そわそわ
自衛隊の反撃が始まった。
ダムの放流によって後続のゾンビは全滅した。後は谷川村に侵入した残りのゾンビを掃討するだけ。
それは、戦闘というより狩りに近いかもしれない。そう思えるだけの戦力差が、自衛隊という集団と指向性を持ちながらも群れてさえいないゾンビとの間にはあった。
俺は戦場を一望できる峠道からその経過を眺めた。余談ながら夏海さんとガキは一足先に神殿(元村営の温泉宿)に帰っている。俺と荒瀬先輩の2人がここに別行動で来ているのだ。
「すっげ……」
まさにワンウェイゲームだった。
自衛隊はリスクとプロバビリティを極力排除し、ゾンビどもを前面から圧倒していく。
静かな戦場だった。それは、自衛隊が銃器を使用していないのだ。
使っているのはボウガン。
銃では音が出てゾンビが反応する。確かに射出音の小さいボウガンはゾンビ掃討に適した武器といえるかもしれない。
すでに戦闘教義は確立されているようで、器用に、かつ、効率的にボウガンを使い、自衛隊は戦闘を展開していった。
後に聞くことになるが、自衛隊がボウガンを使うのは、弾薬の節約のためでもあった。
それは、2つのことを示唆している。
ひとつは銃弾の補給が谷川村でもきかないこと。資源と技術の両面から、谷川村でも銃弾の大量生産は難しいのだ。
そして、もうひとつは、いつ誰に銃を向けるのか、ということだ。谷川村では、ゾンビの大群より、押し寄せてくる大量の生きた人間をターゲットにしているのが明白だった。
「どうだ、直以。もし谷川村と揉めたら、勝てるか?」
俺は、俺の横で戦場を眺めている荒瀬先輩に答えた。
「まず、無理でしょうね。今の俺たちじゃあ手も足も出ませんよ」
錬度、指揮、規模、俺たちはありとあらゆる面で負けている。減点式の採点ならば、横の連携が弱いと言えなくもないが、それに付け入れるほどの能力は俺たちにはなかった。
「もし揉めることになったらどうする?」
「だから、勝ち目はないって。大人しく降伏するしかないでしょうね」
「降伏が受け入れられなかったら?」
俺は、少し考えて答えた。
電気が使えることに加えてダムの放流なんかをみても、谷川村は地理的に強固なハードだ。ここに自衛隊に篭られたら、手も足もでない。なんとか自衛隊を引きずり出して、各個撃破するしかないが、それ自体が並大抵の難事ではない。
「言うが安しってやつですよ」
「なにがだ?」
「なんとか谷川村と自衛隊を分断して各個撃破する。まあ、俺ごときにも思いつくくらいだから、警戒は当然しているんでしょうけどね」
誰でも思いつく。それこそ言うが安しだった。
俺は、このときまさか自分が各個撃破のターゲットにされているとは、夢にも思っていなかった。
だが、それに気付くのに、俺はまだ少しの時間を必要としていた。
「……直以くん、ちゃんと聞いているのか?」
「ええ、聞いていますよ」
俺は、酒が入って頬を赤らめた阿頼耶に説教を喰らっていた。
時は夕刻、場所は神殿の大広間(おそらくは元宴会場)。
ゾンビどもの掃討は一日で終了した。端数として残ったゾンビや大量の死体の処理など、まだ片付ける問題は多いが、それでも一応の終了として戦勝パーティーが開かれることになり、そこに俺たちはお呼ばれしたわけだ。
そのはずなのだが、前述の通り俺は酔っ払いに絡まれていた。
俺はどうやら阿頼耶に、良く言えば気に入られ、悪く言えば目をつけられたらしかった。
なんか呼び名も菅田くんから直以くんに変わってるし。
俺は、上座にいる梨子を見た。梨子は俺と目が合うと、慌てて視線を逸らした。隣にいる月読は、頭の上に『?』を浮かべて梨子を見ていた。
「直以くん、ちゃんと話を聞きなさい!」
「だから聞いてるって。夏海さん、助けてよ」
荒瀬先輩にお酌をしていた夏海さんは、俺が呼びかけると一瞬だけこちらを見て、梨子と同じように慌てて視線を逸らした。
他の人間も一緒だった。教団の最高幹部である阿頼耶に口出しできる人間は実質的にいないということなのだろう。もしいるとすれば、阿頼耶と同等以上の地位にいる限られた人間だけだった。
「ほら、阿頼耶。いい加減にしなさい。お客人が困っておいででしょう?」
見るに見かねたのか、そう言って阿頼耶を静止してくれたのは、限られた人間であるところの阿摩羅だった。相変わらず重そうな着物をまとっている、妖艶な女性だ。
「沙織、あなたからも直以くんにひとこと言ってやりなさいよ」
「本名で呼ばない! すいませんね、菅田さん。阿頼耶も普段ならこんな悪酔いをすることはないのですけど」
「いや、かまいませんよ。良く言えば親しみ安いし。初対面での凛々しいイメージはなくなったけどね」
阿摩羅は赤い唇を歪めて形のいい微笑を作った。うん、色っぽいお姉さんだ。
阿摩羅は、端に立っていた給仕に指示を出して半強制的に阿頼耶を退場させると、今まで阿頼耶が座っていた場所に自分が座った。そのまま俺に寄り添うように身体を密着させ、両手でウーロン茶の瓶を持った。
「菅田さんはお酒はやらないんでしたね?」
「ええ。まだ未成年だからね」
俺がコップを持つと、阿摩羅はそっとウーロン茶を注いでくれた。身体の密着具合がさらに増す。あ~、いい匂いだ。俺は、酒とは違う一種の酩酊感に酔いそうになった。上座からなにか突き刺さるような視線を感じたが俺は気付かないふりをした。
「今日はありがとうございました。なんでも逃げ遅れた子供を助けるために身を挺して行動してくださったとか。阿頼耶も私も、谷川村の全員があなたに感謝しているのですよ」
阿摩羅はそんなことを言ってくる。俺は、黙ってウーロン茶を一口飲んだ。
「谷川村での生活はどうですか? なにか不自由はさせていませんか?」
「大丈夫ですよ。厚遇されているのはわかるし」
それは、席順を見てもわかった。
まず上座に月読となぜか梨子。その次に今夜の主役である自衛隊の幹部と教団の幹部。そして、その次には俺たち鈴宮市の代表の席があるのだ。
言ってみれば、谷川村に訪れている多数の外交官の中でもっともいい席を用意してもらっているってことだ。
「なにかご要望がありましたらなんでも仰ってください。可能な限り、善処しますわ」
「それじゃあ早く会談の席を設けてくれませんか?」
阿摩羅は、少しだけ身体を離すと、さらに身体を密着させて俺の耳に吐息を吹きかけた。
「無粋ね。こんなときに仕事の話をするなんて」
厚い着物越しにも女の柔らかさが伝わる。
「こっちの都合で延期したのは悪かったけど、仕事が片付かないとゆっくり遊べないから」
阿摩羅は、そっと俺から離れて熱い視線を送ってきた。
「今晩、10階を訪ねてください。もちろんおひとりで」
そう言って阿摩羅は俺から離れていった。
俺は、口を手のひらで覆って、顔の下半分を隠した。
「……来た、か」
そう、ついに来た。待ちに待ったやつが。
なにが来たって、あれだ。
枕営業だ!
阿摩羅は俺の倍以上生きているだろうが、あれだけの美人なら年齢差なんか関係ない。むしろウェルカムだ。
俺は、にやける口を隠すためにウーロン茶を一気に飲み干した。
「直以お兄ちゃん、なんか変」
「なんだ、どこが変だ?」
「そうじゃなくて、態度が変」
薄暗い部屋、布団の中で梨子は猫のように瞳を爛々と輝かせ、俺を睨んできた。
「態度が変ってなんだよ」
「だって、今日はお風呂入ってる時間も歯を磨いている時間も長かったし、今もそわそわしてる」
「ストーカーみたいに人のことを観察していないでいいから。さっさと寝なさい」
「なによお、ヒトをヤッカイモノみたいにぃ」
実際、今の梨子は厄介者だった。俺は、梨子が寝付いた後、大人の時間を過ごすために10階に行かねばならないのだ。
いや、ぶっちゃけるのなら梨子に正直に話してさっさと行けばいいのだが、なんというか、後ろめたさを感じてしまい、それができないでいるのが現状だ。
「なんか今日の直以お兄ちゃん、大変だったみたいだね。本当はパーティーのときに月子ちゃんを紹介する予定だったんだよ」
「ああ、そうだったんだ。それは残念だったな」
「なんか、アラヤさんに絡まれてたし。あの人と仲良くなったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどな」
俺は梨子から視線を逸らした。俺は、自分でも自覚できるほどそわそわして落ち着きがなかった。
「? 直以お兄ちゃん、本当におかしいよ? 大丈夫?」
「あ~、いや、疲れてるのかもナ。さっさと寝ることにしよう」
「そっか。それじゃあ今日はおしゃべりはやめて、寝よっか」
「……ああ、そうしよう」
梨子は、俺の小指を掴むと、そのまま瞳を閉じた。そして、1分も経たないうちに寝息を立て始める。
梨子は寝つきがいい。ベッドが天蓋付きの羽根布団だろうがダンボールの敷布団に着たきりの上着の掛け布団だろうが、変わらずに安眠する。なんちゃってサバイバー梨子は、どんな環境でも熟睡できる眠り姫だった。
まあ、今はそれがありがたい。俺は、俺の小指をしっかりと握っている梨子の手を外すと、心の中で梨子に謝ってからゆっくり布団を出た。
音のしないように襖を開け、続きの間へ。そこには、足を伸ばしてロッキングチェアーに座る荒瀬先輩がいた。
「……どこか行くのか?」
「ええ、朝までに戻ります。もし梨子が起きたら便所にでも行ったって言っておいてください」
「わかった。俺が行かなくても大丈夫か?」
「大丈夫です!」
ていうか、ついてこられたら困る。俺は荒瀬先輩との話を打ち切り、部屋を出た。
が、鉢合わせるように夏海さんが立っていた。なんかやたら邪魔が入るな。
「あれ、直以くん。どうしたの?」
「あ~っと、便所です」
「部屋にもトイレはあるはずだけど」
「えっと、大きいほうなんですよ。部屋のですると臭いが篭るから、梨子がうるさいんですよ」
「あ、そうなんだ」
悪役になってもらった梨子に本日2度目の謝罪をしながら、俺は夏海さんと別れた。
背後で扉の閉まる音を聞き、俺は小走りに非常階段まで走った。エレベーター待ちをしているところを見つかったらまたなにか言われるに違いない。
音を立てないように階段を上って行く。幸い、部屋があるのは8階、目的地の10階までたったの2階分だ。
10階の出入り口のところには、2人の男が立っていた。和装をしているところを見ると、どうやら教団関係者らしい。
男たちは威嚇するように手に持っている棒を俺に向けた。
「ここより先は教団幹部の居住区になっております。立ち入り禁止ですのでお戻りください」
「……え~っと、なにも聞いていないのか?」
「? はい。とくに誰かを通すようにという指示は受けていませんが」
これは、あれか? 夜這いをかけるからには命がけで来いってことか?
さてどうするかと考えていると、男たちの後ろから、さらに別の男が来た。
この人には見覚えがある。陸上自衛隊の佐伯3等陸尉だ。
「彼は大丈夫だから、黙って通して」
「しかし……」
「阿摩羅の指示だから」
佐伯陸尉にそう言われると、見張りの男たちは渋々ながらも俺を通してくれた。
佐伯陸尉は俺についてくるように言うと、10階を歩き出した。俺は佐伯陸尉の後を追った。
「俺が来るってわかっていたんですか?」
「まあね」
佐伯陸尉はそっけなくそう答えた。
しかし、この人は自衛隊の人間で教団の人間ではない。それは、阿摩羅に敬称をつけなかったから間違いないと思うが、それにしては阿摩羅の小間使いのようなことをやっている。
今ひとつ、谷川村のパワーバランスがわからないな。
と、佐伯陸尉の足が止まった。
「ここに入りな」
俺は、佐伯陸尉の指差す部屋の扉を見た。
「ここで今からなにをやるか、あなたは知っているんですか?」
佐伯陸尉は頬を歪めた。それがどこかいやらしく見えたのは俺の気のせいではないだろう。
「ま、ごゆっくり」
佐伯陸尉は俺の肩を叩いて、その場を去っていった。
俺は、佐伯陸尉の姿が見えなくなるまで見送り、軽く深呼吸して、ノブに手をかけた。
前もって言っておくと、このあとお色気展開にはなりません。
今回はそう思ってもらえるようにミスリードしたつもりなんですが、書き上げて、ミスリードよりアンフェア感のほうが強い気がしたので白状しておきました。枕営業なんて直以が勝手に思っているだけですし。
どうか、悪しからず。