女ってもんは全般が感情的って話をしてるんすよ
「ぅ暑っちい~」
俺はYシャツの前を完全にはだけ、手うちわで顔に風を送った。
今日、というのは俺たちが谷川村より脱出した翌日のことだが、俺たちはトラックの荷台の上でゆらゆらと揺られながら鈴宮市への帰路についていた。
相変わらず空気の読めない太陽は、周りから嫌われているのも気付かずにひとりで調子に乗っている。
時刻は昼過ぎ。太陽は真上を過ぎ去り、ようやく西へと傾き始めている、が、言い換えれば今は一日のうちでもっとも暑い時間帯だった。
「あついよ~あついよー」
梨子は、ブラウスの胸元を引っ張り、中に生暖かい風を送り込んでいた。日焼けした黒い肌と日焼けしていない服の内側のコントラストが艶めかしく見えないこともなかった。
日除けに張られたビニールシートは一応の効果を発揮しているのだろうが、強力な紫外線を防ぐかわりに荷台を蒸し焼きのようにしていた。
そんな中で、ひとり紅だけが汗も掻かずにひとり超然としていた。
なんか、気のせいで通じるレベルながらいつもより俺と距離を取っている気がする。
「なあ、紅」
「はい、なんでしょうか?」
「暑くないの?」
紅は珍しいきょとんとした表情を俺に向け、答えた。
「いえ、暑いですよ。夏ですものね」
……とてもそうは見えなかった。
紅の格好はショートパンツにタンクトップだったが、タンクトップの上には夏用ジャケットを羽織り、その袖を捲り上げることすらしていなかった。てかこいつ、手足細いし長いなあ。
対してもうひとりの小娘。
汗でサマードレスはぐっしょりと湿ってるし、捲り上げたスカートから伸びた足はだらしなく投げ出されている。……別に、寸胴ってわけでもないんだけどさ。
「……なに?」
じろじろと見る俺を不機嫌そうを見返してくる梨子。
「いや、梨子。おまえ……、太ったよな」
「ッは!」
「そういえばおまえは谷川村で食っちゃ寝だったもんなあ」
「違うもん、これは、違うんだもん!」
自覚があったのか、梨子は声を張り上げて否定する。
と、突然トラックが揺れた。俺は運転席の窓ガラスを叩いた。
「おい、隆介! もう少し丁寧に運転しろよ」
俺の声に反応し、運転中の林田隆介は窓を上げた。エアコンで冷やされた空気が外に漏れ出してきた。ちなみに、助手席にいてエアコンの恩恵を享受しているのは荒瀬先輩だ。
「なんかエンジンの調子がおかしいんすよ。やっぱ川ん中に突っ込んだのがやばかったみたいっすね」
「なんだ、それじゃあ鈴宮高校まで持たないか?」
「わかんねえっす。でも、車は乗り換えたほうがいいかもしれねえ」
俺は天を仰いだ。日は高く空は青い。今日一日走り続ければ夜半までには鈴宮高校に辿り着けるのだろうが、この暑さでは乗ってる俺たちの体力が持ちそうもなかった。
「それじゃあ休憩も兼ねて一度街に入ろう。そのときに車も調達すればいいだろう」
「ちゃんと4人乗りのやつね!」
と、これは梨子。
「直以先輩。ここからならは八岐市が近いです。視察も兼ねて行ってみるのはどうでしょう?」
八岐市は、鈴宮市や長戸市のある県のいわゆる県庁所在地だ。県内では一番人口も多かった場所だし、俺たちのようなコミュニティもあるかもしれない。人間がいるってことはなにかしらのトラブルの元になるかもしれないが。
「まあ、9月10日にはまだ時間もあるし、寄ってみるか。荒瀬先輩、なんか文句ありますか?」
「……好きにしろ」
荒瀬先輩は俺に見向きもせず、それだけをぼそりと言った。
それで俺たちの方針は決まり、トラックは八岐市へと向かった。
高層ビルの並ぶメインストリートは閑散としていた。
ゾンビも人の姿もなく、道の端には乗り捨てられた車、その車には街路樹から伸びた蔦が這っている。
愚かな人間から自然を取り戻したとばかりに勝ち鬨を上げる蝉、その鳴き声だけがビルとビルの間を反響していた。
「な~んかガランとしてますね」
「ああ。とりあえず色々回ってみよう」
俺たちは車で八岐市の各所を回った。
県庁、総合病院、駅、八岐市の観光名所である八岐タワー。他にも色々と回ったが、そのどこにも人の姿はなかった。ゾンビの姿もだ。
「こんだけ大規模な街なら、俺たちみたいに人が集まっている場所があると思ったんだがなあ」
「だ~れもいないね」
「どこかに隠れてるのかも知れねえっすよ。この炎天下、わざわざ外に出て仕事するなんて馬鹿のやることだ」
「これからどうしますか?」
「とりあえず、どこかにキャンプしよう。それから車の調達」
俺たちは、市内の緑地公園内に車を止めてキャンプ設営を始めた。緑地公園はそこそこの広さがあり、見晴らしもよかった。これならゾンビが襲ってこようとも人が襲ってこようとも急なエンカウントは避けられるだろう。
「隆介、車の調達に行くぞ。紅と梨子はキャンプの設営を頼む」
俺は隆介を連れて緑地公園を出た。そこから向かったのは、500メートルも離れていない一般の民家だった。
とりあえず呼び鈴を鳴らす。だが反応はない。まあ、当然ではある。電気が通っていないのだから。
次はドアを叩く、反応はない。強めに叩いても同じだった。
「周囲の警戒を頼む」
「うい~っす」
俺は駐車場に止っているワンボックスカーの横を通り抜け、庭に出た。
縁側に土足で上がりこむと、ガラス戸を叩き割って民家に侵入する。
「どうだ? ガラス割った音でゾンビが寄ってきてないか?」
「大丈夫。この辺にゾンビはいないんじゃないっすか? 静かなもんですよ」
隆介は俺に続いて土足で室内に入った。
「油断するなよ。ドアを開けたらいきなりってのがゾンビのパターンだからな」
「わかってますよ」
俺と隆介はしばらく慎重に家内を探索した。だが、ゾンビの姿はなかった。
俺は少しだけ肩の力を抜いて隆介に話しかけた。
「隆介、少しは紅と進展があったのか?」
「あん? なんの話っすか?」
「ずっと紅と一緒だったんだろ?」
「あのさあ。なんでも恋愛に絡めるお花畑思考はやめてくださいよ」
「でもおまえ、紅が好きだろ?」
隆介は黙った。顔色が目に見えて赤くなる。
「別にいいんじゃないか? 紅はかなりお堅いけど、美人だしな」
「……俺は、進藤より直以先輩のほうがいいです」
それを聞いた途端、俺は隆介から1メートルほど飛び退いた。
「なんすかその反応」
「……寄るな」
隆介は、しばらく考え込んで、ようやく自分の言った意味がわかったらしく、声を荒げた。
「ば、ちっげえよ! そういう意味じゃねえよ!」
「別におまえがホモでも、俺は差別はしない。差別はしないが、少しだけ付き合い方は変わるな」
「そうじゃなくて! 俺はホモじゃねえよ! 進藤が好きだよ!」
隆介は怒鳴りながら告白した。隆介は金髪頭を掻き回して俺から視線を外した。
「……俺が言いたいのは愛情より友情優先ってことっすよ。なにより、進藤が相手じゃあ俺の手には負えねえや」
「ああ、それはなんとなくわかる」
俺は鍵掛けから車の鍵を見つけると、隆介に放った。
「俺がうまく行くように手伝ってやろうか?」
「くだらないおせっかいを焼いてんじゃねえよ。ていうか、進藤の前では言わないでくださいよ。あいつ、直以先輩のことが好きみたいっすから」
紅が悲しむところはみたくない、と。こいつ、いいやつだなあ。だが、世の不条理としていいやつほどもてないんだよなあ。
「ガキが、青春してやがんなあ」
「たかがひとつ歳が違うくらいで年上ぶんないでくださいよ」
「ば~か、ひとつ年上ってのは学生にとっては絶対的なアドバンテージなんだよ」
「直以先輩が荒瀬先輩に逆らわないように、すか?」
「あの人の場合はまた別だけどな」
俺は台所に行くと、片っ端から棚を開けた。
「塩、砂糖、片栗粉、醤油は……大丈夫かな?」
「この暑さっすからねえ。お、袋麺がありましたよ」
俺たちは食料やら衣料雑貨やらをワンボックスカーに積み込んだ。
そのまま車を走らせて緑地公園に着いたときにはほんのりと西の空が赤くなり始めていた。
緑地公園ではなにやら薄汚れた梨子が俺たちを出迎えてくれた。
「あ、直以お兄ちゃん、お帰りなさ~い。いいものあった?」
「まあ、ぼちぼちってところかな。それより、梨子。なんでおまえ、汚れてるの?」
「えへへ~、じゃん!」
梨子は頬と手先を泥に塗れながら、効果音付きで手に持っているものを俺の前に突き出した。
それは、梨子のちっこい手では覆い隠せないほどの大きなジャガイモだった。
「へえ、どうしたんだ?」
「えっと、自生していたみたいなの。荒瀬先輩が掘ってみろっていったところを掘ったら出てきたんだよ」
自然の野菜、か。すげえな。
「じゃあ今晩はジャガイモ料理だな」
「うん♪ 今ね、荒瀬先輩とイモ洗いして、皮と芽を剥いていたところ」
その荒瀬先輩はというと、頭にタオルを巻いて俺たちの調達してきたものを物色していた。
「塩、胡椒に片栗粉もあるな。ジャガイモのガレットにしておくか」
「なんか手伝いましょうか?」
「おまえらは竈を作っておけ」
「そういえば紅は?」
「呼びましたか?」
紅は、タイミングを計っていたかのように俺の前に立った。
「ああ、紅。どこ行ってたんだ?」
「周辺の警戒を少々」
「? そうなのか?」
「そちらのほうはいかがでしたか?」
「ああ、つつがなくってところかな。ゾンビも人の姿も、略奪の後もない」
「そうですか。まるで、ゴーストタウンですね」
言い得て妙だった。
なるほど、確かに八岐市はゴーストタウン然としている。そう考えると蒸し暑い夏空も薄ら寒いものに感じるから不思議だ。
「それでは直以先輩。これからどうしますか? 食事を取ったら出発しますか?」
「いや、もうすぐ日も暮れるし、今晩はここにキャンプしよう。そんで、明日の午前中にもうちょっと探索して、それから帰路に着こうと思う」
「了解しました」
紅は、それだけを言うとそっけなく俺の前から消えた。
そして、時間は流れて日は暮れる。
昼の余熱は太陽が沈んでもしばらくは残っていたが、それでも直射日光がないぶんだけ夜のほうが過ごしやすい。
俺たちは、荒瀬先輩の手料理を食べてようやく一息ついた。
「ジャガイモのガレット、おいしかったね」
荒瀬先輩の作った料理は、すごくうまかった。千切りにしたジャガイモを塩胡椒で味を調え、片栗粉で固めたものをフライパンで焼いただけのはずなのだが、まあ、すごくうまかった。
「料理って、変な特殊スキル持ってるよな」
「俺だって料理くらいできますよ」
「どうせチャーハンとかそのレベルだろ?」
「あ、直以先輩、チャーハンを舐めてるっすね。あれ、具材とか火加減でぜんっぜん味が違うんですから」
「おまえの場合は卵落とすかどうかってレベルだろ?」
焚き火を挟んで言い合う俺と隆介を見て、梨子はくすくすと笑った。
ちなみに、荒瀬先輩と紅は寝ている。俺たちは交代で番をすることになっており、紅、俺と梨子、隆介の順に仮眠を取ることになっているのだ。
「それでそれで隆介くん。紅ちゃんとは仲良くなれたの?」
「いつの間にか下の名前で呼んでるし。てかそれさっき直以先輩とやったから」
「そうなの?」
「ああ。隆介は女より男のほうがいいんだってよ」
「……びーえる?」
「なんだビーエルって? それに、基本的に女って信用できないだろ? 直以先輩もそう思いますよね」
「俺に振るなよ」
「うっわ~、すっごい偏見。なんでそんなふうに思うの?」
「なんか女って、先週はあいつの味方してたのに、今週は仲のいいこいつの味方する、みたいなこと平気でするだろ? 物事を善し悪しじゃなくて感情で決めるから信用できないんだよ」
「そんなことないよぉ。それに、そんなこと言ったら男の子だって一緒じゃない?」
「男はいいんだよ。そんなふざけたやろうはぶん殴っちまえばいいんだから」
「隆介は感情的な女は嫌い、と。だけどそれならやっぱり紅ってことになるよな」
「うん、紅ちゃんはガッチガチに理性の人だもんね」
にやけ顔で隆介の顔を見る俺と梨子。
「俺は、進藤が理性的感情的って話をしてるんじゃなくて、女ってもんは全般が感情的って話をしてるんすよ」
隆介はそう言って俺たちから視線を逸らした。
しかし、隆介の言葉を借りるのなら、やはりあの紅ですら女であるがゆえに感情的であるということになる。
いや、人である以上紅にも感情はあるだろう。
そのことを確認させられたのは、実に数時間後のことだった。
微かな違和感から俺は仮眠を中断して目を開けた。
そこには、紅がいた。
仮眠を取って仰向けに寝ていた俺の腰の上に、紅が跨って覆いかぶさっていたのだ。