荒地の戦い
戦闘が始まった。
前進する朝倉市の兵、迎え撃つ鈴宮高校の兵。
鈴宮高校は校内のイスや机を並べて安易なバリケードを作る。その内側から投石で朝倉市の兵を攻撃した。
だが、当然というべきか、投石は先頭に並ぶ機動隊の盾に遮られて効果を得られなかった。
朝倉市の兵はゆっくりと前進を続ける。
一糸乱れぬ歩調。
多少なりとも乱れがあれば、そこに隙が生じる。だが、機動隊員は隙を見せずに前進を続けた。
鈴宮高校の兵は前衛の機動隊のみをターゲットに投石を続ける。
「……崩れないな」
「俺たちが朝倉市に行ったときに銃を見せただろ? それを警戒しているんだよ」
「それじゃああいつらはこのまま前進を続けるか?」
「下手に突撃されて混戦になるよりよっぽどいい」
俺は先頭の紅に合図を送り、速度を落とさせた。
両軍の距離は縮まる。
まだだ、まだ遠い。
じれるように紅が振り返った。俺は首を横に振る。
両軍の距離はさらに縮まる。
「直以!」
「まだだ!」
水飛沫が視界を覆う荒地、両軍は、お互いの顔を確認できるまで接近する。
すでに投石は止み、鈴宮高校の兵はそれぞれの武器を手に、迫る朝倉市の兵を睨んでいた。
木刀、バット、ドライバー。
不揃いな得物を持ち、鈴宮高校の兵は緊張を高める。
待つのは俺の合図。
俺の号令を、鈴宮市の全兵士が待っていた。
高鳴る心音、顔に滴る雨の雫を舐め取る。
俺は、大きく息を吸い込み戈を振るった。
「いっけえええ!!」
それを合図に、俺たち7人は全速で敵の右側面に突っ込んだ。
タイヤが泥を巻き上げ、今まで押さえていたエンジン音が全開で解き放たれる。
先頭の紅がクラクションを鳴らしながら車で敵陣に突入、突破口を形成し、隆介たちがバイクで突破口を拡大する。
俺は、雄太の運転するビックスクーターのタンデムシートから朝倉市の兵が大混乱に陥るのを確認した。
すかさず鈴宮市の陣から20丁の拳銃が乱射された。これは、ほとんどが機動隊の頭上を飛び越え、残りは盾に塞がれて直接的な被害は与えられなかった。
が、間接的には効果は抜群だった。機動隊の格好をしているだけのもどきの連中が怯んだのだ。
櫛の欠けたような朝倉市の前衛に鈴宮高校の兵は全員で突っ込んだ。
簡単に組んだだけのバリケードを退かし、怯んで窪んだ偽機動隊目掛けて一気に突撃する。
木刀を持って先頭を突っ走っているのは、支倉先輩か。
勝敗は、その一瞬で着いた。
「何人やられた!」
右から左へ、敵陣を突っ切った俺は一度バイクを止めさせた。
即座に隆介の怒鳴り声が聞こえる。
「2人こけました! 生きてるかはわかりません!」
俺は大きく舌打ちした。
「……せめてもう一台車を用意できたらな」
「今さら言っても仕方ないだろ」
「わかってるよ!」
車を戦車に、バイクを騎馬に模した俺たちの奇襲突撃は成功した。
前衛の機動隊員と後衛の寄せ集めの分断と撹乱。
日頃から鍛えている機動隊員を除き、朝倉市の兵は全員が大混乱に陥った。
それを鈴宮高校の兵が一気に刈り取る。
獣性。
もはや一方的な殺戮から逃れるため、朝倉市の兵は泥に塗れながら逃げ出した。
俺は、込み上げる胃液を飲み込んだ。
「直以先輩、指示を」
紅の冷静な声に俺は我に帰った。
紅の乗っている車を見ると、ボンネットが歪み、フロントガラスが割れていた。
「……エアバックなしでよかったな」
「ええ。もしエアバックがあったら作動してしまい、途中でリタイアでしたね。車自体は何台もありましたが、エアバックがない車はこれしかありませんでしたから」
俺は、出掛かった言葉を飲み込んだ。
……何人を轢き殺したのか?
雄太も正面から轢いていたし、隆介の乗っているバイクもヘッドライトが割れている。俺も、戈を通じて肉を裂く感触が手に残っていた。
再び戦場に目を向ける。
飛び散った血と泥と臓腑に塗れる。這いつくばって逃げる朝倉市の兵を鈴宮高校の兵は髪を掴んで押し倒し、後頭部にドライバーを振り下ろしていた。
「どうしますか? 大勢は決したようです。今から戦場に戻っても仲間を轢く可能性もありますし、我々は先に校内に戻りますか?」
「……いや、まだだ」
「わかりました。それでは再突撃ですね」
俺は紅には答えずに、周りの連中に聞いた。
「おまえらはどうだ? まだ動けるか?」
ひとりから声が上がる。
「いや、駆動部がおかしい。平地ならともかくこんな泥道はこれ以上走れない!」
「わかった。それじゃあ先に校内に戻っていてくれ!」
俺は、雄太の肩を叩いて戦場の中心にバイクを走らせた。紅と隆介が慌てて俺の後についてきた。
戦場に到着すると、俺は大声で怒鳴った。
「武器を捨てて降伏しろ! これ以上の抵抗は無駄だ!」
俺の意を覚った紅と雄介も、大口を開けて、雨を飲み込みながらも叫んだ。
「降伏しなさい! 命は助けます!」
「もうやめろ! 殺し合いは終わりだあ!」
俺たちを中心に戦闘は終息していく。
興奮が冷めた連中は敵味方を問わずその場に座り込んだ。
雨は赤黒く濁った泥を地面に広げている。
現状を認識したひとりがその上に吐しゃ物をぶちまけた。
少しずつ、戦闘は終息していく。
だが、興奮冷めずに木刀を振るい続けるやつもいた。
「ま、待ってくれ。武器は捨てた、降伏する! だから助けてくれ!」
「聞こえませんねえ。ふふ、強い雨。あなたの汚物もきっと綺麗に洗い流してくれますよ」
女は木刀を上段に構えた。
「雄太!」
「わかってる!」
女は、木刀を振り下ろした。
間一髪、いや、半髪の差で俺は間に合った。
振り下ろした木刀は、朝倉市の兵の額を割らずに、半分の長さになっていた。俺の戈が切断したのだ。
女は短くなった木刀を捨てると俺を睨んできた。
「なんのつもりかしら、直以くん?」
「もう終わりだよ、支倉先輩。無駄に殺す必要はない」
女、支倉涼子は威圧的な視線を俺に向ける。
「そのような命令は聞いておりませんが?」
「今、俺が伝えている」
「あなたが、ですか?」
「そうだ!」
俺は、敵愾心むき出しの支倉先輩の視線を正面から受け止めた。
時間にしておそらくはたった数秒の睨み合い。支倉先輩は俺から視線を逸らして背を向けた。
「……あぢきなし、ですねえ、直以くん」
俺は、大きなため息を吐いて雨霧に消えていく支倉先輩の背を見送った。
「ったく、疲れるんだよ、マニアック(戦闘狂)が」
「すっげえ威圧感。直以、よく耐えられたな」
「あんなの荒瀬先輩ほどじゃねえよ。紅!」
「はい」
「朝倉市の敗残兵をまとめてくれ。集めたら体育館に収容。毛布を配って女子が作ってる飯を分けてやれ」
「わかりました。一箇所に集めて大丈夫ですか? 分散させたほうが危険は少ないと思いますが」
「かまわねえよ。校長室で楽してる須藤先輩と荒瀬先輩に丸投げしてやれ」
俺たちは紅と別れ、再び停戦の呼びかけを続けた。
そして、最後まで戦闘が続いている場所に向かった。それは、最後まで抵抗しているやつがいるってことだ。
俺は雄太の運転するバイクから降り、敵を包囲する大地の隣に並んだ。
「直以、遅かったな」
「まだ片付かないのか?」
「ああ。こいつら、強いよ」
俺は、包囲されている朝倉市の兵を見た。それで、説明されるまでもなく大地がてこずっている理由がわかった。
包囲されているのは、たったの5人だった。だが、その5人は機動隊員だった。
すでに100人近い鈴宮高校の兵でこの5人を囲んでいる。だが、機動隊員は怯む様子もなく円陣を組んで俺たちに対峙していた。
「直以、どうする? 正直正面から攻めたらどれくらい犠牲がでるかわからないぞ」
大地は、すでに力攻めを実行したのだろう、機動隊の足元で動かなくなっている鈴宮高校の兵を指差した。
「直以先輩。バイクで突っ込みますか? 俺、行きますよ」
「……いや、いい」
俺は隆介を止めると、包囲網から一歩前に出た。
「赤木さん、いるか?」
俺の呼びかけに、機動隊員のひとりが反応した。ヘルメットを外す。そこにいたのは、赤木武志巡査部長だった。
「菅田、くん。してやられたようだね。まさか車で突っ込まれるとは予想もしていなかったよ」
「赤木さん。降伏してくれ」
「それは、できない」
「すでにあなたたち以外の兵は全員投降していても?」
そう言ったのは、俺の隣に立つ雄太だった。
交渉術は俺より雄太のほうが優れている。俺は、雄太にバトンタッチした。
「これ以上の抵抗はお互いに損害を増すだけです。降伏してください」
「……」
赤木は答えない。雄太は、片頬を吊り上げて嫌らしい笑みを作った。こいつは顔が整っている分、こういった表情をするとなかなか凄惨だ。
「あなたたちの抵抗はあなたが考えている以上の意味がある。それは理解していますか?」
「……どういう意味だね?」
「すでに100人以上の捕虜がいる。あなたたちの無駄な抵抗で、彼らがどうなるか……」
「降伏したものを人質に取るのか!」
「もともとこんな殺し合い、我々の本意ではありませんでした。我々は、仲間を守るためならどんなことだってします」
赤木は歯軋りした。
なぜそこまで抵抗するのか、なにをそこまで守っているのか、俺にはわからなかったが、赤木にとっては自分の中のなにかを強制的に変えざるを得ない状態に葛藤しているのだろう。
そんな赤木を他所に、雄太の降伏勧告に反応したのは他の機動隊員だった。
重厚な盾を地面に投げ捨て、ヘルメットを脱ぐ。
「おまえら!?」
「赤木分隊長。ここまでです。俺たちだってこんな殺し合い、したくなかったんだ」
「こんなところまで殺し合いに来て、仲間であるはずの朝倉市の避難民にも警棒振るって。俺たちはなにを守っているんですか!?」
今まで鬱憤が溜まっていたのだろう。機動隊員たちは爆発した。赤木は、機動隊員たちの不満を無言で受け止めていた。
「今攻めたら簡単に倒せるんじゃないすか?」
「隆介……、おまえ、本当に馬鹿だな!」
俺は、隣に立つ隆介を肘で小突いた。せっかくまとまりかけているのだ、そんなことをしてわざわざ台無しにすることはないのだ。
「菅田くん!」
赤木は、大地でもなく、雄太でもなく、俺の名を呼んだ。
「……みんなの安全は、保障してくれるね?」
俺たち鈴宮高校の仲間も傷ついている。死者も多く出ている。仲間を傷つけられて募った怒りの矛先を朝倉市の連中に向けさせるのは、効率的な対処法なのかもしれない。
一瞬、赤が俺の視線をよぎり、泣きながら俺を責める大人の顔が浮かんだ。
俺は、胸の奥底から溢れそうになる瘧に蓋をして、声調を整えて赤木に答えた。
「約束します。俺たちだって誰かが死ぬのなんてごめんなんだ。大地、いいよな」
「あ、ああ。俺も約束します」
それを聞くと、赤木は盾を投げ捨てた。
雨音すら聞こえない静寂が訪れる。
それは、即座に雨音を掻き消す大歓声に変わった。
「おっしゃあああ! 勝ったぞお!」
100人の雄叫びが荒地を包みこんだ。
「ご苦労だったな、直以。なんとか終わったかな」
「……終わってねえよ」
俺は肩に手を置く大地を振り払い、校長室に向かって旗を広げた。それを合図に校舎内から待機していたバスが出てくる。
「動けるやつらはもうひと踏ん張りだ! 向かってくるバスに負傷者を収容をするんだ! いいか、敵味方問わず、だぞ! 怪我人を片っ端から積み込め!」
俺の言葉に歓声は静まっていく。
せっかくの浮かれ気分に水を挿した俺を露骨に睨むやつもいるが、この手の嫌われ役には、俺は慣れていた。
怪我人の収容は比較的スムーズに行われた。戦場に残っていたものは敵味方を問わずその作業に従事する。
まるで、祭りの後片付けだ。
今まで殺し合いをしていたのだ、多少の混乱はあったものの、それでも昼前には怪我人を全員体育館内に収容できた。
これからさっちゃんが忙しさに半べそかきながら診療にあたることになるわけだ。
俺は、須藤先輩に簡略ながら戦闘経緯と捕虜の安全を約束したことを伝え、再び校舎外に出た。
「直以、こっちは用意できてるわよ」
俺に声をかけてきたのは、伊草麻里だった。横には紅もいる。
「紅、何着用意できた?」
「12着です。すでに配り終えており、バス内で待機しています」
「麻里、そっちは?」
「準備はできているわよ。でも、絶対数は足りないけど」
「それは、わかっている。だから問題ない。よし、それじゃあ行くぞ」
俺はロータリーに停まる2台のバスを見た。朝倉市の連中が乗ってきたバスだ。
前のバスには大地たちが、後ろのバスには荒地の戦闘に参加しなかった女子が乗っている。
俺は前のバスに乗り込んだ。
「大地、大丈夫か?」
「ああ、欲を言えばカレーを食べてからがよかったけど」
俺は苦笑して大地の隣の座椅子に座った。そのとき、なぜか健司に睨まれた気がした。
バスは、ゆっくりと走り出した。
鈴宮朝倉戦争は、次の段階に移行した。