豪雨の襲撃
続く雨、続く風、どこからか飛んできた金物がバスの窓ガラスに当たり、弾かれた。
「いよいよ本格的になってきたわね」
麻理が言っているのはもちろん台風のことだ。
俺たちは、ただ雨降り荒れる中、窓ガラス越しに目を凝らして橋の先を見ていた。
いや、正確に言うのならそのことしかできなかった。
後方で戦闘が始まってから早一時間が経とうとしている。
その間、俺たちへの攻撃はなく、また、後方での戦闘も進展はなかった。
「それ、止めなさいよ。落ち着きのない」
隣に座る麻理に指摘される。俺は、いつの間にか貧乏揺すりをしていた。
「ああ、悪い」
俺は手で足を押さえつけて貧乏揺すりを止める。いかんね、もっとどっしり構えていなければいけないのに、これでは不安が周りに伝播する。
それにしても、俺以上に落ち着かないやつってのはいるもんだ。
「直以先輩、砦から……」
「切れ!」
隆介が言い終わるのを待たずに俺は叫んでいた。
監視砦からの援軍要請はほぼ5分置きにかかってきている。監視砦は視界不良の中、挑発行為を続けられて焦らされているようだった。
「でも、直以先輩。今回は木村先輩からっすよ」
俺は舌打ちすると、隆介から引っ手繰るように通信機を受け取った。
「大地! そっちはそっちでなんとかしてくれよ!」
『直以、そっちはまだ攻撃を受けていないんだろう? それなら今のうちにこっちに来て片付けてくれ』
「攻撃があってからじゃあ遅いんだよ! 直接的な被害がないならいっそ無視してろ。台風の中、外にいる敵はそのうち自滅するから」
『台風の中、攻撃を受けてみんな不安になっている。早くこっちに来て助けてくれ』
「大地、おい、大地!」
大地は、一方的に言うことを言って通信機を切っていた。俺は叩きつけるように通信機を置いた。
「……麻理。ちょっとの間ここを頼む。俺は監視砦に行ってくるから」
「ちょ、本気? なんであんたが行かないといけないのよ!?」
「大将の言うことを無視するわけにはいかないだろ」
「それだけじゃないわよね」
麻理は俺の目をしっかりと見てくる。俺は、目を逸らし戈を握った。
「とにかく、今はおしゃべりをしている時間じゃない。頼んだぞ」
俺は、背後でなにやら叫んでいる麻理を無視してバスを飛び出した。
叩きつけるような豪雨。下着まで雨が浸透してくるまで、分はかからなかった。
俺たちのいたバスから監視砦までは、直線距離にすれば500メートルを少し越えるくらいの距離だろう。普段の道のりならば、大した距離ではない。
だが、激しい風雨の中では事情が違った。おまけに、どこからか沸いたゾンビもそこかしこに姿を現している。
もっとも、この台風の中、風の音で耳が塞がっているゾンビは俺の存在には気付いていないようだった。
「直以!」
その声が聞こえたのは偶然だった。
背後からの麻理の声、それがたまたま風に殺されずに俺の耳に届いた。
それに引かれるように、俺は足を止めた。
瞬間、俺の眼前をなにかが過ぎ去った。
それは、コンクリート片だった。過ぎ去った先でコンクリート片は地面に落ちて砕けて割れた。
風で飛ばされてきた?
いや、違う。あれは、俺目掛けて投げつけられたものだった。
「直以」
髪の先までずぶ濡れの麻理が俺の傍に駆けつける。薄着が透けて下着が見えているが、眼福を楽しむ余裕は俺にはなかった。
「麻理、気をつけろ。伏兵がいる」
「そんなのわかってるわよ! あんた、自分に無頓着すぎるのよ。今あんたを殺られたら、私たちはお終いなんだかんね!」
……まさか、わざわざ兵を大回りさせてまで監視砦を攻撃させたのは、俺を狙うための布石だったのか?
そんな馬鹿馬鹿しい想像を証明するように、背後から豪雨を圧するほどの喚声が聞こえた。
長戸市の攻撃が始まったのだ。
「ゾンビが集まっている時点で気付くべきだったな。あいつら、無線で俺たちがバスから離れたことを連絡入れやがった」
「そんなことどうでもいいわよ。今は、この状況をどうやって乗り切るか、でしょ」
背中合わせで俺と麻理は立った。
その俺たち2人を囲むように、5人の男たちが立った。
「ったく、雨ン中待たせやがって。おまえが菅田直以か」
リーダー格らしき大男が声を発した。暗がりの中、顔は確認できないが、身長は大地くらいある。だが、横幅は大地の倍以上あった。その肉に詰まっているのは、脂肪ではなく筋肉だった。
俺は、唇を濡らす雨粒を舐め、答えた。
「ああ、そうだ。美紀さんの命令か?」
大男は、下卑た笑い声を上げた。
「あの女、おまえひとりを殺すのに俺たち100人に死んで来いって命令しやがった」
「なるほど、美紀さんは本気ってわけか」
俺の胸に去来したのは、失望? 冷然?
むしろ逆だ。
喜びと快感。
美紀さんは、俺に勝つためになんでもしている。俺を敵として認めてくれている。
と、するのならば、ここで思い通りに殺されてやることは、むしろ礼を失する。
美紀さんの思惑を尽く裏切ることが礼儀ってもんだろう。
「麻理、こいつら全員倒せるか?」
「……無理ね。私が突破口を開くからあんたはそこから逃げなさい」
「馬鹿か、おまえは。そんなこと俺がすると思ってんのか?」
「いいから言う通りに、っと。話ぐらいさせなさいよ!」
俺と麻理の会話は中断した。横から日本刀で斬り込まれたのだ。
俺と麻理は弾けるように離れた。
俺は手近にいるひとりに戈を振るった。が、戈は空振りした。かわされたのだ。
刺客に選ばれるだけのことはある、なにかしらの武道をかじっているようだった。
これは、逃げたほうがいいか? そう考えたときには遅かった。俺の真後ろにも敵が立ったのだ。
「なにやってんのよ!」
麻理は眼前の敵が振るう日本刀を屈んでかわすと、いつ握ったのか、拳銃を密着させて発砲した。
乾いた音が響き、日本刀を持った男は赤を撒き散らしながら後ろに倒れた。
そのまま麻理はこちらに銃を向け一発ほど撃った。弾は風に流されて命中することはなかったが、牽制にはなった。
慌てて飛び退く敵の隙を縫って麻理は俺に近づいた。それを妨害するように別の男が麻理に近づいた。
男は、ドスを振り回して麻理に斬り付けたが、麻理は余裕でかわして男の眉間に銃口を突きつけ、引き金を引いた。
「密着させちゃえばどんな豪風も関係ないわ」
……まあ、そうなんだろうけどさ。相変わらず凶暴な女。
「あと、3人」
麻理は銃口を大男に向けた。が、大男は怯む様子もない。この豪雨の中では命中させるのが難しいことを知っているのだろう。
それでも近づけば命中率は上がる。大男たちが近寄ってこない隙に、俺たちは少しずつ大男から距離を取った。
「いい? あと3歩下がったら一気に走るわよ」
「ああ、わかった」
俺は小声で麻理に答え、歩数を数えた。
1歩。
2歩……。
3歩目の足を上げた瞬間、俺は麻理に突き飛ばされた。どこに隠れていたのか、6人目が後ろから斬り込んで来たのだ。
俺は転倒しながらも戈を振るい、斬り込んで来た男の足を払う。麻理は膝立ちになって、間を置かず走ってくる3人に発砲した。
ひとり目は額を撃ち抜かれ、2人目は胸を爆ぜさせた。が、大男は2人目が倒れる前に背中を掴み、麻理に向かって突き飛ばした。
麻理は突然の奇襲に対応できず、撃ち殺した2人目を抱える形で転倒し、銃を取り落とした。
大男は麻理の持っていた拳銃を拾うと、俺が足を切った男に向かって発砲した。
「おまえ、仲間を……」
「こんな台風の中、怪我人を背負って帰るなんて面倒なこと、できないだろ」
大男は拳銃を、俺に向けて引き金を引いた。が、弾は出なかった。弾切れだ。
男は舌打ちすると、拳銃を放り出した。
「直以」
「そこで大人しくしてろ。死姦は趣味じゃねえからな」
そう言って男は下卑た笑い声を上げた。
「ふっざけんな!」
俺は、わざと大声を上げて戈を振り回した。
「わああああ!」
「そんなの振り回したら危ねえだろうが」
大男は戈を掴み上げると、俺の顔を殴り倒した。そのまま俺の身体に馬乗りになり、両手を首にかける。
「おまえのせいでこんな濡れ鼠になっちまったんだ。苦しんで死ね」
男の両腕に、少しずつ力が篭る。俺は、反射的に落ちている石を拾い、大男を殴りつけた。が、やすやすとその腕を掴まれる。
「っとお、こいつ、首を狙ってきやがった。あぶねえガキだ」
俺の手は捻り上げられ、石は俺の身体の上に落ちた。
「てめえ! ぶっ殺してやる!」
俺はさらに大声を張り上げる。が、すぐに首を絞められ、声はでなくなった。
「そう騒ぐなって。どうやってもおまえはここで死ぬんだから」
俺は、再び石を拾い、今度は大男の腕を殴りつけた。男の腕は皮が裂け、血が噴き出す。
だが、そこまでだった。分厚い肉に阻まれて、骨まではまるで届かなかった。
「いってえ、な!」
男は俺の顔面を殴りつけた。額を突き抜ける殴られた感触と、後頭部を叩きつけられる地面の感触に、俺は意識をなくしかけた。
「ったく、面倒なことしやがって。このまま殴り殺すか」
大男は、俺の胸に落ちている石を拾った。鈍器とするなら鋭いが、刃物と見るなら鈍すぎる、そんな石だ。
と、男の動きが止まった。
「直以!」
見ると、麻理が大男を背中から刺していた。おそらくは拾ったのだろうドスは、しかし、大男の背中の浅い部分で止まっていた。骨に当たって止まり、女の膂力では突き抜けられなかったのだろう。
「があああ!」
大男は大声を張り上げ、麻理を石で殴りつけた。吹き飛ばされるように弾けた麻理は、地面に倒れて動かなくなった。ゆっくりと、麻理の顔の辺りから赤い水溜りが広がっていく。
大男は、怒鳴り声を上げ続けた。
「ふざけやがってふざけやがって! 俺が、この俺様がこんなガキどもに!」
「……おい、退けよ。麻理が心配だ」
突然口調の変わった俺に、大男は少しだけ困惑したが、すぐに顔を赤くして石を持った手を振り上げた。
「ガキが! ふざけんな!」
口角に泡を浮かべながら大男はさらに怒声を上げた。だが、その石が振り下ろされることはなかった。
ぞぶりと、大男の振り上げた手首に、ゾンビの歯が喰いこんだ。
なにが起こったのかわからなかったのだろう。大男は呆けた顔をして背後に振り向いた。
そこには、大男の喚き声に引かれてやってきたゾンビがいた。
俺は、隙を逃さず大男を突き飛ばして馬乗り状態から脱出した。大男はゾンビに群がられ、悲鳴を上げた。
「俺が大声を上げてもなかなか集まらなかったゾンビがおまえの怒声には寄ってきた。まあ、肺活量だけは大したもんだな」
俺は、戈を拾った。
大男は、なんとか自分にむしゃぶりつくゾンビを突き飛ばし弾き飛ばしして、立ち上がった。
だが、すでに目の焦点もずれ、肌の変色も始まっている。すでに、ゾンビウィルスに感染していた。
「失せろ、やくざ。俺はおまえの名前も存在も、一切記憶には残さない」
大男は、それが唯一残った理性であるかのように、両手を挙げて俺に突進してきた。
俺は戈を短く持ち、横にずれて振り下ろされる大男の両腕をかわし、大腿を斬り付けた。うつぶせに倒れる大男、その背中から生えているドスの柄を、俺は踏みつけた。
ドスは、地面に張り付けるように大男の身体を貫いた。
大男は、しばらくは脈動するように跳ねていたが、やがて活動をやめた。
あらすじを変えてみました。ですが、集客力のあるキャッチコピーにはできなかったので、また変えると思います。
コロコロ変えることになってしまって、すいません。