原田美紀
朝倉小学校の校門前で俺と紅は、50人ほどのやくざ風の男たちに囲まれて白いスーツの男と隣に立つ女に対峙した。
白いスーツの男はまじまじと俺の顔を見て言った。
「あまり賢そうには見えないなあ」
大きなお世話だ。それを俺が口に出さなかったのは、俺の隣にいる紅が殺気立ったからだ。
それに気付いたのか白いスーツの男は慌てて俺から一歩離れた。
「いやあ悪かったね。僕は本音をついつい口にしちゃう人なんだ。じゃないとストレスが溜まるだろう?」
大げさに腕を広げて白いスーツの男はそう言った。いちいち身振りの大きいやつだ。
「あんたら、誰です?」
俺が聞くと、隣の女が答えた。
「私たちは隣の長戸市から来たものよ。救援をラジオから聞いたの」
屋上の無線機、か。
「僕は霧島明俊。明るいに俊敏の俊で明俊だよ。それで、これは原田美紀。僕の乳母兄弟だ」
そう言って、霧島と名乗った男は原田と呼んだ女の肩に手をかけた。いかにも馴れ馴れしい所作。
並べてみると、明らかに男は女に見劣りしていた。それでも男のほうが立場は上らしい。女は、文句ひとつ言わずにただ男を受け入れていた。
「それで、わざわざ僕たちをここに呼びつけたのはきみかい?」
「いや。ここの連中なら俺たちが逃がしたよ」
「きみたちが?」
「私たちはここ、朝倉市第3地区から正式に援軍の要請を受けた鈴宮市の部隊です」
紅のやつ、なんか棘があるな。自分たちをわざわざ正式、といっているのは、こいつら長戸市から来た連中を正式ではないと言い切っているのだ。
「部隊って、きみたち2人じゃないか」
「それにはちょっと理由があってね」
霧島は腰を屈め、俺を睨みつけてきた。
こいつは、道化だ。動作の一々に安っぽさが滲み出ている。
霧島は、俺から視線を外し、紅の着る鈴宮高校の制服を見て言った。
「ふ~ん、そういえば鈴宮市って言ったね。ひょっとして牧原聖を知っているかい?」
「……聖の知り合いか?」
それを聞くと、霧島は急に笑い出した。
「あっはっは! そうか、あの怪物、やっぱり生きてるんだ!」
俺は、下ろしていた戈の先を蹴った。戈はメトロノームのように俺の手を基点に左右に揺れた。
「あんた、聖とどういう関係だ?」
「んふ♪、いや、失敬失敬。僕はこれでもメンサの会員でね。知っているかな、メンサ。そこで彼女と知り合ったんだ」
「メンサに? あんた、賢そうには見えないけどな」
ピタリと、霧島の笑いが止まった。再び腰を落として俺の顔を睨みつける。
「きみ。自分の立場がわかってないようだね」
霧島は、ゆっくりと懐に手を入れた。
瞬間、3人が同時に動いた。
俺は戈を蹴り上げ、刃を霧島の首元に当てた。
その俺には原田の構えたショットガンが向けられ、その原田のこめかみに紅が構えた拳銃が突き付けられている。
周りのやくざ連中も合わせて全員が固まった。
しばらくの間、小学校の校門前は蝉の鳴き声だけが響き渡っていた。
「……おーけーお~けー、僕が悪かった。とにかく刃を退けてくれ」
「懐のものを捨てるのが先だろ」
冷や汗を掻きながら霧島は懐から拳銃を取り出すと、指からすべり落とした。
俺は戈を霧島の首から離した。少し遅れて原田は俺からショットガンの銃口を逸らす。最後に、紅は俺の顔を見てからゆっくりと拳銃を下ろした。
「さすが、というべきか、やはり、というべきか。牧原聖の知人だけあって野蛮だね」
「やくざ率いている人間に言われたくないね」
「ん~~、了見の狭い人間だなあ。やくざの統率力を馬鹿にしてはいけないよ。金と権力でしか命令できない能無しと違って、今、このような状況でも万全に機能するんだからね」
確かに、やくざ連中のゾンビ狩りの手並みは見事だった。朝倉市や俺たち鈴宮高校の、言ってみれば兵農分離もできていない寄せ集めの集団とは、質が違った。
「霧島さん! ありました!」
と、そのとき背後から声がした。振り返ると、やくざらしき男が肩に米袋を担いでいた。
「よし、運び出せ」
それを合図に数人の男たちが校舎内に入っていく。
「……なるほどね。食料品の略奪が目的か」
「わざわざここまで出張ってきた正当な報酬だよ」
「悪いけど、このままなにも取らないで帰ってくれるかな」
その言葉に、もっとも反応したのは紅だった。
先ほどの反応を見ても長戸市の連中は友好的ではない。ここでわざわざ喧嘩腰になっても仕方がない。ここは、やり過ごすべきだ。
理性的に判断するのならば、それは正解だろう。なにしろ、今、ここには俺と紅の2人だけで、周りの50人は全員敵なのだ。
だが、俺はそれができなかった。
論理的な判断じゃない。
理由なんて明確なものでもない。
それは、直感だ。
俺は視線を霧島の隣に立つ女に向けた。赤茶けた髪をアップにして、スーツを着た女。歳は20台前半、あるいは10台の後半かもしれない。10人が見れば10人が美人だと答えるだろう。
その女と俺は視線を交じり合わせた。
この女の名前は原田美紀。
俺は視線で語りかける。おまえにならわかるだろう、と。
原田は美笑を浮かべて俺に応えた。
「明俊さん。ここは引きましょう」
瞬間、霧島は顔色を変えて原田の頬を殴った。
その突然の行為に、やくざ連中を含めた周りの全員がざわめいた。
だが、当人の原田は唇の端を切りながらも美笑を崩さなかった。
「今、ここに200人近い部隊が向かっています」
おそらく、健司と麻理たちの鈴宮市から来た部隊と、もともとここにいた連中のことだろう。
霧島は、俺を睨みつけてきた。
「それが、きみが僕を恐れない理由なのかな?」
「それだけじゃないぞ。朝倉市からも向かってきているはずだ。聖が率いて、な」
ぎりと、俺の耳元まで霧島の歯ぎしりが聞こえる。
「美紀! そんなやつら蹴散らせるだろう!」
「はい。だけどそのときには私たちも相応の被害があります。ここは、やはり引くべきです」
「……なるほど、そこまで考えての言動だったんだ。だけどきみは勘違いしているよ。食料品を集めている時間は確かにないけど、きみたちを処刑する時間くらいはある」
「試してみるか?」
俺は、戈を肩に担いで紅の肩を抱いた。先ほどのことを思い出したのか、霧島は首を押さえて一歩下がった。
俺は、小声で紅に言った。
「紅、俺が時間を稼ぐから校舎内に逃げ込め。後は麻理たちが来るまで持ちこたえればいい」
「わかりました。ですが囮になるのは私です。直以先輩より私が死ぬほうが全体の被害は少ない」
「なるほど、それじゃあ一緒に逃げるか」
「……なにがなるほどなのかはわかりませんが、それがベストですね」
俺は足に力を入れた。肩に担いだ戈を霧島に投げつけてやる、そう思い一歩を踏み出したとき、原田が俺に手を伸ばした。
完全に機先を制されて、俺は固まった。
原田は、美笑を浮かべて俺に伸ばした手を頭上に持ち上げると、よく通る声で叫んだ。
「撤収!」
それを合図にやくざ連中はジープに乗り込んでいき、順次出発する。やくざ連中は実質的な統率者が誰であるかわかっているのだ。
霧島も、あえて余計なことは言わずにジープに乗り込んだ。
俺と原田は、ずっとお互いの目を見続けていた。
「よかったら、名前を教えてくれるかな」
すでに8割方のやくざが撤収を終えた頃、ようやく原田は口を開いた。
俺は、名乗った。
「俺が菅田直以。こいつは進藤紅だ」
「私は原田美紀よ」
俺はハンカチ(梨子に毎朝渡されている。できた妹っ子だ)を差し出した。
「唇、切れてるよ」
「ええ。ありがとう」
原田は俺からハンカチを受け取る。そのとき、微かに指が触れた。
性欲にも似た情動。理性ではなく、感情で相手を圧倒したくなる、その激情に俺は必死で耐えた。
「えっと、菅田くん」
「直以でいいよ。最近はそれで呼ばれることのほうが多いから」
「そう。それじゃあ、直以くん。私のことも美紀、で、いいわよ」
「それじゃあ、美紀さん、かな」
原田、もとい美紀さんは、美笑を浮かべた。格好からいって年上だと思うが、時折幼い所作も見せる。見た目からは歳のわからない人だった。
そして、穏やかな会話も、ここまでだった。
「直以くん、あなたも感じているんでしょう?」
「……ああ、感じているよ」
俺と美紀さんは、お互いを見詰め合った。
どうしてそう思うのかはわからない。
どうして惹かれあうのかはわからない。
だが、俺たちはお互いに確信していた。
俺たちは、絶対に相容れない仇敵なのだと。
「悲しいわね。でも嬉しくもある。こんなに解り合える相手と出会えるなんて」
俺たちは解り合う。お互いを理解し得ない関係だと。
「悲劇なのか、それとも喜劇なのか。こんなに惹かれ合う相手がいるってのは」
俺たちは惹かれ合う。お互いを絶対の敵として。
「直以先輩」
紅が俺の袖を引く。鉄面皮を崩してどこか不安そうだ。
紅には、俺と美紀さんの関係が理解できないのだろう。
いや、おそらく他の誰であろうとも理解はできないだろう。
俺と美紀さんの間には、お互いにしか価値のないひとつの世界が成立していた。
俺たちは、世界で2人きりの、絶対的な他者なのだ。
と、そのとき美紀さんは呼ばれた。どうやら最後のジープが出発するようだ。
「また、近いうちに会いましょう。ごく、近い将来に」
美紀さんは、草原を跳ねる小鹿のようにジープに飛び乗った。
「私たちの望む形で、ね」
それは、敵同士として、ということだ。
鈴宮市と長戸市、美紀さんはこの2つの勢力の軍事的衝突を示唆していた。
美紀さんは、ジープから立ち上がったまま、ハンカチを咥えた。
ジープは緩やかに走り出す。
俺は、紅に肩を叩かれるまでずっと去り行くジープの姿を追いかけ続けた。
全身が高揚に震える。
俺は、俺自身が美紀さんと対峙することを望んでいると、はっきりと気付かされていた。