雨煙る
兆候は一瞬だった。
一粒の雫。それに気づいた直後、雨が視界を煙った。
大雨が100メートルの距離を挟んで対峙した鈴宮高校の兵と朝倉市の兵を濡らす。
「降って来ちゃったなあ」
「なに、この冷たい雨は栄養不足の朝倉市の連中には堪えるだろうよ」
「こっちだって火薬棒を使えなくなっただろう? 黒色火薬は湿気に弱いからな」
俺は、雄太と聖の会話を背中で聞きながら、2階にある職員室の窓から展開する両軍を見た。
鈴宮高校は、一部を除く全ての男子と運動部に所属する女子が大地を中心に外に出ていた。
対する朝倉市の連中は機動隊を前面に押し出し、その後ろにいかにも頭数を揃えるためだけに掻き集められたような男たちが立っている。
兵力差はほぼ互角。
両軍は、一触即発の状態で向かい合っていた。
先に動いたのは、朝倉市だった。
機動隊のひとりが拡声器を使い、最後通牒をする。残念ながら雨の音に掻き消されて校舎の2階にある職員室ではよく聞き取れなかった。
「降伏勧告、ね。それで正当性を誇示しているつもりなのか?」
「必死なんだろうな、朝倉市も。理由もなく、一般市民に人殺しはできないからね」
俺は窓から離れて梨子を見た。梨子は少しだけ拗ねたように俺を見返した。
「ほんとうに私がやるのぉ?」
俺は梨子の肩を掴んで反転させると、そのまま背中を押して放送マイクの前に連れて行った。
「ほら、早くやれ。今日はソーラーパネルが使えないんだから無駄に電気消費できないんだよ」
「もーお~、わかりましたよ!」
梨子はマイクのスイッチをオンにする。軽快な音楽がスピーカーから流れた。
軽い咳払い、梨子は話し始めた。
『みなさんおっはようごうざいます! 今日は生憎の雨。ですが、雨も悪いことばかりではありません。外での作業は臨時のお休み♪ 目の前のヤッカイゴトを片付けて、今日はゆっくり過ごしましょう』
外から喚声が聞こえる。やっぱり梨子ってMCの才能あるよなあ。こいつ、完全アドリブでやってんだから。
『朝倉市のみなさん。悪天候の中お疲れ様でっす。ですが! しょーじきいい迷惑です。私たちにあなたたちは必要ありません。どうかこのままお帰りください』
再び喚声。その反応に照れながらも、梨子は締めの言葉を放った。
『ここでぐ~っどニューっス! 今日のお昼は、カレーです! アリガタ迷惑な朝倉市の方々をやっつけて、おいしいご飯を食べましょう!』
大歓声! ここで終わればいいものを、梨子は蛇足を付け加える。
『以上! 直以お兄ちゃんからでした♪』
俺が反応するより早く、梨子は早口で『ドーゾ』と言ってマイクを切った。
「お・ま・え・わ! どうして俺の名前を出すんだよ!」
「いや、なかなかのものだったぞ。梨子くんの演説で我々の士気は高揚した」
「演説って……、そんな大げさなこと言ってないけど」
梨子は照れくさそうに顔を少しだけ伏せた。
「だけど、梨子って何気に人気あるんじゃないか? 他のやつじゃあこうは盛り上がらないと思うよ」
雄太がそう言うと、梨子は少しすまし顔になった。
「別に、私は遠くの誰かに好かれたいなんて思ってないよ。わたしは、直以お兄ちゃんたちに好きになってもらいたいの♪」
「はいはい。梨子くん、愛してるよ~~」
「……聖お姉ちゃん、首に赤い痕があるけどどうしたの?」
「っぶ!」
俺は思わず噴き出してしまった。聖のやつは愛おしげに自らの首を撫でた。
「ふむ、痕が残ってしまったか。いや、昨日の直以は激しかったからね」
梨子は、おそらくは意味が理解できていないのだろう、困惑を顔に浮かべて俺と聖を見比べた。
「直以、おまえ、ついに聖と……」
「やってない! なにもない! なにもなかったんだ!」
「いや、別に弁解することはないぞ。おめでとうって、言ったほうがいいのかな?」
俺が反論しようとしたとき、外で騒ぎが起きた。急ぎ窓に寄って外を見ると、鈴宮高校の陣から、女子がひとり朝倉市の連中のところに走って向かっていた。
「あれは、確か8班のやつか?」
「8班っていうと、内藤のところのか」
内藤は以前、降伏派だった。その内藤のところにいたのなら、そいつも降伏を支持していたのだろう。それなら、あいつはひとりで朝倉市の連中に庇護を求めたのかもしれない。
だが、その女子は受け入れられなかった。
女子は、機動隊員に近づいた瞬間、殴り殺された。
雨の中、警棒で額を割られ、倒れて動かなくなっても殴られ続ける。
俺たちは、それをただ眺めていることしかできなかった。
「……私のせい?」
梨子は、震える手で俺の指を掴んだ。
「私が安い挑発で朝倉市の人を怒らせたせい?」
俺は、わずかに腰を落として梨子と同じ視線になって、答えた。
「そうだ」
「直以!」
俺は、俺を非難する聖と雄太を無視して言った。
「もちろんおまえだけのせいじゃない。だけど、ここでおまえは悪くないなんて、俺は言わないよ」
梨子は、長いまつ毛を揺らして瞳を閉じると、微笑を浮かべてしっかりと俺の目を見返した。
「ありがとう、直以お兄ちゃん。ちゃんと私と向き合ってくれて」
と、そこで職員室のドアが無遠慮に開かれた。
「ういーっす、って、なんか取り込み中っすか?」
隆介だった。片手にヘルメットを持って、金髪の頭を掻いている。
俺は梨子から視線を外して隆介に向いた。
「そろそろか?」
「ええ。みんな先輩たちを待ってます」
「わかった」
俺は、着ているレーシングスーツのチャックを上げ、立てかけてある戈を手に取った。
戈は、何度か使ったが俺に合っていた。いつの間にか、俺の専用武器になっていた。
窓の外を見ると、朝倉市の兵は機動隊を先頭に緩やかながらも前進を開始している。
古代ギリシアのファランクスってところか。
「よっし、出番だ。雄太、行くぞ」
「……ああ」
歯切れの悪い返事だ。
「直以。わかっていると思うが、この会戦の勝敗はきみたち次第だ。タイミング勝負だぞ」
「わかってるよ。なんとかやってみる」
「あの……、直以お兄ちゃん」
梨子は、おそるおそるといった感じで俺に声をかけてきた。
だが、その後は無言が続いた。
言葉を捜しているが見つからない。
なにかを言わなくちゃいけないが、なにを言えばいいかがわからない、そんな感じだ。
俺は、梨子に助け舟を出した。
「梨子……」
「は、はい!」
「ちょっと行ってくる」
梨子は、大きく息を飲み込んで、満面の笑顔で言った。
「うん! いってらっしゃい!」
俺は、梨子に見送られて職員室を後にした。
「直以、直以!」
階段で雄太に後ろから肩を掴まれる。
「おまえ、なんで梨子にあんなことを言ったんだ!」
「……それは、今話すことなのか?」
「そうだ!」
雄太は俺の前に回りこんで進行を塞いだ。
「梨子はなにも悪くないだろう! あいつが責任感じる必要なんてないはずだ!」
「……おまえも聖も梨子に甘すぎるんだよ」
「そういうことじゃないだろ!」
雄太は俺の胸倉を掴んできた。
こいつは梨子のために本気で怒っている。俺には、それが嬉しかった。
「梨子は責任を感じていた。これからこんなことは山ほどあるんだ。今、自分は悪くないって正当化を覚えたらいつもなにかのせいにして責任逃れするようになる」
「まるで保護者面だな。おまえがそんな人格者だったとは知らなかったよ」
俺は、雄太の手を払った。
「俺が他人に説教できるほど成熟も達観もしていないのはわかっているよ。だけど、これは他人事じゃないんだ。俺たちは……、今から人を殺しに行くんだから」
俺と雄太は、瞬きもせず睨み合った。
「俺は、誰かやなにかのせいにして自分の行動から責任逃れなんてしたくない。それが人殺しだったとしても」
「俺やおまえが責任を背負って後悔して生きていくのはいいさ。だけど、それを梨子にまでかぶせる理由はどこにあるんだよ」
「あいつは、俺たちと並びたがっている」
予想外の言葉だったのだろう、雄太はそれを聞くと、1歩後ろに下がった。
「……あいつが、必死で俺たちに認められようと努力しているのは知っているよ」
「俺としては今のままでも十分認めているんだけどな。だけど、あいつは変わりたがっているから」
雄太は、表情を崩して額に手を当てた。俺が無駄に梨子を追い詰めてるわけではないとわかって安心したのだろう、わかりやすいやつだ。
「だけど……、直以だって知ってるだろう? 自分の責任を背負いきれなくて歪んでいったやつらが山ほどいるってことを」
「あいつは、梨子は大丈夫だよ」
「なんでだよ」
「だって、俺たちがいるだろう?」
雄太は、一瞬呆けた顔をして、ようやく笑みを浮かべてさらさらの前髪を払った。
「矛盾だよ。あいつが俺たちと並びたがっているのに、俺たちがあいつを助けたら本末転倒だろう」
「俺たちだってあいつには助けられてるんだ。それぐらいいいだろう。それに、俺たちはお互い利用し合っている。聖の無駄知識とかおまえの器用貧乏とかな」
「言い方が悪いんだよ。だけど、確かにそれなら俺たちが梨子を支えるくらい問題ないよな」
雄太は、俺の前に拳を突き出した。
「そういうことだ」
俺は、雄太の拳に自分の拳をぶつけた。
「……あの~、喧嘩は終わりっすか?」
「おう、隆介。いたのか?」
「ひっど! 俺、どうしようか本気で慌ててたんすよ!」
「なんでおまえが慌てる必要があるんだよ。別に俺たち喧嘩してたわけじゃないし。なあ雄太?」
「ああ。どこが喧嘩なんだよ」
「……ああーはいはい。なんか俺だけが馬鹿見たみたいっすね」
俺と雄太は、ふて腐れる隆介を見て笑った。
俺たちは、主義も趣向も違う、別々の人間だ。
意見の対立だって、必然的に存在した。
そういうときは、俺と雄太、俺たちは向き合うことができた。
唯々諾々と馴れ合わない、馴れ合う必要のない、俺たちの関係だった。
外は、本降りだった。食堂から傘も差さずに表にでた俺たちを向かえたのは、紅と3人の男子だった。
「直以先輩。お待ちしていました」
俺は、雫の滴った紅の前髪を撫でた。ずっと雨に濡れながら待っていたのか、紅の白い額はすでに冷たくなっていた。
「あまり身体を冷やすなよ」
「いえ。これくらいがちょうどいいです。お恥ずかしながら、昨日は高揚して眠れませんでした。少し頭を冷やさないと冷静な判断ができそうもありません」
にこりともしない紅に、俺は笑いかけた。幸い紅が着ているレーシングスーツは防雨製になっている。見た目ほど体温を奪われている様子はなかった。
「よっし、みんな。集まってくれ!」
俺の号令に全員が集まる。
「俺たちはこれから裏門を出て敵の右側面に回って奇襲をかける」
「っしゃあ! いよいいよ活躍のときっすね!」
隆介が盛り上がる。他のやつも、梨子の放送に感化されたのか、それとも紅のように初陣に高揚しているのか、興奮を隠し切れないでいるようだった。
俺は、紅を見た。
「紅。おまえが先頭だ。もっとも危険でもっとも重要な仕事だ。頼むぞ」
「了解しました。非才なる身の全力を持って直以先輩に応えます」
相変わらずの固い受け答え。だが、それが今は頼もしくもある。
「この雨は俺たちの音と姿を隠してくれる。奇襲をを成功しやすくしてくれるだろう」
俺は、戈を肩に担いだ。
「とりあえずおまえらに頼むのは3つだ。俺の後についてくること。迷ったら俺を見つけること。そして、俺の戈が向いた方向に全力で突っ走ること」
俺は、戈を振り下ろした。空気を切り裂く鋭い音が鳴った。
「勝敗とか、責任とか、そんなことは考えなくていい。とにかくやることやって、昼にうまいカレーを食おう!」
「「おう!!」」
それを合図に、全員が準備を始める。
ふと見ると、雄太が苦笑を浮かべて俺を見ていた。
「こいつらには責任を負わせないで梨子には負わせるのか? 直以が梨子に過剰な期待をしているのがわかるな」
「そういうことだ。雄太、御者は頼むぞ」
「了解。おまえこそ全体の舵取りは頼むぜ、指揮官殿」
「そんなたいそうなもんじゃねえよ。ま、お互い無事に帰って梨子におかえりなさいっていってもらおうや」
「ああ、そうしようか!」
雄太はそう言うと、俺に笑顔を見せてヘルメットをかぶった。
「直以先輩! 俺、頑張るっすから見ててくださいね!」
振り返ると、隆介が俺を見下ろしていた。レーシングスーツ越しからでも、金髪男の筋肉質な体型が見えた。
「隆介。あまり気張るなよ。生存が第一だからな」
「わかってますって。ていうかどの口がそんなこと言いますかね。200人近い敵陣にたった7人で突撃かけるってのに」
「っは! 言われて見ればその通りだな。言葉尻だけ捕らえたら玉砕覚悟の無駄死にだなあ」
「だからこそ、俺たちの腕の見せ所なんじゃないっすか!」
「おまえの馬鹿さ加減には救われるよ」
「……それ、褒めてねえっすよね」
「褒めてんだよ!」
俺は隆介の腕を引っ叩くと、先頭にいる紅のところに向かった。
「紅、すまないな。こんな危険なことやらせて」
「いえ。むしろ、こんな重要な役目を直以先輩と共に挑めることを光栄に思います」
俺は頷いて紅に背を向けようとした。が、珍しく紅は言い淀んで俺を止めた。
「? どうした?」
「もしこの作戦がうまくいったら、ご褒美をください」
「ご褒美?」
紅は、無言で自分の唇を指差した。
「……考えておくよ」
「善処願います」
俺は、紅の傍から離れると、雄太のところに戻った。
「本格的にモテ期到来だな」
「おま……、気づいていたのかよ!」
「聖はわかってないだろうけどな。でも梨子はいぶかしんでるから気をつけろよ」
「ぶっちゃけ重いんだよ」
「あの子が? それとも聖たちが?」
「りょうほう!」
俺は雄太の後ろに陣取った。
周りを見渡す。
すでに全員の準備が完了している。
全員が、俺の号令を待っていた。
「よっし! 行くぞ! 敵陣を切り裂くんだ!」
俺は戈を振るった。
それを合図に先頭の紅が動き出す。
雨煙る中、俺たちは、出陣した。