸らし、車外を見た。
俺もようやく一息吐き、梨子の頭を離して視線を車外に向けた。
外は宵闇。
月明かりに車内を暗く灯した。その様子を、俺は窓ガラスの反射越しに確認した。
ふと気付く。
紅は、反射越しに俺と梨子を見ていた。
俺は視線を車内に戻し、窓ガラスに映っている紅を見た。
紅は、わずかな身動ぎをして、俺から視線をはずした。
久しぶりの投稿、にもかかわらず、短文陳謝!
次回とは話の展開が違うのでわざとここで途切らせていただきました。
ええ、言い訳です、すいません。
次回は、次回こそは早々にアップいたします!
・・・いえ、そろそろ本気で(誰かに)怒られそうなので。