周防橋の戦い1
炎暑に立ち上る陽炎の向こう側でコンクリートの橋が揺らめいた。
俺たち、鈴宮朝倉連合は長戸市の兵と1500メートルの周防橋を挟んで対峙していた。
「……暑いな、っ痛え!」
俺の隣に立つ伊草麻里は、俺が言い終わるか終わらないかのタイミングで、俺に拳を叩き込んできた。
「なにすんだ!」
「みんな暑いんだから暑いってゆーんじゃないわよ!」
「おまえのほうが暑いって言ってるだろうが!」
俺たちはしばらく猫の喧嘩のように威嚇し合うが、余計暑くなることに間を置かずに気付き、お互い黙った。
「……あいつら、まだ増えてるな」
「……ええ、もう500人は超えたんじゃない?」
俺たちと対峙する長戸市の兵は、日を追う毎に数を増やしていった。それに伴って俺たちも兵員を増強していく。
「まるで、不毛な軍拡競争だな」
「同感。他にやることなんて山ほどあるのに、なにやってんのかしらね、私たち」
俺たちは同時にため息を吐き、すでにお湯と化しているペットボトルの水を飲んだ。
すでに両軍が橋を挟んで対峙してから3日が過ぎている。その間、軍事的衝突は一度もなかった。
「ねえ、直以。そろそろこっちから動いたらどう? 私に任せればあいつらをここまで引き込んであげるわよ」
「却下。無駄に挑発はしなくていい。逆にこっちが足を掬われることになるぞ」
「じゃあいつまでここにいればいいのよ!」
「後ろの大地たちの準備が終わるまで」
俺たちの目的は、長戸市の朝倉市に対する略奪阻止だ。
俺たちがここにいる間は、長戸市の行動は阻害され、一応の目的を達成しているともいえる。
だが、さすがにいつまでもここに、しかもこの炎天下の中、陣取っているわけにはいかない。
そこで、俺たちはここに監視塔代わりの砦を作って一度引こう、ということになった。
砦で長戸市の行き来を監視、攻めてきたら無線で後方に連絡、迎撃する。無線で連絡するときにゾンビも呼び出して長戸市の連中にぶつけてやろうって計画だ。
幸いにして、砦の元となる建物は廃ビルとして後ろにごろごろしている。大地たちが、近隣のゾンビの掃討と建物の防御強化をしている最中だった。
……もっとも、こうして両軍が大多数の兵を引き連れて対峙してしまえば、後ろの砦も大した意味はなかった。
俺たちが引き上げた途端、砦は破壊されるだろうし、長戸市の連中にしても自分たちが引いたら、俺たちが一気に長門市内に突入するかもしれないと考えていることだろう。
お互い引くに引けない状態、なるほど、これ以上の不毛な状況はなかった。
どうあっても一度は兵をお互いにぶつけ合わせる必要がありそうだった。
俺は額の汗を拭った。一応日差し避けの簡易テントの下ではあるが、大した効果があるとは思えなかった。
目の前には車やら粗大ごみやらを並べて作った簡易バリケードがある。
そのバリケードに、どこからか飛んできた蝉が止まった。
生き急ぐ蝉の鳴き声が余計に俺たちの神経を逆撫でした。
「直以先輩~、俺、そろそろ限界っすよ」
隆介が情けない声を上げる。げっそりやつれた金髪男は、汗すら掻かずに荒い息を吐いていた。
「あ~、暑ぐふぁあ!」
暑いと言い掛けた隆介は俺と麻理に同時に殴られ、白目を剥いて焼けたアスファルトの上に倒れた。
「きついのは向こうだって同じだろうけどなあ」
俺は鉄のように熱せられたバードウォッチ用の双眼鏡で橋の向こうを見た。
炎天の中、長戸市の兵は喘ぎながらも整列している。
「あ~、もう直以先輩! いっそのことこっちから攻めましょうよ! これ以上じっとしていたらこっちが参っちまいますって」
隆介は暑さに焦れたのか勢いよく立ち上がってわめきだす。なかなかにタフなやつだ。
「……無理だろ。あいつら見てみろよ」
俺は双眼鏡を覗いたまま、長戸市の兵を指差した。隙無くぎっしり並ぶ姿は、どこかの刑務所かあるいは小学校の校庭か。
大した統率力だ。寄せ集めの俺たちでは正面から攻めていっても簡単に返り討ちに遭いそうだ。
組織としてのやくざがどれだけ優れているかが窺える。
俺としてはこちらから向こうの防備に攻撃を仕掛けるより、向こうからこちらに不利な体勢で攻撃を仕掛けてくれるのがベターだ。ベストは、向こうが黙って引き上げてくれること……、いや、俺的にはそれはベストではないか。
美紀さんと激しく求め合う機会が減ることになるのだから。
俺は双眼鏡を横にずらした。
そこでは、長戸市の統率者である涼やかなドレスを着た女性がお茶を楽しんでいた。日陰の中、うちわで扇がれている姿はどこかの貴族様のようだ。長戸市が序列のある身分制度の団体だと如実に表しているようだった。
「ったく、女ってのは欲深いなあ。こっちから動けってのか?」
美紀さんは、俺に軽くティーカップを掲げて見せる。
「あに見てんのよ」
俺は、双眼鏡を麻理に渡した。
「……うっわ~、うらやましい。どこの貴族さまよ。あれが長戸市のボス?」
「ああ。あ、いや、違う。ボスはその隣の男だ」
俺は、美紀さんの隣でわめき散らしている白いスーツの男を見た。その動作と格好は、肉眼でも確認できるほど目立っていた。
実質的なボスは美紀さんでも、形式的なボスはあいつ、霧島明俊になるのだろう。
俺は双眼鏡を麻理から返してもらい、再び俺の想い人を見た。
彼女は、苦笑を浮かべ、ティースプーンで自分のボスを指し示していた。
「……進展があったことを喜ぶべきか、俺と美紀さんとの聖戦が汚されたことに憤るべきか」
俺は、双眼鏡から目を離して言った。
「麻理、隆介。準備しろ。そろそろ来るぞ」