開戦前
CAUTION !!
今回、後半で聖が少し本性を見せます。
読者様自身の体調とご相談の上でお読み下さい。
雄太と臼井先輩が朝倉市から戻ってきたのは、投票日から3日が経ってからだった。
校長室から校舎前に止まった高級車を見ながら須藤先輩は言った。
「あと、2~3日は稼いでもらいたかったんだけどなあ」
「欲張りすぎですよ。それより、2人は無事ですか?」
「ええ。2人とも車から降りたわ」
「ふむ、それは重畳だな。朝倉市に残らされていたのなら人質にされていたかもしれないからね」
聖は煙草の灰を携帯灰皿に落として言った。こいつ、朝倉市に人質に取られたのが臼井先輩だったら見捨てたんだろうなあ。
「油断、というには酷すぎるかしら?」
「酷、なのだろう。平和ボケした大人たちにはな」
悪女2人は声を殺して笑いあった。俺は、荒瀬先輩とその様子を恐々と眺めていることしかできなかった。
校長室の重厚な扉が開かれた。中に入ってきたのは4人。前と後ろは雄太と臼井先輩。その間に2人の男がいた。
そのうちのひとりには見覚えがあった。確か、倉木っておばさん議員の秘書をやっている初老のおっさんだ。
初老のおっさんは、優雅に出迎えた須藤先輩を見て、目を剥いた。
「う、臼井くん! これはどういうことだね? 須藤清良はすでに追放したのではなかったのかね?」
須藤先輩は、意識してのことだろう、初老のおっさんを素通りするように無視して雄太に話しかけた。
「お疲れさま、朝倉市の様子はどうだった?」
「いやあ、相変わらず酷かったですよ。原因は間違いなく事務局の連中ですね。集めた避難民に日に一食しか与えてないくせに、自分たちは3食しっかりとってるんだから」
初老のおっさんは口を半開きにして呆然としている。その顔を撫でるように右手を伸ばし、須藤先輩は言った。
「ようこそ鈴宮高校へ。あのときはお互い名乗りませんでしたわね。私は、須藤清良。この学校にいるみなさんに頼まれてリーダーを務めておりますの。以後お見知りおきを」
須藤先輩は伸ばした右手を自らの左肩に当て、しなやかに一礼した。
演技掛かった動作だ。だが、完璧に決まっていた。
場は、完璧に須藤清良の独壇場になっていた。
初老のおっさんは呼吸を乱し、顔の色を赤から青へ、そして白へとせわしなく変えている。その変化で、現状を理解しているのがわかった。
わかっていないのはもうひとりの男だ。気後れしながらも胡散臭そうに須藤先輩に言った。
「きみは、なぜここにいるのかね? 本来だったらきみはここを追放されていなければいけないのに」
「そのことですか? 止めましたの。私としては心苦しいところもあったのですが、みなさんが引き止めてくれましたので。私、嬉しく泣いてしまいましたのよ」
そう言って須藤先輩は目元にハンカチを当てて、出てもいない涙を拭った。
「そ、そんなことが通用すると思っているのか!」
男は怒鳴るが、返ってきたのは、冷笑だった。残念ながら、ここには声を荒げられたくらいで臆するやつはいなかった。
さすがにこの茶番にも飽きてきた。俺は、男に言った。
「あんたたち、騙されたんだよ」
男は表情を消し、数秒間その意味を考え、そして、理解した。
「そ、そんな無茶苦茶な、そんな無法が……」
「無茶を最初に言ってきたのはおまえたちだろう? 私怨でくだらない脅しかけてきやがって……」
男は、俺が言い終わるより早く後ろにいた臼井先輩を突き飛ばして校長室から出て行った。
そのまま、高級車に乗り込んで逃げていくのが格子窓から見えた。
「直以。いいのか、逃がして?」
「ああ。元々その予定だったんだよ。これでさっきの男が現状を話したら明日にでも兵を送ってくるだろう。いつ来るのかわからないのより、少し早くてもこちらの都合に合わせて来てもらったほうがいい」
俺たちは、置いて行かれた初老のおっさんを見た。
「……私をどうするつもりかね? 断っておくが私に人質としての価値はないぞ」
「そう、ねえ。戦意高揚のために拷問にかけた上で公開処刑、なんてどうかしら?」
須藤先輩がそう言うと、初老のおっさんは額から大量の脂汗を流した。ったく、この人の場合、本気でやりかねないところが怖い。
須藤先輩は小首を傾げ、初老のおっさんに微笑みかけた。
「そんなに怯えないでください。あなたは……」
「わ、私は宮崎というものだ」
「宮崎さん。私たちは、あなたを客人として扱わせていただきますわ」
「ど、どういう意味だね!」
落とした後は持ち上げる。須藤先輩は、3倍以上生きているだろう男を手玉に取り始めた。
「私たちにはあなたが必要なんです。私、常々思っていましたんです。あなたほどの見識の持ち主が、なんで議員秘書などをやっているのかって」
……さっきまで名前も知らなかったくせに。
「な、なにを言っているのかね?」
「私たちの主体は残念ながら社会経験の少ない高校生です。あなたの豊富な経験で私たちを導いてもらいたいのです」
おだてられて落ち着いたのか、初老のおっさん、もとい宮崎は白い顔に血の気を戻して言った。
「きみたちはこれからどうするつもりだね? このようなことをして、許されると思っているのかね?」
「ご心配には及びませんわ。我々は我々の倫理に基づいて行動しておりますから。臼井くん。宮崎さんの接待役を頼みます。くれぐれも丁重におもてなししてください」
須藤先輩がそう言うと、臼井先輩は宮崎を引き連れて校長室から出て行った。
しばらく無言が続く。
「……まったく、調子のいいことをぺらぺらと」
たまらずにそう吐き捨てたのは、荒瀬先輩だった。
「あら、宏。どういう意味?」
荒瀬先輩は答えず、須藤先輩から視線を逸らした。それは、無言で口喧嘩では勝てない認めているようだった。
「あの宮崎って人、どうするつもりなんですか?」
そう聞いたのは雄太だ。
「さて、聖ちゃん。どうする?」
「ふ……む、そうだな」
聖は煙草に火を点けて、俺を見た。
「直以、戦後処理はどうする?」
「考えないわけにはいかないんだろうけど、それと宮崎となんの関係があるんだ?」
「会議ではわざと広げなかったが、敵を追い返してそれで終わりとはならないだろう。再び体勢を建て直して攻めてくるかもしれないし、それ以上に目に見える現実として、食糧不足で飢民になった朝倉市民がここまで流入してくるだろう。そうなった場合、我々は飢民をゾンビに対するより非常に対処しなければならなくなる」
「食料を求めて、か。ガリアの蛮族を追い返すローマ。まるで先祖帰りだな」
「そうならないためにも我々は手を打たなければならない。朝倉市の事務局を解散させ、避難民を分散させて自給自足体制を整える。その実務を宮崎氏に任せるのはどうだろう?」
「そう、ね。彼なら任せられるわね」
「あの人のこと、よく知らないでしょ? なんでわかるんですか?」
「初めて会ったときは倉木っておばさんの押さえ役をしていたわ。今日は状況をいち早く理解していた。状況判断と調整能力にはそれなりに期待がもてると思うんだけど。もっとも、使えなければ別の人を立てればいいだけ、なんだけどね」
指摘されて初めて気が付いた。
同じものを見ているのに俺にはわからなかったこと。
それは、俺の劣等感を刺激するのに十分だった。
紅蓮。
ぐっしょりとした寝汗に目が覚めた。
内容は覚えてない。だが、思い出す必要もない。
いつものやつだ。
イメージは赤。
それだけで、俺はあの悪夢を鮮明に思い浮かべることができた。
まだ日の出には遠い、夜更けだった。
俺は身体を起こそうとした。が、軽い重りに妨害された。
見てみると、俺の腕に梨子がしがみついていた。
梨子は目を覚まし、眠そうに大きなあくびをした。
「……もうあさぁ?」
「いや、まだだから寝てていいぞ」
「直以お兄ちゃんは?」
「俺はトイレ」
そう言うと、梨子は俺の腕を放し、丸くなって眠った。
その様子に、俺は悪夢の執念から少しだけ開放された。
俺にだって年頃の性欲はある。だが、ここまで明け透けに信頼されると、それをぶつけて汚す気にはなれなかった。
俺は、足に絡み付いている聖を蹴り退かすと、立ち上がって図書室を出た。
用を足し寝汗を拭った後、俺は図書室には戻らずに屋上に出た。
月はない。
電灯もない。
漆黒の闇。
足元すら覚束ない屋上を、俺は歩いた。
「ふむ、明日は雨が降るな。直以、今年の梅雨入りは早いかもしれないぞ」
振り返ると、暗闇の中に煙草の火がぽつんと止まっていた。
「聖、眠れないのか?」
「きみに蹴り起こされたんだろうが」
ふらふらと、煙草の火が近づいてくる。俺が火に手を伸ばすと、聖は夜目が利くのか、俺の手を払いのけた。
「……なんだよ」
「直以に煙草はやらないことにした。そのうち梨子くんが真似をして吸い出したら大変だからね」
俺は舌打ちすると、柵に背中から寄り掛かった。
「不安かい?」
「まあ、な。準備もした。作戦も立てた。だけど、やれることは全部やったのか。見落としはないのか……」
「敵は本当に機動隊を前面に押し出してくるのか、数は200未満なのか。そして、銃器の所持はしているのか? 私にもわからないことは多い。その全てに対策を立てたとしても、それをうまく実行できるのかはまったく別問題だしね」
「おまえも……、不安なのか?」
「違う、とは言えないな。だけど、そこは割り切るしかない。戦場の霧というやつだ。人の身である以上、全てを見通すことなんて絶対に不可能だ」
聖は、俺の横に並んだ。暗闇の中、お互いの顔もわからない。それが、今はありがたかった。
「……なあ、聖」
「……ん? なんだい?」
「このまま逃げるか?」
聖は、答えずに煙草の火を消した。
「雄太起こして、梨子も連れて、さ。4人だけだったらなんとかなんだろ?」
聖は苦笑を浮かべるように息を吐き、その祝詞を唱えた。
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
「あん? どういう意味だよ」
聖は、俺の腰に抱きつき身体を密着させてきた。
煙草の臭いと女の柔らかさ。間近に迫った顔の輪郭がうっすらと浮かんだ。
「私と雄太はきみがどんな選択をしても従うよ。梨子くんもきっと付いてくるだろう。だが、きみはそれができるのかい?」
「わからん。だけど、少なくともそんなことを考える程度には俺は弱いってこと……」
聖は、俺の下唇を咥えて言葉を遮った。
そのまま舌を這わせてくる。
顎、のど、鎖骨、そして、傷跡の残った左肩。
「……おまえは、いつも突然発情するな」
「ふふ、久しぶりのキスだな」
そう言って、聖は、ぴちゃりと舌なめずりした。
「直以、きみはわかっているはずだ。自分自身からは決して逃げ切れないってね」
聖の顔が近づいてくる。
俺は顔を背けた。
聖はかまわずに顔を近づけ、俺の耳元で呟いた。
「だからなのだろう? きみが自分の身も省みずに行動するのは」
聖が俺の耳朶を噛む。俺は、聖の肩を掴んで突き放した。
「そんなつもりはねえよ」
聖は、俺の手を取ると、自らの下腹部に触れさせた。
「あのときはどうだった? 32人を殺してどんな思いだった?」
一瞬、俺の手の先に存在しない炎が走った。
「……俺が殺したんじゃない」
聖は、さも愉快そうに笑い声を立てた。
「気持ちいいね直以。今、私はきみのトラウマに触れている。膣内に迎え入れているんだよ」
「聖。もう止めろ」
「止めろ? なぜだい? 直以、きみも吐き出すといい。私は、しっかり中で受け止めるから」
「聖!」
「私はきみを責めるつもりも慰めるつもりもない。全てを受け入れるよ。ほら、直以! 好きなだけ私を犯すんだ!」
俺は、聖に抱きついて身動きできないように押さえ付ける。そのまま聖の首に吸い付いた。
「……落ち着いたかい?」
「……俺のセリフだ」
どれくらいそうしていただろうか。聖の手がそっと俺の髪を撫でたのを合図に、俺は聖から離れた。
強く抱き締めすぎたせいだろう。聖は少しむせながら呼吸を整えた。
「おまえには、話したことはなかったはずだよな。どこまで知っているんだ?」
「きみのことは、全て知っているよ」
「ったく、ストーカーかよ。雄太に聞いたのか?」
「これでも、嫉妬したんだよ。付き合いの長い私には話さないで雄太には話したんだから」
「付き合いっていっても数ヶ月程度だろ? それに、俺にも安いプライドがあるんだよ。女に弱みは見せたくない」
「雄太もそう言っていた」
俺と聖は、ようやく落ち着いて笑いあった。
「未来は選べるが過去は選ぶことはできない。これは事実だ。だから、直以。きみがこれからどれだけ苦しもうとも、きみの経験してきたことを変えることはできない」
聖はジッポの火を点けた。
燃える赤。
聖の顔が浮かび上がった。穏やかな、実に穏やかな顔をしていた。
「きみは……、先に進むといい。それがどのような道であっても私は付いていくし、必要ならば道を照らそう」
俺は、ジッポの蓋を閉めて火を消した。屋上に闇が戻った。
「はいはい。わかったよ。とりあえず戻って寝るぞ。さすがに夜は冷える。明日、風邪引きましたってのは洒落にならん」
聖は、まだなにか言いたそうにしていたが、黙って俺の後に従い屋上を出た。
俺には、聖のおかげで強い確信がもてた。
それは、聖が俺の傍にいてくれるということだ。
聖がいて、それで無理ならどうやっても無理。
聖がいてくれるなら、きっと明日も大丈夫だろう。
そう思えた。
翌朝、日が昇りしばらくたった頃、朝倉市の兵隊は到着した。
荒地にバスを止め、バラバラと降りてきた連中は、機動隊員を先頭に横隊を作ってゆっくりと前進を始めた。
「……きやがったな」
俺たちも臨戦態勢に入る。事前の打ち合わせどおり、スムーズに陣を敷き、朝倉市の兵を迎え撃つ準備を整えた。
校外に、俺たち鈴宮高校の兵と朝倉市の兵が対峙する。
こうして、俺たちの闘争が幕を開けた。
お楽しみ頂けていますでしょうか、どぶねずみでございます。
今回、聖が少しはっちゃけました。
一応この小説、R15を付けているし露骨なラブシーンを入れているわけではないので大丈夫だとは思っていますが、不快な思いをさせてしまったかもしれません。
どうも申し訳ありませんでした。