アメとムチ~ある意味ツンデレ?~
職員室は、人で賑わっていた。ついさっき助けた大地たちと合わせて、遠野の放送で集まったのだろう生徒たちも床に座って一息ついていた。
目敏く聖はひとりひとりを観察する。怪我をした、言い換えれば噛まれて感染しているやつがいないか確認しているのだろう。俺も確認するが、幸いにもいないようだった。
「けっこういますね。20、30人くらいはいるかなあ」
「ふむ、直以。お疲れのところ悪いが、あまり時間はないぞ。人が集えば音が出る。音が出ればゾンビどもが寄って来る」
「ああ、わかってる」
俺は、泣きじゃくっている女子生徒を慰めている大地に言った。
「大地、無事だったか?」
「直以。ああ、おまえも大丈夫そうだな」
「すまないが手伝ってくれ。今から防火扉を閉めにいく。教室棟と特別棟を隔離してゾンビたちがこっちに来れないようにする」
「ふざけんな!」
その声は、大地からではなく、大地の横で座り込んでいる男子学生のものだった。俺と同じクラスの、サッカー部のやつだ。
「俺たちがどんな思いで学校まで戻ってきたと思ってんだ! やっとの思いで戻ってきたってのに、なんでおまえなんかに命令されなきゃならないんだ!」
それに反応したのは、背後からの2つの忍び笑いだ。これは振り返らないでもわかる。聖と雄太だ。
俺は、なにか言おう口を開けたが、そのままなにも言わずに口を閉じた。そして、そのまま大地に背を向けた。
その俺の背中に、大地は声をかける。
「直以、待て」
俺は、振り返らずに足を止めた。大地は、職員室にいる全員に聞こえる声量で話しだした。
「これから防火扉を閉めにいく。このままじゃあいつまたゾンビに襲われるかわからないから! 動ける男子は協力してくれ!」
職員室内からは少しずつ賛同の声が上がった。
俺は、後ろの2人と同じように、笑ってしまった。この状況に及んでも、いつもの展開てわけか。
俺がバスケ部に所属していた頃、いや、それ以前からの俺と大地の関係だ。
アメとムチ。
俺がみんなの耳に痛い必要なことを言い、反感を買う。そして大地がみんなをまとめて一致団結するといった寸法だ。
聖は人の悪い笑みを浮かべて俺に話しかけてきた。
「相変わらずだね、直以。いや、これはむしろ人望を集めることに余念がない木村大地の政治力を褒めるべきかな?」
「穿ちすぎだ。これでも助かってるんだぜ。俺には全体をまとめるなんて無理だからな」
「喰わず嫌いだな。私も手伝うからリーダーシップをとってみないか? 正直仲良しグループで生き残れる状況でもないぞ」
「遠慮しておくよ。大地がいるうちはな。雄太、なにか武器になるものはあったか?」
俺は強引に聖との会話を打ち切り、雄太に話しかけた。
「いや、当然といえば当然だが、使えそうなものはなかなかないな」
「使えそうなものってなんです?」
「ぶっちゃけるなら武器だな。ゾンビを倒せるもの、言い換えるなら人間の頭蓋骨を叩き割れるもの」
雄太は遠野に拉げたエレキギターを掲げて見せた。
遠野はきょろきょろと職員室内を見渡した。
「……箒とかモップじゃ駄目ですよね。あ、これなんかどうです?」
そう言って遠野が持ち上げようとして失敗したのは、ステンレス製の、教員用の机だった。
遠野は褒めてくれと言わんばかりの表情で俺を見上げてくる。
「……これなら頭蓋骨も割れるだろうが、さすがにでかすぎるだろう」
遠野はしょぼんと下を向いた。頭がいいんだが悪いんだかわからない娘だ。
「本当に使えるものが少ないな。聖、なにかないか?」
「そうだ、なあ。消火器なんかはどうだ?」
聖は消火器を俺に渡してきた。鉄の、ひんやりした感触が手のひらから伝わる。ずしりと重く、これなら使えそうだった。
「直以」
背後から大地に声をかけられる。振り返ると、大地を先頭に10人ほどの男子学生が立っていた。
「なにしてるんだ、行くぞ」
大地のその言い方に雄太は一歩前に出て文句を言おうとするが、俺は無言で止めた。
雄太の代わりに、聖が俺の前に出る。
大地の顔色が変わった。
聖は、大地にとって自分の影響をまったく受けない数少ない人間だ。
聖と大地の関係は友好でも反感でもない。大地にとって聖は同学年の学友というよりは教師といった立場の人間に近いのかもしれない。
「木村、さすがにこれだけの人数は余剰だよ。君たちは購買で食べ物を持ってきてくれないか? ここに立て篭るには食料は必要だからね」
大地は反論することすらできずに、無言で頷いた。聖の言うことが正しいと思ったのだろう。
「大地!」
そのまま大人数で職員室を出ていこうとする大地を俺は呼び止めた。そして、血に染まった鉄パイプを渡す。
「頭を狙え。脳みそを潰さないとゾンビは動きを止めないぞ」
大地は鉄パイプをわずかに掲げて見せ、職員室から出て行った。
ふと見ると、聖が恨みがましく俺を見ている。
「なんだよ?」
「……豎子ともに謀るに足らず」
「漢文でやったな。鴻門の会だっけ?」
「今の私はまさに范増の気分だよ。せっかく武器も持たせずに木村を職員室から追い出そうとしたのに」
「小賢しいんだよ。仲間を貶めてどうする」
「私はあいつを仲間とは認めていないんだがね」
俺は聖を押し退けると消火器を肩に担いだ。
「雄太、俺たちも行くぞ」
「りょ~かい」
俺と雄太は職員室の出口に向かって歩いていく。その後を子犬のようについてくる遠野は聖に襟首を掴まれ嘔吐いた。
「聖先輩、なにするとですか!」
「梨子くん。君は私とここでお留守番だ」
遠野はアヒル口を作って俺を見上げてきた。
「……遠野、待ってろ。肉体労働は俺と雄太でやるから」
「……は~い」
渋々といった感じで引き下がる遠野。
ちょうどそのとき、職員室の扉が外側から開かれた。
職員室に入ってきたのは伊草麻里だった。
特に話すこともない。俺と雄太は無言で伊草の隣を通り過ぎようとした。だが、俺を見ればケチを付けずにはいられないのが伊草だ。今回も例外ではなかった。
「私が来たら菅田は出て行くんだ。ふーん、私、避けられてるんだ。嫌味ったらしいわね!」
「直以には避けるだけの理由がありそうだけどな、おっと」
雄太は伊草に睨まれて口を噤んだ。
俺は、伊草を見た。
伊草は、顎をわずかに上げ、俺を見下している。こんな状況で、無理をしているにしても、いつも通りの行動をする伊草を俺は好ましく思った。だからなのか、俺は普段だったら絶対にしないことを言った。
「……ついてくるか?」
伊草のとった行動は、おそらく職員室にいる全員にとって意外だったろう。俺と雄太の後について職員室を出たのだ。
「……モテ期到来か?」
「……この状況で? 嬉しくないなあ」
「こそこそ話してるんじゃないわよ! それで、どこに行くの?」
俺は廊下の端を示した。
「そこ」
「? なにもないじゃない」
「防火扉を閉めるんだよ。悪いけど手伝ってくれ」
伊草はなにか言おうとしたが、口を噤み、俺たちの後をついてきた。
防火扉は教室棟と特別棟の境目にある。ゾンビどもは、教室棟に溢れるように大量にいた。
伊草は防火扉を触って小声で言った。
「どうするの? これを動かすとき、どうやっても音が出わよ」
「ああ、対策はある。雄太」
「はいよ」
雄太は、職員室から持ってきた缶を取り出した。元は教師がペン立てとして使っていたものだ。
雄太は、大きく振りかぶると、教室棟に向かって思い切り缶を投げた。
缶は甲高い音を立てた。ゾンビどもはその音に反応し、教室棟の奥に向かっていく。
ゾンビどもの動きは鈍い。ゾンビどもが防火扉から十分に離れたら防火扉を閉める。そのつもりでいた。
だが、缶の音に反応したのはゾンビだけではなかった。
「助けてくれ!」
教室棟の数箇所から声が上がった。生存者だ。
「……仕方ない。予定変更だ。雄太、伊草。おまえたちは防火扉を閉めてくれ」
「あんたはどうするのよ?」
「生存者を助ける。そのまま非常階段から回って戻るから、他の階の防火扉も頼む」
「ここを突っ切るってか? それは無理だろ。自殺行為だ」
「大丈夫だよ。ここは2階だ。いざとなったら窓から逃げるよ」
「……けんじゃないわよ」
ぼそりと、小声で言った伊草の言葉は、俺には聞こえなかった。だが、次に言った言葉ははっきり聞き取れた。
「ふざけんじゃないわよ! あんたなにさま? あんたのやってることはまるっきり偽善じゃない!」
「伊草、声がでかい!」
伊草の大声に反応して数人のゾンビが俺たちに向かってくる。俺は、伊草を無視して雄太に指示した。雄太は無言で頷き、防火扉を動かした。
防火扉を引きずる鈍い音が響き渡る。教室棟にいるゾンビどもは、一斉に俺たちに向かってきた。
俺は駆け出し、間近にいるゾンビの頭部を消火器で殴った。ゾンビは頭をほぼ半回転し、前のめりに倒れて痙攣した。
「頚椎を破壊すれば、動きは止まるみたいだな」
俺は消火器を振り下ろし、倒れているゾンビの息の根を止めた。
ふと横を見る。そこには、伊草が立っていた。
「おま、なんでこっち来るんだよ!」
「私の勝手でしょ! 大声出さないでよ!」
「さっさと戻れ!」
「私に命令するなあ!」
伊草は迫るゾンビの手を払いのけると、足払いをした。伊草は、倒れたゾンビの背中を踏みつけて動きを止める。
「ほら、次が来てるんだから早く殺してよ!」
「あ、ああ」
俺は、困惑しながらも倒れているゾンビの頭部を消火器で潰した。
伊草は時には打突を加え、ゾンビどもを効率よく転ばせていく。
俺は、人一人分を開けて待っている雄太に合図を送り、防火扉を閉めさせた。
背後で重い音がして扉は閉まった。
「さぼってんじゃないわよ! 私は素手じゃこいつらを殺せないんだかんね!」
「おまえ、なにもの?」
「ありえないでしょ! なんで私のことを知らないのよ!」
口を動かしながらも伊草はゾンビの手を掴み、後ろに回って関節を決めた。が、ゾンビは力ずくで伊草を振り払った。俺は、バランスを崩した伊草を抱きとめた。
「あ~むかつく! 間接技がきかないってどんだけふざけてんのよ!」
伊草は俺に抱きつかれたまま愚痴っていた。
「それで、これからどうすんのよ。言っておくけどCQCは専門外だかんね」
「CQC?」
「……クローズドクォーターコンバット。近接戦闘のこと」
……おまえ、なにもの? 再びのど元まで出かかった疑問を俺は飲み込んだ。
今は考察の時間ではない。周りはゾンビで溢れているのだ。
「調子に乗ったはいいけど、助けるどころか私たちが助けられる立場じゃないの、これ?」
「とりあえず、どこかの教室に逃げ込むぞ」
伊草は、無言で頷いた。ゆっくりと抱きかかえた俺の腕から離れ、制服の皴を伸ばす。そして、首だけで振り返り、微笑を浮かべた。
伊草麻里が初めて俺に向ける笑顔だった。
「さ、行くわよ!」
「おう!」
俺と伊草は同時に走り出した。
俺は目の前に立ちはだかるゾンビを殴り飛ばし、道を作る。その道に伊草が滑り込み、一気に駆けた。
伊草はそのまま最初の教室の扉に手をかけ、開け放つ。が、そこにいたのは大口を開けたゾンビだった。伊草に迫り来るゾンビを、俺は全力で扉を閉めて阻止した。扉はゾンビの首を挟んで止まり、再びゆっくり開いた。
首の骨を折って沈むゾンビ越しに見た教室内は数人のゾンビだけで生存者はいなかった。
「次だ!」
「わかってるわよ!」
俺たちは足を止めず、次の教室に向かった。その教室には鍵がかかっていた。
「おい、開けろ!」
中から声がする。
「だ、駄目だ。今開けたらゾンビも入ってくる」
「おまえら、助けを求めてたんじゃねえのかよ!」
「いいから俺たちのことは放っておいてくれ!」
伊草は大きな舌打ちをした。
「菅田、消火器で扉壊したら?」
「できないこともないけどやりたくない。無駄な労力だ」
「これでわかったでしょ。いくら偽善やったって報われないのよ。これからは助ける人間を選ぶのね」
「……次行くぞ」
伊草は肩を竦めて俺の後についてきた。
次の教室も、次の次の教室も内容は前の教室と同じだった。生存者がいないか鍵がかかっているかだ。
最後の、教室棟の最奥にある教室の扉に俺は手をかけた。しかし、鍵がかかっていて扉は開かなかった。
「くっそ、全部外れかよ!」
「どうすんのよ!」
「非常階段から外に逃げるぞ!」
俺は殴りすぎてでこぼこになっている消火器を振るい、眼前のゾンビの即頭部を強打した。伊草はその隙に非常階段まで走り、そこで止まった。
「どうしたんだよ! さっさと行けよ!」
「扉が開かないのよ!」
俺は、思い切り足の裏で扉を蹴りつけた。が、扉は大きく揺れたが開かなかった。
よく見てみると、扉の外に鉄骨がバリケード代わりになって扉が開くのを妨げていた。
「なんだ、これ?」
俺は、窓から外を見た。
そこには、大量の落死体があった。数は100を超えている。
おそらく、一斉に非常階段に逃げた学生が押し合い圧し合い落下したのだろう。扉を塞いでいる鉄骨は倒壊した非常階段の残骸だった。
くいと、伊草に袖を引っ張られ俺は、振り返った。
俺たちは、追い詰められていた。
教室棟2階にいる全てのゾンビが俺たち2人に向かってくる。
隙もない重圧、もはや、もと来た道を戻るのは不可能だった。
「……伊草、窓から出ろ。ここは2階だし落死体の上に落ちればクッションになるだろう」
「あんたはどうするのよ!」
「俺もすぐに行く」
「ふっざけんじゃないわよ! 偽善はやめろって言ったでしょ! 行くならあんたから行きなさいよ!」
「討論している場合じゃないんだよ! 行け!」
「うるさーーい! 今度こそ私が直以を助ける番なんだから!」
「!」
俺は、無言で伊草のみぞおちに拳を叩きこんだ。腹を押さえてうずくまる伊草。俺は窓を開き、伊草の脇と膝裏を持って抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「いいか、頭だけは自分で守れよ」
目に涙を溜めて俺を睨む伊草。俺は勢いをつけて、伊草を窓から放り出そうとした、そのときだった。