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ゾンビもの!  作者: どぶねずみ
谷川村バカンス編
55/91

私、しやわせだぁ~♪

 俺は小走りで先ほど来た道を戻った。

 そしてたどり着いたのは、体育館だった。

「お~、直以。手伝いに来てくれたの?」

 ちっこい身体を精一杯に動かして俺を出迎えてくれたのはさっちゃんだ。

「さっちゃん。梨子が来なかったか?」

「梨子ちゃん? ううん、来てないけど」

 来てないのか。あいつ、どこ行ったんだ?

 さっちゃんは周りの人になにやら指示を出した後、俺のところに来た。意外にも、いろいろと指図するところはけっこう様になっていた。

「なに? なんかあったの?」

「いや、大したことじゃないんだけど」

「なになに? レンアイごと? おねーさんが相談に乗ってあげよっか」

「……仕事しろ、研修医」

「むぎゃ~~~!」

 さっちゃんは白衣の袖余りで俺を乱打してくる。っと、いかん、今はさっちゃんと遊んでいる場合じゃないんだった。

「悪いさっちゃん。ちょっと急いでるんだ」

「なに? ほんとに手伝ってくれないの!?」

「また後でな」

「あとっていつよ」

「来年か再来年」

「ぎゃーぅ!」

 俺はさっちゃんのわめき声を背後に聞きながら体育館を出た。

 と、体育館の出口で柔らかいものとぶつかった。

「悪い。急いでいたから」

「いえ、私もよく前を見てなかったから、って、直以くん?」

 俺がぶつかったのは、3組の長である内藤晴美だった。相変わらずの大きな胸だ。

「久しぶり、戻っていたんだね」

「ああ。須藤先輩に呼び出し喰らってね」

 俺は、内藤の顔を見た。

「? どうしたの、直以くん。急いでいるんじゃなかったの?」

「あ、ああ。そう、なんだけど……」

 軽い葛藤。

 三つ編みにメガネ、それに巨乳という内藤のトレードマークに変わりはない。変わったのは顔付きだ。

 頬は痩せこけ、目は窪んでいる。傍目にも、内藤が疲れているのがわかった。

「内藤、大丈夫か?」

「え、なにが?」

「なにがって、おまえ、相当顔色悪いぞ」

「あ、うん……。最近、酷暑が続いているから、夜眠れないんだ」

 内藤は俺から目を逸らしてそう言った。

「倒れたら元も子もないから。無理せずに少し休めよ。なんだったら俺から須藤先輩に言って3組の仕事を減らしてもいいからさ」

「……休めばなんとかなるの?」

「内藤?」

「ごめん、私、本当に余裕がないみたい。直以くんは私の心配をしてくれてるのに、こんなことじゃ駄目だね」

「愚痴ぐらいならいくらでも聞くよ。吐き出して楽になるならいくらでも手伝うからさ」

「ううん、大丈夫。吐き出したって、今は変わらないしね」

 その言葉で、内藤がなにに苦しんでいるのか、俺にはわかった。

 内藤は、ゾンビの溢れるこの世界に絶望しているのだろう。

 事実として世界は変わり続けている。

 朝起きて家族と会話し、学校に遅刻しないように登校する。もう、そんな日常は戻ってこない。

 現実の日常は、街にはゾンビが徘徊し、生き残った人間がお互いを殺し合う、そんな世界。内藤にとっては悪夢そのものだ。

「直以くん。私は本当に大丈夫だから。敵対していた私を組長に抜擢してくれた須藤先輩の恩にも報いなくちゃいけないしね」

「……内藤。俺のことは頼ってくれていいから。大して役にも立たないのは自覚しているけど」

「うん、ありがとう。そのときはお願いね」

 内藤は痩せこけた頬を引きつらせて笑顔を作った。



 ひょっとしたら、このとき本当に俺を必要としていたのは、梨子ではなく内藤晴美だったのかもしれない。

 俺には、内藤が内面からじわじわ死んでいくのが、わかったはずなのだから。

 世界は変わってしまった。だが、変わらないものもある。そのことを伝えられたのなら、あるいはあんなことにはならなかったかもしれない。

 俺は、内藤が体育館に入っていく背中を、ただ見送ることしかしなかった。

 そのことを一生後悔することになるなんて、このときの俺は思いもしなかった。





 梨子を発見したのは、すでに日が落ちかけた夕方になってからのことだった。

 屋上の給水塔の影で、ぽつりと座っていたのだ。

「この、家出娘が。こんなところに隠れてやがったか」

「へへ、見つかっちゃった」

 梨子は、ちろっと短い舌を出すと立ち上がってスカートについた埃を払った。

「ねえ、直以お兄ちゃん。図書室は見た?」

「ああ」

 図書室は、今まで俺たちが使っていた、いわば私室のようなものだった。それが、今は俺たちが置いていた私物は端に寄せられて荷物置き場のようになっていた。

 鈴宮高校の人口は増え続けている。そんな中で図書室のような広い空間を俺たち4人だけで使うのは贅沢な特権だったから、仕方ないことではある。

「またひとつ、私の居場所がなくなっちゃった」

 梨子はそう言って悲しそうに笑った。

「居場所ならまた作ればいい。それだけのことだろ」

「うん……、そうだね」

 梨子は暗がりの日陰から黄金色の夕日の中に流れた。栗色の柔らかい猫毛が光を湛えて輝いた。

「直以お兄ちゃん。私は今、幸せだよ」

 梨子の顔は逆光で俺からは見えない。

「聖お姉ちゃんと雄太お兄ちゃんが私のことを想ってくれて、直以お兄ちゃんが傍にいてくれる。怖いくらいに幸せ」

 俺が一歩近づくと、梨子は俺に背を向けて表情を隠した。

「大丈夫、私は大丈夫」

「梨子……」

「絶望なんて、いつも傍にあるもの。世界が私の思い通りになったことなんて、今まで一度だってなかった。今回だって同じ。今までと、同じこと……」

 俺は、そっと梨子を後ろから抱きしめた。

 梨子は、細くて小さい、女の子だった。

「おい、馬鹿妹。なんで勝手に自己完結しているんだ?」

「そんなこと……、してないもん」

 梨子の声は割れている。もはや涙声だった。

「俺も一緒に行くんだしさ。ちょっとした小旅行みたいなもんだ。今生の別れってわけでもないし、そんな気負うことなんてないぞ」

「ぃっく。でも……、ひゃあん」

 俺は、梨子の耳たぶ(案外福耳)を()んだ。梨子は身悶えるが、俺は梨子を離さなかった。

「おまえは幾つか勘違いしている。まず第一に、須藤先輩はおまえを特使にして谷川村に派遣しただけで、おまえを差し出したわけじゃない」

 梨子は身悶えるのを止めると、そっと俺に寄りかかってきた。

「次に、おまえには拒否権がある。行きたくないなら、はっきりそう言えばいい」

「そんなこと、言えるわけないよぉ」

「なんでだよ。俺たちは生きるために一緒にいるんだ。須藤先輩たちが俺たちに気に入らないことを命じるんなら、俺たちはそんなやつらを見限ればいい。それだけのことだろ」

 梨子は、首を傾げた。俺の頬を梨子の髪がくすぐる。

「それともうひとつ。おまえの最大の勘違いだ。雄太や聖、俺がおまえを手放すはずがないだろ。言っとくけど、これにはおまえの拒否権なんてないからな」

「……ひどお~い、私の意思は無視なのぉ?」

「そうだ。おまえの意思は完全無視だ。おまえは、黙って俺たちの傍にいればいいんだよ」

「直以お兄ちゃんは、私の傍にいてくれるの?」

「おまえが嫌だっていってもな。思春期娘に嫌われる父親ばりに付きまとってやるよ」

「ほんとうに? ぜったい?」

「ああ。俺たちは、遠くの誰かより、おまえのほうが大切なんだからな」

 梨子は、ようやく肩の力を抜いた。

「直以お兄ちゃんは、紅ちゃんより私のほうが大切?」

「? ああ。そうだな」

「麻理先輩よりも?」

「え? あ、いや、うん。大切だ」

「聖お姉ちゃんよりも?」

「……まて。なんでそこで聖が出てくるんだ?」

 梨子は、俺に後ろから抱かれながら、くすくすと笑った。

「ざ~んねん。もうちょっとで逆転さよなら満塁ブザービーターだったのに」

「なんかいろいろ混ざってるぞ」

 梨子は柔らかい頬を俺の顔にこすりつけてきた。

「直以おにいちゃ~ん、私、しやわせだぁ~♪」

「……」

 俺は、梨子の細い肩を掴んで突き飛ばした。

 梨子はつんのめって振り返り、だらしのない怒り顔を使った。口元はへの字で頬を膨らませているが、目尻が蕩けそうなぐらい垂れ下がっている。

「もう! もうちょっと甘えさせてよ」

「調子に乗るな」

「あ~っと、そろそろいいかな?」

 背後からの突然の声に、俺は慌てて振り返った。梨子も気付いていなかったらしく、びっくりして10センチほど飛び跳ねていた。

「お、おう、聖。いつからいたんだ?」

「最初からいたよ。別に出歯亀を気取るつもりはなかったんだが、2人の世界を壊すのは悪いと思ってね。それより、手伝ってくれないか?」

「? なにをだよ」

「荷物運びだよ」

 聖はそれだけ言うと、さっさと屋上を後にした。俺と梨子も聖の後を追う。

 聖は、まず図書室に寄って私物を担いだ。

 まあ、今晩ここで過ごすわけにもいかないから、新しい寝床を確保するんだろう。

 そう思って俺と梨子も聖に倣い、自分の荷物を持った。

「それで、どこに行くんだ?」

「ロータリーだ。もう雄太が用意しているはずだ」

 その言葉の意味は、すぐにわかった。

 ロータリーには、大型の車が止まっていたのだ。それもキャンピングカー。

 日本ではなかなか見かけない、牽引車に引かせるタイプの、トラベルトレーラーってやつだ。

「すっげ、こんなの映画の中くらいでしか見たことねえぞ」

 俺の隣の梨子も口を開けてぽかんとしている。そんな俺たちを見て、聖は人の悪い笑みを浮かべた。

「ウェルカムホーム、新しい我が家へ。さあ、入りたまえ」

 俺は梨子の荷物を持って聖の後に続いた。車内には、弱冷房が効いていた。

「おう、直以。遅かったな」

「雄太、これ、どうしたんだ?」

「いやあ、昔からこういうのに興味あってさ。扱っている店を知ってたから、さっきちょっと拝借してきたんだ」

 雄太は、優しい目で、言葉もなく車内を見渡している梨子を見ながらそう言った。

「ぶっちゃけるならさ。これは須藤先輩に対する牽制だよ。俺たちはいつでもこんなところ出て行ってやるっていう姿勢を見せるためのな。……直以、どうした?」

「いや、これが周防橋にあればもう少し楽できた、と思ってさ」

 実際はガソリンで動くこの車をそんな頻繁には使えないんだろうけど、それでもあの炎天下の日々をこの車で過ごしたかった……。

「さってと、4人揃ったところだし、ちょっと話そうぜ。梨子、こっち来て座りな」

 雄太に言われて、梨子はソファに腰下ろした。俺も隣に腰を下ろす。四角いテーブルを挟んで、雄太と聖も座った。

「それで、梨子。どうする?」

「え? え? どうするって?」

「とりえあず、谷川村に行くか? もし嫌だっていうんなら、このまま車を走らせて、どっかに行くって手もあるよ」

 梨子は、軽く息を整えると、テーブルの下でそっと俺の手を握ってきた。

「私は、谷川村に行ってみようと思う。月子ちゃんは、私の友達だし、直以お兄ちゃんもついてきてくれるから。それに、それがみんなのためになるんだったら、私はみんなのためにも行きたい」

 いい子ちゃんの回答だ。だが、ぎゅっと握った手から、梨子の俺たちへの信頼が伝わってきた気がした。

「わかった。当面はそれだけ決まっていればいい。俺たちには、十分だよ」

「当面はって?」

「谷川村に行ったら、鈴宮市には戻ってきたくなくなるかもしれない」

「その可能性は高いな。電気も使えて自衛隊にも守ってもらえる。安全性でも生活水準でも、こことは比較にならないほど谷川村は高いだろうからな」

「そっか……、そんなこと考えもしなかった」

 梨子は、俺の顔を下から見上げてきた。

「直以お兄ちゃん、どうする? いっそのこと、谷川村に移住する?」

 俺は、梨子から顔を逸らした。

「さあな。行ってから考えるよ」

 梨子は、破顔すると俺の胸に顔を埋めた。

「わかってるよ。私は、直以お兄ちゃんのことはちゃんとわかってます! 今は私のことが大切って言ってくれたけど、紅ちゃんや麻理先輩が大切じゃないわけじゃないもんね。2人は、私にとっても大切な人たちだもんね」

「知ったかぶってんじゃねえ!」

「にゃああん♪」

 俺が梨子の小さな頭をヘッドロックすると、梨子は俺の腕の中でじたばたと暴れた。

「ふ……む、梨子くんのほうは大丈夫そうだな」

「ああ。直以。もしおまえらが『9月10日』までに戻ってこれなかったら、俺と聖は独自に動くことにする。だから、それまでにここに戻ってきてくれ」

「ああ、わかってる。梨子も連れてなんとか戻ってくるよ」

 俺は、梨子を小脇に抱えながら、雄太と拳をぶつけ合った。





 翌日、俺と梨子は久しぶりに制服に身を包んで、校門前に集合した。

 制服といっても冬服だ。ブレザーは肩に担いでワイシャツは旅行用バックの中、スラックスとTシャツという格好だが。

 梨子は、手で俺と自分の顔をパタパタと扇いだ。

「ふう、今日も絶好調で暑くなりそうだねえ」

「ああ、そうだなあ」

 日陰もない校門前で俺たちは立ち尽くしていると、数人の男女が校舎から歩いてきた。

 見送りの須藤先輩と同行の尾崎さん、それに俺と同じような格好をしている荒瀬先輩だ。

「直以く~ん、待たせたわねぇ」

「ええ、待たされましたよ。この暑い中ね」

「いや~ん、そんなにお・こ・ら・な・い・の♪」

 俺が愚痴を言うと、須藤先輩は冷たい指先で俺の頬を突付いてきた。

 そして、そっと俺に顔を近づけた。

「とにかく、9月10日までに戻ってくること。電気のことも水のこともこの際どうでもいいわ。私があなたに伝える最優先事項はそれだけ」

 俺が須藤先輩を見ると、この真性悪魔は、もういつもの人を喰った笑みを浮かべていた。

 謀らずも雄太と同じことを俺たちのリーダーは言ったわけだ。

「わかってますよ。ま、無難にまとめてきます」

「うん、お願いね」

 俺は、須藤先輩の隣に立っている長身の男を見た。

「荒瀬先輩、よろしく」

「ああ……」

 荒瀬先輩はそれだけを言って梨子の荷物を取り上げた。もともと多弁な男じゃない。この人はこんなもんだろう。

「申し訳ありませんが、そろそろ時間なので。そろそろ出発いたします」

 尾崎さんはそう言って歩き出した。俺たちも尾崎さんに付き従って歩き出す。


 こうして、俺たちは谷川村に向けて出発した。





 ……て、ちょっと待て。谷川村まで歩いて行くのか?


 俺の疑問は、爆音と共に、時間を置かずに解明されることになった。


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