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ゾンビもの!  作者: どぶねずみ
谷川村バカンス編
66/91

額は英語でforeheadです

 俺は煙突に入った。

 しばらくは縄梯子で下る。5メートルも下っただろうか、縄梯子が途切れる頃、煙突の内部に備え付けの梯子に移り、そこから延々と真下に向かって降下した。

 幸い、と言うべきだろう。梯子には幾分埃が積もっていたものの、煤けている様子はなく、煙突は本来の目的に使用されていないことが伺えた。

 月明かりすら届かない暗闇を、俺は手探りで降り続けた。

 一体いつになったら下までたどり着くのか? 

 足を下ろし下の梯子に掛け、同じように手を下ろし、再び足を下ろす。飽くなき単純作業に不安を覚えた頃、俺の足はようやく固いコンクリートを踏んだ。

 墨を垂らしたような暗がり、手を伸ばせばなにやらひんやりとした鉄が手に触れたが、それがなんなのかまでの判断はつかない。

 この先が一本道だと知らなければ、一歩も動けなかっただろう。

 俺は、手探りで足元も覚束ない道を歩いた。




 明るい半月に照らされる洞窟のような出入り口、俺がそこから出られたのは、随分と時間を使った結果だった。

 俺は安堵の息をひとつ吐くと、湿った土を踏みしめて先に進んだ。

 目的の川はすぐに見つかった。水の流れる音が聞こえたからだ。

 川面は穏やかで、地上にもうひとつの半円を映し出していた。

「直以お兄ちゃん」

 俺が川に近づくと、見計らったように梨子が姿を現す。傍らには荒瀬先輩の姿もあった。

「いったいどうしたの? 自衛隊の人にいきなり起こされてここまで連れて来られたんだよ?」

「あ~、悪い。ちょっしくじった」

 梨子は困ったように頬に手を当てた。

「それじゃあこれから村を出るの?」

「ああ。どこかにボートはないか? 用意してくれてるらしいんだけど」

「ボート? あれのことか?」

 荒瀬先輩が指差す先には、確かにボートがあった。公園の貸しボート屋で借りられるようなボートだ。オールは2本付いているが、ご丁寧にも船外エンジンまである。これなら、苦もなくボートを動かせそうだ。

 俺たちはボートのところに小走りで向かった。足元の湿りはもはや泥濘ぬかるみになっていて靴が泥の中に沈んだ。

「この辺はダムの放流で水に漬かったみたいだな。足場が悪い」

 荒瀬先輩は足を泥に取られてわたわたとしている梨子を片手で摘み上げると、ボートの上に放りこんだ。

 次いで俺もボートに乗り込む。だが、荒瀬先輩はボートに乗らなかった。

「? どうしたんですか?」

「……先に行ってろ」

 荒瀬先輩のその声に呼応するように、俺たちを半包囲するように和装束に身を包んだ一団が現れた。

 その中心にいるのは、2人のマッチョだった。ひとりのマッチョはスキンヘッド。もうひとりは、顔中に包帯を巻いている。おそらく、輪郭から見て先ほどやりあった角刈りマッチョだろう。

「このまま逃がしはしないわよぉ! アタシの彼に酷いことしたオカエシもしないといけないしね!」

 スキンヘッドマッチョはそう言うと、顔に包帯を巻いた角刈りマッチョと身体を絡めてキスをした。

 ……あ~、なんとなく、想像はしていたけどさ。こう、ガチホモっぷりを見せられると、なんというか、きついものがあるな。

「さきに行け。こいつらを片付けたらすぐに追いかける」

「片付けるって……、10人はいますよ。ゾンビが相手じゃないんだ。いくらあんただって手に余るでしょう」

 荒瀬先輩は、苦笑を浮かべて俺の顔を見た。

「おめえが残ったって変わらねえよ。足手まといだ」

 次の瞬間、俺は目を見張った。

 荒瀬先輩が俺に視線を向けている隙に、マッチョ2人が突っ込んできたのだ。


 おかしい。

 それは、もはや強いとか凄いとかそういったレベルじゃない。

 腰と足、大の男2人のタックル。しかも足場は踏ん張りの効かない泥濘だ。

 にもかかわらず、荒瀬先輩は、微動だにしなかった。

 荒瀬先輩は面倒くさそうにマッチョ2人の襟首を掴んで引き剥がすと、スキンヘッドを元いた陸地に、角刈りを川の中に放り込んだ。……どうみても100キロを超えるマッチョを片手で放り投げるって、どんな腕力してるんだよ。

「……、確かに俺がいても役に立ちそうにないですね」

「わかったらさっさと行け」

「行かせないって言ってるでしょ!」

 スキンヘッドマッチョは金きり声を上げる。

荒瀬先輩は足でボートを押し出すと、ゆっくりと陸地に向かった。

「な。、なによ! この人数相手に勝つつもりなの!?」

「騒ぐなハゲ。喚いたって髪が生えてくるわけじゃねえだろ」

 ……やっぱり、この人、須藤先輩に一番近い人間だ。

 

 そんなことを考えていると、ボートが大きく揺れた。

 川の中に沈んでいた角刈りマッチョが舟縁に手をかけて乗り込もうとしてきたのだ。

 身を乗り出した瞬間、俺は角刈りマッチョの包帯塗れの顔を踵で蹴倒した。

 角刈りマッチョは一度川に沈んだが、舟縁にかけた手は離さなかった。

 俺は、今度はその手を思い切り踏みつけた。指の骨を折る感触、にもかかわらず角刈りマッチョの手は舟縁から離れることはなかった。

 こいつ、ひょっとして……。

「直以お兄ちゃん!」

 梨子の声と同時に、角刈りマッチョ、いや、角刈りマッチョだったものは再びボートに乗り込もうと身を乗り出した。

 黄ばんだ白目に土気色の肌。間違いない、こいつ、ゾンビに感染してやがる!

「梨子、持ってろ!」

 俺は船外エンジンを持ち上げ、一度梨子に向けた。梨子が船外エンジンから出ている紐を両手に持つのを確認すると、俺は船外エンジンを振り回した。

 紐が伸び、モーターが回り出す。

 船外エンジンは稼動を始め、回り出したプロペラを、俺は角刈りゾンビに叩き付けた。

 肉を裂き、骨を削る感触が船外エンジン越しに手に伝わる。

 角刈りゾンビは、水飛沫を上げて川の中に消えていった。

「荒瀬先輩!」

 俺の呼びかけに振り向いた荒瀬先輩は、頷いた。

 俺は船外エンジンを川の中に入れた。本来の目的どおり船外エンジンはボートに推進力を与え、ゆっくりと動かした。

 

 陸をどんどん離れ、ボートは進んでいく。やがて荒瀬先輩の姿が見えなくなった頃、俺は船外エンジンをボートに備え付け、腰を下ろした。

「ふう、あとは流れに沿って下流に向かうだけ?」

 俺は梨子に無言で頷いた。

 

支流から本流へ。

 

 川幅はだんだんと広くなっていき、やがて大きな川と合流したとき、世界は一気に明るくなった。

 遮蔽物のなくなった川に、上弦の月が柔らかい光を注いでいるのだ。

 微かに波打つ川面に銀色の光が反射する。


 幻想的な光景だった。


「直以お兄ちゃん……」

 船外エンジンを切ると、梨子はそっと俺に寄りかかってきた。

「どうした? 船酔いしたか?」

「もう、ロマンチックじゃないことは言わないの!」

 梨子は、俺を押し倒すように体重をかけてきた。

 俺の上に梨子が乗る。

「谷川村でのお休みも、終わりかぁ」

「名残り惜しいか?」

「本音で言うとちょっとね。でも……」

「でも?」

「帰りがヘリじゃなくてほっとしている」

 そう言って梨子は舌を出した。


 ボートは惰性でゆっくりと下流に流されていく。


 俺は、月光に濡れる梨子の髪を撫でた。梨子は、その手に、自らの頬を当てた。

「月子ちゃんにはいっぱいお世話になっちゃったね。お別れはちゃんと言いたかったなあ」

「俺がちゃんと言っておいたよ。そのときに、おまえのことをくれぐれもって頼まれたよ」

 梨子はそれを聞くと、柔らかい吐息を零した。

「そっか。月子ちゃん、どうしても私にここに留まって欲しいって言ってたから。よかった。喧嘩別れじゃないなら、これでまた遊びに来られるね」

「そうだな。今度は、聖と雄太も一緒にな」

 梨子は、微笑を浮かべて頷いた。その顔が急に消える。雲が、月を隠したのだ。

「……なあ、梨子」

「なあに、直以お兄ちゃん」

「キス、したいか?」

 俺は月子との会話を思い出し、ゆっくりと上半身を起こした。

 梨子と俺の距離は、ほんの10センチほど、だが、お互いがどんな顔をしているのかはまるっきり見えない。

 梨子の吐息が、俺の顔にかかった。

「うん、したい。キス」

「それじゃあ目を閉じて」

 俺は梨子の細い肩に手をかけた。梨子は、一瞬だけびくんと跳ねたが、すぐに肩の力を抜いた。

 手のひらから梨子の高鳴る心音が響いてくる。いや、ひょっとしたらこの心音は俺自身のものかもしれない。ならば、それは俺の手のひらを介して梨子に通じているだろう。

 俺は、梨子の顔に自分の顔を近づけた。

 梨子の呼吸が、止まる。

 俺も、息を止めた。


 それは故意か偶然か。


 ほんのわずかな動作で唇が接する、その間際、雲が晴れた。

 眼前には頬を赤く染めて顎を心持ち上げている妹(仮)。

 瞬間、気恥ずかしくなってしまった俺は軌道を修正し、梨子の額に口付けした。

 しばらくそのまま梨子の小さい頭を抱く。

 ゆっくりと離れたとき、梨子は、最初はとろんとした目を向け、やがて、怒りだした。

「ちょっとまって! キスってこれだけ!?」

「……ああ。キスだろ?」

「ちがああぁう! キスっていったまうすつーまうすでしょ! まうすつー……、えっと、額って英語でなんだっけ? とにかくちっがあう!」

「女の子が自分を安売りするもんじゃありません。そういうのはここぞってときにとっておきなさい」

「……ちょーへたれ」

「なんか言ったか!?」

「なんにも言ってませ~っん!」

 梨子はボートから身を乗り出し、指を川面に近づけた。

「り、梨子!」

 俺は慌てた。考えるよりも先に身体が動いていた。


 ボートが揺れる。


 さっきとは逆だ。梨子は下、俺は上。

 いつの間にか、俺が梨子を組み敷いた形になっていた。

 いや、単純に梨子を川面から離した結果押し倒してしまっただけなんだが。

「直以お兄ちゃん」

 状況を理解していない、というより、盛大な勘違いをしているのだろう、梨子は俺を見上げると、再び瞳を閉じた。

「梨子……さん?」

「……いいよ。きっと、今がここぞってときだよね。直以お兄ちゃん、私を、もらって♪」

「……え~っと」

 俺が対応に困っていると、梨子は俺の首に手を回してきた。

 梨子は腕に力を篭め、まるで捕食するように俺に近づいてきた。

 顔が間近に迫ると、梨子は蛸(肉食です)のように口を窄める。

 俺が離れようとすると、腕の力が強まる。

 

 これはまずいな~という思いと、まあ、いいかという思いがせめぎ合っていると、急激に辺りが明るくなった。

 月の光ではない。人工の光に照らされているのだ。

 

 いつの間にか、俺たちは自衛隊に包囲されていた。


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