男より男らしい
俺はドスの柄から足を離して、麻理のところに駆け寄った。
「麻理!」
麻理は、顔を押さえてうずくまっている。
出血がひどい、顔の左半分が血塗れだ。
俺は、着ているシャツを破ると、麻理の顔に当てた。
麻理の顔を押さえる俺の手を、麻理は上から押さえた。そして、空いたほうの手で俺の首に手をかけると、思い切り引き寄せてきた。
おそらくは痛みで朦朧としているだろう視点を強引に俺の顔に向け、麻理は言った。
「私なんかにかまっている場合じゃないでしょう! さっさと、みんなのところに戻りなさい!」
「麻理、大丈夫か!」
「だ・か・ら! さっさと行きなさいってえの!」
「わかった」
俺は、麻理の脇と膝の裏に手を入れると、一気に持ち上げた。水を大量に吸い込んだ服の重量もあるのだろう、梨子の倍は重かった。
どっちにしても、ここでは治療できない。俺は、隆介たちのいるバスに向かって走った。
「ふっざけんじゃないわよ! 私を負担にしないでよ!」
「負担?」
麻理は、答えるのも苦痛そうに荒い息を吐いていた。
「……直以は、私のせいで火事のときのことをトラウマにしていたんでしょ。このままじゃ、私は直以に見てもらえない」
「別に、俺はおまえのせいでトラウマになったなんて考えてねえよ。おまえを救えたから、この程度で済んでるんだ。今おまえを失ったら、俺は火事どころじゃ済まないトラウマを抱えることになるよ」
聞いているのかいないのか、麻理は俺の裸の胸に顔を埋め、気を失った。
前線では、すでに乱戦状態になっていた。バス内からの援護射撃はほとんど効果を表せず、数に勝る長戸市の兵に押されまくっている。
「隆介、戦況は?」
「あ、直以先輩。大丈夫だったっすか!」
「戦況!」
俺は隆介を怒鳴りつけ、麻理をバスのシートに寝かせた。
「滅茶苦茶攻められてるっす。ぶっちゃけ、そんなにもたねえっすよ」
そう言ってる側から、バスが大きく揺れた。なにかがぶつかったのか、ぶつけられたのか。どちらにしても尋常じゃない揺れ方だった。
「誰か、救急箱!」
気を利かせたひとりが、すぐに麻理の怪我を見る。
「どうだ、なんとかなるか?」
「ここじゃ無理だよ。なんとか後ろに運んで医者に見せないと……」
俺は、大きく舌打ちした。
なんにしても目の前の事態を収拾するのが先だな。
「隆介、俺は外に出る。おまえは引き続きここを仕切ってくれ」
「ま、待ってくださいよ。俺も行きます」
「駄目だ。おまえは麻理の代わりをしてくれ」
俺は、話す時間ももったいないと、そのまま外に出ようとした。が、隆介はそんな俺を強引に止めた。
「それじゃあ俺が外に行きます。あんた、見るからに疲労してるっしょ」
言われて、俺は気付いた。
土砂降りの雨の中を人一人抱えてここまで来たのだ。どこか、ハイになっていて気付かなかったが、確かに身体の芯の部分から、疲労が感じられた。
「直以先輩は俺たちの大将なんだから、どっしり構えていればいいんですよ。それで、なにをすればいいんすか?」
俺は、少し考えて、隆介に任せることにした。隆介は頼りにならないやつじゃないし、今の俺じゃあ返って足手まといになるかもしれなかったからだ。
「ひとりで戦っているやつらを助けてくれ。なんとか、集団で戦えるようにもっていくんだ。できるか?」
「要するに暴れまわって仲間集めればいいんすね。お安い御用っす! おい、何人か付き合え!」
隆介は、数人の仲間とバスを降りていく。自分で動けないことに歯がゆさを感じるが、ここは、隆介を信頼することにしよう。他にもやることはあるのだから。
「おい、残っているやつ。援護してくれ」
俺は窓ガラスを開けて、半身を外に出した。すぐに雨粒が顔を叩き始める。そこから見下ろす戦場は、敵も味方も区別がつかない。
辛うじて殺意を持ってこちらに向かってくるやつは敵だろうと判断できる、ひどい乱戦だった。
俺は、口に入る水を吐き出しながら叫んだ。
「まとまって戦え! 近くに味方を見つけるんだ!」
俺は生きているぞ。あんたの作戦は失敗だった。
それを美紀さんに伝える意味も込めて、俺は大声で叫び続けた。
どこからか飛んできた銃弾が俺の頭上を通り過ぎ、窓ガラスにヒビを入れた。
……この風なら弾は当たらない。
バスに引きこもりたくなる臆病心をねじ伏せ、俺は叫ぶ。
「とにかく知り合いを見つけろ! 味方で徒党を組め!」
薄暗いここからでは敵味方の判断もつかないが、眼前の距離なら顔ぐらい確認できるだろう。そうすれば、しばらく一緒に行動した仲間かどうかくらいの識別はできるはずだ。
とにかく、まとまって組織的な行動をとることからだ。
さもないと、指揮なんてとても執れたもんじゃなかった。
と、戦場にひとつの変化が訪れていることに俺は気付いた。発端は、おそらく隆介だろう。なぜか、俺たちの士気が上がっているのだ。
「直以先輩が指揮を執ってくれる! もう大丈夫だ!」
その言葉を聞き取ったとき、俺はバスからずり落ちそうになった。
「あ……の、馬鹿! なんて恥ずかしいことを!」
これが戦場心理というものだろうか。
孤独に戦っていた仲間が縋れるなにかを提示された。それは必然的に頼ることになるのだろう。
それが俺というのは大きな問題なのだが。
だが、この後に及んでは選り好みもしてられなかった。
俺は、半身裸のまま、バスから身を乗り出して目立ち、大声を張り上げ続けた。
喚声が歓声に変わり、集団的な反攻が可能になった頃、長戸市の兵は撤退を開始していた。
もう少し引き摺ってくれればこちらとしても痛撃をお見舞いできたのだが、その隙をくれないところは相変わらず見事な統率ぶりだった。
歓声が勝ち鬨に変わり、なにやら俺を祭り上げそうな雰囲気になってきた頃、俺は窓を閉めてバス内に入った。
叫びまくったせいか、全身ずぶ濡れなのに、のどはカラカラだった。
が、まだ終わったわけじゃなかった。
「すぐに怪我人の収容。それと、ここはもう放棄して監視砦に下がるぞ。疲れが溜まっているだろうけど、すぐに取り掛かってくれ」
「もう少しみんなに答えてやればいいのに」
誰かがそんなことを言ったが、俺は無視した。俺にそんな幻想に付き合う義理はないし、そういったことは、大地がやればいいのだ。
俺は、座椅子の上に腰を下ろした。下着まで湿った感触が気持ち悪い。
傍らの麻理を見る。
赤黒く変色した包帯の後ろで、麻理はようやく安らかな寝息を立て始めていた。
台風は一夜で周防橋の上を通り過ぎていった。
雲ひとつない蒼天は太陽を輝かせ、じんわりと夏の暑さを取り戻していく。
橋の先には、長戸市の兵の姿はなかった。撤退はしていなかったが、俺たちと同じように橋の出口に陣取っている。
昨日の被害の再編成に手間取っているのか、それとも次の攻撃の準備をしているのか、どちらにしても長戸市は、今までのようにいつでも攻められるような臨戦態勢を解き、俺たちから距離を置いていた。
「ふひ~、今日も暑くなりそうだねえ」
梨子は俺の隣で汗を拭った。日に焼けた黒い肌と脇の下から見える白い肌のコントラストが妙に眩しかった。
「梨子、聖に聞いたぞ。昨日は大活躍だったみたいだな」
「そんなこと……、私は、紅ちゃんと一緒に聖お姉ちゃんの言う通りに動いただけだよ」
監視砦を襲撃していた敵は、密かに砦を抜けて後背に回った部隊に一網打尽にされたらしい。
その部隊を率いたのが、梨子と紅だった。
この戦闘で、実に100人近い捕虜を捕らえたとのこと。
長戸市の総数はわからないが、これはかなりの痛手だったことだろう。
「麻理先輩、心配だね」
顔を切られた麻理は後方に送られて治療を受けている。
命に別状はなさそうだが、傷つけられた場所が悪い。落ち込むな、というのは無理な話だろう。
梨子と一緒にどうやって慰めようか考えていたが、麻理はその日の午後には何事もなかったかのように俺の前に姿を現した。
颯爽と現れた麻理は、周りからの視線を気にも留めずに、俺の前に立った。
「こっちはなんとかなったみたいね。よかった、少し心配していたのよ」
「心配っておまえ……、おまえのほうこそ大丈夫なのかよ?」
「ええ。午前中は熱が出たけど、抗生物質も飲んだし、もう大丈夫よ」
とてもそうは見えなかった。麻理の左顔半分は厚手のガーゼに覆われていたからだ。
なんの言葉も発せない梨子と俺に、麻理は片頬を吊り上げた。
「なによ、辛気臭い顔をして」
「あ、いや……」
俺は、なにも答えられない。
麻理は、そっとガーゼに手を添えた。
「これ、痕になるみたいね。まあ、仕方ないわ。自分でドジやったんだしね」
「おまえのせいじゃないだろ!」
俺は思わず声を荒げてしまっていた。
一瞬だけ麻理は目を丸くして、その後、苦笑を俺に見せた。
「私のせいよ。他の誰でもない。自分のせい」
「いや……、俺のせいだろ」
「やめてよ。私は、こんなことであんたの負い目になんてなりたくないんだかんね」
俺は、無言でガーゼを見た。
麻理は俺の視線に気付くと、悪戯を思いついた子供のように唇を歪めた。
そして、顔に貼られたガーゼを掴むと、一気に引き剥がした。
そこには、大きな傷跡があった。
こめかみから顎先にかけて、赤黒い一本線が走っている。
梨子は両手を口に当て、言葉を飲み込んだ。
麻理は縫い合わせたばかりの傷口を、そっと撫でた。
「どう、梨子ちゃん?」
「えっと……、本当のことを言っちゃっていですか?」
「ええ、どんと言っちゃって」
「……、かっこいい!」
「でしょ!?」
麻理は嬉しそうな顔をした。それがどこまでが演技でどこまでが本心かはわからない。だが、麻理はそういう顔を作って俺に見せた。
「直以、あんたがこの傷のことを気にすることはないわよ」
「いや、でも……」
「あんたはこの傷が醜いと思う?」
「醜い醜くないとかじゃなくて、女の顔、だろ?」
俺がそう言うと、麻理は心底馬鹿にしたように俺を見た。
「わかってないわねぇ。女ってのはこんくらい箔がついたほうが色気が増すってもんなのよん♪」
俺は、思わず苦笑を浮かべてしまった。それに釣られて麻理も笑う。
「まいった。男より男らしいな。俺がウジウジしてるのが馬鹿らしくなってくる」
化粧やファッションは人の外面を着飾るものだ。それは、人の内面を覆い隠す効果もあることを俺は初めて知った。
そして、化粧やファッションを取り払った素の部分で、麻理がこんな魅力的な女であることを、俺は、思い知らされた。
なるほど、こいつなら顔の傷くらいで魅力が減退することなんて有り得ない。そう思えてしまえるほど、麻理の笑顔は綺麗だった。
「直以、もしあんたがこの傷に負い目があるなら、これであいこにしてあげる」
「あいこ?」
「あんたが小学校のときの火事での負い目。私を助けてくれたせいであなたがトラウマを抱えているなんて、私は耐えられないわ」
「いや、おまえがそんなことを感じる必要……」
「だ・か・ら! これでおあいこ。今までのことは全部水に流して、今からがスタート。わかったわね!」
それ、あいこじゃなくて、俺のひとり勝ちのような気がするが……。
俺が答えないことを同意と取ったのか、麻理は顔にガーゼを当てると、俺に背を向けた。
「あ、麻理!」
麻理は俺の呼びかけに振り返ったが、俺はなにも言えなかった。なにを言おうとしたのか、なにを言うべきなのかがわからない。
だから、そのとき俺が口にしたのは、ひょっとしたら俺の飾りない本心だったのかもしれない。
「おまえ、いい女だよ」
麻理は、それを聞くと白い歯を覗かせて笑みを作った。
「やっとわかったの? 覚悟しなさい。これからあんたは私のことを好きになるんだかんね!」
俺は、軽い足取りで去っていく麻理の背中を見ながら確かに自覚した。
俺は、麻理に惹かれてる。
ふと見ると、俺の横の梨子は、ジト目で俺を睨んでいた。
ゴールデンウィーク中にここまで書き切るつもりだったのですが・・・。
遅筆陳謝!