だっしゅつ!
直視できないほどの光量は斜め上から発せらされていた。
どうやら物見櫓のようなものが立っているらしい。そこからライトで照らされているのだ。
ボウガンか、それとも狙撃銃か。おそらくは狙い定められているだろう銃口を前に、俺は大人しく自衛隊員の乗るボートからの接舷を許した。
3隻のボートに乗船する迷彩服を着た自衛隊員、その中に俺の見知った顔があった。
佐伯3等陸尉だ。
「夜間警備ですか? お疲れさまです」
「こんな時間に水遊びかい? 風流だね」
「急な事情ができて、鈴宮市に帰ることになったんですよ。通してもらえますよね」
「ああ、いいぜ。ただし、隣の女の子は置いていきな」
それを聞いた梨子は、ぎゅっと俺の服の端を掴んだ。俺は、わざとらしく重いため息を吐いた。
「あんた、自衛官ですよね?」
「なにを今さら……」
「それに、谷川神道教の信者でもない」
「……」
「なのに、なんで尾崎1等陸佐の命令に従わないで日光に従っているんだよ?」
周りの自衛官の連中に、俺の言葉から動揺を受けた様子はない。それは、ここにいる自衛官は、全員日光を支持している連中ということだろう。
佐伯陸尉は、すぐに返答しなかった。
「なんでそう思うんだい?」
「いや、わかるだろう。尾崎1佐は俺に早く谷川村から出て行くように言っていた。それに俺たちが出て行くのは、阿頼耶も阿摩羅も、月読も了承済みだ。俺たちが出て行くのを妨害するのは、日光しかいない」
「数日谷川村に滞在したくらいでずいぶん知ったかするじゃないか。きみの知らない派閥も谷川村にはあるかもしれない」
「かもな。でも、そうなんだろ?」
「ああ、そうだよ」
佐伯陸尉は、笑いを堪えながらそう言った。
「ああ。隠すまでもない。俺は日光を支持している。それがどうかしたかい?」
「……理由は? 確かに月読に近い人間だけど、実質的な権限もない日光を、なんで支持するんだ?」
「あいつは、俺たちの理想を具現化する意思があるんだよ」
「理想?」
「世界は壊れて変わってしまった。今はアメリカも中国も、日本という国すらない。そんな中でもっとも力がある組織は? そう、俺たち自衛隊だ。俺たちには、軍事力で世界を支配する力がある。だが上層部の連中は外に目を向けずに谷川村のことだけしか見ていない。阿頼耶も阿摩羅も、尾崎もだ! だから俺たちは俺たちと意見を同じにする日光を支持し、月読に親政させて天下を統一するんだよ」
……うん、率直な感想。ばっかじゃねえの!?
世界を支配? 天下を統一? 安っぽいと呼ぶも愚劣なヒロイズムに毒された言葉だ。
普仏戦争時、プロイセンの宰相ビスマルクと参謀総長モルトケの間で交わされた有名な逸話がある。
「宰相閣下、フランス全土を焦土と化しましょう。ご命令いただければすぐにでも実行いたします」
「ふむ、卿はフランス全土を焦土にしてどうしようというのかね?」
「それは私の職分ではありません!」
こいつらの思考にはこの笑い話と同様の間抜けさがある。
天下を統一して、世界を支配してどうしようというのか? 満たされるのはこいつらのくすんだ虚栄心だけだ。
ナポレオン3世をセダンに追い詰めたプロイセン軍はフランス全土を焦土にすることが可能だったろう。
谷川村にいる自衛隊は、部隊を派遣して鈴宮高校を完全に破壊することも可能だろう。
だが、そこには根本的な命題が常に付きまとう。
やってどうする? と。
俺の呆れ顔にも気付かず、佐伯陸尉は誇らしげな顔を俺に向けた。
「どうだい? 俺たちと共に谷川村に残る気になったかい?」
「いや、俺は鈴宮市に帰りますよ。梨子を連れてね」
「そうか、でもそれは駄目だ。日光に命じられてるからな。本当はきみを捕らえるようにも言われているんだけど、まったく知らぬ中じゃない。見逃してあげよう」
俺は、そっと梨子の腰を抱いた。
「だから、梨子を連れて帰るって」
佐伯陸尉の顔が、にやけた笑顔から渋面に変わった。
「聞き分けのないガキだな。それじゃあ、2人とも連行だ」
佐伯陸尉は手を上げた。周りにいた自衛官は、それに呼応するように銃を構えた。
俺は、梨子を前に突き出し、後ろから羽交い絞めにした。
「……直以お兄ちゃん?」
「……なんのつもりだ?」
梨子も佐伯陸尉も、俺の動作の意味がわからず、きょとんとしている。
俺は、言ってやった。
「人質だよ。俺になにかすれば梨子も巻き添えになるぞ」
俺の考えを理解したのか、梨子はそっと俺に体重を預けてきた。
「……なんの冗談だ?」
「まあ、冗談なんだけどね。でもあんたらは、梨子を傷物にしてでも連れ帰れって言われてるのか?」
自衛官の連中は固まった。こいつらの最優先事項は梨子を連れ帰ることなのだろう。
俺の意図がどうあろうと、俺になにかあれば梨子も巻き添えを喰う。この連中にしてみれば、それは避けたいのだ。
佐伯陸尉は俺から視線を外し、見張り櫓を見上げた。あそこから俺だけを狙撃させるつもりだろう。
物見櫓の全容はここからでは見えない。ライトが逆光になって姿を隠しているからだ。
そのライトが、ぐらりと揺れ、鋭利な線を描きながら川に消えいていった。
「な!?」
轟音を上げながら盛大な水飛沫が立ち上る。次いで来る波がボートを大きく揺らした。
「梨子!」
俺の呼びかけに応じ、梨子は俺から離れると船外エンジンのモーターを回した。
ボートはゆっくりと動き出した。
それを阻止せんと、自衛官のひとりは俺たちのボートに飛び乗ろうとしてきた。が、揺れる波間に足場を崩し、川に落ちてしまった。
川に落ちた仲間を助けようとして別の自衛官は、川面に手を伸ばした。
その手を、水面から飛び出した土気色の手が掴み、自衛官を水中へと引き込んだ。
水面はしばらくごぽごぽと泡立っていたが、やがてそれも止んだ。
「直以お兄ちゃん……」
「ああ、ゾンビだ」
俺は、角刈りマッチョとスキンヘッドマッチョがキスしていたグロテスクな光景を思い出した。
あの直後、角刈りマッチョはゾンビ化していた。だが、スキンヘッドマッチョにはその様子はなかった。ならば、角刈りマッチョはキスしたあとにゾンビに感染したことになる。
角刈りマッチョは、荒瀬先輩に川の中に放り込まれたときに感染したのだろう。
ゾンビは、川の中にいるのだ。
俺たちは、ゾンビの対応に混乱している自衛隊員の隙に乗じて、ボートを下流に走らせた。
波を引き起こした直接の原因である倒壊した物見櫓は俺たちの進路を阻むように川に横たわっていた。
「!」
俺は、梨子の頭を抱えて押し倒した。半瞬前に梨子の頭のあった場所を矢が過ぎ去る。ボウガンを撃たれたのだ。
「馬鹿、なんで撃った! 遠野梨子に怪我をさせたらどうする気だ!」
そんな声が聞こえてくる。それを聞いた梨子は、俺に小悪魔チック笑みを見せると、立ち上がってボートの後部に立った。
「梨子! なにやってるんだ!」
「大丈夫、こうすれば向こうから撃ってこれないから!」
俺は梨子を後ろに隠そうと立ち上がった、そのときだった。
水面が盛り上がった。そこから、ゾンビがひとり俺たちのボートに飛び乗ってきた。
「っち!」
俺はそのゾンビを諸手押しで突き落とそうとした。だが、できなかった。ゾンビは、俺の手を後ろに下がってかわしたのだ。
「こいつ、目が見えてる。中度感染!」
最悪だ。足場が狭く揺れるボートの上で中度感染と武器もなく遣り合うことになるとは。
髪と服から水を滴らせながら中度感染はゆっくりと俺に向かってきた。
俺は、玉砕覚悟で腰をかがめた。
力勝負したってゾンビには万に一つも勝てない。だが、勢いと体重で思いっきりタックルすればこいつをボートから突き落とせるかもしれない。足場が悪くてかわす場所がないのはこいつも同じなのだ。
俺が覚悟を決めた、次の瞬間だった。
倒壊した物見櫓の鉄骨を伝い、黒い大きな影が飛び出した。その影は跳躍すると、俺たちの乗るボートに飛び乗り、中度感染を吹き飛ばした。
「……さっさと逃げるぞ」
さも平然とそうのたまった大きな影は、荒瀬先輩だった。
「物見櫓を倒壊させたのも荒瀬先輩ですか? 案外派手好きですね」
「だが、逃げるきっかけになっただろ?」
まあそうだけどさ。
荒瀬先輩はオールを水面から持ち上げると、それを野球のバットのように振るい、ボートに乗り込んでこようとするゾンビをクリーンヒットしていった。
梨子を押し退け、ボートの後部から後方を見ると、自衛隊員の乗ったボートも水中からゾンビの襲撃を受けていて、俺たちにかまえる余裕はないようだった。
俺は船外エンジンを操作し、倒壊した物見櫓を大回りして避け、下流へと向かった。
自衛隊のボートが追ってくる様子はなかった。
「ふう、今度こそ無事にだっしゅつ成功だね」
「まだ油断するなよ。それで、これからどうします? このまま水路で鈴宮高校まで戻れるかな?」
「地理的には可能だろうが、船外エンジンではガソリンがもたないだろうな。とりあえず今日は行けるところまで行って、明日ガソリンを見つけるなり、代わりの足を見つけるなりするぞ」
「了解でっす♪」
梨子は勢いよく右手を上げると、ちょこんと俺の横に座った。
「直以お兄ちゃん、谷川村はどうだった?」
「ああ。いいバカンスになったよ。猛暑をエアコンの中で過ごせたし、うまいもんも喰えたしな」
「うふふ。そうだね。いいお休みだったね~」
梨子の柔らかい髪を上流から吹き付けた涼風が浚った。
「これからが大変だよ。長戸市のこともあるし、他にもいっぱいやることはあるもんね~」
「ああ、そうだな」
「ねえ、直以お兄ちゃん」
俺は梨子の顔を見た。口には微笑を浮かべているが、目はいつも以上に俺を凝視していた。
梨子は、俺に悟られないように、そっと告白した。
「私は、頑張るよ。聖お姉ちゃんや紅ちゃんに負けないように。直以お兄ちゃんに追いつけるように」
俺は、わざとちゃかして梨子の髪を撫でた。
「当然だろ。帰ったらいっぱい働くからな。おまえもちゃんとついてくるんだぞ」
「もおう! 子供扱いしないでよぅ」
牛娘は、口調とは裏腹に、俺の為すがままになって髪を撫でられ続けた。
と、船外エンジンが嫌な音を立てて急に止まった。
「どうしたんだ?」
「わかりません……っと、なんだこりゃ」
俺は船外エンジンを水面から上げた。すると、プロペラに黒いものがびっしりと巻き付いていた。
最初、俺はそれがなんだかわからなかった。だが、すぐにわかった。水面に、同じものが浮いていたのだ。
その同じものは、時を同じくして一斉に立ち上がった。
浮かんでいたそれは、ゾンビの頭頂部だった。プロペラに巻き付いていたものは、人の髪の毛だった。
俺たちは、いつの間にか包囲されていた。いや、包囲というよりも、俺たちはゾンビの群れの中に埋まっていた。
「ど、どこにこんなにいたの!?」
おそらくダムの放流で押し流されたゾンビがここに溜まっていたんだろう。水深もずいぶん浅くなり、ゾンビたちは腰まで川に浸かりながらも歩いて俺たちに向かってきていた。
「直以、手伝え!」
「はい!」
いつになく余裕のない荒瀬先輩の声に答え、俺は近づくゾンビを片っ端から船外エンジンで殴り倒した。
荒瀬先輩は両手にオールを持ち、ゾンビの脳漿を片っ端からぶちまけているが、数が多すぎた。一向に減る様子は見られなかった。
このままじゃあジリ貧だ。全てのゾンビを倒し終わるまで、俺の体力が持たない。船外エンジンは振り回す鈍器として重すぎた。
「荒瀬先輩、これ、どうします?」
「おまえが考えろ」
「わかってますよ!」
俺は迫るゾンビの頭を殴った。が、そのゾンビは前頭部を陥没させながらも動きを止めなかった。
やばい!
そう思ったとき、その澄んだ声は川原中に響いた。
「直以先輩!」
その声の方向から、細長い棒が縦に回転しながら飛んできた。
棒はボートの舳先にぶつかり、垂直に跳ね上がった。
それを空中でキャッチして一閃! 軌道上にいたゾンビのノド笛をまとめて掻き切った。
思わず頬が緩む。
重さ、握り、俺自身にしっくりくるその棒は『戈』、使い慣れた、俺の武器だ。
俺は戈を俺に投げてくれた少女に向かって大きく手を振った。少女は俺に応え、優雅に一礼した。
「え、なんで? 紅ちゃん!?」
久しぶりに見る進藤紅は相変わらずの鉄面皮で、頬に残る日焼けも化粧に見えるほど秀麗で、月光によく映えていた。
紅がなにやら背後に合図を送ると、人口の光が川原を照らした。それは、どうやらトラックのフロントライトらしかった。
トラックは一度甲高いクラクションを鳴らすと、俺たちの乗るボートに向かって走ってきた。
轢き跳ねられるゾンビ、波間に揺れるボート。
トラックは、俺たちのわずか1メートル手前で停止した。
「うい~っす、直以先輩。元気そうっすね」
「そう見えるんなら、おまえの目は節穴だ!」
俺は、運転席に座る金髪の後輩を怒鳴りつけた。
「とりあえずお叱りは後でってことで。ドア開けてる暇ないから適当に上に乗っかってください」
「わかった。梨子、ひとりで大丈夫か?」
「うん、大丈夫!」
「そうか。それじゃあ俺の後に続けよ」
俺はフロントガラスを飛び越え、トラックの上部を転がって荷台に滑り降りた。
すでに荷台には2人のゾンビがいたが、俺はひとりを柄で川に落とし、もうひとりの首を切断した。
ほんのわずかの間を置いて、荒瀬先輩と、荒瀬先輩に抱えられた梨子が荷台に到着する。
「逃げるっすよ! なんかに捕まってください!」
運転席の隆介はそう言うと、盛大な水飛沫をタイヤから飛ばしながらトラックをバックさせた。
陸地に着くと、Uターン、一気に川原を脱出した。
途中、わずかな重みも感じさせずに紅が荷台に乗り込んできた。こいつも、走行中の車に飛び移るって、相当まともじゃないな。
しばらく進んで安全を確認すると、隆介はトラックを止め、運転席から出てきた。
「みなさん、お怪我はありませんね。安心しました」
「紅ちゃ~ん!」
感極まったのか、梨子はいきなり紅に抱きつこうとした。だが、紅はひらりと梨子をかわした。結果、梨子は顔から転んだ。
「なんで避けるのぉ!?」
「いえ、つい……」
「隆介、紅。助かったよ。だけど、なんでおまえらがここにいるんだ?」
「牧原先輩の指示です」
「俺たち、直以先輩たちが谷川村に行ってからずっとここいらで張っていたんすよ」
「直以……」
「っとお、なんですか、荒瀬先輩」
「後はまかせた。俺は、寝る」
荒瀬先輩は、それだけ言うと荷台で寝転がり、すぐに寝息を立て始めた。
この人、谷川村ではずっと不眠不休だったからなあ。今日も働いてもらったし、な。
「お疲れ様でした。紅、ここいらでどこか安全な場所はないか? 今日はもう遅いし、そこで休もう」
「それでしたらこの先に私たちがキャンプをしていた建物があります。そこを使いましょう」
そう言うと、紅は隆介を見た。隆介は軽くため息を吐くと、運転席に戻った。
この2人、しばらく一緒にいたんだろうが、なんか上下関係ができてるな。
トラックは再び走り出した。
俺が荷台の上に座っていると、横に紅が座り、俺にしなだれかかってきた。
「直以先輩。谷川村はいかがでしたか?」
紅は、吐息のかかる距離でそんなことを聞いてくる。
「ああ。明日にでも整理して話すよ」
俺は、紅から視線を外し、反対側を向いた。
そこには、なぜか頬を膨らませてぶーたれた顔をしている我らが妹姫がいた。
……ちょっとした後日談。
俺たちが疲労困憊で鈴宮高校に辿り着いたのは、9月5日のことだった。
その俺たちを校門で出迎えてくれたのは、なんと尾崎夏海さんだった。
「あれ、夏海さん。なんで……」
「直以くんたちこそ。谷川村を急に出て行ったりして。心配したのよ」
「え~っと、夏海さんは俺たちがなんで出て行ったのかは知らないの?」
「? 急用ができて夜のうちに出発したとしか聞いていないけど、なにかあったの?」
「いや、なんにもない。なかったんだ。そういうことになったらしいけど……、それよりなんで夏海さんがここに?」
夏海さんは唇に微笑を浮かべながら、隙のない敬礼を、俺に向けた。
「谷川村より親善大使として鈴宮市に派遣されました尾崎夏海2等海尉です。以後よろしくお願いします!」
こうして、夏海さんは鈴宮市での共同生活に参加することになった。
なんにしても俺のせいで谷川村と鈴宮市が敵対関係にならなくてよかった。
さらに余談ながら、夏海さんは鈴宮市に贈呈品を持ってきた。
それは、『鶏』だった。
「荒瀬さんが言っていたから」
頬を染めてそんなことを言う夏海さんのおかげで、鈴宮市では養鶏を始めることになった。
急造した鶏小屋では、ホクホク顔した荒瀬先輩が今日も丁寧に鶏の世話をしているのだった。
これにて谷川村バカンス編は終わりです。
約75000文字、それでこのレベルとは……。
今回は少々構成無視が過ぎました。いや、まことに申し訳ありませんでした。
さて、次回は少しだけクッションを置いて外伝的なものになります。
今回の章でうまく表現できなかった荒瀬無双と、紅を活躍させたいと思っております。
・・・ただ、紅を活躍させると普通にメインヒロインの梨子を喰っちゃうんだよなあ。